153話 殺意と決意
ポーラが言い放った言葉を心の奥底で理解するまで、数秒掛かった。
だって、それは……あまりにもふざけた内容で……理解するのを拒んだ程だ。
さっきまで滾っていた怒りが冷え切っていって……。
ポーラ達は何も嘘は言っていない。
ちゃんと防御には徹している。
自分達に飛んできた攻撃は防御しているからだ。
でも、ルシェちゃんを後方から援護するとは一言も言っていない。
ルシェちゃんはそれを解っていて承諾した……するしかなかった。
反論しても決して覆らないと悟ったから。
『普段は……一人で訓練をしていました。一か月前に初実戦をした時からですが、唖喰も下位クラスしか倒したことがありませんし……最高序列のことも独学で勉強しました』
日本支部のみんなと訓練をする前に聞いた、彼女が自分の現状を語る姿を思い出した。
あの子にとって、それが当たり前だと思い知らされた。
苛立ちも憐みも何もかもぐちゃぐちゃに煮込まれたように、胸の奥が火傷するんじゃないかと思うほどに熱くて痛くて、文字通り張り裂けそうな感覚がした。
それでも、あの子が実際に感じている心境には程遠い。
「――んだよ、それ……なんで、そんなことをするんだよ……あの子が何をしたっていうんだよ……」
「さぁ? 何もしてないわよ……ただ、ワタシの暇つぶし相手に丁度良かっただけよ」
うるさい。
虫唾が走る。
吐き気がする。
「あの子は……ただ、自分の夢のために、必死で頑張ってるだけじゃねえか……」
ただ、憧れの人の役に立ちたいと、力になりたいと望んだ純朴な少女の夢を嘲笑ったどころか、自分の鬱憤晴らしに嫌がらせを繰り返すなんて、酷すぎる……。
「あぁ、アリエル様のお役に立ちたいとかいうアレ?」
「アレ……? 人の、夢をそんな風に言うなよ……!」
馬鹿にする口調で告げるポーラに更に苛立ちが募る。
もう話すだけでも嫌になってくる。
「身の程知らずで烏滸がましくて、ほんっと笑っちゃうわよねぇ~? あんな小娘がアリエル様の役に立ちたいとか、絶対に無理に決まってるし、なにより必要ないわよ」
「ざっけんな……っ、誰かの助けになりたいって夢が、どうしてバカにされなきゃならないんだよ……!!」
「なんで他人の夢にそんなに躍起になるのよ? 意味が分からないわ」
「んなもん、約束したからだよ。あの子の夢を叶える手伝いをするって……お前と違って俺はあの子の夢を信じてる。お前みたいな嫌がらせをする奴が許せないんだよ」
「嫌がらせって何? 夢見がちなお子様に現実を教えてあげようっていうワタシなりの優しい鞭よぉ?」
何が優しい鞭だ……ただ気に入らないだけだろ……。
この女は本当に同じ人間なのかと疑いたくなる。
訓練前に皮肉った〝人の姿をした唖喰〟が、本当のことのように思えてきた。
「大体、あの子を一人で戦わせて、もし死んだらどうするつもりなんだよ!!」
「どうもこうもしないわよぉ。ただ、一人の魔導少女が死んだ……それでお終いよ」
「は……?」
ふざけんな、ふざけんな、ふざけんなっ!!!
そんな言い分、納得出来るか!!
