139話 夏祭り 後編
鈴花ちゃんから来たメールの内容は、要約すると〝誰もいないうちにやることはやれ〟という事でしょう……。
あ、だめです。
司君とそういうことをすると意識しただけでもう心臓がバクバクと大きな音を立てています。
近くにいる司君にも聞こえるのではないかというくらい大きな音が鳴っている気がします。
横目で司君を見てみると、何故か硬直しているようにみえます。
司君のところにも鈴花ちゃんからメールが来ていたと言っていましたが、鈴花ちゃん達が遅れる内容が書かれているはずなのに、どうして固まっているのでしょうか?
と、とにかく何か話さないと!
「……」
「……」
緊張で話題が出てきません!!
何を話せばいいのでしょうか!?
砂漠で針を探すように答えが思い当たらず、私は両手で顔を覆いました。
「――ゆず!」
「っはい!?」
突然司君に話しかけられたことに少々驚いてしまいましたが、何とか返事が出来ました。
「……とりあえず先に行ってこうか?」
「……ですね」
三秒で会話が途絶えてしまいました。
なんでしょう……。
どうしてこんなことに?
鈴花ちゃんは一体何を考えているのでしょうか?
あ、単に私の恋愛の手伝いですよね、やっている事自体はすごくありがたいことなのに、そのチャンスが巡ってきたことに緊張している私の方がおかしいのでしょうか!?
そして会話が全くないまま、私達は集合場所である河川敷の第一橋の下にやってきました。
河川敷は五つの橋があって、第五橋は河口に近い位置にあります。
その上流である第一橋には工場等が多く立ち並んでいるため、人気はありません。
確かにここでなら、花火はよく見えますし二人っきりですから情事には持って来いというのは分かります。
ですがやっぱり緊張の所為で先程から司君の顔をみることが出来ません!
ただでさえ司君へ告白したあとなので、彼に私の気持ちが伝わっている分、今まで以上にドキドキして落ち着きません!!
「……っ……ぃ」
「っ……ぉ……」
あれ、なんだかぼそぼそと声が聞こえるような……?
「あの、司君、何か他の人の声が聞こえる気がします」
「ええ、マジか!? この辺りってあんまり人がいないはずなのに……」
「あちらの柱の方から聞こえます」
「あっちか……まだ暗闇で分かり辛いな……」
「私が見て来ます。もしかしたらはぐれ唖喰かもしれませんから」
「ああ、頼む」
降ってわいた話題で司君と会話をしたあと、私は忍び足で柱の裏を遠目で見てみますと……。
――服が半端に脱げた男女が抱き合っている姿が見えました。
そこからの私の行動はベルブブゼラルと戦った時より素早く動けたと自負します。
まずは無詠唱で遮音結界を発動させ、二人を囲います。
次に身体強化術式を最大出力で発動させて一秒に満たない速さで二人の首筋に手刀を当てて気を失わせたあと、記憶消去処理を済ませて、半端に脱いでいる服はそのために用意していたと思われるレジャーシートを被せることで誤魔化しました。
所要時間十秒の簡単な処理です。
それらを終えた私は司君の所に戻りました。
「ゆず、どうだった?」
私がはぐれ唖喰の可能性があると発言したことで、神妙な面持ちで司君がそう訊ねます。
対する私は満面の笑みで以って答えました。
「ローパーの触手が絡み合っていました」
「なにその状況!?」
ローパーの触手が絡み合うというのは唖喰が人の少ない場所にポータルを開いて出現するという特性上、魔導士は人のいない場所で戦うことが多く、そのため先程のような光景に遭遇することがあり、救助者の発見時の様子を詳細を説明しようにも、口にする事も恥ずかしがる魔導士が殆どであるため、簡潔に分かりやすく伝えるために考えられたいわゆる業界用語の一種です。
司君と出会う以前は発見してもなんとも思わなかったのに……こんなことで自分が変わったことを認識させられるたのは非常に不愉快です。
「とにかく、問題はありませんでした」
「え、今の用語の解説は無いのか?」
「司君が知らなくてもいいことです」
「久々に聞いたなそれ……」
そういえば初めて会った頃はこう言って司君を遠ざけていましたね。
ともかく、司君がそんな業界用語まで知る必要はありません。
「まぁいっか、花火まであと三十分ぐらいだな」
「あ、そうですね。私は花火を見た記憶が無いので少しわくわくしています」
「はは、それは良かった」
私達は花火を見やすいようにその場に並んで腰を下ろしました。
少し予想外のトラブルはありましたが、先程まであった気まずい雰囲気もいつの間にか無くなって司君とも屋台で買った食べ物を食べながら自然に話す事が出来る様になりました。
好きな人と一緒だからといって変に意識してしまって会話もままならないより、こんなふうに自然体でいられる方がずっと楽ですね。
