第42話: 泣き面に蜂は普通こない
今日も一話
クラウド・アルガス。二十年ほど前にガエルス王国の東、元々王宮のあったガエルベルクにて従軍。以降めまぐるしい活躍を上げ、数年で将軍に。以降各地を転々としつつ、ケントリヒッデバロニアスミシアリウスマリウ国との戦争で数々の結果をたたき出す。
そして参謀たる前線基地が襲われた際、これを強襲。敵国の武人をちぎっては投げちぎっては投げ。これが後に妻となる、イリー・ガエルスとの最初の出会いである。それ以降ちょくちょく戦地で顔を合わせ、イリーの方から能動的にモーションをかけ、今から約十年前、第二の魔王が駆逐される前後に結婚。
以降はガエルス王よりたまわった土地に、自らの名前をつけて暮らす。国の軍事力増強もかねて私兵をやとったり、教育をして後進の育成にはげんでいる――。
酒場の兵士達やレコーの語った情報を総括すると、このようになる。
「あんまり人通りの少ないところ行くなよ、兄ちゃん! 兵士とかの見回りも完璧じゃねえから、何かあっても誰も助けちゃくれねーぞ!」
「……」
酒場を出てからの、藤堂太朗は無言だった。顔立ちはメイラのものをベースとした男性のものであるにも関わらず、その半眼具合と無感情さは、普段ののっぺりとした彼を思わせる。
「……」
無言をつらぬく太朗の感情は、一切が読み取れない。ただそれでも路地裏に入ったのは、クラウドこと阿賀志摩辻明を視界にいれないためか。彼を見続けるだけで花浦弥生のその後を追うことができたかもしれないというのに、太朗はそれどころではないようだ。
「……あん?」
つうっと。
涙のようなものが流れたのを、太朗は自分の右頬に感じる。ただそれを指ですくえば、どろりと粘度のある、赤黒い液体だった。
「……血?」
『――た、たろさん、しっかりしてください! 意識ちゃんと持って』
「あん? いや、何ぞ」
右目のみから流れる血の涙のようなものをぬぐい、太朗は肩をすくめた。気にすんな、といつも通りの態度で表しているつもりかもしれないが、生憎とレコーには通じない。
『――店を出た後、無言でふらふらふらってこんな日の光もささないような路地裏入って、無言のまま歩いて血の涙だしてたら、明らかに普通じゃないですってばぁ! 気を確かにっ』
「いや、別に何ともないとは思うんだが……」
苦笑いを浮かべる太朗。だが、太朗の口からそれ以上の言葉は続かなかった。そりゃそうだろう。自分を殺した相手が、今じゃ出世しまくって領主だ。そこまではまだ良い。しかしそれどころか、領主としてそこそこ安定して治めており、兵士たちからの人望も厚く、平和な家庭も持っていると言うことが、太朗には到底受け入れがたいものだった。
「……」
感想が出て来ない。否、内心では様々な感情が渦巻いている。しかしそれらの混沌としたものが発露すれば、間違いなくルサンチマン一直線となってしまうことは、彼にもわかっているだろう。それゆえか、太朗はその事実に特別な感想を抱こうとはしなかった。もし感情に任せてしまえば、何がおこるかわかったものではない。邪竜相手に暴走した自分のことを自覚している太朗であるからして、その時より数段パワーアップしている自覚がある今、気を抜くのは自殺行為にも等しかった。
だからだろうか、太朗は事務的に言葉を紡ぐ。
「……ペナルティどうしたもんかな。阿賀志摩単体で嫌がらせになって、尾を引いて禍根にならない程度がベストなんだろうが」
本来ならもっと情報収集をしてから判断すべきなのろうが、しかし太朗の感覚は、もはや諦めムードであった。何をあきらめているのか彼本人にも良く分かってはいなかったが、ここに来るまでに彼が燃やしていた感情は、無理やりなりを顰められていた。
「弥生のこともあるが、ちょっと整理する時間欲しいなこりゃ……」
『――後方注意』
「あん? ――おっと」
と、太郎が足を止めてレコーと会話をしていると、突如背後から太朗の腰に向けて、刃が飛んできた。それに対して後ろも振り向かず、太朗は左手二本指でその短剣を白羽どり。くるりと右側に首を回転させ(ちなみに百二十度くらいは回っている)、背後を見た。
「てめぇ、さっきの娘だな」
そこに居たのは、本日太朗の財布をとろうとした少女であった。格好はボロボロをぬいつくろったようなもの。灰色のバンダナですすけた赤毛をまとめている。左頬はガーゼのようなもので覆われているが傷跡とデキモノが若干見えており、健康状態はあまりよくはなさそうだ。
さきほど太朗にぶつかった際の愛想の良さはどこへやら。親の敵でも睨み付けん勢いで、少女は太朗に敵意を向けていた。
「死ね」
「残念ながら、この体勢から先に進む事はねーぞ?」
突然の展開だろうが何だろうが、なんだか応対も慣れつつあるような太郎であった。
ぎりぎりと全体重を乗せ、刃を太朗にさそうとする少女。だが残念かな、太朗の指先は万力のごとく堅く、全身はまるで銅像のように微動だにしない。物理的な戦闘を挑んでいる段階で少女に勝ち目なぞありはしなかったのだが、それでも賢明に刃を届かせようとしている。それはまるで、「刃さえ届けば」勝てるとでも言わんばかりのそれで――。
『――警告。妖精剣ザカート』
「あん?」
『――付与魔法は概念死。刺されたら、神様だって絶対死ぬ』
「は!?」
