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異世界仙人  作者: 黒羽光一 (旧黒羽光壱)
英雄の条件というか仙人と悟り編
72/80

第53話:尽きる

前回を超えるボリュームェ・・・ 今回も一話



 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――。

 頼むから、消えてくれ。





 クラウドルの街は、わずか三週間で再建された。否、正確には強制的に再建させられたというべきか。領主たるクラウド・アルガスは邪竜襲撃時の怪我が原因で現在寝込んでいるという噂だが、次期に復活するだろうと街のヒトビトは確信していた。事件の渦中であまり役立って居なかった兵士たちであったが、それゆえ彼等はその後の支援や対応に積極的に動き、一日も早く街を復興させんと頑張っていた。

 もっとも、その頑張りに大きく貢献したのは、兵士らではないのだが。

『ふんぬ!』

 大柄でマッチョなシルエットを持つカラクリ人形とその配下と思われる人形ら。姿形こそ大いに違うが、それは岩石の魔王である。要するに破壊された街を、第三の魔王が協力する形で直していったのだ。

 時にダンジョンの操作技能を使い。あるいは物理的に足りない人員の変わりとして。無論元々街のヒトビトやら兵士やらが積極的に復興につとめればこそだ。無論無報酬ではない。太朗と勇者とが倒した邪竜の四肢があまっており、それら全てと引き換えにだ。ちなみにそれに真っ先に噛み付きそうな聖女教会であるが、思いっきり邪竜によって破壊されてしまっていたため、放心状態の修道士らは特に反対する気力もなかったようだ。実際クラウドルの教会は小さく、それゆえに内部に残っていたヒトビトへのダメージは絶大だった。とてもじゃないが説法を語る事すらできないほど憔悴しきった彼は、周囲から同情され、時に世話をやかれていた。

 魔王も魔王でそこのパワーバランスは把握しているのか、己の正体について言及はさけていた。あくまでも「とある魔術師が作り出した使い魔」という程度の名乗りで、街に助力をしていたわけである。当事者どころか部外者からしても明らかに正体がバレバレであったが、しかし街の人々はその協力にフレキシブルな対応と、フレンドリーな黙殺をしていた。

『ぬぅ……、しばらく時間がかかるでな、しばし待て』

『いえ、あの、我が主? ちょっと――』

 時折テレビ電話のような謎の装置を用いて、部下と思われる魔族と会話をしていたのは、ちょっとした余談である。

 さて、肝心の太朗はといえば今街にそのリーゼント姿を確認する事はできない。戦闘後、街に戻ってきた太朗に第三の魔王は言った。当事者がいると事態がややこしくなるから、この場は己に任せろと。

 ロクな会話も交わさず有無を言わさず街の外に追い出された太朗とセリアであったが。両手と足の装備を解除し(翼は残したまま)、彼女は太朗に笑いかけた。

「……何ぞ、勇者と魔王は反目しあってるもんだと思ったがなぁ」

「そういうわけでもないのじゃ。例えばの、統治者がいない戦乱状態と管理者を持つ小規模社会とでは、果たしてどちらの方が敵対するのに有用か。そしてまた、その相手がこちらに対して積極的に戦う姿勢を見せておるか、というところじゃな?」

「とかなんとか言って、ちゃっかりアレは自分の欲望満たしていそうだが……」

 太朗の視界の端には「――速報:第三の魔王、念願のヤスナトラ肉を得る」と表示されていた。

「そこは場合によって、まちまちじゃな。何より第三の魔王は強欲じゃが、契約と約束は真摯にするし裏切りはせんと聞くしの。そこら辺は、ワエが口出しをするところでもないの」

「あっそ……」

「むしろ、主は逆に考えなかったのか? このまま、ワエに襲われるかもしれないと」

「あん? いや、それは流石にねーだろ」

「根拠は?」

「気合だ」

 実際のところはレコーによって保障済みなわけであったが、わざわざ説明する必要もないのでその一言でかわす。もっとマシな回答せい、と言われようが何処ふく風であった。

「……まあとりあえず、アレじゃ。主が魔王という風に触れ回られておる動きがあるでの。今回の主を見ておると何か違う気もするから、訂正をかけておこうと思うが、どうじゃ?」