だからこそ、ずっとこのままでいたいと思ってしまいます。
そうです。
私が緊張している理由は恋愛経験の無さもですが、一番は今の関係が壊れてしまうことを恐れているからです。
告白をして返事こそ保留ですが、今後司君が自分の気持ちを決めて、告白を振られてしまったら、立ち直ることは出来ても今までのように司君と関わることが出来なくなってしまうかもしれません。
顔を合わせる度に振られたことを思い出して泣いてしまうのかも……。
ないとは言い切れないのは、そんなことを考えるだけでも切なくなって胸が締め付けられて、涙が出そうになるからです。
それだけ、彼の事が好きなのだと訴えかけられるように。
それでも気持ちを伝えることを止めないのは、同じく彼の事が好きだからです。
なんだか頭がぐちゃぐちゃになってしまいそうです。
好きだから告白して恋人になりたいのに、好きだから今の関係が壊れることを恐れる。
ままなりません。
いっそ私は気持ちを伝えなかったほうが良かったのでは……?
そんな話を菜々美さんにしてみたら……。
「そっか、告白したけど、返事は保留なんだ」
「はい……」
「でもゆずちゃんが告白した勇気は凄く尊敬できるけど、告白したことを後悔しちゃだめだよ」
「え?」
どうしてと訊ねると、真剣な眼差しで答えてくれました。
「恋をする人みんなその〝変わること〟に怯えてる……私だって同じだよ?」
「そうなのですか?」
ここぞというところで度胸を見せる菜々美さんでも同様の考えが過ってたと知って、私は自分だけではないことに安堵しました。
「そもそも恋愛に正解なんてないし、告白して恋人同士になったからそこでお終いってわけじゃないよ」
「え、どういうことですか!?」
「付き合ってからギクシャクし出して付き合う前みたいに接しようとしても上手くいかずに自然消滅、どっちかが愛想を尽かして別れる、浮気、そもそも体目当て……簡単に挙げられる例だけでもこんなにあるんだから、それがなかったら世界は少子高齢化に陥ったりしてないよ」
開いた口が塞がりませんでした。
もしかして恋愛というのは私が想定していたことより難しいことなのでは、と少し茫然としました。
「そんなに難しく考えなくても大丈夫だよ。なんだかんだ言ってきたけど、ゆずちゃんはゆずちゃんがしたいように恋をすればいいんだよ」
「私のしたいように……」
「一人で難しいなって思ったら、私でも鈴花ちゃんでも誰でも頼っていいから、ね?」
そういう菜々美さんはとても頼もしく思えました。
「じゃあこれは先輩の受け売りだけど……勇気が出るお呪いみたいなもので、
その人とどうなりたいかじゃなくて、どうしたいかを考えたらいいんだって」
お呪い……。
試してみましょうか。
そう決めた私は目を閉じて、司君と何をどうしたいかを考えます。
どうしたいか……。
まずは会話を交わしたいです。
他愛のない色んなお話をして笑い合いたいです。
次に手を繋ぎたいです。
司君の手はとても暖かくて、心地良いのでずっと繋いでいられたら幸せですね。
あ、でもたまに頭を撫でて欲しいです。
あとやっぱり恋人らしいこともしたいです。
身体を密着させて抱き合いたいですし、き、キスとか、それ以上も……。
うぅ、でもやっぱり恥ずかしいのでもっとゆっくりでお願いしたいです。
いくつか候補を挙げてみましたが、以前の私が知れば自分はこんなにも欲張りになってしまったのかと驚いてしまいますね。
悪い気は全くしないので何も問題はありませんが。
司君と一緒ならどんなことでも楽しめるという確信しています。
だから……。
「司君と出会えてよかった」
つい、そんなことを呟いて……。
「俺も、ゆずと出会えてよかったよ」
呟きは司君に聞こえていたようで、彼はそう返してくれました。
「司君は、どうしてそう思ったんですか? 私が言ってはなんですが三回も命の危機に瀕して、嫌になったりしませんか?」
「なってないって言うと嘘になるな。唖喰は気持ち悪いしゆず達が傷つくのは見てられないし」
優しい司君が自分に唖喰と戦う力が無いことに悩んでいるのは知っています。
それは英雄願望ではなく、純粋に自分の知る人達を唖喰から守りたいと思っているからこその悩みであることも。
「……司君が望むのなら唖喰と魔導に関する記憶を消してもいいですよ?」
我ながら何とも意地の悪い質問だと思います。
ですが、あの悪夢の中で訴えられたように司君の魔導と唖喰の記憶を消せば、今後彼の身に命の危機が迫ることは避けられるかもしれないと思ったからです。
私の問いに司君は……。
「だから言っただろ、ゆずと出会えてよかったって。それに乗り掛かった舟だ、命尽きるまでとことん関わってやるって決めたんだよ」
