間章4:何を言ったところで所詮は遊びでしかないのだろう
「それ」の知覚において、生まれ出でた時を除き「それ」に最初に話しかけた存在は、間違いなく彼女が最初であった。
「やあ。君が、ここの大陸の統治者の眷属の一つかい?」
己を封じていたくさびを破壊した相手は、ヒトの形をしていた。黒い髪に、花のあしらわれた模様の黒い服。手には銀色の筒のような、途中にレンズを組み入れたような道具を握っていた。
「ボクは、■λ■√L∀⊥■O■■■――、嗚呼、制限がかかっているね。なら今は、綯夜宰と名乗るべきかな? 『彼』にもそう名乗ったし」
ヒトの形をしているというのに、「それ」の認識で彼女は底が知れない。得体の知れない存在だった。ヒトならば常に放っているはずの魔力すら感じられず、呼吸に元素が含まれて居ない。ただそこにあるだけで異物。姿形が問題ではない。異形にして異常であり、「それ」は嫌悪感を露にした。
「ん、なかなか喧嘩っ早いね」
威圧し、魔力を放つ「それ」に向かって、相手は筒の持ち手の引き金を引く。途端、ヒトガタのケダモノが彼女の隣に出現。顔が黒く塗りつぶされた、ネメス頭巾をかぶった存在。両手は巨大な鎌のような爪の手甲で、獅子の尾と、蝙蝠の羽根を持つ異形。
ケダモノは、「それ」に刃を向ける。「それ」はあるがまま、思うがままに己を撃ちはなった。狙撃される「それ」の細かな分隊は、たちどころにヒトとケダモノを飲み込み取り込み、己の糧とするはずだった。だが、ケダモノは本来接触できないはずの「それ」の分隊に、一切の問題もなく攻撃を加えた。
「それ」にとって、理解不能な現象だった。生物に拡散することだけを念頭に設計された「それ」の分隊を、その対象たる生物が何ら過不足なく屠っているのだ。ふれるだけで絶命するはずの葦であるべき下等種が、しかしその爪をかすらせるだけで分隊を死滅させている。不条理と怒りに支配された「それ」は、再び絶叫を上げた。
「るはぁ……。この程度か。やれやれこの大陸の神の器が知れるねぇ」
再度引き金を引くヒト。ケダモノが消えて、背後に三つの目のような文様が浮かぶ。次の瞬間、「それ」の体内にあった元素が、無理やりに引きずり出された。魔力でなんとか己を繋ぎとめようとするが、最低限のそれを維持する以外、「それ」を上位種たらしめていた強大な力は、たちどころに雲散霧消していく。
「もろい、もろい、もろい! もちっと研鑽しよか。生まれ出でた使命に背いた反逆者たる君たちが、どれほどの力を得たか興味があったのだけどね。
これだけ『制限』つきで力比べしてるというのに、毛ほども歯が立って居ないじゃないか」
嗚呼、残念残念。ヒトは、深いため息と失望を滲ませる。「それ」にとって、これは初めて経験する、誰かに見下されるという感情だった。
「度し難い、嗚呼、まったく。君のような、自我の欠片も完成していない半端モノが誕生より数千年生き延びて居ると言う事実すら反吐がでるほどに度し難い。カスが。光と共に消え去るが――おや?」
特定の韻律を含む音色が、どこからか流れてくる。「それ」眼前のヒトは、胸元に手を入れ、四角く薄い何かを取り出してそれを見た。
「んふ、どうやら時間切れのようだね。嗚呼、つまらなかった。やっぱり、座禅なんかで『種族の概念消失』を行ってしまった彼みたいな滅茶苦茶、そうそうあったものじゃないか」
ヒトは足元に向けて引き金を引く。と、文様が消えその場から、巨大な舌のような、触手のようなものが出現する。それはヒトの全身をつつむと、闇につつまれその場から完全に姿を消した。
『……GRUA』
「それ」は、未だかつて味わった事のない屈辱に震える。そして気がついた時には――「それ」は、もはや以前の「それ」ではなくなっていた。
※
松林夫妻から手渡された、賢者トード・タオの上着。それを大事そうに抱きしめた後、彼女は夫妻に頭を下げた。
「ありがとうございました。その……」
「あー、いってことよ。俺等も、まあ、多少は思うところがあったし」
その一言が、司祭代理による太朗の扱いについてだけではない意味を含んでいる事を少女は知らない。だが、そんなこと関係なくアイハスは、二人に深々と頭を下げた。
「私達も、ほら、もみじとてる子、預かっていてもらったし、ねえ?」
「いえ、それでも――ありがとうございます」