「ん? ――嗚呼、アンタ結構お人よしなんだな」

「ぬ、ぬぅ?」

「してくれるのは助かるが、あんまり躍起にならんでもいいぞ。むしろ、両方の話が混在するくらいが最良だ」

「何故じゃ? 魔王呼ばわりされれば、敵対者も多く出てくるだろうに。“聖髭(せいし)の勇者”とかはコロコロ殺すとか言いながらくるじゃろうし」

「聖なる髭て、何ぞって話だが……。ま自分の尻拭いみてーなもんだ。頼む」

「ぬ? ぬぅ……、主は色々変わっておるようじゃな。ならば――」

 その後二、三言会話をした後、彼女は悠然と飛び去っていった。その後の太朗だが、街にそのリーゼント姿を見ないとは言ったが、しかし街に居ないとは言っていない。彼は現在、メイラの顔形を真似た兄妹設定の姿になっていた。容姿が違えば問題ないという判断だろうが、安直すぎである。もっとも本当に問題が発生していないあたり、太朗本人も苦笑いを浮かべてはいた。

 隣で二日間寝込み復活したメイラ共々、焚き出しやら小さい子の相手をしていた。見た目がメイラをベースにしているためか、猫背でヤクザ歩きで半眼であっても、小さい子からはあまり避けられはしないようだった。

「おねーちゃんのごはん、おいしーです!」

「ま、な。……おいてめぇら、ヒトの右半身の回ってよってたかって蹴るんじゃねぇ、服に泥で落書きすんぞ」

「「きゃああっ!」」

 せわしなく走り回る子供達につきあい、ガチのおいかけっこをする彼の姿は、何とも微笑ましいんだか大人気ないんだかよくわからない光景である。もっとも、その右目には眼帯がされていた。欠損した右目は、姿形を変えても再生されることはないらしく、こうして見た目の上にも微妙に障害が発生していた。

 子供等をつかまえて保護者の下へ返した後、太朗はメイラがいる鍋の下まで来た。

「ほい、手伝う。何かあるか?」

「へ? あ、タ――兄さん。えっと……」

「あん? ――あー、余計な気は回さんでもいい。どっちにしろてめぇの話は、弥生と話し終わってからだ」

 邪竜を退治し終わった後。太朗は二つやるべきことがあった。一つは花浦弥生と約束通り、色々話をすること。そしてもう一つが、魔王が封じられていたメイラ・キューから事情を聞くことだ。偶然封じられていた、というわけでないのはレコーから少し聞いていたが、最終的なところは『――本人同士で確認した方がいい。ケッ』と毒づいた一言を返されて、それっきりである。何故か不機嫌そうなレコーとそれをなだめるシックに当惑するも、太朗はとりあえず現状を保留していた。

 彼女の横に並び、皿に野菜スープをよそう。キャベツにしては緑の濃いものと、にんじんにしては色が黄色がかりすぎているものと、燻製もどきの鶏肉が入ったスープだ。味は色々物足りないコンソメのようなものであったが、集ってる人々はこぞって手に取り、黒いパンと共に食していた。

「どっちにしろある程度立ち直ってからじゃねーと、話す体力もないだろ。俺は別に構わんが、てめぇと弥生とはな」

「……はい」

 何かを堪えるように下を向くメイラだが、太朗はそんなもの知ったこっちゃない。基本的に他人に興味が薄いが故、己に迷惑が降りかからないのならある程度は放置しておく気質は、今日も今日とて平常運転のようだった。

 そんな日々が続き、気が付けば三週間。難民の魔族らも船に格納して、岩石の魔王は飛び去っていく。太朗が依頼するまでもなく、魔王は嫌な顔一つせず衰弱した魔族の難民等を介護していた。おそらくそのままズルズルと、自国に迎え入れるつもりなのだろう。もっとも表立ってそれをやっていれば問題になったろうが、そこは腐っても宿木の魔王と同類なのか、どうやらダンジョンを経由して船に担ぎ込んでいたらしい。

