間章5:火のないところに煙は立たないが煙を立てるのは誰でしょう
悲劇注意
あるエルフは、己の才能に行き詰まりを感じていた。
エルフは鍛冶師であった。ラニア山、という東方の鉱山で、その山奥でただひたすらに、剣を打ち続けた。何故剣に拘ったのかは、おそらく永遠の謎である。たぶんだが、一番鉄の性質と、作り手の腕が出る部分だからだろうと彼は思っていた。
だが、彼はさほど才ある打ち手というわけでもなかった。ドワーフの友人が一日に五本の上質を作り上げるとしたら、せいぜい二本でまあまあが限界である。体格的にも魔力的にも、鉄を見る技能としても彼は、圧倒的に多種に劣っていた。
それでも、彼は鍛冶を止めなかった。聖女エスメラは人間でありながらも最高級の鍛冶師であったと伝え聞くが、それとて他の万能すぎる逸話を含めて考えて、色々な人間の功績を集約して仮想的人物を一人でっち上げた、と考えたほうがまだマシである。だが、そのエスメラの言葉が彼の胸に残っているのも、また事実。
運命の女神は言った。「何故そこまで、エスメラは鉄を振るい続けるのか」と。
エスメラは答えた。「好きだから。私の鍛冶に対する好きは、努力を惜しまないということだから」と。
そのエルフは、共感した時からずっと鉄を洗練し、叩き続けた。聖女が開眼したという「金属」属性の魔法とやらはさっぱり理解できなかったが、しかしそれでも作り続ける。世に「千の剣があれば最上質なものは三つもない」と言われているが、それでも彼は振るった。作り出される剣は、どれも出来が上々というほどではなかったが、それでも、それでも。
周囲のドワーフやエルフ、人間たちからは嘲笑の対象となっていた。鉱山で共に働いており、仲が良い友人も相当数居たが、しかしそのどれもが、最終的に彼を笑う。
無駄な努力と。一銭の価値にもなっていないだろうと。続けるだけ先が見えないと。
馬鹿だ何だ、と言われても、彼は剣を作り続ける。
彼にとって、それは楽しいからだ。
変わり者として扱われてはいたが、たまに依頼者が来ることもあった。彼の、鍛冶業への造詣の深さや愛に惚れこんだ依頼者も多く居た。満足いく品を提供できることもあれば、提供できないこともあった。
満ち足りた毎日だった。だが、四十年を過ぎた辺りから、彼は悩み始める。
エルフにとっての四十年は、人間でいうアラサーくらいの感覚である。仕事が充実してきて、私生活が満たされるものも多く出てくる頃。一部のエルフは修行をしたり、精霊と交信を試みたりもしていたが、彼はひたすらに鍛冶に没頭するばかり。
そして、いつしか――わからなくなってしまった。
自分は、何を打ちたいのだろう。
いくら好きなことだとはいえど、続けていれば己の方向性を見失う。ヒトとは常に新しい刺激を追い求めるもの。彼とて過分にしてそういった要素はあったわけで、今まで目を向けてこなかった、「剣を作る」ではない部分――「どういった剣を作りたいか」という部分に、はたと興味がわいた。
そして、呆然とした。
彼が好きなのは、あくまで「剣を作る」ことである。決して、作りたい剣があったから作り始めたわけではない。それゆえ、視点を変えた時に己の空っぽさに衝撃を受け、絶望した。
悩んでも、悩んでも、先が見えない暗黒。暗黒に底はなく、それゆえ袋小路で出口が見えない。
典型的な意欲のデフレスパイラルに陥り、日課のように続けている剣を作る手も、段々と精彩を欠いていった。
そんなある日――彼女は、彼の元に現れた。
「ここらで一番、鉄に詳しいって鍛冶師さんて、貴方でおっけー?」
奇妙な風体をした、黒髪黒目の少女。少しゴワゴワとした髪が印象的だ。
彼女は、鍛冶師に名乗るよりも先にこう切り出した。
「この世界で、まだ誰も見たことのない剣をつくってみない?」
その言葉に、エルフの男は動かされた。
お互い名前も聞かなかったが、少女が持ってきた知識は、彼にとって埒外のものであった。
配合の成分だとか、しなりを前提とするだとか、引き斬るという概念だとか、今まで彼が知り得てきた剣の形式とは趣を異にするそれは、まさに異世界の知識と形容できた。
「カタナっていうんだけど、知ってる?」
