間章2:あまりにも対価が大きすぎやしませんかねぇ
ガエルス王国の王、ガエルスは武人である。偶然が重なり武勇以外の面でヒトに恵まれたということもあるが、それゆえ、彼自身はあくまでも武人として強く、またそれ以外の何者にもなるつもりはなかった。
しかしそれゆえに政に口を出しはすれ、積極的にその判断やら何やらを自分だけで下すことは少なかった。まだ彼が幼少のころ、独善的に物事を勧めた村のリーダーが、背後から斬殺されたのを目撃した事があるからだ。武人が戦うために何が必要かと問えば、無論周囲の協力である。武器であり食事であり、また付き従う兵力である。
それを大きく理解してるからこそ、彼は勇聖教よりも聖女教を取り入れているのだ。前者に比べ後者の方が、過激な思想や行動が発生し難く(そもそもエスメラ聖書を普通に読めば、狂信による行動自体は大きく糾弾されている)、また周囲との協力、協調に一定の理解がある。
ノウバディ――異世界人たちを受け入れたのも、それが大きい。聖女教の教典にある通り、自国を発展させてもらいたいからこそ保護しているということが、当然大きい。だがそれと同じくらい、異文化のヒトビトたる彼等と協調することが、彼にとっては大きなメリットであった。
すなわち、もし彼等と協調し協力を得られ、臣下とすることが出来るのならば――この大陸を統一することも、夢物語であるができるかもしれない。統一し、異なる考え方や行動を両立させ、その上で安定と発展をさせることができるかもしれない。
この時代、大陸統一までは夢物語として考えても、それ以降のビジョンを持って居ない統治者が多い。そんな中で発展と安定という漠然としたものではあるものの、それなりに目標のあるガエルスは、王としてはそれなりに優秀であった。
だからこそ、彼はヒトの采配には充分気を使っていた。
ゆえに、彼女の言葉には彼も驚かざるを得なかった。
「……正気か、貴公は」
「ええ。充分正気です。後任については、さきほど提出した板に書いた通りとなっております。
ああ、誤解してもらいたくないので率直に言いますけど――」
「いや、語らずとも良い。国外に出ず聖女教の方に行くのならば、特別敵対というわけでもないだろう。軋轢があれど、あちらの戦士たちが守るかも知れぬ。
しかし……何ゆえ、己らの庇護を外れる?」
謁見の間。つい最近倒した国の持っていた、石材の城にて、王はうなる。
頭を下げる牧島香枝。異世界人たちの実質的な頭たる彼女は、王宮から去りたいという意見を王に言った。既にいくつかの戦いにおいて参謀として充分な実力を示した彼女が、何ゆえ去るのか。今の待遇に問題があるのか、それとも――。
ガエルスは、彼女の能力を惜しいと当然思った。ゆえに事情を聞く。
無理やり組み伏せないのは、人徳か、はたまた予想外すぎて頭が回って居ないのか。
顔を上げた彼女の言葉を聞き、彼は更に理解が困難になる。
「王よ。貴方は、何故、阿賀志摩に罰を与えない? かれこれもう、一月経つというのに」
「ふむ、それはどういうことだ?」
「……本人は、藤堂太朗が敵に討たれたと言っています。その時、彼が慣れない矢を構えたと証言しています。しかし、私にはそうは思えません。軍人でもない彼が、そんな意味のなさそうなことをするでしょうか。せいぜい、阿賀志摩に後を任せて自分はその場を去るでしょう」
「それこそ、私からすればわからぬ。確かに武勇に秀でて居ない男ではあったが、遺跡への乗り出しは率先して、負けん気も強かった。男ならば、敵に一矢報いたいと思うものではないのか?」
「それこそ逆です。どう戦ったって勝ち目がないからこそ、相手を確実に倒せる人間に倒させる。貴方のように、己が兵士として優れて居ない王が成立する所以です」
「ふむ……。仲間を殺したから、罰しろか」
ガエリスは、長い顎鬚をなぜる。身長はあまり高くないが、がっちりしとしたその身体。指先は太く、また剣をにぎるためのタコができており、ひげとこすれて結構大きな音を立てた。
「……だとしても、己はあれを惜しいと思う」
しばしの沈黙の後、王は語る。「あれは、このまま伸ばして行けば一騎当千の活躍をするようになるだろう。それほどの気位なのだ、功名心や強い衝動もあるだろう」
「だから、斬り捨てないと?」
「ああ。下手に挫折させてしまうと、おそらく再起はしまい。既に一度折れた後のようだからな」
香枝は、しばらく押し黙る。
「……先日、私は彼に襲われかけました。ご存知ですね?」
「まあ、強い雄は好むからなぁ」