「お前が、死なせたことになるだろ……」
「はぁ? なんでワタシがあの小娘の命の責任を負わないといけないのよ?」
まるで俺に寝言は寝て言えと言うような言い分に、もうこの女をまともに見た瞬間に吐きそうになると錯覚する程の嫌悪感が湧いてきた。
「あの子だって魔導少女なんだし、死ぬのはしょうがないでしょぉ? そして何より……、
ルシェアが死ぬのは、あの子が弱いからでしょ?」
それは奇しくも、船上パーティーで菜々美さんにぶつけた言葉と同一のものだった。
――あの時の菜々美さんも、こんな気持ちだったんだ。
ふとそんなことが頭の片隅を過った。
それもすぐに塗り潰される程の度し難い激情で、俺の頭は真っ白に染まった。
「なんで……なんでお前みたいな奴が魔導士なんだよ!! 人の命を守る魔導士が、なんで平気で命を見捨てるようなことが出来るんだよ!! 同じ魔導士で、後輩で、仲間だろうが!!」
ルシェアは優しい子だ。
自分を虐げる人でも助けようとする。
夢に向かってひたむきに努力を怠らない頑張り屋で、悪辣な環境にも耐える忍耐力もある。
「ああ、もう、うるさいわね。あんな小娘は初めからワタシの仲間じゃないし、むしろ邪魔だからいなくなった方が清々するわ」
瞬間、ダムが決壊したように胸の奥でドス黒い感情が溢れ出た。
「――ヒィッ!!?」
「――っ!!!」
ポーラが小さく漏らした悲鳴を聞いて、左手が右手首にある腕時計型の魔導器に伸びていたことに気付いた俺は、慌てて手を止める。
ポーラがビビったのは、俺が発した殺気のせいだ。
少し溜飲が下がったが、それを考える余裕はなかった。
何せ、俺は明確な殺意をもって人を殺しそうになったからだ。
ポーラを殺そうと、魔導器を起動させて魔導銃で撃ち殺そうとした。
駄目だ。
いくら唾棄したくなる醜い相手でも、殺しだけは絶対に駄目だ。
魔導銃で人を殺せるって気付いた時に翡翠が言ってくれただろ……『俺なら人には撃たない』って……。
その信頼を裏切る真似をするな、ゆず達の前で人を殺すな、と必死に自分の中で生まれたポーラに対する殺意を抑える。
あの時危惧した通り、本当にふとした切っ掛けで人を撃ち殺しそうになった現状を鑑みて、煮え滾っていた怒りが凍り付いたかのように一気に肝が冷えたのがわかった。
「――は」
手がガクガクと震えるのを見て、思わず失笑が漏れた。
こんなにも早く恐れていた事が訪れるなんて、ざまぁないな……。
そんな自嘲を心内で悔やんだ。
でも、おかげで頭が冷えた。
皮肉にも、今どうするべきか冷静に考えられるようになった。
ポーラの言動は、魔導士云々以前に人として最低な行為だ。
でもそれで俺が感情的になって殺してしまっては、もっと最低だ。
こういう時こそ冷静を保て……ゆず達が唖喰と戦う時の心強さを思い出せ。
「すぅ――ふぅ――」
深呼吸をする。
よし、落ち着いてきた。
「司君……」
「ちょっと、大丈夫なの?」
「前に殴った私が言うのもなんだけど、今のは危なかったね……」
後ろで事の成り行きを見守っていたゆず達が声を掛けてくれた。
一瞬漏れ出た殺気で、心配させてしまったようだった。
後ろに振り返って、彼女達に頭を下げる。
「悪い、色んなことが重なって神経質になってた……もう、大丈夫だ」
「……むしろ、司君が咄嗟に自制を働かせたことに感服した程ですので、私は気にしていませんよ」
「殺したくなる程ムカついたのはよく分かるけど……気を付けてよ?」
「あれは向こうも悪いから、一概に司くんのせいとは言えないし、気にしないでね?」
「……ありがとう」
ゆず達の言葉に、安堵の息を吐いた。
本当に彼女達が居てくれてよかった。
何度も言うが、自分の運の良さに感服する。
その反動で唖喰に襲われようとも、足掻けるほどに。
「――っは、な、なによ、話が終わったなら早く何処かに行きなさいよ……」
「悪いけど、もうただ待ってるのは御免だ。ゆず、鈴花、菜々美さん……いいよな?」
悪態を突くポーラをスルーして、三人と視線を交わす。
このまま眺めてルシェちゃんを見殺しにするわけにはいかない。
そのために出来る最善の手段を取る。
「はい、私は司君の味方ですから、全力を貸すのは当然です!」
「わ、私だって、ゆずちゃんと同じで君の味方だよ!」
「っま、それしかないから仕方ないか……感謝してよ?」
それだけで俺が何を考えているのか理解した三人が口々に肯定したことで、早速実行に移す。
まずは腕時計のリュウズを押し込んで、魔導銃を手元に転送させる。
いつもの手触りと動作に問題が無いことを確認して、ゆず達に向けて首肯する。
次に、ゆずがフランス支部側が展開した魔導結界に触れる。
「それでは、行きます。一瞬だけですので、注意して下さい」
今度は菜々美さんが俺の背中に手を添える。
「身体強化術式発動……出力百パーセント! こっちも準備オッケーだよ!」
全身が仄かな熱を帯びたように温かく包まれるような感覚に、確かに術式の効果が出ている事を実感する。
両手を地面に付けて、右足を曲げ、左足を少し伸ばして、腰を上げる体勢……陸上で用いるクラウチングスタートの姿勢だ。
「三……」
