エピローグ:全てに綺麗な決着がつくわけもないからこそ
BGM: Mad World(Tears for fears)
クラウド・アルガス復活の日。片目に眼帯をした領主が、やや細くなった、しかしそれでも力強い全身を誇示し、妻に支えられながら剣を掲げると、ヒトビトは大きな声でこれを喜んだ。震える手のまま、クラウドは言う。二度とこのようなことが起こらないために、抜本的に兵士たちや街を変化させていくと。剣を下ろし、人差し指をたてた手をつきあげ、周囲の絶叫を受けていた。
だがそんな日に珍しく、街から去るヒトの姿があった。黒髪にのっぺりとした顔をした、赤目の青年である。彼は門番の兵士らが見ているか見ていないかなど関係なく通る。しかし、兵士の二人は彼の姿が目に入っているにもかかわらず、何故か認識できていなかった。
門を抜けた後、青年は――太朗は、白髪リーゼント姿に戻って、眼帯の位置を調整した。
「何だろうなぁ」
『――どうしたんです? お兄様』『――?』
「いや、何だろうな……。よく分からないけど、何ぞ、なーんも感じねぇのな」
太朗がした復讐と呼べる復讐は、相手の片目を奪うだけだった。結局、彼が守護する街を救った。太朗本人はそのことを当然と思っているし、辻明に対する感情はそこに欠片も介在していないのだが、しかしどこかやりきれない何かがあったのも、また事実だった。
山道を歩きながら、太朗は愚痴を言う。「何ぞ、アレだ。弥生と泣きあった後からだ。何ぞこう、何ぞ? ……あー、言葉が思いつかない」
『――見るもの全てが鈍く感じるってところですか?』
「そんなんでいいんじゃねーのか? わからんが」
『――やっぱり、色々ショックだったんじゃないでしょうかねぇ』『――同意』
「その割にもう、あの、不安定みたいにはなんねーのな。……何ぞ、目は赤くなっちまってるが」
一連の出来事を振り返ると、やはりショックが大きかったという他ないのだろう。思えば全ては、阿賀志摩辻明に殺されたところから始まったと言っても過言ではない。そこから蘇って、まあ色々あったわけだ。規格外の力の恐れおののいたり、心温まる交流があったり。懐かしい顔と出会ったり、二十年の重石がのしかかってきたり。最終的に辻明に対する処遇が小さかったものの、それ自体に太朗は後悔こそない。だがそれらの経験は、十七歳の少年が本当の意味で無感情になりかけるには、必要充分以上のものではあったろう。
「有為も無為も、本質的には意味などない、か」
『――何か楽しみでも見つけたら、いいんじゃないですかねー?』
「んなこと言ってもな」
『――とりあえず、ないよりあった方がいい』
「別個にそりゃ考えておくわ。……でもまぁ、弥生にはまた会いにくればいいか」
宿からチェックアウトする際、太朗と弥生とは笑顔で抱きしめあった。また来てね、という彼女の言葉に、太朗は即答した。時間の溝こそ深くあり、もう以前の関係にはどう足掻いても修復は出来ないかもしれない。おまけに太朗は、下手をすると年すらとらないかもしれない。いずれにせよ両者の間に、絶望的な別れが再来することは、当然のようにありえる。だがそれでも、太朗と弥生とは笑顔で手を振り、別れることができた。また会うために、いつくしむために。恋人同士の愛というには歪で、なのにプラトニックで、人間愛に近い情がお互いにある限り、太朗と弥生とはもう、切れることはないのだろう。
「その時、何かのついでで枕元に立って脅かしたりっていうのも、効果がありそうならちょっとやってみてもいいかも知れねーな」
『――たろさん、それ下手すると大惨事になりかねませんからね? クラウド・アルガス、ちょっとトラウマになってるから下手すると政務に支障でちゃうかもしれませんからね?』
「レコーちゃんに聞いて、そこは調整するさ、その時は――あん?」
冗談なんだか本気なんだかよくわからないことを言いながら、太朗は眼前に現れたテロップを見て、肩を竦めた。
――速報:バックノックに後ろをとられない
それを見た瞬間、太朗は全身から魔力の圧を放つ。一瞬目が青くなり全身から橙色の光が迸ったが、その衝撃を受けて彼に忍び寄ろうとしていた何かは、はじきとばされた。やがて近くの茂みの中から、もぞもぞと一人の半幽族が出てきた。
「何ぞ、アンタは魔王たちと一緒に行かなかったのか」
「いや、あはは……。まあ、ウチはウチなりに考えがあったからな」
元盗賊、マリッサ・バームである。服装はややボロボロになっているが、その上からケープをかぶって一見してまともに見えるようにしていた。彼女はちょっと苦笑いをしながら、周囲を見回して聞いた。
「あの、一緒に居た女の子はどうしたんだ? 作業してた時となりにいた」
「今、収納空間の中で時間止めてる」
「はぁ?」
「解決策がすぐさま見つけられなかったから、一端眠ってもらって入ってもらってる。幸か不幸かアストラルゲートの中は、時間の概念が希薄らしくてな。妖刀もレコーたちも、これで劣化が防がれてるとか何とか」
「いや、ウチ意味わからなんけど……」
太朗もわからせようと思って答えてはいないので仕方ない。何ぞ? という彼の問に、彼女は当たり前のような顔をして言う。
「いや、ウチ言っただろ。そっちが助けてくれるのなら、アンタの下につくって」
「……いや、俺が依頼されたのはクラウドルにおいて魔族の立場保障だったと思うが――」
「でも、結果として第三の魔王に引き取られたし、これはこれで悪いことじゃないと思ってる。それにだ、結局ウチらを助けたのはアンタ……? だよな、たくさんいたけど」
「ま、な」
「おまけに遠目だったけど、たぶん邪竜殺したのはそっちで間違っていないだろ? だったら、私一人くらいアンタの下っ端というか、舎弟というかになってもいいんじゃないかって、そう思った」
「はぁん……。その割に、憑依する気満々みたいな感じだったが」
「いや、だってどんどん足早に進んでいっちゃうし。声をかける間もなく行かれたらまずいから、話だけでもって……」
「ふぅん……」
「……もうちょっと喜べって。こんなウチみたいな美人が、何でも言うこと聞きますから! って付いてくるっていうのに」
無感情に答える太朗に、マリッサは困ったように笑う。太朗としては彼女がどんな心持でこんなことを言い出したのか、さっぱり理解していない。だが当面、次の目的地は決まっていた。
「で、どう?」
「別に構いやしないが……、アンタ、乗り物には強い方か?」
「はぁ?」
頭をかしげる彼女に、太朗は、ちょっと元気がないもののニヒルに微笑む。
「――超、長距離を一瞬で移動するつもりだ。その際にとんでもなく気持ち悪い事になるが、一緒にくるって言うんだから構わないだろ」
「い、いや、確かに一緒にはいくけど――って、何やってんだ!」
ひょい、と彼女を米俵のごとく肩に抱える太朗。お姫様抱っこしないあたり彼がどんな心境で今いるか透けて見えるが、それにプライドを折られたのか、はたまた尻を突き出したようなあられもない姿でいるのが恥ずかしいのか、マリッサは真っ赤になって怒鳴る。だが太朗はそんなものを無視して、意識を集中させる。
「さて――次は魔王の、先輩さんにでも話聞きにいこうか。何ぞ知ってるかもしれんし、相談くらいは乗ってくれるだろ」
わずかにくつくつと笑いながら、太朗らは橙色の光を迸らせ――道から姿を消した。
※3/22一部重要な部分を書きなおしました