「それもあるかもしれません。しかし、彼が私に暴力をはたらいたのは、それが原因ではありません。私が――花浦さんについて問いただしたからです」
「花浦……、ああ」
最近アガシマが連れている異世界人で、無駄に肉のついた女だ。べたべたとどこだろうと構わずくっついており、彼の女性趣味がかわっていると周囲の武人たちは思って居た。
「彼女は、藤堂太朗の恋人でした。そして以前、彼女の心を殺しかけて居ます」
「ふむ」
「藤堂が死ぬより以前の彼女と、死んだ後と――そして、最近の彼女とでは、明らかに違い過ぎます。冷静に碑文の解析に勤しんでいた彼女が、今では、その……」
「娼婦のようであるな。ふむ、つまり何が言いたい?」
「……勘違いでなければ。貴方は判った上で、それを放置すると」
「ふむ。これも文化の違いか……。もし仮に、アガシマがそのハナウラを手に入れるため、トウドウを殺したのだとしよう。つまりそれは、優れた男が弱い男を殺して、欲していた女を手に入れたということだな。何を罰する必要がある?」
王の回答は、時代としては予想されてしかるべきものである。強い男は、当然歓迎される。兵士としては勿論のこと、次世代の国力としても、その担い手としても。
英雄色を好む、というのが乱世において黙認されるのは、そもそもが生き残りをかけた戦いだからだ。現状から数十年、コミュニティが生き残るためにという意味で、強者やカリスマは欲される。後々の世において、国民全体の幸福実現が国力へと繋がる時がくるまで、その他は重要視されることはない。
香枝も、薄々わかってはいた。歴女とまでは言わないが、彼女は歴史の先生を目指していた。それゆえ、時代におけるルールと、暗黙の了解について、完全なすり合わせの困難さも。
しかし、だからこそ――。
彼女はヒビの入ったメガネをくいっと上げ、あごを撫ぜながら思い起す。
入学後、呆然としていた花浦弥生。放っておけないと近寄り、何度も何度も賢明に話しかけたのっぺりフェイス。花浦が嫌がっている、と彼に言ったのが彼女と太朗との最初の会話だった。
後にクラス委員長と副委員長となり、本格的に弥生について取り組んだ際、彼女が好きなのかと問いかけた。放って置けない、放って置きたくない。それが愛情かどうかは定かではないが、その感情に香枝も思うところがあった。
しかし、それでは抽象的だ。それ以上にお前が何を考えているのかを言えと追求した際、彼は、少し照れながら答えた。
『まあでも、あのふっくらしたほっぺくらいは、ぷにぷにしてーかな?』
「……その代償がこれじゃ、あんまりじゃない」
望みはささやか。しかし、支払わされた代償は絶大である。
知ろうと思えば、阿賀志摩辻明と花浦弥生の過去など簡単に知れる。しかし、クラスの大半はそんなことに興味もないし、なによりクラスに溶け込んでいた、普通のクラスメイトにしか見えなかった彼にそういう発想はなかなかできない。この世界の女性に対する送り狼なおども多くしていたが、しかし彼は、クラスメイトの前ではことさら妙に潔白を演じていた。
それを追求した結果、彼女もまた襲われかける。幸い歯と爪をたててぎりぎり難を逃れたが、それでも、もう現状この場にいることが安全とは思えなくなった。それゆえ、香枝は聖女教会に入信する事を決心したのだ。宗教は、よほどカルトでもない限り人間を大きく庇護する。ましてや聖女教は、現代人の彼女等をしてあまりに違和感を感じないほどの柔軟さと、同時に現代人のようなしばりでの厳格さを持つ宗教であった。
香枝は、ガエルスに頭を下げた後、こう言った。
「聖女の言葉を引用させていただきますと――『良きヒトの言葉を理解できぬ者は、決して大器ではない』、とのことです」
「……そうか」
「そしてまた。『性根に関わらず善行は善行であり、悪行は悪行である。ある程度は捌かねば、すなわちそれは体制の腐敗へと繋がる』とのことです。それでは」
この時点でガエリスは、彼女の首をはねることもできた。しかし彼はそうしなかった。彼女が優れたものであることは、何より彼も承知である。その上でのこの発言だ。一考するくらいはしても、罰はあたるまい。部屋を退出する彼女を見つつ、やはり惜しいな、と思うガエルス。それができるだけ、彼はまだ優秀な人間なのだろう。
結局この日、香枝は王宮を去り――クラスの面々には、大きな混乱が生じた。
※
牧島香枝が王宮を去ると、生徒たちの反応はいくらかに割れる。後を追い抜け出すもの、流されるもの、嘆くもの、新たなリーダーにのし上がろうとする者、付き従う者。――そして、そのいずれもに属さない男が一人いた。