彼女は、賢者さまが理不尽に殺されるのが、何としても我慢ならなかった。他の町民に押さえられたため、司祭代理に直談判することは難しい。現状、下手を打てば煽動されている町民に襲われるかもしれないと、正気の町民達に忠告されたからだ。
マキシーム司祭が帰ってくればまた違った展開もあるかもしれないが、それに至るまでにはまだしばし余裕がない。
その上で、最大限できることをした夫妻に、少女は頭が上がらなかった。
「もう、大事なヒトには死んでほしくないですから」
「……お嬢ちゃんは、あれのことが好きだったのかい?」
「……そゆわけじゃないと思いますけど、でもたぶん……、お兄ちゃんみたいなものだと思います」
「そうか。……アイツも、何か良いことがあるといいんだけどなぁ」
生まれてより記憶にある範囲で、教会で引き取られた子供に彼女より上はいなかった。マキシーム女司祭が最初に引き取ったのがアイハスであり、以降続々と子供が増えても、その最年長という立ち位置は変わらなかった。そんな彼女にとって、はじめて出来た頼りにできる大人の男性が彼である。実際頼った回数は四回ほど、例の病気の件を含めても実に六回ほどであった。しかし、トード・タオはいやな顔一つ見せず、彼女の勉学を助けてくれたり、あるいは教会の子供達の相手をしたりしていた。
そのことが、いつしか彼女の内で太朗に対する、ある種の好意に昇華されたのだろう。わずかに数日ばかりのことであったとしても、ヒトのことを「良いヒト」だと思うのに、さして時間は必要ないのだった。
夫妻と別れた後、どうしたって彼女は教会に帰らないといけないアイハス。思うところがあっても彼女の立場は聖女教の教徒であり、また生意気な小娘でしかない。ゆえに騎士たちが肩を怒らせて、竜の肉体の破片を持って凱旋するのに、違和感を覚えてならなかった。
「……」
だが、彼女は何も言わない。賢者トードが彼女に言ったのは「寒くなったら着ろ、元気でな」くらいの言葉と、この上着だけだったらしい。返却しようとして、逆に自分に手渡してくれたこの服を、彼女は大切にしようと思った。だからこそ、理解している。彼は名声や、己の立場などはあまり気にしていないようだ。そんな彼の考えに思うところはあったが、だが望んで居ないのなら、それはそれで仕方がないことなのかもしれない。
少なからず、ここで問題を起して自分が害されると言うのも、彼の言葉を違えると言う意味で嫌なアイハスであった。
「……あれ? 大丈夫ですか?」
と、移動中に彼女は、路上で転がっていた少年の姿を見る。妙にくすんだ赤黒い髪。まるで何か弱った結果そうなったような色合いの髪を持つ、アイハスと同じくらいの少年。白い服を持ち、長い髪を頭の後ろで束ねていた。
アイハスにゆすられ、少年は意識を取り戻す。
「大丈夫ですか? わかりますか? 指何本ですか?」
「……み、三つ」
「意識は大丈夫そうですね、よかった」
「……水とか、あと、何か食べるものを、ください」
「行き倒れですか? そうですね……。あまり蓄えは多くないですけど」
力のない少年を担ぎながら、少女は教会に運び込む。行き倒れを介抱したり、町で働けるように支援したりするのも教会の仕事である。太朗にはおどおどして、殺そうとまで考えていただろう司祭代理も、通常業務においては普通の修道士に他ならない。少年の身体をふき、ベッドに寝かせ、アイハスと共に料理の準備にとりかかった。
「……嗚呼、負けたなぁ」
少年は、つぶやく。天井に向けて右手を持ち上げ、握った。
「――るはは、完膚なきまでにやられたねぇヤスナトラ」
がたりと少年は飛び起き、声の方角、ベッドのすぐ近くを見た。その場には、黒い和装を着た美少女が一人。赤い目が怪しく光るそれは、少年の記憶にある「二十年前」の姿と相違ない。
「……綯夜宰か、貴様」
「おお、覚えていたとはねぇ。あの時は知性というか、自我に根付いた知恵というものがからっきしだったと思うけれど。くすくす、ボクとしては別にそこは、どうでも良いんだけどね。まぁ馴れ馴れしいことくらいは、それに免じて許してあげようか。
成長したというのは驚きだけど、主目的はそれじゃない。」
「何をしに来た。己を嘲笑いに来たか、以前のように」
「ん? ――ああ、どうやら君に自我が発生したのは、あの時完膚なきまでにけちょんけちょんにして弱らせたのが原因だったか。