ゆずがカウントダウンを始める。
俺は顔を前方に向ける。
「二……」
カウントが進む。
俺は足に力を入れる。
「一……」
一気に駆けだす。
身体強化術式の恩恵で、かつてない速度で駆け抜けることが出来た。
「固有術式発動、防御効果付与!」
「ぐあ、思いっきり矢が刺さってるのに痛みがないとか変な感じだな……!」
鈴花が放った一本の矢が俺の背中に突き刺さる。
防御効果付与は、矢を突き刺した対象を守る結界で包む固有術式だ。
本来は障壁が展開出来ない味方に使用するものだが、魔力持ちであれば俺に使う事も出来るようになる変わった固有術式だ。
俺がやろうとしていることを考えれば、これ以上無いほど頼もしい。
「ゼロ!」
ゆずが魔導結界の一部を解除して、人一人が容易に通れる程の穴を開けた。
開いていた時間は一秒もなかったが、俺は高速でその穴を通り抜けた。
「ちょっと、何をしているの!? あなた達には待機命令が出ていたのに、これは明らかな命令違反よ!?」
「別にアタシ達は命令違反してないよ? いいから黙ってなよ」
「はぐらかそうたってそうはいかないわよ! ワタシが支部長に報告するのだから!」
「う~わ、頭悪……」
「キィーッ! なんなんのよ!?」
「待機命令が出てたのは、日本支部の魔導士のアタシ達で、男で魔導士じゃない司には待機命令は一つも出てない……そんな簡単なことがわかんないの?」
「は……?」
命令違反だと喚くポーラに、鈴花がお返しと言わんばかりに説明する。
何とも屁理屈な説明にポーラはポカンと呆気に取られた表情を浮かべた。
そう、俺がやろうとしていることは、待機命令が出ているゆず達に代わって、俺が魔導銃でルシェちゃんを援護するということだ。
正直言って自分でも進んで死ぬ危険のある戦場に飛び込むなんて、馬鹿げてると思ってる。
でも、唖喰との戦場で孤軍奮闘するルシェちゃんを助けるのは、この方法しかない。
ゆず達からのサポートは身体強化術式と鈴花の固有術式による結界以外は無しの状態で、トレヴァーファルコに挑む羽目になったが、その点はもう割り切ってる。
「ば、ばかじゃないのかしら!? 魔力が操れない男が唖喰に挑むなんて自殺行為じゃない! 無駄な正義感か、女の子に良い所を見せようっていうの!?」
「彼にそんな余裕はありませんよ。いつだってその時の最善を尽くしているだけです」
「最善?」
ゆずの一部の隙のない信頼に、ポーラは怪訝な表情を浮かべた。
「り、理解できないわ……なんだってあんな男を信用してるのよ……」
「別に理解なんてされなくてもいいよ。ただ……あまり司くんの事を舐めないほうがいいよ?」
「そうそう、普段優しい奴程キレると何するか分かったもんじゃないっていうのは、直接殺気をぶつけられたアンタにならちょっとはわかるんじゃないの?」
「っぐ……!」
所詮男だと侮っていた相手にビビらされたのが悔しかったのか、ポーラはそんなうめき声を漏らした。
俺は自分の殺気を抑えるのにそれどころじゃなかったが、案外心に来ていたらしい。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
今は、ルシェちゃんに一本足から生えた鋭い爪を向けるトレファーファルコに走りながら銃弾を撃って牽制する。
当然、発砲音が大きく響くから、向こうは俺の存在に気付く。
自分を倒そうとする敵が増えたことで、トレヴァーファルコは警戒心を強くしてルシェちゃんから距離を取った。
「ツ、ツカサさん!? どうして!?」
銃声で俺に気付いたルシェちゃんは、驚いて動揺を隠せないでいた。
その気持ちはよく分かるが、今は戦闘中だ。
「悪い、今は説明してる時間が無いから一言だけ! 俺が手伝う!」
「え……でも普通の銃では唖喰には……」
ルシェちゃんが戸惑いがちにそう呟いた。
季奈曰く、まだ魔導銃はポピュラーなものじゃないと聴いていたし、新人の彼女が知らないのも無理はない。
説明した気持ちもあるが、ここは論より証でやったほうが早いと判断した俺は、トレヴァーファルコに向けて発砲する。
「クエエェ……グエッ!?」
魔導銃の銃弾など些事だと思ったのか、トレヴァーファルコは避ける素振りを見せずに三対の翼や胴体などに何発か直撃した。
すると、翼の一枚に麻酔効果が出たのか、僅かに体勢を崩したトレヴァーファルコが地上に落下していった。
「ええ!? 急にどうして――」
「下位クラスの唖喰限定で麻酔銃くらいの効果があるんだ、今の内にぶちかませ!!」
「っ、はい! 攻撃術式発動、重光槍展開、発射!」
動揺するルシェちゃんに手短に魔導銃の効果を説明して、俺の掛け声に素早く反応した彼女は、一際大きな光の槍をトレヴァーファルコに向けて放つ。
これが、二か月の新人魔導少女と魔力を操れない俺の共闘の始まりだった。
何気に司が自分から戦うのは初めてだったり。
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次回は10月13日に更新します。
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