間章9:過去は追いかけてくるものだけれど
今日も一話
私にとっての彼は、まさに物語の中の英雄だった。
私の窮地に颯爽とかけつけて手を差し伸べる。
戦地に出向けば圧倒的であり、話せば気さくでちょっと変わってる。
自分が欲するものや、大切なものを守るためには手段を選ばない苛烈さも持ち合わせている。
出会った時は、変わった男性だと思っていた。
見た目に反して、案外力強かった。
悩みを打ち明けてもいやな顔一つせず、紳士的になぐさめてくれる。
そしてそういった全てを包括して、時に傲慢に己の力を振るう男らしさ。
時間は長かった。色々と事情があった上でだけれど、でも私は彼に惹かれていたのかもしれなかった。
そして彼が、私に愛を囁いた時――まるで強固な鎧に押し込められていたものが、剥がされるような錯覚を覚えた。
私は、彼に身を委ねた。身も心も捧げようと思った。
彼は待てと言った。まだ責任をとれるほどではないと。
私もそれは同感だったし、怖かったのもあってしばらくは保留にした。
そうして――私は、彼と触れ合いながら彼を支えることに決めたのだった。
※
俺にとって藤堂太朗は、興味のないやつだった。
だった、と過去形なのは、俺にとって最も大事なものを奪い去った奴だからだ。
あの日。弥生が俺の元を完全に去ったあの日。委員長共々目障りにも俺の視線から弥生をかばうように前に出ていた男。その時の弥生の顔は、以前のものと違っていた。
以前は申し訳なさが強く出ていた。だがあの時は違った。気を許した相手だけに見せるような、そんな緊張感の抜けた笑顔だった。
当時は二人が付き合い出したということが、広まってはいなかった。だが、俺と弥生の付き合いの長さだ。それくらいは一目で分かる。
俺と弥生とは、幼馴染だ。仲が良く、幼い頃は結婚の約束もしていた。
高校に入って、俺も色々と人生経験を積んで、弥生と一緒にならねばと行動した。状況が重なり、そうしなければ弥生を守れないというところまできていた。だから仕方なく俺は行動した。
だが弥生は、俺を拒絶した。
何がよくて、あんな能面みたいな顔した鈍チンに、弥生が心奪われたのか。
あいつのことを本当に分かってやれるのは俺だけなのに! という想いが、
日に日につよくなっていった。
そしてある日、爆発寸前までいったことがあった。
だが、奴はその上でも俺の神経を逆撫でしやがった。
『てめぇ、どういうつもりだ? 弥生は……』
友好的に笑いながら奴と話をつけに行った。弥生が騙されてるなら、俺は助けなけりゃならない。だが藤堂はあまりにも軽く返した。
『何ぞ? そんな今からリンチでもしにいくみたいな顔して』
何の変哲もない言葉だった。だが、その時、俺は自分の顔を触った。
唇が、鋭く吊りあがっていた。眉間に皺が寄っていた。後で鏡で確認してみると、白目も少し向いていた。明らかに恫喝するような顔をしていた。
と同時に、それは俺が弥生からどう見えていたのかを、教えてくれたようなものだった。
腹立たしかった。だが、確かにこれでは弥生に怖がられてしまう。態度を入れ替えなければ、弥生は永遠にコイツから離れないだろう。それくらいコイツは、得体が知れない。表裏はなさそうだが、ないぶんこの無表情が謎だ。俺のような三白眼なのに、それでも弥生がこっちに行くのは物腰とか態度とかだろう。
だったらばと、俺は色々と研究した。ドラマも見た。教師や家の近所の世間話とかも耳をたてた。バイト先の上司や先輩たちの会話も見たり、客の会話も見たりした。
色々と学んだ結果、気がついたら俺の周りには多くの人間が集ってきていた。
ほら、やっぱり俺はいいやつじゃないか。
藤堂なんて、声を上げればみんな応対するが、それだけだ。委員長や弥生くらいだろう、あいつの周りにいるのは。
着々と、奴から弥生を取り戻す準備はできていた。
だが、それでも一向に弥生は俺の方を向かない。向いてくれない。
焦った俺は、誰もいないところで奴に「制裁」を加える事にした。目撃者や共犯が居ない方が楽だと考え、奴を含めたクラス連中と遊びに行くのを装って、俺達は共に出かけた。もし制裁の後にヤツが何か言ったとしても、教師は俺の方を信じるだろうと言う確信があった。それだけ色々と手を回していた。
そしてカラオケボックスで二人きりになったとき、俺は奴に掴みかかった。
マウントをとり、右の拳を振り上げた。興奮と優越が体中を支配した。
だが、奴はさらりと拳をかわした。……厳密にはかわしていなかった。タイミング悪く藤堂がしゃっくりを上げ、反動で上半身が置き上がり、俺の拳はソファーにぶつかった。
だがその隙をついて、卑怯にも奴は俺の顔に爪をたててきた。手刀で付きをしてきた。危ない動きだ、危うく俺の目に刺さるところだった。
何を考えてるんだ、この卑怯者っ!
