98話 色めく日常
ゆず視点。
目覚まし時計の音で目を覚ました私は、少しボーっとする頭を起こしながら目覚まし時計を止めました。
時刻は午前六時。
顔を洗って歯を磨いた後は朝のストレッチを始めました。
朝の柔軟をこなしたあとは制服に着替えてから、食堂で朝食を摂ります。
今日のメニューは食パンに野菜を多く使ったコンソメスープに、マグカップ一杯の牛乳です。
「ゆっちゃん、おはようございますです!」
「おはようございます、天坂さん」
朝食を食べていると、天坂さんが声を掛けてくれました。
会話をしながら朝食を済ませ、今日の予定を確認し終えたときには時刻は午前七時半を過ぎていました。
毎朝八時頃に司君と駅前で待ち合わせてから一緒に学校へ登校するため、私は日本支部の建物を出て朝日に照らされた道を歩いて、駅前まで向かいました。
時間にして十分ほどで羽根牧駅前に到着した私は司君の姿が見当たらないか、辺りを見渡してみました。
まだ司君は来ていないようです。
少し待つ必要があるみたいですね。
「なんだあの美少女?」「見てあの子、可愛い!」「すっげぇ、芸能人か?」「俺声かけてみようかなぁ」「ばっかあんな可愛い子もう彼氏とかいるだろ」「誰か待ってるのかな?」「わぁ可愛い!」
朝の電車に乗るために駅に来た人達がすれ違う度に私を見てくるのがわかりました。
今日はいつもおろしている髪を束ねて右肩から流しています。
真夏の時はこうして髪をまとめておいて少しでも熱がこもる場所を作らないようにしておくといいそうです。
「ゆず、待たせたな」
「あ、おはようございます司君」
五分と待たないうちに司君が来てくれました。
いつもの挨拶を交わして私達は学校へ向かいます。
隣に並んで歩く司君に時折視線を向ける度、私は胸が高鳴るようにドキドキしました。
修学旅行の際、私は司君に恋をしていると自覚しました。
そう理解するとそれまで以上に司君と過ごす日常を楽しいと感じるようになりました。
でもあまり見過ぎると気持ち悪いと思われてしまうかもしれませんので、自分の緊張を解すためにももうすぐ訪れる夏休みの話題を持ち出してみます。
「明後日から夏休みですね」
「そうだな、ゆずって去年はどんな風に過ごしていたんだ?」
司君からの質問に私は少し過去を振り返ってみました。
起床後から訓練に明け暮れて……唖喰が出現すれば戦闘に参加して……あの頃はまだ特攻癖があったので満身創痍になるまで戦い抜いて……睡眠をとってまた同じサイクルを繰り返して……。
「ひたすら戦闘と訓練だけでした」
「それは……まぁ仕方ないか」
「でも今年は——いえ、今までの夏休みと違って一生の思い出になることは確かです」
「だな、俺もゆずと過ごす夏休みが楽しみだ」
「えっ!?」
司君の言葉に私は驚きました。
もちろん、深い意味はないことは充分承知しています。
それでも彼に恋愛感情を向けている私には期待を抱かずにはいられません。
「去年は石谷や鈴花と遊ぶことがほとんどだったけど、今年はゆず達がいるからな。絶対賑やかになるぞ」
そう言われるや否や私の中で火照った熱が急速に冷えていくのがわかりました。
……解っています。
司君に悪気があったわけではないのは重々理解しています。
既に告白して、こ、交際しているのならともかく、こうして友人関係の状態では私一人を特別扱いしてくれているわけではないことくらい解っています。
それこそ、私の日常指導係でなければ交流を持てなかったことも。
そうして夏休みの話をしていると、学校に着きました。
下駄箱を開けて靴を履き替えようとすると、中には手紙が入っていました。
「あ……」
「お、またラブレターか」
司君も若干呆れたような表情で私の手にある手紙を見ていました。
手紙で呼び出してから告白……夏休み前に一揆して恋仲になる男女が多いと聞きましたが、ふと司君にあることを尋ねることにしてみたした。
「ゴールデンウィーク前の時もそうでしたが司君もラブレターを貰ったら嬉しいんですか?」
「え、ああ、そうだな、貰ったら嬉しいよ」
「――そう、ですか」
ラブレターという手もいいかもしれないと思いつつ、ラブレターの内容を確認することにしました。
手紙の内容は今から校舎裏へきてほしいというの呼び出しでした。
今からということは手紙の主は私の登校時間を知っているわけですか。
「すみません司君。断るために一度離れますね」
「あ、ああ。断るためってここで言っちゃ駄目だぞ?」
そう言って司君と別れた私は、指定された校舎裏にやってきました。
