第4話:いろんな知識が止まらない
そして時は加速する
――闇。
闇としか形容もできない。
その意識と魂とが、今居る場所は闇でしかなかった。
果てしないその全ては、しかし同時に一つの1であり。
そこにたゆたう何かが、例え何であってもすべて一色の黒に塗りつぶす。
優劣も、個性も、ここでは一切関係ない。
ただただ溢れ、流れる一つの巨大なうねり。
うねりとしか言いようのない一体感だけが、その場に満ち満ちていた。
「――にゃ、るはははははははッ!
んふ♪ やあ面白いことをしたようじゃないか!」
と、突如その混沌にイレギュラーな存在が現れた。
牡丹模様のあしらわれた黒い和服。低い身長に小さな手足。華奢で低い全身は少女のものであり、愛らしい顔にはにんまりとした笑み。暴風にでも煽られているのかボリュームのあるショートヘアは逆さに乱れており、額に赤いチャクラがついているのが確認できた。
右手を前方に伸ばしながら、彼女は言う。
「んふ、ボクのこと忘れたいかい? 宰だよ。綯夜宰だ若人よ――否、藤堂太朗ッ!」
突如握ったその手には、やはり闇がつかまれていた。しかし彼女がある名を呼んだ瞬間、その闇が形を成していく。
のっぺりとした顔の少年の姿が形作られたあたりで、彼女は更に大笑い。
「るはははは! 確かに笑いながら逝けとは言ったけど、逆にこっちを笑わせに来るとは。君、すごいねー。ボクのツボに入るなんてなかなかないよ。それこそ『核兵器』だとか、電子レンジがタイムマシンになったりだとか、世界が真理と狂気につつまれるくらいの滅茶苦茶でもない限り、なかなかなんだよねぇ。
いや~気に入ったよ~。君、ボクの『眷属』にならないかい?」
『……は? は? へ、何、何だここ、というか綯夜!?』
どう考えても言っていることが邪神めいている宰の登場と、現在の自分の状況に太朗は混乱するばかり。まともな思考形態すら未だ曖昧なアイデンティティにおいて「再構成」されきってすら居ないだろう。そんな彼の様子などお構いなしとばかりに、宰は独り言を続けた。
「いや、でも傘下にしてしまうと観察の客観性が失われてしまうしぃ。でも近くにおいて見て見たいと思うけど、そうするとボクにかせられた制限も大きくなるしぃ……。う~ん、悩みどころだねぇ。『夢を終わらせる者』もどうにかしないといけないし、やることいっぱいだぁ」
『……何、とりあえず聞かせてくれ、何だここ』
多少安定してきたらしい太朗。思考をとりあえず一まとめにして最初に場所について質問をしたが、宰は彼の顔を見て、にっこり笑って答えなかった。
「ふぅん、元々は思ったよりまぁまぁなルックスなんだね」
『は、はぁ?』ちょっと照れる太朗。
「んふふ、そうだねぇ……、じゃあ、少しだけ手を貸してあげる事にしよう。ボクも、もう何年も君が『完成』するまで、待っちゃいられないッ!」
言いながら、宰は服の胸元を少しだけ開き、手を突っ込んだ。あんまり色っぽくはなかったが、わずかに見える薄い胸元の白さに、本来ならば太朗は顔を背けただろう。しかし、どういうことだろうか。不思議と彼の心には、何らざわめきすら浮かばない。現在に対する、地に足のついていないような不安感以外何もなかった。
宰が取り出したのは、鍵だった。歪んだ触手が折り重なったようなウォード錠。先端には三つの目のような文様が彫られており、見るものに微妙な違和感と不快感を与える。
「これを取り込む事で、君は少しだけ早く『完成』することが出来る。クリティカルパスを大幅に変化させるこの道具さえあれば、君も今日からボクらの仲間入り!」
『わけわかんねぇ……』
「わかるように話していないからね。しかし――んふふ、盛り上がってきた、ね!」
『がふっ!?』
突如、宰は彼の胸元にその鍵を「ねじこんだ」。胸骨が破壊され、心臓が握りつぶされるような錯覚に襲われる(どちらも経験したことがないので、その形容が正しいか彼にはわからないが)。その握りつぶされた心臓に、妙な違和感が挿入されると、彼女は手を引きぬいた。
「さあ、じゃあ頑張ってねー。次に来た時にもっと面白いことになってたら――そうだね、ご褒美にちゅうくらいはしてあげましょー」
くすくすと笑う宰の姿が、段々と遠ざかっていく。それを見ている太朗の視界も段々とうすれていき――やがて、また闇に飲まれた。
※
『はらから! はらから!』
ぺろぺろぺろぺろ。
自分の顔をなぜる刺激に、藤堂太朗は目を覚ます。
