間章8:選べる事が幸せか不幸せか
今日は一話
エダクラーク村から立ち昇った巨大な魔力の奔流に、岩石の魔王は当然黙ってはいなかった。
『ふむ……。よもや、四人目か』
飛行船。非常に簡素で浪漫もへったくれもないような内装の船内にて、「岩石の魔王」は、小さな姿のまま唸る。視覚的に光学迷彩でも掛かっているように飛行艇自体は外部からは見えない。なので村付近の上空から様子を伺っていたのだが、ことここにたって、窓から見える光景で魔力の柱が上がったとなっては、「岩石の魔王」も黙っているわけにはいかなかった。
『シェシェルが逝ってから十年は数えたか。長いな……。だが、このたびの半精霊は何だ? どこか、己とも彼奴とも違うような――』
岩石の魔王が感じた違和感は、ひとえに太朗が血脈を放棄していることに由来するだろう。半精霊である以上、そこにはベースとなった生物(?)の種族値を同じ半精霊なら感知することができるはずである。しかし太朗のそれは妙に空虚で、本物の精霊までとは言わないまでも、純粋なエネルギーのそれに限りなく近いもののように感じられた。
王座を下り、窓まで近づく魔王。高所から見下ろすと、よりエダクラーク村の構造のいびつさがみてとれる。周囲が針葉樹で囲まれ、冬でも葉を落としていないのに対して、エダクラーク村のある側の山の斜面のみが、直角に広葉樹となっていた。まるで切り取り線でも書かれたような、圧倒的なその地形の違いは、見ているものに生理的な嫌悪感を抱かせる。人工的にそうした、しかも実際の地形としてそういう風に企画し土地改造したというわけでもないことが、一目で分かってしまうからだ。
それを作り出した本人たる魔王は、簡単ならくがきのような顔の微笑を崩さず、村の方を見る。より正確には村のうち、歓待を受けた場に割と近い家――借家として客人などに貸し出して居るらしい家だ。岩石の魔王は太朗ほどフォーカスの制度はよくないものの、ざっくり向いている方角は間違って居ない。
『……やはり、直に対面するのが一番か』
「生憎だけど、それは待ってもらえないかな? んふ」
と、魔王の呟きに答える声がどこからか。背後を振り返ると、そこには一人の少女が居た。王座に座り、偉そうに踏ん反り返っている。黒い和服に描かれているのは桜と梅の花。頭には牡丹の髪留めをつけた、赤い瞳の少女だ。肩口で切りそろえられた黒髪など含め、人形のように整った、どこか人間離れした美しさを持つ。見た目の年齢は十七、八ほどか。にんまりとした笑みを向ける美少女は、見るだけで威圧される迫力のようなものがあった。
『……何者だ、貴様。どうやってこの場所に侵入した』
「ん? ボクはそうだねぇ――綯夜宰と名乗っておこう。どこからといえば、君が気づかないタイミングで、気付いていない方法でだよ。ボクは、割とそーゆーの得意だし。るははっ」
笑いながら、彼女は酒瓶を開けた。エダクラーク村からの献上品のうちの一つである。どこからともなく取り出した真っ赤な枡にどぼどぼと注ぎ、くいっとあおる。
「んん……、なかなかどうして強いじゃないか。君、これをしてまだ薄味だとか考えて居るなら、味覚障害を疑った方が良いよ」
『未だそういった機能を搭載できないものでな。研究中だ。……して、貴様は何をしている? ことと次第によっては――』
「あー、それは無理だから。わかるかい?」
くすくす笑う少女。ゆれる前髪の隙間から、額に赤いチャクラが見える。
「将来の『彼』ならいざしらず、君ごときでどうにか出来るボクではないよ。例えどれほど弱体化していようともね」
『なれば酒は返してもらお――』
「はい」
魔王がいい終わらないうちに、宰は魔王の眼前に現れ、彼の手に瓶を手渡した。空間魔法を操る自身の認識を超えたその速度に、魔王は驚愕する。
「あー、そうだね。別に危害を加えるつもりはないよ。君がボクのいった通りにしてくれるのなら。なに、大したことじゃないさ」
『……それがヒトに物を頼む態度か? 得体の知れない小娘が』
「得体が知れないのは認めるけど、やっぱり『この状態』でも小娘程度としか感知出来ない段階で、終わってのだけどねー」
