第5話:感謝以外に何もできない
昨晩から数えて今回は三話投稿しておりますので、そちらも含めてご覧になることを推奨します。
川辺に腰を下ろし、腕と足を組み、彼は目を閉じた。
「よし、じゃあ色々聞くぞ?」
『――お手柔らかに』
「い、いやちょ、ちょっと待って。……何、そんな会話みたいなこと出来るのかてめー?」
『――てめーじゃない。レコー』
「ああ、名前あんのかよ」
『――あるある。ちょーある』
外から見ると完全に独り言でツッコミを入れてる危ない人のようにしか見えないが、彼の脳内では、確かに会話が交わされている。元々高めのような声が平坦に言われているような、そんな声音である。いい回しなどは大分テキトーであるが、しかしコミュニケーションがとれるというのがわかったのは、太朗にとって大きなアドバンテージだ。
「えっと……、じゃあ、レコー?」
『――レコーちゃん』
「いや文字数増えてるじゃねーの。レコーでいいだろ」
『―― ……レコーちゃん』
「何かこだわりがあるわけ? いや別に構いやしねーけど……。
じゃあ、レコーちゃん。君はまず、何?」
『――インターフェイス』
「インターフェイス?」
『――藤堂太朗のサポートのためのインターフェイス。この世界の概念に照らし合わせれば、精霊』
「妖精さんか……」
『――精霊。……妖精なんかより高位っ』
少し語調が強い主張だった。
「はぁ……、でその精霊さんが、何で俺の頭の中で話してるん?」
『――私は、藤堂太朗が意図せず接続してしまった「全知の記録」を解析して、適切な形で提供するインターフェイス。製作者は、綯夜宰』
「いやいや意味わからねーから! てか、マジで綯夜って何もんだよ!? そういやなんか夢でも出てきた気がするぞあいつ」
彼の脳裏では、こちらの不幸を見て可愛らしく大笑いしている宰の姿が幻視され、ますます彼女に対する疑念が深まって行く。
『――綯夜宰が藤堂太朗に埋め込んだ「第三の鍵」により、付与されたDBMS機能つきマルチインターフェイス。そして私のサポートがあったから、藤堂太朗は百年かかるところを二十年で復活できた』
「はぁ、なるほどねぇ……ん?」
藤堂太朗は、明らかに聞き逃してはいけない一言を聞いた気がした。
「……レコーちゃんレコーちゃん」
『――何でございましょうか、御主人様』
「いや、そんな平坦な声で言われても声質以外可愛くも何ともねーから……。えっと、聞き間違え? でないといいんだけど、確認させてくれる?」
『――どうぞどうぞ』
「復活に、二十年とか言わなかった?」
太朗の疑問に、レコーは残酷なまでに平坦に答えた。
『――藤堂太朗が種族値を放棄して、人間として死亡した後、現在の状態までの復活にかけて要した時間は、二十年。
綯夜宰の介入があって、ようやく二十年。
当然、この数値はどう足掻いても捲き戻せず、取り戻すことはできない』
それは、太朗にとって間違いなく死刑宣告の一種だった。
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
時間は、残酷である。過ぎてしまえばもう取り戻せない。
どう足掻いても藤堂太朗は、花浦弥生の救済に間に合わない。どころか、下手すればもうどこに彼女らがいるかすらわからないのだ。そして、二十年。長いような短いような、しかし十代の少年少女にとっては、あまりにも長い年月である。
数分間思考停止した後、現実逃避をするかのように、太朗は他の質問を先にぶつける。起きてしまった事は仕方ない、その後から考えれば良いというのが彼の基本的な考え方ではあったが、流石にこれは衝撃と、ショックとが大きすぎた。
いくら前向きであっても、後ろ向きに現実から目を逸らしたくもなるだろう。実時間が二十年経とうが、彼の精神は十七歳のままなのだ。
「レコーちゃんや。俺って、結局何なわけ?」
太朗の言葉に、しばし逡巡してから彼の脳内で、レコーというらしい声は答えた。
『――判定不能』
「……判定不能?」
『――藤堂太朗は、血脈を放棄した。結果として種族値を失った』
「えっと、ごめん、全然意味わかんねぇから。種族値ってそもそも何よ。というか血脈?」
『――血脈というのは、対象が受け継いできたその主族の根幹にあたるもの。それがあるからこそ、人間や狼、猫、カエルなどといった種族区分が発生する』
「DNAみたいなもんか?」
『――魂に刻まれたDNA、みたいな認識でだいじょうぶ』
「ふわっとしてんな説明……」
混乱する太朗に、レコーはざっくりと解説する。事細かにしないあたり、彼があんまり頭よくないことを理解してるらしい。
『――種族値は、その種族が有する基本的数値』
「基本的数値って何だ?」