「……聖女の作り出した武器に、そういったものがあるとは聞いていたが、なるほど初めて知るな。そういう武器だったか」
鍛冶師たちの間で盛んに言われている、聖女エスメラの作り出した聖武器たち。その中にあった、いまいちどんな武器なのか理解できなかった刀であるが、なるほど、そういう武器であったのかと、彼は深く納得をした。
それからも、両者は共に刀を作ろうと、あーでもないこーでもないと言いあい続ける。時に他の鍛冶師が嘲笑しに来たり、少女に馬鹿なことは止めてもっと楽しいことに人生を費やせと言ったり。だが二人にはてんで届いていない。この配合を変えたら強度が下がるとか、打ち方が甘いだとか、もっと熱しろだとか、とにかく無茶苦茶だ。
当時の製鉄の概念を大きく逸脱するそれに、辟易し時に怒鳴りあいながらも、しかし男と少女は楽しそうだった。
いつの間にか、少女が男の家に泊まるようになっても、違和感を抱かないほどに、両者の興味と関係は一致していた。ただ、刀のため。満足のいく刀を完成させるため。
ある日、彼は少女に聞いた事があった。
「何故私に頼んだ? その話しを他にも持っていけたのではないか?」
少女は、さも当たり前といったように続ける。
「んー、だって普通はこんな話ししても、相手にしてくれないじゃない? 師匠みたいなヒトにも話したけど、そんな感じで。でも貴方は、まず話しを聞いて概念を聞いて。それで、嗚呼本当にこのヒトは鉄のことで頭一杯なんだなーって。
あと、他の鍛冶師だと、どうしても私の体に目がいって駄目ね」
むしろそう言われて、初めて男が少女を「女」であると意識し始めたくらいである。少女とはいっても、男と彼女の年齢はそう違いないように見える。エルフの価値観で言えばまだまだ子供の扱いだが、しかし、それ以降男は少女に、一定の礼節を払うようになった。
段々と自分が丁寧に扱われていると気付いて、彼女は男に問いただした。もし、男が他の鍛冶師のように己の技術ではなく己の体しか興味がなくなったのなら、己は男の下を去ると。
だが、男は深々と頭を下げて、こう続けた。
「私の閉塞を打ち破ってくれたのは、君だ。だから君が私をどう思おうが、私にとって君は恩人なのだ。発言される概念や思想も、私にはないものであり、私からすれば、君はまさに私の鍛冶師人生にとっての太陽だ。君が私を選んでくれたからこそ、今の、最高に難しく同時に最高に興奮できる鍛冶業がある。
……『そいったこと』を匂わせる態度をとっていたつもりはなかったが、しかし不快にさせたのなら、済まない。去りたければ去ってくれ。でも、私は刀を諦めず続けよう」
返す言葉のなくなった少女。男は、なおも刀の話しを続けた。本体の切れ味を前提とするのなら、鞘もそれなりに強いものが必要だろうとか、どれくらいの角度で剃らせれば、抜き打ちの時に速度が上がるかだとか。
どこまで行っても鍛冶馬鹿な男に、彼女は大笑いした。そして語る。かつて暮らしていた村で、とある乱暴な男が他者の妻を欲し、斬殺して乱暴したのだと。乱暴された女は既に過去の女ではなく、もはや見ていて痛々しいほどであったと。
その上で、しかし彼女は男を抱きしめた。
「そういう貴方だったら、私は信じられる。いいでしょう、なら一緒に完成させましょう!」
笑顔で頷き合う両者。と、そこでようやく男たちは、お互いの名前を聞いていないことを思い出した。
「私は、バンクラーだ。君は?」
「虎内……、おっとっと、エミリ・トゥ・ラナイよ。改めてよろしく!」
こうして、二人の鍛冶業は刀を完成させるまで続いていく。少なくとも、二人はずっとそう思っていた。
どこで、その時計の針が狂ったかは定かではない。二人が改めて意識を固めた後から、おおよそ二年が経ったろうか。少なくとも、前日までは普通だった。
否、そうでもなかった。その前日に――ついに、刀の雛形が完成したのだ。
金色の鍔、黒い鞘に、洗練された美しい銀色。
この世界で始めて産声を上げた、正真正銘の「日本刀」である。
「委員長、これ見たら驚くだろうなー。伊達にあっちも歴女じゃないし」
「いいん……?」
