140話 夏休み明け
九月一日。
残暑の日照りが続いてまだ夏を感じさせる今日は、羽根牧高校の二学期始業式だ。
俺はいつも通りゆずとの待ち合わせ場所である羽根牧駅へと向かっている。
あんなに楽しみにしていた貴重な高二の夏休みが、ベルブブゼラルという上位クラスよりワンランク上の悪夢クラスの唖喰に眠らされたことによりたった一週間だけ(入院中の一週間を除く)にさせられたのは、かなり腹立たしい。
けれど、こうして無事に生きていられる以上のことを望むのは贅沢というものだろう。
命あっての物種っていうし、過ごせなかった夏休みの分もゆずと……。
ゆず、かぁ……。
『好きです。私は……司君のことが……好きです』
『司君の恋人になりたいんです、もっとあなたのことが知りたいんです、もっと私のことを……私の知らない私も知ってほしいんです……』
『はい、それじゃあ早く私の右手の指に掛かった蜜を舐め取って下さい』
思い返した途端、顔がボンッと沸騰したかと錯覚するほどに熱くなった。
赤くなった顔を見られないように右手で口元を覆う。
あったわ。
生きてること以上の贅沢。
俺にとっては一瞬の出来事だったけど、ゆずにとっては途轍もない苦労の末にベルブブゼラルを倒した後、目が覚めた俺に向かってゆずに告白をされた。
未だ俺の気持ちが定まっていないことを理由に返事は保留させてもらってるけど、今まで受けた告白で一番印象的なのは確かだ。
それこそ、菜々美さんから寄せられる好意が無ければそのまま告白を受け入れてしまう程に。
しかもゆずからは俺が答えを出すのを待つつもりはなく、むしろ自分を好きになってもらうと宣言された。
その宣言通り、菜々美さんから漏れた指フェチという俺の好みを突いて、自分の指を舐めさせるとかいうゆずが自分の気持ちを自覚した時以上の攻めを見せられた。
あれからは普段通りの接し方をされているが、いつ攻勢に出られるのかは全く予想が出来ない。
「あ、いたいた」
ゆずさんのアプローチに戦々恐々としていると、駅前の待ち合わせ場所にゆずの姿が見えた。
黄色のセミロングの髪は風でサラサラと揺れていて、一本一本が朝日を反射してキラキラと輝いている。
緑の瞳は誰かを探すように――まぁ俺なんだけど――視線を動かしていた。
「おはよう、ゆずちゃん。今日も可愛いね」
「おはようございます」
通りすがりのサラリーマンと軽く挨拶を交わす。
俺と一緒に登校するために待ち合わせ場所を駅前に決めてから、何度もゆずを見掛ける内に打ち解けたようだった。
こうして色んな人達と交流できるのも、彼女が日常に溶け込んでいっている証だ。
眺めてばかりいると遅刻するから、俺はゆずへ声を掛ける。
「おはよう、ゆず」
「あ、おはようございます、司君!」
俺の姿を見つけた途端、ゆずは表情をパアッと輝かせて俺に挨拶を返してきた。
――こんな美少女が好きになってくれた気持ちを裏切らない様に頑張らないと……。
そんな思いが頭を過りつつ、俺達は学校へと歩みを進める。
「今日から新学期ですね」
「ああ、ゆず達のおかげてこうして学校に行けて良かったよ」
「司君がいてこその私の日常ですから、お礼は不要ですよ」
「それで三回も命を救われてるんだ、全然言い足りないくらいだよ」
いい加減目に見えた恩返しをしないと、俺の気が済まない。
亡くなった工藤さん達のためにも……。
菜々美さんとは工藤さんの葬式からあまり会話をしていない。
挨拶はするんだけど、すぐに用事があるからと話を切り上げられることがほとんどだ。