「……不躾な質問でしたね」
全く悩む素振りも見せずに司君は即答してみせました。
私は彼のこういったところに惹かれたのかもしれませんね。
「大体、記憶を消したらゆずのことも忘れるんだろ? 自分の命可愛さにゆずのことを忘れるくらいなら、このままのほうがずっといい」
「……どうしてですか?」
私は司君の命に取って代われる価値が自分にあるのか理解できずにそう聞き返しました。
司君は頬を人差し指で掻きながら話してくれました。
「だってゆずに三回も命を救われたっていうのに、恩返しの一つもしないまま死にたくないからって命の恩人を忘れるようなかっこ悪い真似はしたくないっていう……俺の身勝手なプライドだよ」
「それは唖喰と戦う魔導少女の私がして当然のことで、司君が気にすることでは……」
「助けてもらったらありがとうってお礼を言う……幼稚園児でも出来て当たり前のことが出来ないようじゃ友達以前に男として失格だからな」
司君は言葉を区切って続けました。
「だからこのままでいい。ゆずと過ごす日常を失くしたくないんだ」
「~~っ!?」
ボッと全身が熱く火照った感覚に襲われました。
ああ、だめです。
司君の顔がまともに見れません。
私ばかりがドキドキさせられるのがなんだか悔しくて、私は反撃に出ました。
「あ!」
「ん? どうしたゆず?」
「屋台で買ったリンゴ飴の蜜が右手の指に掛かってベトベトになってしまいました……」
「うお、本当だ。ちょっとウェットティッシュを――」
「その前に司君が舐めて取って下さい」
「ああ、わか――今なんて言った?」
司君が動揺を隠せない表情で私を凝視しています。
「な、なんで俺がゆずの指に付いた蜜を舐めとることになるんだ?」
「え、だって司君は女性の指が好きだと訊いたのですが……」
「誰に!?」
「菜々美さんからです」
「マジかよ……」
司君は右手で目元を眼鏡毎覆うように隠して天を仰ぎました。
その反応から彼にとって隠したいことだったようです。
「最初に聞いた時は多少動揺しましたが、菜々美さんの指を舐めたというのであれば、この時に私の指を舐めてもらえたら丁度五分だと思ったので、提案してみました。
「五分って……それにあれは、その、場の流れっていうか……」
「押し倒したそうですね」
「もう全部筒抜けじゃねえか!? 一体二人の間でどんな会話が交わされたんだよ!!」
菜々美さんに叱責された後で、互いに司君への気持ちを語った際に明らかになった話なのですが、今ここでそのことを教えてしまうと、菜々美さんの気持ちを司君に教えてしまいますね。
司君が菜々美さんの気持ちを察しているかは分かりませんが、私から彼女の気持ちを彼に伝えるようなことは菜々美さんに悪いですし……。
そこまで考えた私は、唇に左手の人差し指を当てて……。
「司君には教えられない内緒の秘密です」
「あー、それを言われると追究のしようがないんだけど……まぁいっか」
「はい、それじゃあ早く私の右手の指に掛かった蜜を舐め取って下さい」
「結局そこに戻るのかよ……」
りんご飴を左手に持ち替えて右手を差し出す私に対し、げんなりと肩を落とす司君を見て、内心イラっと来るものがありました。
「……もしかして、司君は私の指を舐めたくないのですか?」
「え!? いや、そういうわけじゃ……」
「そうですかー、司君は菜々美さんの指が大好物なんですねー」
「その言い方止めてくれ! 単純に気持ち悪がられないかって思っただけだよ!」
顔を赤くしながら司君がそう言い切りました。
それを聞いた私が思ったのは〝そんなことか〟という気持ちでした。
司君は魔法少女が好きなのを隠したりはしないのに指が好きなのは隠すなんて、彼の言う通り他人に知られたくない好みだと分かった私は頬が緩むのを抑えられませんでした。
「司君、私は司君のことが好きですよ」
「え、な、あ、あぁ、それは、まぁ、知ってる、けど……」
さりげなくもう一度告白をすると、彼は顔を真っ赤にしながらしどろもどろに返事をしました。
別段告白は一度しかしてはいけないというはありませんし、一度気持ちを伝えてしまえば二度目は最初程緊張せずに伝えることが出来るようになりました。
「ですから、私が好きな人の好みに応えたいと思うのはそんなにおかしいでしょうか?」
「――っ、ああもう分かったよ、俺の負けだよ……」
司君は観念したという風に両手をホールドアップして赤い顔を背けました。
その反応を見て私は勝ち誇ったような喜びに胸が躍ります。
「……じゃあ、嫌になったら言ってくれよ?」
「はい、どうぞ」
司君は恐る恐る私の右手を取って、ゆっくりと顔を近づけていきます。
――ペロリ。
「っん……」
あれ、なんでしょうか、この感覚……?