そこには同じ学年の男子生徒が居ました。
「お、おはよう、並木さん、僕は隣のクラスの前田って言うんだけど……」
「おはようございます前田さん、それで話とは?」
「えっと、僕は、その……」
彼はそこで一度言葉を詰まらせて、続きを言いました。
「並木さんのことが好きです、僕と付き合ってください!」
そう言って私への想いを打ち明けました。
その顔はとても真っ赤になっているのが分かりました。
「ありがとうございます」
きっとこの人は今の瞬間まで私に気持ちを伝えることに苦悩したのだと理解しました。
「ですが……」
だからこそ、この人の気持ちに誠意をもって向き合う必要があるのだと思いました。
「ごめんなさい、私には好きな人がいますので……あなたの気持ちに応えることはできません」
「っそっか……わかりました。その人とうまくいくよう応援しています」
思い破れた彼が、悲痛な表情を浮かべたのが分かりました。
私の恋を後押しする言葉を告げた後、彼は校舎裏を足早に去って行きました。
私も司君に告白したいという気持ちはあります。
それが出来ないでいるのはこれが初恋である故に勝手がわからないことと、司君に好意を向ける異性が私以外にもいるという二つの理由です。
「私もあの人みたいに勇気を出せたら……」
少しだけ羨むような言葉を呟いた後、私も司君達のいる教室に行きました。
昼休み前の授業が終わると私が告白を断った話が学年中に広まっていました。
それ自体はさほど珍しくないのですが、その騒がしさが今までに類を見ない程でした。
「エマァァァジェンシィィィィッッ!! 並木さんが告白を断った時に好きな人がいると言ったという情報が入ったぁぁぁぁぁ!!!!」
「「「な、なんだってーΩΩΩ!????」」」
その叫びに私は肩をビクッと揺らしました。
もちろん声にではなく、その内容にですが。
驚いていた男子達は一斉に私の隣に座っている司君に視線を向けました。
視線を向けられた司君は先程の私と同じように肩をビクッと揺らしていました。
「おいメガネ、どういうことだよ」
「……なにが?」
「とぼけんなぁ! 並木さんに好きな人が出来たって……どうせお前なんだろぉ!!?」
「――っ!?」
えええええ、あっさりバレていませんか!?
どうして!?
「……俺が知るわけないだろ」
「はぁ!? いっつも並木さんといるお前じゃなかったら他に誰がいるっていうんだよ!!?」
完全に私の交流関係が原因じゃないですか!?
言われてみれば確かに司君以外の男性との交流は全くと言っていいほどありません。
それでは簡単に司君に行き当たってしまいます。
いくら司君以外の男性に苦手意識があるからといっても、もう少し他の人と交流を重ねていればこんなにあっさりバレることもなかったのではと軽度の後悔を感じてしまいました。
「だから分からないって……俺はゆずの心が読めるわけじゃないしな」
「いやいやぁ~? ほんとは心と心で通じ合っているんじゃないのぉ~?」
「なにドヤ顔してんだ」
止まない追及に司君が苛立ち始めていますね……。
大体、私が誰を好きになろうと私の勝手なはずです……なんだか不愉快です。
私が否定出来ればいいのですが、司君のことを何とも思っていないと嘘をついて、それを司君に信じられてしまったらと思うと、恐くて言えません。
どうすればいいのか頭を悩ませていると、ある人の声が聞こえました
「ちょっとさ~、いい加減にしなよ?」
「え、なんだよ橘……」
「鈴花ちゃん?」
声の主は鈴花ちゃんでした。
彼女は無表情ですが、その声音からは怒りを感じました。
「仮にゆずが司を好きになったとして、それでアンタらになんか関係あんの?」
「え、あ、それは……」
「ないよね? そうじゃないとしてもゆずが誰かを好きになろうがアンタらが知る必要もないでしょ」
「で、でもよ! 並木さんみたいな美少女が好きになる人がどんな奴か気になるし……」
言い繕うとする男子の物言いに、鈴花ちゃんは苛立ちを隠さずに呆れたような大きなため息をつきました。
「ここまで言っても分からないの? 女子の好きな人を探ろうとするとか鬱陶しいし、デリカシー無いし、キモイ! だからモテないんだって言ってんのよ、屋上の時から一ミクロンも成長してない童貞共!!」
「「「「うわあああああああああんん!!!!!」」」」
キレた鈴花ちゃんの一喝を受けた男子達は情けないことに涙を流しながら私達の周りから去って行きました。
ふぅ、助かりました。
「はぁ~、これだから非モテは……」
「ありがとうございます、鈴花ちゃん」