俺達に心配を掛けさせまいも笑顔で取り繕うが、その笑顔がぎこちなく、彼女が無理をしているのは容易に分かった。
菜々美さんが無理をする理由は一つ、ベルブブゼラルとの戦いで亡くなった工藤さんが大きく関係している。
大学生としても魔導士としても彼女の先輩であった工藤さんの死は、日に日に菜々美さんの心に重石となっていた。
会話の途中でもういない工藤さんに話を振ったり、どこか寂しげなため息をついたり、唖喰との戦闘では攻撃が苛烈になっているとゆずから聞いたり、相当心に来ている様子だった。
「菜々美さん、心配だな」
「はい……今の菜々美さんは、司君が眠らされた時の私とそっくりです」
そう語るゆずの表情からは同情、悔恨、共感、など様々な感情が見え隠れしていた。
同時になるほど、と理解した。
今の菜々美さんのようにゆずがなっていたのなら、鈴花達が心配になるのも頷ける。
正直今の菜々美さんは危なっかしくて仕方ない。
あんな心境のまま唖喰と戦い続けることはマイナスでしかない。
だが、俺が言ったところでどうしようもないのは分かり切っていることだ。
いくら好きな人から言われたことでも……。
「菜々美さんに向き合ってもらえた時のように、私にも何かできればいいのですが……」
「俺もだよ。工藤さんの代わり……なんて言うのは烏滸がましいけど、菜々美さんを支えたいって気持ちは確かだ」
恋愛感情抜きにしても自分を追い込む菜々美さんをあのまま一人にするのは不安だ。
そんな気持ちで出た言葉を聞いたゆずは、何故か嘆くように悲し気な表情を向けて来た。
「……それって、司君は菜々美さんの方が良いということですか?」
「ち、違うって! 俺も菜々美さんには色々助けられたから、その恩返しをしたいってだけだよ」
そんな捨てられる前の子犬みたいに絶望するなよ……。
ありのままの考えを伝えると、ゆずはホッと安堵のため息をついた。
告白をされてからというものの、ちょっと他の異性に味方をする発言をすると〝自分はフラれたのか〟みたいな反応をするようになった。
どんだけ俺のことが好きなんだよ……。
しかもちょっと病みの域にまで達してないか?
そのうち手首に傷が――いや怖い怖い。
怖いからこれ以上考えるのはよそう……。
そうして会話を交えながら学校に着き、一か月振り……俺にとっては二週間振りの2-2組の教室に入ると、夏休みの間に様変わりした人もいれば、全く変化のない人もいる。
なにより目を引くのがカップルが増えていることだろう。
不思議と羨ましいなんて気持ちは浮かび上がって来なかった。
十中八九、ゆずに告白されたからだろう。
でもクラスメイト達の仲睦まじい姿を見ていると、返事を保留している現状に申し訳なくて堪らない。
だからとって教室の雰囲気に流されるのはご免だ。
ゆずが俺の返事を待ってくれるのは(正確には待つつもりは皆無だが)ゆずが自分の気持ちだけじゃなくて、俺の気持ちを優先してくれるからだ。
ゆずだってクラスメイト達のように俺と恋人のようなやり取りをしたいのに、流された答えを出してその気遣いを無下にするような真似は出来ない。
そう決意していると、ゆずに裾を引かれた。
「なんだか夏休みの間にクラスでカップルが増えたようですね、司君」
「ああ、みたいだな」
「司君があの恋人グループに入れる条件を満たせる女子が、丁度良く一人いますが、どうですか?」
「……ノーコメントで」
期待が込められた眼差しで自分を推すゆずに、俺は鋼の意思で以って答えた。
気遣って……いるんですかね?
