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異世界仙人  作者: 黒羽光一 (旧黒羽光壱)
誕生というか解脱編
5/80

第3話:そうだ、解脱をしよう

こちらは2015/1/30の2つ目の投稿です。1つ目を見てない方は、先にそちらを閲覧することをお勧めいたします。



 川のせせらぎの音。

 ぺろぺろ。

 ぺろぺろ。

 頬に繰り返される、触覚への刺激。

「……あん?」

『AOOn?』

 目を開けた藤堂太朗の視界には、仔狼の姿がうつっていた。間近である。どアップである。瞳がくりくりしていることがよくわかる。

 とりあえず、身をよじる。動かない。首だけふりかえれば、下半身が埋まっていることが分かる。この瞬間に自分の足の状態は絶望的だと考えた太朗だったが、それでも抜け出そうと気合を入れた。

「いいいい、痛い痛い痛いっ」

『AOOOOON!』

 彼の叫びに呼応するように鳴く仔狼。一瞬気が抜けそうになるが、それでも力を入れ続け――抜け出した。

「あー、靴は駄目だな、完全に抜けちまってる……」

 無理やり抜け出した結果、足に捲いていた服の袖やら、靴やら、ズボンの一部やらが、経った今土砂に埋まった。抜け出した穴が重力により塞がったのだ。

 改めて、彼は周囲を確認した。

「……全身埋まってなかったのは奇跡だな」

 仔狼が土石流に向かった瞬間、何を思ったのか太朗はその後を追っていた。土砂に狼が飲み困れる前にかかえ、丸まったような気がする。そして気付けばこの有様だ。どうしようもない。

「何やってんだろうなぁ」

 あの一瞬、当たり前のように太朗の頭の中は、仔狼を助ける事でいっぱいだった。モンスターだとか、将来ヒトを襲うようになるだとか、そんなこと欠片も考えて居なかった。ただただ、気付いたら身体が動いていたという感じだった。

 ただ、どう足掻いても親狼の姿は確認できなかった。残念なことかもしれないが、あの時既に絶命させられ、その後にトドメのように流れた土砂だ。おそらくこの下なのだろうが、供養の手段もあるまい。

 土砂で出来た新たな斜面に、太朗は両手を合わせた。

「……ま、後悔は不思議とあんまりねーけど……」

 頭頂部をもまれ可愛らしく声を上げる仔狼を見つつ、太朗は考える。

「……どっちにせよ、こりゃ間に合わないか? ……水をどのタイミングで受け付けなくなるかが勝負か」

 まあ、ともかく足を洗おう。

 緩やかな水流の音が聞こえた。あまり上流までは行けないだろうが、それでも耳の感覚を頼りに、はいつくばる。

『AOn』

「あん、何だ?」

 ふと、横を見ると仔狼がてちてちとついてきていた。「……何ぞ?」『AOn?』

 両者ともに頭をかしげる。おそらく親がいなくて寂しいのだろうか、くらいに考えてた。彼は知らない。ボルガウフルにとって、己の命を助けた相手がどんな意味を持つのかを。多種族のモンスターであっても、己を助けた相手は仲間であると認識するということを。それゆえに、スモールゴブリン(角の生えた小さい人型モンスター)がボルガウルフに騎乗しているという姿が見られたりすると言うことを。

 しかしともかく、太朗は仔狼の頭を右手でぽんぽんして、匍匐前進を続けた。

 源泉というほど綺麗ではないだろうが、多少はマシだと判断するくらいの高さで水源を見つけた。おそらくその成分はあまり宜しくないものも混じって入るだろうが、背に腹は返られない。

 両手で器をつくることもかなわないので、左手でわずかばかりすくい、少しずつ、少しずつ傷口にかける。ある程度洗い終わったら、患部に対して水筒の水で軽く流す。こういった作業を駒目に繰り返し、ある程度は見れるようになった。

「……我ながらアレだな」

『AOn?』

 顔色が青いのは、決して傷口の酷さを改めて認識したからだけではあるまい。

 昼間、川辺で水を扱うということは、当然のように川の流れに自分の姿が映るということ。

 そして、太朗が見たものは――変わり果てた自分の姿だった。

 頭は所々火傷で崩れ、髪が結構な割合欠損している。片目はつぶれ、眼窩はくぼみ、頬の肉などほとんど見当たらない。

「……ここまで普通、数日で酷くならないだろ。となると、綯夜の言ってた呪いか」

 加速的に自分の体が壊れていくのを見て、彼は覚った。ああ、どう足掻いてもこりゃ到達できないのだなと。

 その結論に至り、太朗は地面に拳をたたき付けた。嗚呼、諦めてなるものかと。自分にとって、彼女を守る事がすべてなのだ。もし仮に守れなかったとしても、その後なにもせずそのままイルということは決して出来まい。

 気合を入れるために、食事……もはや食事と呼ぶ事も出来ない食事をとろうとする。肉をとりだし、舐める。

 むせた。

「……は?」

 舌が、塩分が乗る琴すら拒否したらしい。もしや、いや、まさか。最悪のパターンを想起した彼は、思わず水筒を開け、飲み込んだ。

「痛っ!」

 むせて、全て目と鼻と口から出てきた。

「……い、痛い……、痛い、」

 力なく笑う藤堂太朗。無理もないだろう。水と塩だけで人間はしばらく生きられるが、水がとれなければそれこそ、あっという間だ。この段階に至って、呪いが遂に自分を殺そうとしている事を覚る。