「そのうち紹介するわよ。貴方も含めて、色々驚くだろうなー。男嫌いだったし私」
「さっぱり理解できないのだが……」
「ふふ、じゃあこの子に、名前を決めてあげないとねー」
いつも通りの会話であったはずだ。
ちょっと高揚していたが、それでもまだいつも通りであった。
だがほんの数分後に、その全ては崩壊した。
突如来襲した強盗たちに、彼等は襲われたのだ。彼等だけではない。鍛冶師たちが多く居を構えるこの場所である、多くの家から武器や鎧などが、強奪されていた。
彼等の作り出した刀も、同様に奪われそうになる。鍛冶師たる彼は先に両足を斬られ、動けない状態。少女は野盗に、壁に立てかけられていた普段男の作っていた剣を手に、立ち向かった。だが残念かな、現実は非常である。訓練も経験もロクにない小娘一人では、とうていかなうわけもない。
少女の両手両足を押さえ、服に手をかける男達。想定される未来に、エルフの男は建てないまでも、特攻をかける。だが、額に鈍痛を感じ、気が付けばすべてが遅かった。
力なく横たわる少女。瞳からは絶望の色が見える。男は、少女を異性としてほとんど意識してはこなかった。だが、目の前の現実に、強大な怒りが滲んだ。
「どうして、ないてるの?」
そんな場に現れて少女を、何と形容しようか。この世のモノとは思えないほど、美しい、幼い少女だった。白いゴシックな服装に、疑問を抱いた無垢な表情。六歳くらいの彼女の登場と同時に、男バンクラーと、少女エミリ以外の時間が止まる。
目の前の現象など気にせず、倒れた少女を抱きよせ、その身体を力一杯抱きしめる男。力なく彼を抱きしめ返す少女に、男は涙を流す。
「……私が、もっと早く覚悟決めて、貴方と一緒になってたら違ったかな? 色々」
「……私には、分からない。だが私にとって貴女は太陽だ。例え何があっても」
過去に対する後悔と、それ以上への慈しみが、両者の言葉には滲んでいた。
白い少女は、彼等をしばらく見続けると、それぞれの頭にタッチした後に男達が拾い上げようとしていた刀へ向かい、ちょん、と触れた。一瞬水色の電流のようなものが迸ったが、誰もそれには気付かない。
少女がどこかへと姿を消すと、時は動き出す。少女を散々なぶった男達が、二人の頭に、彼等が鍛冶に使っていたそれで、二人の頭を潰した。
凄惨な光景が残る中、頭と思われる、唇が上に引き割かれた男が、にやにや笑いながら刀を抜いた。今日の収穫の中で、最も高価なものだと思われるそれだ。何せ唾が金色である。更に見たこともない形状であり、女が自分の身を賭してでも守ろうとしたそれだ。
さぞ価値あるものだろうと思い、男は少し、刀を引き抜いた。
次の瞬間、その場に居た野盗たちは、全員肉片となった。
誰も、何が起こったのかということは理解できなかった。
鞘から抜いた瞬間、水色の刀身がわずかばかり見えた瞬間に、彼等の意識は細切れにされたからである。
それは、刀から放たれた呪いのようなものであったことだろうか、はたまた大いなる神の気まぐれが齎した破滅的な混沌か。
後日、生きのびたヒトビトの治療に来た聖女教会の使徒たちが、その光景を見て絶句したという。あまりに鋭い切れ味で斬られた死体と、仲良く抱きしめあいながら殺されたと思われる、夫婦のような二人。
黒髪黒目、セミロングの修道女が、その二人の下へ駆け、大声で泣いたという。彼等に面白いものを見せてもらうと、約束をしていたらしい。
そして肝心の、彼等の作り出した刀。そこに秘められた魔術を見て、その修道女は、己が高位に登ろうが登るまいが、絶対に封印すべきものだと心に誓った。
その武器は、妖精剣の要件を満たしていた。
ヒトが打った剣が、妖精かそれに準じる種族の加護を得て、魔術を内包した時、その武器は妖精剣と呼ばれる。
だが、その修道女は言った。あまりに、あまりにむごたらしい物ではなかろうか。悲劇の上に出来たこの妖精剣は、あまりに悲しい魔術を内包していると。
ゆえに彼女はその剣を、作り手たる二人にちなんでこう名づけた。
魔剣、バンカ・ラナイと。
縁「かなしいことがあった」(´・ω・`)
宰「そうかい。どれ、ボクに何があったか話してみてごらん?」ニコニコ