教室の雰囲気にあてられて妙に大胆な誘惑を仕掛けて来たな……。
ちょっと俺の中でゆずに対する信頼に傷が付けられた気がする。
「おっはよー、司、並木さん」
「石谷か、おはよう」
「(ッチ……)おはようございます、石谷さん」
こら、さり気なく舌打ちしない。
石谷が挨拶をしなかったら何をするつもりだったんだよ。
「お前、並木さん達とスマホ放って聖地巡礼とかよくやるよなぁ」
「え、何の――あ、ああ、そう! でも夏祭りの頃には帰って来てたからな!」
「そっか、俺もほのかちゃんと行ってたけど、人混みで気付かなかったんかな?」
石谷が突然変なことを言い出すから何事かと思ったが、工藤さんの葬式で菜々美さんが言った通り、俺やゆず達にとって熾烈を極めたベルブブゼラルとの戦いがあったことを、石谷達一般人は露も知らない。
意識を失って眠っていた俺の当時の状況を誤魔化すために、そんな旅に出ていたことになっていたと察して咄嗟に口裏を合わせた。
「でも安井さんと夏祭りに行ったってことは順調みたいだな」
「順調どころか付き合うことになったぜ!!」
余程嬉しいのか石谷は輝かしい笑顔でサムズアップを決めた。
「おお、橋渡し役として素直に嬉しいよ」
「おう! まぁ、なんて言うかぁ? 俺の魅力にぃ? ほのかちゃんが惚れたっていう感じぃ?」
「その言い方止めろ、果てしなくウザイ……」
せっかく素直に称賛したのに損した気分だ。
だが、俺以上に損した気分の奴らがいた。
「キッッサマアアアアアアア! 俺達を裏切りやがったなぁぁぁぁぁぁっ!!?」
「彼女自慢なんて夏休みデビューがあってたまるか!!」
「彼女持ちは敵だ!!」
夏休みの間に彼女が出来なかった男子達が怨嗟を込めて石谷にヤジを飛ばした。
「はっはー! 彼女がいない奴が何を喚こうとも負け犬の遠吠えにしかならんなああああ! m9(^Д^)プギャー」
「「「石谷ぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっ!!」」」
この煽り芸も変わらないなぁ……。
そうしてホームルームの予鈴が鳴るまで喧騒が続き、体育館へ移動して始業式が始まる。
ただ、途中で飽きて後半校長先生が何を話していたのか全く頭に入って来なかったけど。
始業式後のホームルームでも軽い注意事項を聞いたり、夏休みの課題であたふたしたりするなど、変わり映えのしない日常の光景が続いた。
そんな何気ない光景でも、もしベルブブゼラルが倒せずにいたらこうして同じ場所に立つことも出来なかったと思うとぞっとする。
それほどまでに唖喰の脅威は身近に潜んでいるのだと、ベルブブゼラルの件のように油断するな、と恐怖心と警戒心に訴えてくる。
ゆず達は魔導少女として戦うことで世界と人々を守っている。
それに対して俺はどうだろうか?
ゆず達を支える……この決意にウソ偽りはない。
そのために魔導銃を作ってもらって練習も重ねている。
でも本当にそれだけでいいのか、なんてことを最近はよく考えるようになった。
ゆずの日常指導係になったばかりの頃にも同じようなことを考えていたが、ただ支えるだけじゃダメな気がしてきたんだ。
切っ掛けは見知った人の死……工藤さんの死に触れて、そのことで塞ぎ込んでいる菜々美さんを支えると口にしておきながら、何も出来ていないこと。
もちろん、ベルブブゼラルに眠らされていた俺がその時に何か出来たかなんて驕るつもりは無い。
けれども被害者だから仕方ないで済ますつもりもない。
今も唖喰と戦っているであろう魔導少女と魔導士達に俺が出来ること……。
何処へ進もうとも行き止まりの迷路を彷徨うような答えの無い疑問に、あーでもないこーでもないと頭を悩ませる。
「――っ! 司! 無視するなっての!!」
「――いっつ!? なんだ!?」
突然左耳に痛みが走り、思わず左側に顔を向ける。
赤みかかった長い茶色の髪を頭頂部で一つに束ねてポニーテールにして、明るい茶色の目はキッと吊り上がって俺を睨んでいた。
小学生の頃からの長い付き合いである友人――鈴花は不満を隠さずにむくれていた。
そんな彼女の怒り心頭といった表情に反して、俺はどうして怒っているのか分からずに戸惑うだけだった。
「アンタね~、さっきから話し掛けてんのに〝ああ〟とか〝うん〟とか上の空で返事しないでよ」
……そうだった。
ゆずから初咲さんが今後のことで大事な話があるから、日本支部の支部長室に来るように言われて向かっている最中だった。
「悪い、考え事をしてて話を聞いて無かった」
「ええ……ゆずが〝司君の彼女にしてください〟〝結婚してください〟って言っても同じように返事する程、真剣に考えることなの?」
「おい待て、俺マジでゆずにそう言われたのか?」
鈴花に耳を引っ張られるまでの会話がまるで頭に入って来なかったから、うっかり返事しちゃったのか!?