『――例えば、人間だった時代の藤堂太朗の存在を、全て数値化したとする。その数値のうち、人間という種族だからこそ獲得できる数値のことを種族値という』
「はぁ……。で、それがないとどうなるんだ?」
『――存在出来ない』
「いや、だからさ」
『――普通、人間という概念のモノから人間という概念が抜け落ちたら、そこには死体という概念が割り込む。人間という種族値を引き継ぐ形で、死体という種族値が上乗せされる』
「とりまその概念が、俺にはわかんねってことがわかった。で? だったら何なんだ俺は」
『――バグ』
「……はぁ?」
『――血脈を放棄した段階で、藤堂太朗の肉体から魂と心は乖離した。その後、幽霊という概念すら入り込まず、ただ魔力だけがそこにある状態ゆえ元素が集って、出来上がったのが今の藤堂太朗』
一端そこで間を置き、レコーは少しため息を滲ませながら言った。
『――バグ以外説明がつかない』
彼女の投げやりな説明に、太朗はどう反応したものか。しばらく唸った後、彼はぼそりとこう呟いた。
「……んまあ、とりあえず、綯夜には感謝だな」
『――?』
「いや、まあ命助けられたっぽいの、これで二度目だし」
『――彼女は意図して助けたわけではない。彼女に魅入られれば、最悪、夢の迷宮の奥で永遠に拷問にさらされるか、月面で名状し難く冒涜的な生物にミンチにされるか、身体を解体されて時計の材料にされるか、とにかくロクな末路がない』
「例えにしちゃ本当ロクでもねぇのな……」
流石に太朗も、それらが事実だとは思いもしまい。基本的に律儀な男子高校生なのだ。恩義には恩義で報いるとまでは言えないが、それなりに何か謝礼のようなものをしなければいけない気になってくる。
しかし、レコーは否定する。
『――むしろ、彼女と遭遇して「生存」されることを第一に考えられただけ奇跡のようなもの。ヲタク文化が発展して以降の藤堂太朗の故郷たる国に対する彼女の執心ぷりは珍しく大きいが、それとこれとは話が別』
「どうしても綯夜に感謝とかすんなと? んー、じゃあ……。
復活するの、手伝ってくれてありがとうなレコー」
『――お安い御用、お茶の子さいさいでございます』
これには、少しだけ声を弾ませたレコーだった。
※
服がないと流石にアレだと太朗がいうと、死体の服を使えば良いとレコーは言った。しかし、太朗の倒れていた場所に死体などどこにもなかった。これに対するレコーの回答は、
「埋められていた?」
『――肯定。藤堂太朗の死体は、通りすがりの高校生によって過去に埋められた』
「いや、通りすがりて……。クラスメイトか?」
『――肯定。もっとも、藤堂太朗自身の記憶に名前がないため、情報開示条件は満たされて居ない』
「便利なんだか不便なんだかな……。そのうち検証してみようか、フェルマーの最終定義とか」
フェルマーの最終定理が正解である。藤堂太朗、やっぱり微妙に学がない。
『はらから! かえってきた!』
「おー、只今」
よろよろと近寄ってくる老狼の頭をもんでやると、気持ち良さそうに目を細める。
「そういえば、こっちの言葉も翻訳とかしてるって言ってたっけ」
『――自動双方向翻訳モードは、使用者が望んだ相手との対話を実現させるためのサポート』
「ゲームとかで言うスキルとかじゃなくて?」
『――Webサイトの翻訳などに近い。もっとも私が添削してるから、きちんと会話にはなる』
「高性能すぎるでしょレコーちゃん……」
『――えっへん』
胸を張るように威張るレコー。姿形などないのであくまで太朗の想像であが。
そして、よく見ればさきほど自分が倒れていた所に、大きな石が置かれて居るではないか。そして、石にはご丁寧にも日本語で名前が刻まれていた。
――とうどう太ろう、ここに眠る――
「……いや、ほとんど常用漢字だからな! なんで中途半端に漢字すんだよ」
彼を埋め墓石代わりを置いた人間も、結構学がなかったらしい。電子機器の漢字変換に慣れた、現代っ子の弊害であった(当然この世界でスマホの充電など出来るわけない)。
さて。石をどかし(見た目の大きさに反して案外軽く感じた)、くぼんだ地面を睨む太朗。「ここの下でいいんだよな」
『――肯定』
「中原中也でもあるまに……。てか、土中の骨なんて二十年放置しても残ってるものなのか?」
『――藤堂太朗の通っていた高校の制服は、ポリエスチレン九割。シャツや下着はともかくジャケットとズボンは存在』
「あ、なるほろ……」
仕方なしに、土中に手を入れる太朗。すると、ここほれワンワンというわけでもないだろうが、老狼も両手で地面を彫り始めた。
『はらから、ここ、ほる?』
「あ、ああ」
『私、てつだう』