「……結局、俺はまだダンジョンとか使えねーのか?」

『――まだまだ。たろさん、空間操作の基礎のきというか、魔法のまの字すら知らない状態ですからねぇ』

『――むしろお兄様、そんな状態でよく色々できますよ~』

 ばさばさとゆっくり点になっていく魔王のシルエット。ヒトビトが歓喜しながら手を振り見送る中、太朗は背を向け、一人せかせかと宿屋へ足を進めた。

 宿屋につくと、太朗は一気にテレポートして自室へ。そのベッドの上では、花浦弥生が何故か正座しながら待っていた。

「……んじゃ、話すか」

「うん……」

 多少ぎこちなさを残しつつも、しかし太朗と彼女は、面と向き会って目を合わせた。

「……その頭、案外似合ってると思うよ?」

「……」

 未だ橙色のオーラを放ち右目を青く燃やし続ける太朗のリーゼント姿に、彼女は少しだけ頬を緩ませた。一方の太朗はといえば、褒められたのが初めてだったためか、そっぽを向いて鼻先をかいていた。





「さて、どうしたもんか……」

「んん……、太朗くんの話から聞きたいな?」

「あん?」

「いやだって、私、何だかんだ色々先に言いたいだけいっちゃったし……」

「あー、ひょっとしてそれで正座してたのか? 反省の意味も込めてと」

「うん……」

「それを言ったら、俺の方も色々アレだしな……。ま、俺が分かる範囲でな。ざっくり言うぞ? いちいち細かく言うのも面倒」

「ん」

「まあ、たぶん予想ついてるか、話を聞いてるかしてるとは思うが、俺は阿賀志摩に殺された」

「……うん」

「順番はもう忘れたが、アレだ。目潰されて、頭焼かれて――」

「胴体とか足とか腕とか肉を抉られて、矢を刺されて?」

「何ぞ知ってるんだ?」

「太朗くん倒れた時、その……」

「あー ……、わかった。……悪いな、変なモン見せて」

「いや、別に大丈夫だよ? ……ある意味で、見なければならないものだし、見たかったものでもあったのかもしれないし」

「あん?」

「知らないままでいるってのは、駄目だって香枝ちゃんも言ってたし」

「あー……。ま、そこは保留な」

 由来不明な呪いのことは飛ばして、太朗は続ける。「で、まあ死にかけてたところを拾ってくれた奴がいて、そいつに多少助けてもらったんだが……。まあ、長くはもたなかった」

「助けてくれたヒト?」

「ヒト……かどうかはよくわかんねぇな。レコーたちをくれたのもソイツみたいだし。

 ま、ともかく。で死にかけてた時に、ソイツが言ってた言葉を思い出してな。笑いながら死ねって。そうした方が格好いいって。でまぁ何を思ったのかいまいち自分でもわかんねーけど、座禅組んで、気が付いたら二十年経ってた」

「ちょっと待って、展開早過ぎない……?」

「事実だ。つーか、俺が一番困惑したわ。だって……。二十年だぜ? ぶっちゃけ、俺の感覚ではこの世界に飛ばされてきてから、まだ一年経過しちゃいねーんだ。なのに二十年だぜ? わけわかんねぇよ。ウ○ークマンから一気にドラ○もんになるくらいの驚きがあったぞ」

「例え相変わらずだね……。でも、うん」

「何だかんだ言って、阿賀志摩は色々自分に都合がいいように言って振舞うだろうし。あと、何よりお前が気にかかった」

「…………うん」

「元々のことから考えて、たぶん阿賀志摩に優しくされ続ければ、てめぇは折れるというのは確信があった。ぶっちゃけ、俺がてめぇから信頼を獲得するまでかかった時間と比べても、十倍くらいは早く取り戻したんじゃないかとは思う。あくまで予想だが」