司君に舐められた人指し指の腹から、電気が走るようにぞくぞくと癖になりそうな感覚が走りました。
「ん、あむ……」
「ぁ、はぁ……」
不思議な感覚に戸惑っている間にも、司君は私の人差し指の先を飴を味わうようにゆっくりと舌を絡ませていきます。
司君の舌が私の指に付いた蜜を舐めとる度に、背中が浮きそうになる程フワフワとした感覚が全身に走りました。
――え、ええ!?
――なんなんですか、これ!?
未知の感覚に驚きと動揺に混乱していようともお構いなしに、司君は私の指を舌で嬲っていきます。
「甘いな……」
「ん、ふぅ……それは、飴の蜜ですし――」
「ゆずの指」
「ふあぁっ!?」
蜜ではなく、私の指が甘いってどういうことですか!?
あ、もしかして……。
「えっと、まだ蜜が指に――」
「もう舐め切った」
「……」
思わず絶句してしまいました。
つまり、司君は本気で私の指の甘さを味わっているということでした。
「菜々美さんの指とまた違った甘さが癖になりそうだ……」
「や、ん、あの、も、もう……」
たかが指を舐められるだけだと完全に馬鹿にしていました。
指を舐める……たったそれだけの行為なのに、体が反応して火照って、怖いのにもっと続いてほしいと思ってしまう……。
「も、もうダメです!!」
これ以上舐められると自分が保てなくなると直感で悟った私は、後ろめたさを感じつつも右手を司君の舌から離しました。
「はぁ……はぁ……」
「……」
荒れた呼吸を整えようと深呼吸をしながら司君の様子を窺うと、彼は放心したのち少し後退って両手を八の字に地面に添えて上半身を下げました。
それは過去に何度か見たりされたりしたことのある、司君の土下座でした。
「好いてくれるならいいやと調子乗ってすみませんでした……!」
「え、えぇー……」
司君は心底申し訳ないという姿勢で謝罪をしますが、とうの私の心境は先程まで感じていた熱さが凄まじい勢いで冷めていく感覚でした。
なんて言えばいいんでしょうか……このまま鈴花ちゃんのメールの通りに情事の流れになってもいいような感じだったのに、妙に噛み合っていないような……。
「あの、司君――」
――ドォォォン!!
「!!?」
「うおっ!? なんだ、花火か……」
突然響いた轟音に目を向けると、私はその光景に目を奪われました。
すっかり暗くなった夜空に鮮やかな大輪の花が咲いたように見えました。
あれが花火だと分かった瞬間、また轟音と共に花火が広がりました。
その花は一瞬だけなのに色を、形を、様々な姿に変えていく様は、夜を彩るのにはそれ以外必要ないと思えるほど息をのむ光景でした。
「……キレイ」
気付けばそんな呟きが漏れていました。
この光景を司君と観ることが出来たということが、私には何より嬉しく思いました。
「あ、何か言いかけてたけど……」
「いえ、指を舐めていいと言ったのは私ですし、何も怒っていませんよ」
「……許してくれてありがとな」
司君とそういったことをしたいというのも事実ですが、今はまだもう少しだけこの日常を過ごしていきたいと、空で花開く花火に願いました。
そうして、私の初めての夏祭りは終わりを告げました。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
7時に四章の登場人物紹介を更新します。