そう思って殴ろうとした瞬間、奴は真顔で俺の顔を見て言った。
「いいのか? この場でやったら、ごまかせないぞ? 松林とかも居るし」
奴は、状況を人質にとった。このまま俺が叩けば、間違いなく今度こそ俺は無事じゃすまない。
襟を掴んで胸にヘッドバットをかましてやったが、それ以外はもう何も出来なかった。
クラス連中が帰って来た後、奴は俺の耳に「何ぞ、もっと先の事考えろよ」と言って、あまつさえにやりと笑いやがった。嫌悪感しか湧かなかった。
いつ夜道で奴の腹を刺そうか、と考えることもあった。
だが、奴の言った「先の事」というのが、どうにも胸に引っかかった。
夢想していたことを、実行に移すことが難しくなっていく。その自覚があった。
このままじゃ奴の思う壺だ。弥生が、まるで娼婦のように自分の体を奴にこすり付けるようになりはじめた。止めろと言っているが、本心は別だ。当たり前だ奴だって俺と同じ狼だ。虎視眈々と弥生を狙っている。
だったら。
今度こそ、誰かにやられるまえに、俺が奪ってやらないと。
そう考えていた時、俺達は意味のわからない事態に遭遇した。まるで漫画や映画のように、別な世界とやらに飛ばされたらしい。
俺は、軍に入った。
のし上がるのは結構簡単だった。敵全てを藤堂だと思い、いかにすれば相手を苦しめて、あるいは素早く殺せるかと考えていたら、あっという間に終わった。
そしてある程度の権限と「仲間」を手に入れた後――俺は、遂に奴を殺す。
その日のことはよく覚えてる。飄々としていた藤堂の顔が、ビスケットをふやかしたみたいな感じになって、ボーボー燃えているのは傑作だった。
魔法式の投擲装置で遠くへ飛ばした際、もしかしたらビスケットのように粉々になったかもしれない。それはそれで――ウケる。
是非とも弥生に見せてやりたかったところだが、そこは我慢だ。弥生はあれでも、奴を慕っていたのだ。焦らず、じっくりと、距離をつめていかねばならない。
そうして、弥生を俺のものにするのだ。
協力してくれた仲間にも、それなりに褒美や、良い思いをさせてやらないといけないだろう。
力を付ければ、どんどん周囲が俺になびいていく。その時はじめて、俺は戦国時代、異世界万歳だと思った。
※
メロスの暴君を阿呆だと断じていた私だけど、どうやらヒトのことばかりいえないらしい。
実際、周囲のものすべて自分自身すら含めて、不信感の固まりになると、以前はみられなかった攻撃的な発想が沢山出てくるようになっていった。藤堂ならこういう時、神に縋れとでも言うのだろう。神は精神的なものしか救わないと豪語していた男が、よく言うと思う。
でも、確かにそれは一理あるのも事実だ。例えば、私の好きな武将は曽根昌世だ。大河で信玄のやつを見た時にちょっと調べて知った名前で、経歴が色々と面白くて資料を読み漁ったりした。そしてその人生の身の振り方には、非常に思うところがある。
彼の生き方を見れば、生活面で多大に負担してもらったというのもあるだろうけど、しかしその神ではないが縋っていた相手に対しては、ある程度の忠誠心があったことだろう。信玄からの信頼も厚かったらしいが、能力ばかりで通用する時代でもあるまい。そういった辺りもふまえると、やはり縋るものは必要なのかもしれない。