「……えっと――」

「あ、具体的な数字は言わんでもいい。気分が落ちる。

 で、そうなろうがどうしようが、気に入らないからって理由で俺をブチ殺したアイツが、曲がり間違っても更正してるなんぞ、思っちゃいねぇ。結果は……、まあ、予想した通りだったが」

「……ごめんね?」

「俺に謝るより、自分の体に謝れっての。……で何ぞ? あー、アレか。ぶっちゃけレコーとかが憑りついていて――」ぐい、と太朗の髪の毛が、どこからともなくアストラルゲートから伸びてきた白い手につかまれ、引っ張られた。でこぴんをすると、ひゅっと引っ込められる。

「レコーちゃん表現嫌だったか? ……まあ、レコーとかが言うには、既に一度死んでると。死んで、死んだ状態のまま蘇ったと」

「死んだまま……?」

「厳密にはもっと違うみてーだが、俺的にはそう解釈してる。でそのせいで、色々と自然界から力取り込んだリしてヤバイんだと。腕力とか、あと魔法っぽいの使えるのはびっくりした」

「魔法って、姿変えたり?」

「ああ。ま、ベーシックはどうも固定されてるみてぇだが……。ちなみに今は、ベーシックの方がバグってるみたいな状態らしい」

「あ、伝説の超サ○ヤ人状態とかのコスプレじゃなかったんだ」

「てめぇもてめぇで色々酷ぇぞ。誰のせいだと思っていやがる」

「う、うん、ごめん……」

「第一、色全然違うじゃねーか」

「そっちなの太郎くん?」

「あん、まあ、アレだ。……とりあえず続けるぞ?」微妙な語彙不足である。

「で、その後……、色々あったな。砦跡調べてたら色々あって竜殺して、枝蔵のところ目指して狩りしながら金貯めてたら魔王と戦って、村に行ったら村に行ったで別な魔王がやってきたり、かと思えば阿賀志摩の消息っぽいの掴んだり……」

 肩をすくめる太朗。そのまま、彼は弥生を寂しげに見た。「で、その流れのままお前に再会したわけだ」

「……うん」

「お前はお前なりに色々、俺が現れて思うことはあったのかもしれねーけどよ。今度は逆に、俺が言わせて貰うぞ。

 まずは――生きててよかった」

「……な、何で?」

「当たり前だろ? だってまずは、命あっての物種だ。虎内とかは、色々あって死んじまったみたいだってのは間接的に知ったが、後で考えてみたら、お前が死んでる可能性だってあったわけだ。あんまり考えたくはないが……、薬とかも使われたんじゃないか?」

「……確かに、そうかも。記憶がなかったりするところが、ちょこちょこあるから」

「そういうのって、元々の世界においてさえ死ぬ場合もあるとか聞くし、それじゃなくったってこの世界でそこまで法律とかも整備されてるわけないし、下手な毒で死んでいた可能性もあったわけだ。そういう意味で言うなら、本当に、生きていてくれてよかった」

「太朗くん――」

「強がりとかじゃねぇぞ? これは、本心だ。そして同時に――ごめん」

「――へ?」

 弥生は、虚をつかれたようにきょとんとした。太朗はそんな彼女を無視して、手をとり、深々と頭を下げた。握る掌は、震えていた。あまりにも想定外の行動に、弥生は、ただただ驚くほかなかった。