心底こちらを馬鹿にする態度をとる宰。魔王は怒りを抱いたものの、しかし王座に再び瞬間移動した(元素の奔流すら見えず移動した)彼女を見つつ、舌打ちのような音を鳴らす。周囲のゴーレム兵士たちに襲わせようにも、相手の実力や能力がいまいちわからないため、手出しが難しいのだ。下手すれば、こちらを一撃で殺す相手かもしれない。魔王になってから日は浅くない、既に百数十年は経過している岩石の魔王であるが、そんな彼でもいかに埒外な存在となったとしても、己を殺す術があることは重々承知であった。
だからこそ、彼は警戒して言う。
『貴様は……、勇者か?』
「おいおい、ボクのどこにその要素を見出した?」
さもありなん。見た目こそ麗しいが、言葉の端々ににじむ嘲笑と態度のでかさは、その性根の腐り方の尋常でなさを表しているようでさえある。まるで邪神……、大陸に伝わる神性の一つたる“大海の魔獣”の別名ではない、真性の邪神に遭遇したような、そんな薄ら寒さを覚えた魔王であった。
「ボクは、どちらかといえば君等の側に近いよ。まぁ近いってだけで、桁は全然違うのだけれどもね」
くすくす笑うそれは単なる小娘でしかないが――だが、魔王は慎重に言葉を選び、思考する。
『ならば、そのような存在が、なにゆえ己の眼前に現れた』
「君が、ボクの『おもちゃ』にちょっかいかけようとしてるからだよ」
『……貴様のだと?』
「うん。滅多に作らない眷属を二体も遣わせてるんだ。『彼』にはね? だから、彼はボクのものだよ? いずれ手に入れちゃるって感じさ」
綯夜宰は笑う。あざけるようにではない。まるで恋する乙女であるかのように、頬を赤く染めて身もだえしながら。その様は普通に愛らしいものであるにもかかわらず――何故だろう。岩石の魔王の本能が、危険信号を全力で発していた。
そんな様子を知ってか知らずか、宰は指を立て、にやりとわらう。
「感じるかい? 魔王よ」
何をさしているのか。一瞬彼にはわからなかったが、しかし多少の時間をおいて、上方より響き渡った叫びが飛行艇に共振した。
『……邪竜か』
経験の長さからか、岩石の魔王はそれを理解する。くすくすと笑う綯夜宰の声は、段々と激しさを増したもになっていく。
「るははは、そうさ。邪竜だ。今度は、『天空』の邪竜さ。
そして、今の彼がどういう選択をするか。ボクはそれに興味があるんだよ」
眼前で話しているはずの相手との会話すら放棄して、宰はどこからともなく、銀色の、鍵酔うな銃を取り出した。バレルの途中に大型のレンズのようなものが組み込まれた、非常に独特な形状をした代物だった。
『何をするつもりだ、貴様――』
「危害は加えないといったけど、何もしないとも言ってないってだけさ♪」
そしてそれを天井に掲げて、引き金を引く。
どす黒い闇の奔流が迸り、宰の足元に、赤と黒の魔法陣が形成される。そこから幾重にも伸びた触手のような、動物の舌のような名状したいものが、船を覆っていく。船に限らず、岩石の魔王すら飲み込み、触手の侵食は留まる事を知らない。
『く、おのれ――!』
「無駄だよ。残念ながら、君が戦闘姿になるほどの時間もかからない」
魔王は、知覚した。船全体を触手が覆いつくした瞬間、すべてが玉虫と緑の光に包まれ、空間移動したことに。
『……どこだ、ここは?』
船は、暗黒の中に投げ出されていた。数々の光が差し込むため暗闇ではないものの、しかし地面も海も気流も感じられない、無限大に空間が広がって居るような感覚におそわれる。
「君が知覚できない範囲さ。ああ、安心したまえ。ここら辺の空間は、膜を張るように固定してあるから、瓶が割れることもからくりが不調をきたすこともないよ?」
くすくすと笑いながら、宰は窓から空を見上げる。「今すぐ、というのは少々切が悪いからね。こちらから会いに行くのも、もう少し『楽しんでから』にしたいところだねぇ」
『……何を、いってるのだ?』
「君にはわからない話だし、あえて君にわからせない話でもある。ボクもボクで、大陸の神性らに気付かれないようちょっかいをかけているところだからね。さて、どうなるか」
魔王は、宰と同じく上をみた。
「――己の想い人を壊した男と、その男が己のその本性すら曲げて守り続ける町。死に戻り蘇ったほどに深い情念を抱いていた彼が、どんな選択を下すのか。見て行くのも一興ではないかい?」
『……よくは分からないが、貴様は、悪趣味だ』
「自覚はあるよ。でもね――選択肢を与えたのはボクだ。百年たてば何もできなかったところを、二十年にして何かができるようにした。
だったら、せいぜい楽しませてくれてもいいじゃないか。んふ♪」
嗤う宰の視線の先は――青と緑の、巨大な球が浮かんでいた。