「す、鈴花ちゃん!?」
が、顔をまっかにして鈴花に掴み掛かるゆずの反応を見る限りそんなことはなかったようだ。
「け、結婚はまだ早いです! まずは恋人から――」
「そっちかよ! 告白の返事すらまだなのに飛躍し過ぎだろ!!」
油断も隙もねえな……。
その内寝込みを襲われたりしないよな?
告白したことで遠慮が無くなってより積極的になったゆずさんの猛攻に、不安と期待の入り混じった複雑な心境を抱えたまま、オリアム・マギ日本支部の支部長室に辿り着いた。
「初咲さん、失礼します」
「待ってたわ皆。さ、掛けて頂戴」
肩に触れる長さに切り揃えられた茶髪と黒のレディスーツをビシッと着こなしている初咲さんは、支部長室に訪れた俺達三人を応接スペースのソファに座るように促す。
このソファに座るのは唖喰と組織の説明を聞いた時以来だなぁ、なんて暢気なことを考えていると、ゆずが話を切り出した。
「初咲さん、大事な要件とは何でしょうか?」
「せっかちね。そんなに竜胆君との時間が惜しいの?」
「はい」
「……」
初咲さんがからかうような言葉をさも当然のように返したゆずの態度に、初咲さんが無言で俺を睨んできた。
そんなに睨まないでください……。
俺もここまで好かれるとは思っていなかったんですって……。
「ホントベタ惚れよね~。やっぱ姉代わりとして不満とかありますか、初咲さん?」
「ありまくりよ……あのゆずがここまでなんて……案外カウンセリング系の職種が竜胆君の天職なのかしら?」
「司がカウンセラーになったら、カウンセリングを受けた女性を軒並み口説きますよ。それで大した悩みもないのにカウンセリングを受けに来る女性が長蛇の列を――」
「それは怖いわね……」
何勝手に人の将来を語ってるんだ。
でもゆずの日常指導係を通して、将来はカウンセラーとかやってみようかって夏休み前の進路希望調査に書いたから、完全に否定できない……。
そういえば、そのことで菜々美さん達の通う大学の講義でそういった系列が無いか聞いたことがあった。
あの時、工藤さんと菜々美さんは親身になって俺の質問に答えてくれて、特に菜々美さんなんてもしかしたら俺が同じ大学に来るかもしれないと思ったのか、終始嬉しそうだった。
――同じ大学に通うことになっても工藤さんはもういない。
一瞬過った事実に胸の奥が暗く沈む感覚がした。
駄目だ。
今は初咲さんの話に集中しないと……。
「……ゴホン、それであなた達を呼び出した要件なのだけれど」
微妙な空気を正すために、初咲さんは一度咳払いをして要件を告げる。
「あなた達、フランスに行ってみない?」
「「「――え?」」」
軽い口調で外国へ行こうという初咲さんに、俺達は呆けるしかなかった。
この時、俺は予想していなかった。
フランスであんなことが起きるなんてことを……。
今後の身の振り方に関わることも……。
あの出会いも……。
全て、この時からだったのかもしれない。
次の舞台はフランス!
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次回は9月17日に更新します。
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