「異世界……、やっぱ色々あるなぁ」
魔法組にいた彼の名は、及川翼。この世界の人間から比べれば、すらっとしていても大男に違いない。
もともと行動派オタクであった彼である。異世界に来た後、遠くで魔術の勉強できないかなーくらいの考えで地形やら、サバイバルやら何やら色々なことを武人や町民たちに聞いて回っていたため、行動は早かった。
委員長が突如王宮を去る。副委員長が死に、その彼女が何故か毛嫌いしていたはずの阿賀志摩にべったり。この状況を見た瞬間、彼は本能的に脱走を決意した。阿賀志摩は、戦闘組の中でも徐々に名前を上げていった男である。なんとなくその彼がクラスのまとめ役、というかリーダーになるイメージが想起され、その瞬間、嗚呼もうクラスに居たくねーなと、直感で判断した。
詳細は知らないまでも、恐るべき嗅覚と言わざるを得ない。
さて。とりあえず出てきたは良いが、砦は広い。わざわざ王宮まで足を運んでいなかった彼でも、フットワークが軽かろうが移動には時間がかかる。
しかも途中で土砂崩れの跡など発見したりと、嫌でも遠回りを要求されている状態だった。
そんな道中。迂回の経路の途中で川を発見した彼は、水補給もかねて上流を目指し――とんでもなものを発見する。
「……は?」
死体だった。所々肉が腐り落ち、水分が乾いて半分ミイラのようになっている。右手はなく、足は妙な角度で置かれており、辛うじて頭に毛と肉とが残っているのが確認できる程度。
「……はぁ?」
死体は、ウジこそわいていないものの余りにグロい。しかし、服の劣化具合からして明らかに異なるその遺体の損壊具合に違和感を持ち、彼は近づいた。そして気付く。遺体には、未だ解かれる事のない強力な呪いがかけられていた。どういった類のものなのかは判別できないが、当然あまり良い類のものではあるまい。
「……これ、制服か?」
しかも、である。その死体は、自分の着用していたかつての学ランと同様のものであるように見えた。破損が激しいが、唯一残って居るボタンに彫られた校章ま間違えようがない。
ここでひらめかないほど、彼は鈍い人間ではなかった。異世界に来てからも、制服を肌身離さず着用していた生徒は、主に帰還捜索組だけだ。そして捜索組の中で、唯一失踪した人間といえば――。
「……なんまいだぶ」
手を合わせ、どうしたものかと考える翼。と、そんな彼に背後から襲いかかるモンスター。がじ、と肩をかまれるものの、しかし軽装鎧にその牙は立って居ない。
「何だ、わんこ?」
『AOOOn……』
ひょいと摘みあげたのは、仔狼のようだった。マグマが溶けて居るような色合いの毛皮を持つ、小さな狼。首根っこを押さえられ、「く、殺せ!」みたいに四肢をだらりと地面に垂らしていた。
「俺、本当は猫派なんだけどなぁ……」
そう言いながらも仔狼を地面に下ろし、持ってきた干し肉を食べさせる。警戒することもなくそれを口にするあたり、既にヒトの手によって餌付けがされているようだった。
「ま、確かに可愛い犬だけど、こいつを育てる人間って……?」
と、彼は違和感に気付いた。仔狼は肉を加えると、目の前の死体に持っていく。死体の頭のあたりにそれを置き、じっと死体を見つめていた。
「……うわー、何だこれ。ハチ公か何かかよ」
流石に見て居られない。どういった経緯があったかは知らないが、この死体と仔狼は、どうやらある程度の関係があったらしい。翼の脳裏には、ミイラ化した子供の亡骸をかかえて甲斐甲斐しく世話をする母猿の映像が映った。昔見たニュース番組のそれが、今の仔狼の姿と重なる。
彼はしばらく唸った後、魔法を使って死体を浮かせた。
『AOn!』
「あー、こら変な事しないからまってろっての」
首根っこをつかみ持ち上げつつ、死体を一度別な場所に下ろす。手首に捲いたブレスレットの魔法石を見つつ、「掘れねーな」と言い、しかし彼は素手で地面に穴を開け始めた。
埋葬が終わった頃には、日は暮れていた。
埋められていく死体を、仔狼はじっと見ていた。吼える事もなく、その姿を直視して。
ややくぼませて埋めた箇所の上に、近くにあった大きな石をとり、突き刺す。そこに風魔法で、おそらく彼の知るだろう相手の名前を彫りこみ、再度手を合わせた。
こちらを見上げてくる仔狼の頭を一なでし、干し肉をもう一切れ地面に置く。
「俺のところに化けて出てくんなよ~、副委員長」
そう呟きながら、翼は何度か後ろを振り返りつつ、その場を去った。
――その石のすぐ手前に、「半透明なヒト型の何か」が出来つつあるのを確認せずに。
仔狼ちゃんェ・・・
続きは深夜。