「ん、ゆずもしつこいって思ったらガツンッと言っていいんだよ? じゃないとああいうバカ共は際限なくつけあがるからね」
「善処します」
あまり暴言を吐くのは慣れませんが、そうでもしないとまた今日みたいに困ってしまいます。
いずれ隅角さん相手に練習してみましょう。
「悪い、鈴花」
「いいってことよ、ジュース一本奢ってね」
「安いので頼むよ」
司君もホッとしたようで何よりでした。
そんな風に慌ただしいことはありましたが、学校を出た後は司君と鈴花ちゃんの三人でオリアム・マギ日本支部に行き、私と鈴花ちゃんは一緒に訓練をしました。
司君が観戦に来ているとあって、私のコンディションは最高です。
二時間に及ぶ訓練を済ませて、司君と鈴花ちゃんは自宅へ帰っていきました。
明日は夏休み前といっても習慣を欠かさないよう、私は二学期の授業の予習をしました。
「ゆっちゃ~ん、一緒に夕食を食べるです!」
「あ、もうこんな時間ですか……」
余程集中していたのか、天坂さんの声に反応して時計を見ると、既に時刻は午後六時半を過ぎていました。
司君と鈴花ちゃんに頼られても滞りなく教えられるように勉強を進めていたら、あっという間に時間が経ってしまいました。
私は一度腕を上にあげて伸びをした後、天坂さんと二人で夕食を食べるために食堂に行きました。
食堂に着くと、組織の構成員の方達も何人か食事を摂っていました。
私は夕食にビーフシチューとシーフードサラダのセットを、天坂さんは甘口のカレーライスを注文して、どの席に座ろうか辺りを見渡すと、季奈ちゃんの姿が見えたので、私達は季奈ちゃんの席に向かい合うように座りました。
「こんばんわ季奈ちゃん」
「んお、おおゆずか~」
「ひーちゃんもいるです!」
「ほいほい、ひーちゃんもこんばんわ~」
季奈ちゃんの夕食は天ぷら定食でした。
「季奈ちゃんも今の時間に食べ始めたんですか?」
「ん~、まあウチは昼食も兼ねてやけどな~」
昼食も兼ねてということは……。
「はあ、また研究に没頭して昼食を食べ忘れてしまったんですね」
「あっははは、人間好きなことをしとると寝食忘れてしまうからなぁ~」
「笑い事ではありません。そんな不健康な生活リズムを続けていると、いざという時に調子が出ませんよ?」
「はいはい、分かっとるよ~」
季奈ちゃんは左手をひらひらと振って答えますが、いまいち改善する気配がありません……。
どう説得したものか考えていると、天坂さんがハッとしたようにあることを言いました。
「分かったです! きーちゃんのお胸が大きくならないのはたまにご飯を忘れるからです!」
「――は?」
その一言でシイタケの天ぷらを口に運ぼうとした季奈ちゃんの動きがピタリと止まりました。
天坂さんはそんな季奈ちゃんの反応に気付かずに続けます。
「ひーちゃんもゆっちゃんも毎日三食食べて適度な運動をこなしているので、毎日少しづつ成長しているです! でもきーちゃんは研究に没頭してご飯を食べずに引き籠るせいで、身長もお胸も大きくならないです!」
「……」
「あ、天坂さん……あまり大勢の人がいる場所でそういった話はしないほうが……」
公開処刑のような天坂さんの推測によって、季奈ちゃんはシイタケの天ぷらをお皿に落としても気付かない程唖然としていました。
私は季奈ちゃんが怒り出さないか肝を冷やしていましたが、季奈ちゃんは無言で食事を済ませると、足早に食堂を去って行きました。
去り際に目尻に涙を浮かべていたことは、恐らく私にしかわからなかったと思います。
「きーちゃん、行っちゃったです……」
天坂さんは自分が何を言ったのか理解していないようでした。
そんなことがあった夕食の後にお風呂に入り、自分の部屋に戻って柔軟体操をしていると、携帯に着信が入りました。
「あ、司君から……」
内容は次の週末に行くデートの場所と集合時間を記したものです。
私は問題ないと返事をして、少し気が早いのかもしれませんがクローゼットを開けて当日着ていく服を選び始めました。
一通り終えたころには既に時刻は夜の十時を回っていました。
ベッドに横になって、すぐに訪れた眠気に促されるまま私は眠りにつきました。
これが、私――並木ゆずの日常です。
少女の日常はこんなにも彩られていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
次回更新は明日です。
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