「……なんぞ?」
『はらから! おきた、かえってきた!』
そう叫ぶのは、老いた狼だ。体毛は長く、毛先はパサパサでちじれており、固まって居ないマグマのように明るかった毛並みも黒ずんでいる。くたびれた顔は生きてきた年数がそのまま加算されたような顔であり、しかしそれでも、眼窩の目は光を帯びていた。
『はらから、わたしはまった』
「……ん、ちょっと待て」
起き上がる太朗。周囲を見回し、自分の体を確認する。記憶にある光景と現在の光景を見比べて、果てしない違和感に襲われた。彼の周囲の森は、大きく焼けていたのだ。記憶の中の森は隙間こそ多かれど、森だ。それがどうだ、炭化した枯れ木が連なる、非常に寂しい状態に他ならない。
遠くの山を見れば緑が生茂っており、明らかにここは災害があったか、それとも人為的に焼かれたか、したように見えた。
「……なんぞ、これ」
そしてまた、彼自身も色々と異なる。まず、何故か全裸だ。一番の問題点はそこだが、それに気をとられてはいけない。もっと注視すべき点は多くある。本来ならば傷つき、えぐられたような痕の多かった手足や胴体が、まるで何事もなかったかのように綺麗な白い肌をしていた。どころか筋肉などのつきかたも程よく、腹筋もちょっと割れていた。
「……なんぞ?」
現状に対する困惑に対しての語彙が少ない少年であった。
とりあえず立ち上がってみる。歩行は特に問題がない。足元によりそう狼の頭を、なんとなく撫でて見てまた驚く。大破していた右手さえも、何ら過不足ないものになっていた。
突然の五体満足の復活に、混乱する。「何かこう、文字みたいなもんが見えて、それで……、どうしたっけか?」
『はらから、はらから』
「んで、お前は何だよ……」
なんだか滅茶苦茶足元にすりよる狼に、少年は肩をすくめてしゃがみこんだ。そこで、はたと気付く。さきほどから聞こえる声は、実は全て『AON』という系統の泣き声だ。にも拘らず、自分はそれに対して、何故か理解ができてしまっている。
「……何だこれは」
疑問を脳裏に思い浮かべる太朗。
――オートバイリンガルモード。双方向自動翻訳中。
脳裏に突然、そんな単語が浮かんだ。
「あん?」
『どうした?』
頭を傾げる太朗と、それに合わせて頭を傾げる老狼。その仕草に見覚えがあるなと思った瞬間、彼はようやく気付いた。
「……おまえ、ひょっとしてあの小さいやつか?」
『はらから、私をまもった。私、はらからをまもった』
彼の頬を舐めながら、そんなことを言う(?)狼。その微妙な言い回しと仕草とから、彼は、目の前の狼がかつて自分の助けた仔狼であるとなんとなく理解できた。
「……へ? 一体何があったしこれ」
『はらから、だいじょうぶか』
「あー……、よくわからないが、何で同胞なんだ?」
『はらからは、はらから』
疑問に思うと、再び彼の脳裏に情報が浮かんでくる。
――ボルガウルフの価値観では、自分の種族を助けたものを同胞として扱う。狩猟に用いられることも多くあり、特に子供時代からの信頼関係は大きいとされる。
「……何だこりゃ。何の知識だ?」
『はらから、私は、はらからをまもった』
「あー、そうかい。偉い偉い……。ちょっと待っていてくれ? 今、顔だけ洗ってくる」
そう言って、背後にあるはずの川を目指す。川自体はあったが、彼の記憶にある川よりも水の出が少なかった。
――より上流の別な箇所で水が出たため、こちらに流れて来る量が総体的に減ったため。
「疑問を浮かべるだけでぽんぽんと知識が手に入るって、何ぞこれ?」
困惑しながらも、宣言通り川の水で顔を洗う太朗。水面に映る自分の顔は、やはりというべきか頬のこけなどどこにも見当たらない。ただ髪が白くなっており、それが彼の顔ののっぺりさ、というか特徴の少なさに拍車をかけているように感じられた。
「俺は一体、どうなったんだ……?」
――表示形式は?
「形式……てか、どんな種類があるんだよ」
――履歴書形式、ド○クエのステータス形式、アニメのキャラクターのプロフィール形式、……
「あー、そんなにあんならいいよ。簡単なのにしてくれ」
そして、彼の目の前にぼんやりと浮かび上がった文字には、次のようなことが書かれていた。
【名前:藤堂太朗】【年齢:十七歳】【種族:―― 】
「……は?」
脳内にあふれ出る知識は膨大で、彼にとってわかりやすく翻訳されたものではあったが――こればっかりは、正直意味がわからなかった。
続きは何時間か後