何故かちょっと気合の入った声の狼に、太朗は、あんまり長い文章は考えられない生きものなのかな? と全く関係のないようなことを思った。
地面を彫る全裸の太郎と老いた狼。絵面としてはコントかというくらいシュールな絵面だったが、太朗は狼の動きに少し違和感を覚える。
「無理する必要ねーぞ? もうおじいちゃんみたいだし、あんまりやると子供とかに迷惑かかんねーのか?」
『はらから、私、かぞく。かぞく、はらから、だけ』
「……ひょっとして、ずっとここ離れてなかったのか?」
『はらから、におい、ここ。私、はらから、いっしょ』
太朗もこれには唸らざるをえまい。前足の使い方に少し違和感のある老狼。自己申告が正しければ、太朗が死んでから復活する今日まで、ずっとこの場を離れなかったと言うことだろうか。この狼の親狼だったあれよりも、体躯が一まわり、ニまわり小さいのもそれが理由だろうか。
この場所は、あまり餌がとれなさそうだというのは、現在の周囲からなんとなく予想することはできる。
『……はらから、ねむい』
「そうか。ま、別にねてもいいぞ。手伝ってくれるのは助かったしさ」
『はらから……。おんにきる』
狼は、穴から数歩下がった場所で、腰を下ろした。両手で枕をするようにして頭を乗せ、しっぽを太朗の背に伸ばして乗せた。
なんとなく動くことが躊躇われて、出来る限りその体勢のまま掘り進める。
脳内でレコーの「――あと2メートル」「――1メートル」といったようなアナウンスを聞きながら、太朗は掘りすすめた。
「……あった」
出てきたものは、確かに学生服だった。土にまみれて綺麗とは言いがたい。そのまま着用すれば、普通にかぶれそうである。第一そもそも阿賀志摩に傷つけられてからの状態だったので、劣化はそれなりに激しかった。しかし彼にとって幸運だったのは、自分のしゃれこうべと出会わなかったことであろうか。もっとも骨盤の破片と思しき物体が残っていたりもしたので、そちらはあえて無視することにしたようだが。
「ふぃぃ……。と、まあとりあえずお疲れ様。手伝ってくれてあんがとな」
言いながら、太朗は後方に居た狼の頭をなでる。その時、なんとなく違和感があった。目覚めた後になでていた時とは違う、この感覚。熱がない。毛並みは年齢のせいもあってかざらざらと先ほどもしていたが、しかし、それにしては何というか、あまりにも肉が硬いような――。
そんな疑問に対しても、特に制限のかけられていないレコーは、容赦なく答える。
『――ご臨終でございます』
「……は?」
太朗は穴から出て、狼の正面に回った。
すこぶる、気持ち良さそうに寝て居るようにしか見えなかった。
「……死んでるの?」
『――肯定』
あまりにも突然の別れに、思考がついていけていない太朗に、レコーはさらりと告げる。
『――狼の寿命は、およそ十五年。二十年以上も生きて、藤堂太朗の墓を、再生途中のこの場所を守り続けてきたのが、そのボルガウルフ。幼少期に一匹だけの状態で、むしろ今までよくもったというべき』
「……いや、でもさ、へ?」
『――その狼にとって、藤堂太朗は家族も同然。そして幼かったボルガウルフは、死という概念が理解できていなかった。ただ、それだけ』
告げられた事実は、それなりに太朗を困惑させるものであった。
『――おそらく、復活した藤堂太朗を見て、緊張が抜けたと見える。今まで精神力だけで生きてきたものが、ある意味、ようやく解放されたようなもの』
「そう、なのか……?」
心底幸せそうに目を閉じている狼の顔を見て、脈を計って――その死を再度確認してから、彼は手を合わせた。
「……こんな、わけわかんねー奴のために、人生棒にふらせてごめんなさい。
そして、こんなわけわかんねー奴のために、ずっと居てくれてありがとう」
藤堂太朗は、態度の荒っぽさに反して律儀な人間であった。
だからというわけではないが――老齢になったその狼の遺体を、自分のその穴の中に入れる。
そして立ち上がり、何処かへ向かい……、およそ半日後、彼の手には鈍い色の球体が握られていた。
「これが、こいつの母親のってことでいいんだよな?」
『――魔核は、モンスターをモンスターたらしめる物体。これが体内に生成されることで、普通の生物がモンスターへと変化する。そして、それは間違いなくボルガウルフのコア』
「あの場に埋まっていたコアが一つしかなければ、消去法的には間違いない、と……」
その球体、コアを狼の隣にそっと置き、太朗は、土をかぶせた。
「少しでも、二人そろって安らかに。
……今度、もし生まれ変わるなんてことがあったら、人生棒にふるな。きちんと生きて、幸せになってくれ。」
自分の墓石を上に重ね、手を合わせ、彼はしばらく目を閉じていた。
ぽつりと振り出した雨が、石の表面をつたった。
黙祷