第1話:このままいくと、どうやら死ぬしかないらしいし
ようやく、藤堂太朗は目を覚ました。
「……なんじゃら、ほい?」
右手を見て、血の気が引いた。
「――なんじゃこりゃぁあ!!」
右手がやばかった。
親指ははじけ飛んでいた。
人差し指の間接が、消滅していた。
中指薬指は、なかよくこんがらがっていた。
最後に小指は、横方向に鉤爪みたいになっていた。
何より恐ろしいのは、そんな有様だというのに、手全体に痛覚が発生していないという事実そのものだった。
「やあ、気が付いたかい?」
「んお?」
と、不意に声がかけられる。
起き上がり、背後を振り返る少年。
暗い森。焚き火の傍には、十四歳くらいの小さな少女が居た。肩口あたりでテキトーに切りそろえられたショートヘアは、案外ボリュームが多い。赤い目に、清明桔梗の描かれた指抜きの黒いグローブ。
くすり、と笑うその表情は可憐で、まるでお人形さんだ。うっかり変な趣味に目覚めてしまいそうになるのを自覚して、太朗は、ばつが悪そうに顔を背けた。
「いやー、びっくりしたね。ボクが適当に歩いていたら、突如てっぺんからヒトが降って来るのだもの。しかもそんな、ズタボロときた」
「……助けてくれて、ありがとう」
「いや、ボクは特になにもやってないよ? せいぜい落下してくる途中だった君を、こう、一本背負いしたくらいで」
「っておいっ!」
「いやー、流石にびっくりしちゃってねー。まさか成功するとは思ってなかったってのもあるけど。でも悪いと思ったから、頭の火は消したんだよ?」
言われて太郎は色々思い出した。投石器で投げ出された彼は、背後を振り返っても暗がりで砦が見えないまま、どことも知らない森の中に落下したのだ。その際、一瞬だけこの少女と目があい、気が付けばこの有様だ。
助かったのかどうなのか……、ともかく、即死でなく気絶で済んで、意識が戻るまで待っていてもらったというのだけでも有難がろう。藤堂太朗は、案外律儀であった。
何かお礼がしたい、というと、彼女は「別に良いよ」と笑う。
「いくらボクが暗黒とか闇とか暗きものとか蔑まれていても、数日と持たない人間から何かを巻き上げるほど、困ってはいないからね」
「……は?」
「ボクの見聞が正しければ、君の体には高純度の“飢餓の呪い”がかけられている。どこの魔術師が作り出したのか知らないけど、」
くすりくすり、と笑いを深める彼女。言われて少年も気付く。
喉が、かわかない。
腹が減る、減らないについては結構耐性があるので簡単に判断はできないが、少なくとも数時間は寝たと思われる自分だ。しかも春先、焚き火の傍で。流石に起きたら喉が渇いているだろうに、彼は、一切そういった渇きを感じて居なかった。
「わかるかい? 今はまだ、食べ物とか飲み物を摂取しゅなくても大丈夫ってくらいだ。でも、このまま行けば間違いなく、食べても飲んでも必ず戻すようになる。
そして体の生理作用はなくならないから、どんどんどんどん搾り取られていく。いやー、趣味わるいねぇ全く」
「……それが事実だとしたら、話しながら笑う君も結構いい性格してると思うぞ?」
「おお、突っ込みするくらいの体力は残ってるみたいだね。結構、結構」
くすくすと笑う少女。状況が状況なだけに、混乱が収まらない。
藤堂太朗は、異世界人である。
少なくともズタボロになったとはいえ、着用している彼の学ランがそれを証明してくれる。
ある日、突如クラスメイトたち一同に異世界へ転移した太朗たち。何ら脈絡もなく、緑色の閃光によりこの世界へ導かれ、早数ヶ月。
魔法があり、モンスターがいる。
いわゆるファンタジーのような世界で、学生達は「異世界人」として、宗教的な理由から丁重に扱われていた。
そして、太郎が今、とても見て居られないような酷いあり様でここに居るのは、理由がある。
彼のクラスメイトの一人が、彼に滅茶苦茶をはたらいたせいだ。
そのクラスメイトは、太朗の彼女にかつて「許すべからざる」ことをした。
そして、今太朗が彼女の元にいないとなると――。
「……あー、駄目だ。馬鹿な考え、休むに似たりだ」
頭をふり、マイナス思考を一端振り切る太朗。現段階でくよくよしても始まらない。
焚き火の向こう側でニヤニヤ笑う少女に、彼は質問する。
「アンタも異世界人なのか?」