いや、別に? その結果君があまりに弱って、微弱な病としてしか生命を吸収できず、復活しても町全体に対する吸収効率が悪すぎて、結局『彼』に勝てなかったことなんて、全然興味ないよ?」
「何故そんなに我のことを詳しく知って居る……」
「おまけに敗北の仕方からして、完全には死ねなかったようだけど、『管理代行』としては再起不能になったようじゃないか。精霊の種族値すら喪失して、もう二度と、以前のような生活はできまい。これからせいぜいヒトとして生きて行くんだね、愚かな反逆の徒が一人よ」
宰の言葉に、少年は渋面をつくる。と、そんな彼のひざもとに、小さな少女が走ってきた。白いゴシックロリータ姿の、銀髪を持つ幼女だ。無邪気な顔で少年を見上げ、彼のしばられた髪をひっつかみ、思いっきり引っ張った。
「痛い痛い痛いッ! や、止めさせろ綯夜宰!」
「んふ? なかなか芸人として美味しいところじゃないか。もっと良い声で啼きたまえ」
痛がって幼女を引っぺがそうとしている少年を、にまにま心底楽しそうという顔で見続ける宰は、相変わらずの性格の悪さだった。
ようやく剥がすことに成功したと思ったら、今度は両手の指を少年の鼻の穴につっこみだす。
「何だこの子供は、わけがわからん!」
「その仔は――安里縁。ボクの親戚で、すごくすーごく偉い上司の娘みたいなものかな? 世界をゼロサムで左右する、まさに運命の鍵で、切り札みたいなものかな。……嗚呼心配しなくても良いよ。関係あるのはこちらであって、君等の世界には欠片も影響は与えないし、情報すら残さないよ。ただ戯れに来てるだけだしね。
まぁその仔のお守しつつ、たまには遠出したいなーと思って遊びに来たけど、いやはや『彼』は、また面白い感じになってるようじゃないか。弱い部類とはいえ、君すら下すなんて、実に結構。興味深いところだねぇ」
「こら、鼻は止めろ鼻はッ! ……あの、白いヒトの子について何か知っているのか?」
「あれは、ボクのだよ?」
何と言うこともないように断言する綯夜宰。「将来的には間違いなくボクのものだ。既に半分ボクのもののようなものだし、ボクの眷属を二つ彼には遣わせているからね」
「貴様の眷属だと……?」
「うん。といってもあれらはボクと彼の――おっと、ここまでだ」
宰がそう言うと、器を盆にのせたアイハスがかけてくる。「あら、ツカサさん? 遊びに来ていたんですか?」
「やあ。久しぶり一月くらいかな。またお守任されてね。せっかくだから遊ばせてあげようかなぁと」
「みんなユカリちゃんのこと大好きですから、大丈夫だと思いますよ。ほら、どいてー?
えっと、御粥ですよ? 元気ないときには栄養あるし、食べてみてください」
安里縁をどかして少年の眼前にミルク粥を置きながら、少女は宰とにこやかに話し合う。その光景は少なからず、少年を驚嘆させるものであった。綯夜宰が見た目通りの少女でないことなど、彼には一目瞭然だ。だというのに、少女を前にしても宰はなんら態度をかえない。これでは、まるで只のヒトだ。己を襲ったあの不条理なそれと、同一であるがゆえに、彼女が人間を見下して居ないという現状が混乱に拍車をかけた。
――見下さないことだよ。君が思っているほど人間は、程度の低い生きものではない。何、案外と彼らは素晴らしいし、興味深い生きものだ。
少年の脳裏に宰の声が響く。目を見開いて彼女を見ると、ふっとウインクを飛ばしてきた。
「共に暮らせばわかることも多く、そして君はもうその中で暮らす他ない。死にたくなければ、死に物狂いで溶け込み、身に付けることだ。己が軽視し、エサとしてしか理解していなかたものの価値観をいうやつを」
「何の話しですか?」
「偉大なる混沌の写し身からの、這い寄るアドバイスだ。
いや、あるいは同情(笑)かな?」
「……? えっと、まず二人って知り合い?」
「顔を知ってる程度だよ。……とりあえず食べてあげたらどうかな、君。変なものは入ってないし、彼女の料理は上手だよ?」
その言葉に促されたわけではないが、少年は、生まれてはじめて己の舌と消化器官で、栄養を摂取することを試す。
「……美味だな」
彼の言葉に、アイハスは小さくガッツポーズを決めた。
邪竜、人間を教わる
宰と縁の正体に同時に気付いた方は2D10/2D100でSANチェックどうぞ