「――ごめんな。弥生」

「……何で、」

「ごめん。俺、死んじまってごめん」

 太朗は、ただただ、懺悔を繰り返す。


「――阿賀志摩なんぞに殺されちまって、ごめん。

 ぎりぎりで生きてたのに、そのうちに砦まで辿り付けなくて、ごめん。

 お前が嬲られている間、何一つ出来なくて、ごめん。

 騙されて、嘲笑されている間、死んでいて、ごめん。

 壊されて、何もかもどうでもよくなって自暴自棄になってた時に、支えることすら出来ないで、ごめん。

 蹂躙されて記憶がどうにかなって、心が壊れてしまっていた時にそばにいてやれなくて、ごめん。

 お腹の中がずたずたになっていた時、助けてやることもできなくて、ごめん。

 捨てられて、道端で死体みたいに転がってる時、何一つ手を差し伸べてやれなくて、ごめん。

 新しい相手との門出さえ、祝ってやれなくて、ごめん。

 その相手と切れてしまった時、慰めてやることすらできなくて、ごめん。

 今更のこのこ現れて、こんな、わけわからない感じで――」


 太朗の声は、ふるえていた。弥生は、頭を下げる彼の顔からしたたる水滴を、わずかに自分の手の甲に感じた。それは彼女が初めて見る、太朗の泣き顔だった。今までどんなことがあっても、何ぞ何ぞ、と潜り抜けてきた太朗である。実際高校時代も、転移後もその姿勢に大きな変化はなかった。ある意味で自分自身のみがしっかりしている、自己中な考え方に根ざした態度だったろう。だがだからこそ、彼がこんな顔を見せる事は、本来ならあり得ないはずだった。

 太朗自身は、何一つ変わっていない。言行一致を信条とし、無理なことには素直に拒否するか謝るかする。それでなお一度決めたら、己に出来る限りのことをする、その姿勢にこそ弥生は惹かれたのだ。

 辻明に裏切られ、もう誰も信じられなくなりそうになっていた彼女にとって、そんな太朗は聖者か、でなければ仙人か何かだった。他者が求める執着を「うっせ」と斬り捨て、只己が己であることにのみ慢心せず進んでいく。普通ならあまりにも面倒くさい性質を忌避するところであったが、だがだからこそ弥生は、太朗のことを信じることにしたのだった。

 そんな彼が、泣いて謝罪を繰り返していた。他ならぬ自分に対して。しかも――。


「そんなの、だって、太朗くんにどうにも出来なかったことじゃない――っ」


 弥生の声も、わずかに鼻がつまったようなものになっていた。うわずり、太郎ほどではないが震えている。握る手が震えているのは、はたしてどちらのものか。もはやここに至って、太朗も弥生も、ぐしゃぐしゃで、何を言おうとしているのか、わからなくなっていた。だがしかし、弥生はぎりぎりのところで踏みとどまる。太朗のこの言葉は、明らかに、自分のせいだ。自分が太朗を攻めたから。彼は「お互いに事情が違ったのだし、仕方なかった」と言って済ませるだろうが、それだけでは駄目なのだ。そしたら弥生は、その分の痛みを全部太朗になすりつけるだけになってしまう。そんなこと――ずっと、十七歳の時から時間が止まっている太朗には、あまりに酷すぎではないか。だが、そんな論理も、現在の心境を前に、がたがたに崩れかかってしまう。

「顔を上げて、太朗くん」

「……何ぞ?」

 左目からは透明な涙。失われた右目からは血の涙。そんな彼を前に数秒の間を置き、ようやく彼女は、抱き寄せることが出来た。

「神父みたいな人がね、助けてくれたの」

 弥生は語る。太朗に語った話の別な側面を。自分が今こうしてここに居られる、その意味を。

「その人が、世話になったって私をここに連れてきてくれたの。ここまでは話したっけ。でね? あの人達、娘さんを若い頃に亡くしててさ。……弥生だからマーチって名乗ったら、今日から貴女は私達の娘だって。そう言って、受け入れてくれたの」

 長い時間をかけて壊されてしまった彼女を立て直したのは、結局のところ同じだけの時間であった。震える彼女に手を差し伸べた老夫婦。二人の下で毎日のんびり、時に忙しく、せわしなく動き、働くようになって、彼女は徐々にだがかつての自分を取り戻していった。

「なんだかさ。みんな灰色に見えてたんだよね。香枝ちゃんが尋ねてきても、辻明くんとイリーちゃんが宿屋の前横切っても。それがさ、段々悪くないかなって、そう思えるくらいになったんだよ。だからかわからないけど――不思議と、アドルフさんと一緒になれなくても、辛くはなかったんだよ? 愛していたかと言うのは、今でもよくわかんないけどさ。