 彼の口から、乾いた笑いが漏れた。ごろりと頃がり、仰向きに五対を投げ出す。その横で仔狼も似たようにごろりとするが、そんなもの彼の視界に入っちゃ居ない。

 太朗は、長い沈黙の後、左腕で目元を覆い、呟いた。


「……死ぬなよ、弥生」


 嗚呼、その言葉は決して彼女に届かないというのに。

「俺みたいに、みじめに死ぬな。人生、辛く苦しいことも多いだろうが、諦めなければ負けはない。死ななければ、どんなに汚く生きようとも勝ちだ。

 本心で言えば、綺麗に生きて欲しいとは思う。でも無理かもしれない。たぶん無理だろう、そんな気がする。でも、だからこそ死ぬな。死なないでくれ。頼むから――」

 段々と、少年の声は震えていく。

 そこから先、何事か呟いたはずだが――もはや言葉になっておらず、彼本人でさえ聞き取る事はできなかった。





 起き上がり、呆然としている太朗。その手元によってきて、仔狼がぺろぺろと手の甲をなめていた。

「……何だお前。メシほしいのか? だったら……」

 腰につけた袋から、肉を二つ、三つ取り出して仔狼の手前においてやる。

 少年と付かず離れずの位置で、仔狼は肉を口に入れた。

「……何だろうなぁ」

 左手を見ながら、太朗は呟く。「ことここまで至ると、何も感じなくなってきてるんだよなぁ」

 水が飲めなくなってから、彼の感覚は急激に失われていった。未だ、おそらく半日も経っては居まい。だというのに、感情の触れ幅が、徐々に、徐々に小さくゆるやかなものになっていく。

「……じさまもこんな感じだったんだろうか」

 祖父の死に際の姿を思い出し、太朗は苦笑い。生前、元気な時は頑固一徹、太朗の父親とも口喧嘩が絶えなかった祖父だが、病気を発症し、入院中はそれまでと真逆のような姿になっていた。闘病の結果、やせ細り今にも倒れてしまいそうで、何より性格が恐ろしく穏やかなものへと変貌していた。

 思わずため息をつく。

 と、そんな時にちょうど、彼は思い出した。

「……綯夜は、笑いながら死ねって言ってたっけ?」

 もう一週間前になるだろうか。阿賀志摩に落しいれられた自分を助けた少女。その彼女が言っていた言葉が、頭に響いたらしい。

「……恩返し、にはならんだろうが、まあやってみるか」

 左手でまだ髪の残っている部分をぽりぽりと搔いて、彼は、なんとなく座禅を組んだ。脳裏に浮かぶのは、奈良の大仏。現状で最も簡単に出来て、最も意義ありそうな行為を思い描いたようだった。

 両手を適当に合わせ、目を閉じる。

「……はぁ」

 極限状態において、少年の思考はさまざまな感情が混濁していた。怒りだったり、悲しみだったり、無力感だったり。そういった一切合切を抱いたまま、少年は、ひたすら、体勢を維持する。





 何日たったことだろうか。

 もはや少年の姿は、以前の比ではないほどに酷い。つつけば、折れてしまいそうな枯れ枝のようでさえあった。

 しかし、彼は座禅を止めない。例え同じ体勢が続き一部の間接が炎症を起していようとも、おかまいなしといった具合だ。食べて居ないので排泄は最小限。そのタイミングと、仔狼に肉を食べさせる時だけ彼は動く。

 それ以外は、ひたすら座禅。

 来る日も来る日も、座禅座禅。

 わずかに数日であっても、しかし少年は微動だにすることはなかった。

 途中途中、明らかにおかしな日もあった。「ウケッケケケケケケケケッ!」と奇声を上げたり、「門が……、緑の門の窓から、ヤツが覗いてる!」とがたがた震えたり、徐々にそのまともだった精神も削り取られていっていた。

 それでも、彼は座禅を止めなかった。

 そして――彼は至る。

 ほんの一瞬、しかし継続して座禅を組んでいるので、周期自体は高頻度で。

 ホルモンバランスの乱れが原因か、時折トリップしてしまうためかは定かではない。

 しかし、少年の意識は少年の肉体という次元から、ややはみ出た感覚を有すようになっていた。目を閉じていても、仔狼がどこにいるのか何となく把握できるようになった気がした。

 その感覚が、まるで全世界に広がったような、そういった錯覚と一体感が、彼の体に流れる時が訪れるのだ。

「ユニバース……!」

 少年はそれを、「宇宙と一つになる」と形容する。口には出さないが、宇宙と一体になるその幸福感は、嗚呼、臨終の時は近いのだろうと彼に予見させるだけの説得力を持っていた。

 実際それは正しく、初めて発現した日から、日を追うごとに体の自由が効かなくなっていく。だが、彼の心には不思議と恐怖感はなかった。あるのは只、名状しがたき一体感のみ。

「何かを感じて、何も感じない」

 まさに、現状の彼はその状態であった。



 来る日も来る日もそれを続け――何日だったろう。

 排泄すらいつからか忘却して動かず、そして、常にその一体感を味わい続けるようになる。


 そんなある日、彼は自分の目の前に、ある文字を発見し――それが、彼の運命を致命的に変えた。



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