ちなみにだが、少女は、黒い和服を着ていた。絵がかれているのは、牡丹の花。シックな黒に、照らされる桃色と藍色は、どこか艶やかであった。
少女は、頭をかしげながら言う。
「いせかい、じん? んー……、まあ間違いではないかな? 異世界人というより、異世界神なんだけど。読み方は一緒だし」
「……あん?」当然ながら、少女の言ってる日本語の違いは声に出すと理解できない。
しばらく考えた後、彼女は再び太朗に微笑んだ。
「そだね、君に合わせて言うのなら――綯夜宰と名乗るのが適切かな?」
「……藤堂太朗だ」
「そ。よろしくー」
はらはらと片手を振る少女に、太朗は苦笑いを浮かべた。
「んー、で、君どするの?」
二人は、少女がどこからか取り出したカップヌードル(!)を食べているところだ。ご丁寧にプラスチック製のフォークと思しき物体で、麺をすする。特に太朗は右手が完全に死んでいるので、この処置はかなり有難かった。
「どうするって、何がだ?」
「んー、だってさ。別に君、戦争でそうなったわけじゃないでしょ? 飛んできた方角に砦があって、しかもあちらでは別に戦闘をしている様子は、煙とかから見られない。
かといって不審者に対する処遇としては手が込みすぎてるし、そう考えると……誰かに無理やりそうさせられた、というのでFA?」
「ファイナルアンサー。隠すようなことでもないけど、ま、そういう話だな」
「そう……」
「……っていうか、俺、今どんな顔してんだ?」
にやにやと笑う宰の表情を見て、なんだか不安になる太朗。なまじ色々話していて、血なまぐさい話だとか他人の不幸だとかにことさら、可愛らしい微笑を浮かべる少女である。自分の顔を注視して浮かべているそれが、決して好意的なものだと誰が保障しようものか。
「おっとこっまえ♪」
「……」
とにもかくにも、色々と気分を萎えさせる少女であった。
「ボクとしては、今晩あけるまでは一緒に居ても良いと思うのだけれど、それ以降は一切関わるつもりはないよ? ボクはボクで今、観光中だし」
「……観光?」
「そそ。せっかくの『新しい接続先』だし、楽しまなくっちゃ♪」
「いや、意味わからないが……」
混乱している様子の彼を見て、少女はくすくすと笑う。「ちなみにだけど、君の死はほぼほぼ確定したものだと思っておく方がいいよ?」
「何でだ?」
「この時代に、解呪とか、スペルジャマーの技術はないから」
少女はにこにこ笑いながら、少年に説明する。
「聖女エスメラが、勇者とかの“神技”とか、魔族の“邪術”だとか、邪竜の能力だとか、それ以外にも多くある伝承とかを細分化して作り上げたのがここの、四大元素を集める魔法技術だけど、合成概念すら理解されていない、というか解読されてない今の段階じゃ無理だね。
そもそもが――」
「……待て、意味はわからんが何か色々きちんとした説明がされてるってことくらい分かるぞ? 何で君がそんなこと知ってんだ?」
「おっと、それは禁則事項だね。世界の真理と、自分の狂気に迫る行為だよそれは。
ま対価としてというなら、どうしても知りたならば命か、息子を差し出したまえ」
「あん? ……あ、ほっ、本当性格わるいな、てめぇッ!」
一瞬“息子”の方の意味が分からなかった太朗。割とそういうのには鈍い。
「くすくすくす、お褒めに預かり光栄でございますぅ、ぷげらぷげら、えむきゅー」
そして草を生やす勢いで指を指してくる綯夜宰。非常に性格が悪い。
しばらくそんな話しをかわした後、宰は太朗に再度宣告する。
「つまり、君はどうあがいても助からないってことだよ」
「……本当に無理なのか? 俺は」
「んん、砦に帰るというのならば、なおのことね。これでもボクはかよわい乙女だし、君をかついで砦に向かっても一週間か。まず無理だね、五日くらいで君は死ぬだろうよ」
「……」
「ま、せいぜい最後まで“てけり・り”っと笑いたまえ? それが、ヒトに残された救いみたいなものさ」
「笑えってか?」
「そうそう。泣きながら死ぬのと笑いながら死ぬのだったら、後者の方がまだ格好良くないかい? 実に興味深いところだよ」
くすくすと笑う宰は、太朗の死を当たり前のものとして語っているので、やはり性格が悪い。
だが、彼女のその最後の言葉だけは、妙に彼の心にこびりついた。
※宰ちゃん別にヒロインじゃねーです