シアワセ
「私の夢はね、大嫌いな奴に殺されちゃうことなんだ」
少女は照れ臭そうに微笑みながら云った。
「その為、その瞬間の為だけに私は生きているの」
「……殺される為に生きているってこと?」
「そう」
「どうして」
「私は罪人だから」
彼女の言葉の意味がまるで理解できなかった。だって彼女はいつも友人達と楽しそうにお喋りしているのに、試験勉強に不満をこぼしているのに、将来について真剣に考えているというのに。
それらは全て惰性だった?
「やめてくれ。そんな嬉しそうな顔をして云うな」
「私の昔からの夢なんだもの」
「昔っていつ」
「私が罪人になったときから」
「お前はそんな奴じゃないだろ」
「君に私の何が分かるというの?」
冷たい突き放した言葉。けれども彼女の顔に浮かんでいるのは幸福で満ちた柔らかな微笑み。自分の知っていた彼女はどこへ行ってしまったんだろう。すぐ隣にいるはずなのに、一人ぼっちが二人いるような。世界にひびが入ってしまったような。
「君は私と何も関係がないじゃない。いちいち云われるのは煩わしいよ。今日だって早めに帰るはずだったのに、君が無理に呼び止めたせいで電車に乗り遅れたんだ。どういうつもりかな」
「怒ってるのか」
「別に。だって君のことなんかどうでもいいもの」
「俺はどうでもよくない」
嫌がられるのを承知で彼女の手を握った。冷房の効きすぎた放課後の空き教室。マネキンのように綺麗な形をしたその手は、ひんやりと心地よい冷たさを宿していた。
真っ直ぐに、彼女の顔を見つめる。
「好きだから」
「昨日も聞いた。一昨日も、その前も。何度も聞いたから聞き飽きた。そろそろ嫌ってよ」
「笑いながらそういう言葉を云うな。傷つけてまで俺を遠ざけたいのか?」
「煩わしいって云った」
「じゃあ、俺の手を振り払えよ。笑顔を消して、思いっきり睨みつけてみろよ」
「どうして君に命令されなくちゃいけないの」
「抵抗しないなら押し倒すぞ、このまま」
「ご勝手に。そのまま私を殺してくれる?」
「俺に殺されたいか」
「いいや。君なんてどうでもいいし。私は私を大嫌いな奴に殺されたい」
「誰なんだ、そいつは」
半ば本気で彼女と顔を接近させる。相手に逃げ場はない。彼女は一切の同様を見せず、むしろ悪戯をしかける子供のように唇の端を吊り上げた。
「内緒。教えないよ」
「この学校の奴か」
「さて、どうでしょう」
「俺の知ってる奴か?」
「秘密」
もし名前を教えてくれればソイツを先に殺してやろうと考えていた。もしかしたら、賢い彼女は俺の狂った考えに気づいたのかもしれない。
「……俺の欲しい言葉を云ってくれない口なんて塞いでやるぞ」
「お気に召すまま。それで君が幸せになれるなら」
俺は動きを止めた。互いの吐息が感じられるまでに接近した顔と顔。彼女の澄み切った黒の瞳に自分の顔が映っている。けれどもきっと、彼女は俺のことなんて少しも見えていないに違いない。
「幸せ?」
「そう。どうでもいいとは云ったけれどね、これでも私は博愛主義なんだ。皆が本当の幸いを手に入れられることを、自分の夢と同じくらいに強く願っているよ。……君の幸せは何だろう」
「お前に好きと思われること」
「叶わない幸せだね。早く諦めな。私は君だけじゃない、クラスメイトも身内も街の人々も皆、特別な感情を抱いたりしていないんだ」
「博愛主義じゃなくて冷たい平等主義か」
「言葉が過ぎるよ」
「お前が求めているのは、自分を殺してくれる殺人鬼だけってことか」
「そう。私の大嫌いな奴」
「お前が?」
透明な微笑みと共に彼女は頷く。
「私は奴が大嫌いで、奴も私が大嫌いなんだよ。歪みきった依存関係だ」
「ソイツに殺されることが、お前の幸せ……」
「唯一の願い」
「……どうして?」
彼女の手を離し、距離を取る。今にも泣き出しそうな情けない声だった。自分でも驚いたが、それ以上に彼女の方が驚いた様子だった。目を大きく見開いて俺を見つめてくる。そう、そうだ。俺を見てくれ。自分を好いてくれる者だけに目を向けてくれ。それなら俺じゃなくてもいい、だから、
……どこにも行かないでくれ。
「どうして殺されたいんだ……?」
「……私は」
ふっと視線を外される。襲い来る虚ろな喪失感。彼女はオレンジに染まった目下の街並みを窓越しに見つめながら、囁くような声で告げた。
「私は、罪人だから。……だから殺されて幸せになるんだよ。私の幸せは誰にも奪わせやしない。絶対にアイツに殺されるの」
幸せそうな笑顔で。
貴方の本当の幸いがみつかりますように。