でも、実際に宗教として、聖女教会に入ってからの自分はどうかしてるとは思う。来る日も来る日もエスメラ聖書(といっても木板と壁に彫られた断片)を読みふけり、世間話すらせずひたすらに話を聞き。時に自分の知らない聖書の一説を知っている相手に話を伺いに遠くまで行ったりして、非常にハードな日々を送っていた。
いつしかメガネの割れていた方のレンズもなくなってしまった。そんなことに気付かないくらい、私はひたすらに考え続けていた。
弥生の前から、結局私は逃げてしまったのだ。彼女に最後までつきそえなかった。自分が無力だった。これらのことが、その当時まで築き上げていた自分のアイデンティを壊したのだろう。それを新に立て直すのに必死になっていたのだろう。今更ながら、只の茶番で道化だ。
藤堂なら、「神様は別に物理的に救っちゃくれねーぞ?」と言われて終わりだろう。
今でも、時々彼のことは夢に見る。ドライなんだか粘着質なんだか、よくわかんない男だった。肌はインドアだからか色白で、制服とのコントラストが結構気味悪いくらいだった。でも表情の無骨さというか、芯のぶれなさというか、そういう部分だけは感じ取っていた。弥生に抱きつかれても、照れはするが一切触れようとせず、本当にこいつ彼女のこと好きなのか? と疑うこともあったけど、あれは、それだけ倫理観とか理性とかが強いのだろう。別に彼が好きだったわけではないが、そんな相手に恵まれた弥生がちょっと羨ましくもあった。その分、彼が逝った時の衝撃は計り知れなかったろう。
独自に色々と調べて、結局最低な結末しかなかった。その際の経験で深いねじれを抱えた自覚もある。精神病院行ったら、高確率でうつ診断かもしれない。
でも、私はやっぱり逃げられなかった。
逃げたのだから、もう逃げてはならないと。
我ながら、結局自己保身のような行動にしか出れなかったくせに、いいわけがましく動く自分に反吐が出る。
そんなある日――私の夢枕に女性が一人立っていた。翼のシルエットを持つ、女性の姿だった。丁寧な口調で、彼女は私に名乗った。地底の女王を名乗った彼女は、私の精神を貴いといった。それは、この大陸がもっと安定するために必要なものだと。だから、長く生きろと。長く生きれるよう多少小細工をしたと言われた。
『お姉様には、内緒ですわよ? ――それでは、頑張ってくださいまし』
当時は気付かなかったが、十数年後になってようやくそれが理解できた。
周囲の友達が段々と月のものが終わり始めてるというのに、私だけ全然変わらなかった。友人から、委員長は全然変わらないと言われることが多かった。毎日見ている身としては、目元とか小じわが増えたりしてちょっとと思うのだが、彼女等からすると肌に染み一つないのがすごいといわれた。一体どうしたらそうなれるのかと聞かれても、答えようがなかった。女の子を引き取ったりして育てていても、確かに体は妙に疲れなかったけど、まさか、いや、そんなとは思う。
久々に会った、全然年をとっていなさそうに見える及川が、何故かまだ動くスマホに登録されていた写真を私に見せて、ようやくわかった。確かに、私の顔は多少筋肉が減ったのか昔より所々垂れてるかもしれないけど、でも、全体的には変わりなかった。
おそらく私は、肉体的に加齢する速度が遅くなっているのだろう。
でも地底の女王は、こんな私に何をしろというのよ。
今日も自問を続けながら、私は巡礼を続ける。
その果てに、自分なりの答えがあると信じて。