 なんだかんだで今でも気にはかけてくれてるし。お互い顔は合わせ辛くなったけど、でも、つながりが全部殺されたわけじゃないから」

 言葉を発せない太郎。その全身に時折ノイズが走る。本当にこのまま続けて大丈夫か。弥生の心中に迷いが過ぎるが、しかしそれでも、彼女は言葉を続けた。

「だから、私決めたの。私を立ち直らせてくれた、『お父さんとお母さん』に、恩返しがしたいって」

 未だオレンジのオーラの昇る太朗の頭をなでつつ、弥生は、やさしい声で続けた。

「だから――ごめんね、太朗くん」

 そのタイミングまでが、弥生が笑顔を維持できた限界だった。両目からは、まるで二十年で溜めてきたような涙が、とうとうと流れていく。辻明らに壊された時も、太郎が殺されたと知った時も、どうしても流れなかった涙が、堰を切ったように――。

「ごめんね、太朗くん……。私、自分勝手だから。そんな自分も嫌で、だから太朗くんが好きになったのにさ――」

「……んなこと、ねぇだろ」

「ううん。あるよ。だってさ、今こうして太郎くんに対して、色々ある感情の中にさ――やっぱり、太朗くんを攻めた時の言葉が、どこかにあるんだよ」

 弥生は泣きながら、どこか怯えるような色を含んだ声で言う。「太朗くんが助けてくれなかったことに、死んでたのだからどうしようもないっていうのと一緒に、でもどうして助けてくれなかったんだって、そういうのがあるんだよ。貴方さえいてくれれば、私は、こんなんになることなんてなかったって。香枝ちゃんとかエミリちゃんからも散々注意されていたのに、太郎くんが心底怒っていたのに、結局流されたのは私なのに、それでも太朗くんさえ死ななければ、死んだ太朗くんが一番悪いって、そういう、汚い心がどこかにあるんだよ――」

 だから、これじゃ駄目だよ。太朗の頭を愛しそうになでながら抱きしめる弥生。

「太朗くんさ。たぶん思い過ごしじゃないから言うけど、この後ずっと私と、死ぬまで一緒にいるつもりでしょ? でも、多分駄目だよ。

 だって、どうしたって私は、太朗くんみたいに綺麗なままで、つき抜けたままで居られないからさ。二十年前なら違ったかもしれないけどさ。いや、ひょっとしたら十年前でも違ったかもしれないけど、でも、結局私は、汚いから。汚されたとかじゃなくて汚い人間だから、きっと太朗くんを責める。二十年も経ってるのに今さらノコノコ来て、何言ってるんだって。キモいって。死んだままで居てくれって、たぶん、そんなこと思っちゃう。

 私は――そんなこと、したくない。太朗くんは悪くないのに。私が自分勝手で、緩かったってだけなんだから。一緒に居たら、きっと太朗くんを駄目にしちゃう。私が大好きだった、今でも大好きな太朗くんの綺麗なところとか、やりたいこととか、本当の意味で駄目にしちゃう思うから――」

 弥生の声も、太朗のしゃくりあげる声と一緒になり、もはや両者とも言葉にならない。そこにあるのは、ただただ深い傷跡と、二十年という長い距離だ。例えどれほど思いやっていても、どれほど愛し合っていても、抉り出された傷跡は深く、相手すら傷つける。離された距離は宇宙規模でみれば微々たる誤差でしかないが、当事者たちにとっては全てが風化し、掘り起こすことすら不可能になってしまうほどの遠い、遠い長さだ。

 だから、両者は抱きしめあう。太朗も彼女の背に手を回し、弥生は太朗を更に強く抱き。まるで一つになろうとしているように、しかしどうしても一つになれないように。寄り添っていたとしても、所詮両者は別々でしかないように。


「ごめんね、太朗くん……、大好きだよ――」

「ごめん、弥生……、愛してるよ――」


 少年少女は、少年少女だった二人は、長い間、長い間お互いの名前を呼び続け――泣き続けた。



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