思わず指先のそれを無理やり取り上げて、反射的にアストラルゲートに放り込む太朗。突然短剣をとられて呆気にとられていた。そんな少女の足を強引に払い、腕を引きまとめてたたんで動けなくした上で、足を乗せて軽く押さえつけた。
「……どういうことだってばよ、レコーちゃん」
『――そういう武器、といか言いようがない。バンカ・ラナイならば抜刀の摩擦を極限まで精密にして、高エネルギーにしてピアノ線のような斬撃として射出するものだとするなら、ザカートは死。触れるもの、存在の根幹から死すべし。慈悲などない』
「あー、つまり?」
『――藤堂太朗だろうが死ぬ』
「あかんわ……。てか、何ぞそんなもん持ってるんだ?」
『――盗品。元々は第二の魔王が勇者たちと戦うために準備していたものが、色々あって流れ流れて現在』
「どういう経路を辿ったらんな訳ワカラン巡り合わせになるんだって」
言いながら、少女を見下ろし続ける太朗。「何ぞ、てめぇ何の理由で俺なんぞ狙ったんだ? さっきも言ったよな、相手は選べって」
「う、うるさい! 短剣を返せ」
『――なお、妖精剣の真価には気付いて居ないもよう』
「もっと良いのあるから、他のにあたりな。で――何ぞ? てめぇら」
気が付けば、太朗の周囲には人だかりが出来ていた。野次馬などではない。どいつもこいつも少女に負けず劣らずボロボロな格好とバンダナに、ぎらついた目をして彼を睨む。手には武器やら農具やらを持った、男女子供入り乱れた十数人ほどか。いくら彼が今居る場所が路地にしては広いといえど、限度がある。あらかじめここらの周囲で張っていたと考えるのが自然か。
「で、何ぞ?」
こんなタイミングであっても、太朗はマイペースに尋ねる。
「俺等の生活の糧になれ!」
彼等の解答は、非常にシンプルなものだった。振り下ろされる桑と剣をそれぞれ指先で受け止めつつ、太朗は思考する。レコーに聞くまでもない。おそらく彼等は、ブラストルとの戦争が原因で出来てしまった難民か何かなのだろう。言動から察するに、こうして羽振りの良さそうな相手を殺して身ぐるみをはぐのを日課としているか。
『――ほぼ正解。あとは、その死体を地下組織に渡してお金を貰えば完璧』
「隠蔽とかの必要もねーと。……根が深そうだ、な!」
指先に力を入れて、ちょいっと押し返す太朗。そのわずかな動作で、目に見えて結果が出てくるのも彼くらいである。吹っ飛ばされた男らを避けきれずに倒れる数人。無視して太朗に切りかかるのが、前方と背後にそれぞれ七人ほどか。
普通に考えれば圧倒的な数の不利であるが、太郎は気にせず、自分を中心に魔力を「放った」。イメージとしては波だろうか。空間そのものに、衝撃波的な何かを放射するようなイメージという、かなりざっくばらんなものだった。だがその程度であっても、太朗の場合はシャレにならない。わけのわからない不可視の攻撃に、成す統べなく彼等は弾き飛ばされた。太朗の足元の少女にいたっては、正座状態のような足がちょっと埋まってしまっていた。哀れである。
周囲を見回しながら、太朗はニヒルに微笑む。
「これで終わりか? だから相手は選べって言ってんだろ――。
――いや、そうでもないよ?」
あん? と頭をかしげる太朗。今、聞こえた女性の声は、どこから聞こえたものだろうかと頭をかしげる。近すぎる。あまりに近すぎるその声は、どこか覚えのあるような感覚で――。
「姐さん、成功しましたかい!」
「ああ、上々だわさ。
――! て、てめぇバックノックか!」
太朗は正体に思い至る。嗚呼、これは宿木の魔王の憑依と似通ったそれであった。宿木の魔王の元の種族は、半霊族。他者に憑依して生命力を吸収する魔族だ。全く気付くことなく取り付かれたカラクリについてはさっぱりだが、それでも自分の身体を別な何者かが操るというそれは、覚えがある太郎だ。
とすればやることは早い。すぐさま魔力を体内に集中して、全身の外側に発散させるイメージを――。
「アンタはとりあえずおねんねしてな。じゃ、後はヨロシクたのむよ」
しようとした瞬間、太朗は猛烈な眠気に襲われた。復活後、おそらく初めてとなるその強烈なそれは、太朗の四肢から一瞬で力を奪い取る。
「な、何ぞ――」
『――たろさん! やばいです、これたろさん弱点の一つです! このバックノック、自分に催眠をかけてとり付いた相手ごと気絶させようとしてます! たろさん専門だからとかじゃなくて、これなら確実に仕留められるからってことみたいです! やべーですピンチです!』
レコーの慌て具合と、今の自分の体におきている今までではありえなかった現象に、太朗もとまどう。視界がかすみ、ぼやけ、頭が猛烈に痛く、間接が外れたように力が入らない。無理に動こうとすると余計に眠気が強くなり、意識が点滅しはじめる。
「何ぞ?」
『――憑依した状態で催眠とかされると、巻き込まれるようにたろさんにもダメージ入っちゃいます! 血脈がないぶん、相手との境界が曖昧なんです! た、たろさ――』
レコーの言葉を全部聞き終わる前に、耳が遠退き視界は明滅する。
うすれゆく意識の中――太朗は、周囲の人々がこちらを覗き込み、歓喜にふるえるのが目に入る。バンダナを外して喜ぶ彼等の多くは、頭にツノを生やしていたり、動物のような耳がついていた。
「……魔族?」
僅かにその言葉をつぶやき、一体どれほどぶりだろうか、彼は気を失った。