異世界に行ってもみんなヤンでる アナザーŌ3
リリーの笑みは柔らかに、虫さえ殺せない程に穏やかに、常にユーリの笑顔を求め、躍起に恥じらいを捨てどんなに愚かな行為でも厭わずにしてみせる姿は無垢な純心を携えた少女の様で。
ふと見せる彼女の全てを包み込む慈愛に満ちた微笑の為に必死に花を摘み、蝶々を捕まえ、豊かな景色を見せ、わざと転んでみたり、へまをしてみたりとこうも率先して勤しむ彼女に誰もが驚愕と疑念を抱く。
あんなに力で以て語る事しか出来なかった単眼娘はいつの間にか恋する乙女の如くユーリにご執心で、殴っては喜び、蹴っては悦に入る姿は消え失せていた。
しかし、リリーがこうして人間的に成長した事に関しては皆が感嘆し、褒め、自然と周囲に人が集まりだしていたが彼女自身、ずっと昔に望んでいた事ですら今はどうでも良く、ただユーリの無表情の中にひっそりと咲く一輪の花を見たかった。それだけだった。
「ウ……ユ、ユ、ウリ。」
特に彼女が反応し、何時でも何度でもにこりと微笑んでくれる呪文。
それは名前。
ぎこちないながらにちゃんと発音すれば一瞬間、瞳に光が蘇り、人形めいた顔に生気は宿り、そうして何も言わないが笑ってくれる。
ほんの二、三秒の出来事ではあるがそれだけでリリーには満足で、心は安らぎ、生きている意義を痛感し、喜びが溢れ出そうな位、堪らなく愛を感じていた。
だが、ユーリの笑みは自身の過ちを深く戒め、夜になり彼女がショーへと赴くと突如として悔いが身体中を駆け巡り罪悪が胸を締め付け、息も絶え絶えに唾液は零れ、吐き出せぬストレスが暴力性を刺激し、破壊衝動が付きまとう。
力でしか感情を表現出来ない為に悩んでは壊し、悔やんでは壊し、あまつさえ壊した事にさえ壊して解決に至り、ようやく落ち着いた頃には自分を傷付け壊す事で心の問題を終結させた。
言葉が分からないなりに考え、答えが見付からなければ体に刻む。
刻んだ数だけ自分の愚かさを助長させ、低脳さを知らしめ、そして無力な自分を蔑んだ。それでもユーリは心配さえせずに空中を見つめ、彼女から与えられる刺激を元に口角を上げる。
ユーリにだけは心配などされたくない。
彼女はただその気持ちを安らかにしてくれるふわふわの笑みをし続けてほしい。リリーの事を思うなら笑顔を振り撒いてほしいと切なる願いは常にリリーと共に歩み抱くも反比例してユーリ以外には笑顔を見せなくなっていった。
それでも昔から刻み込まれた嗜虐嗜好は頭から離れず、寧ろ欲求は溜まり、鬱憤は膨らみ、彼女のショーを覗き込めば羨望は止まらない。が、ユーリはほぼ無反応に近かった。
人形を解体している様な錯覚さえ覚え、生身の反応が無くなった狂宴は公演数も売上も客足も右下がりに落ちぶれていた。慰みものとしても使い物にならずかといって何か芸が出来る訳でもない彼女の存在は日に日に疎ましく蔑まれていく。
団長は頭を悩ませ苛まれる中、無邪気に二人が遊ぶ姿を見る度に苛立ちや怒りが込み上げた。ユーリの唯一の使用方法はストレス発散の為に殴られる、これに尽きた。
意味もなく殴られ、惰性で犯され、しかし肉体は本能が種を求め蠢く。本来のユーリなら苦虫を噛み潰し苦痛を堪え、否応なしに訪れる快楽を噛み殺した何とも苦悶めいた表情をしていたのに、人形同然の彼女は時折微笑み、あまつさえ淫らに歯を見せる。
リリーは幾度も衝動を抑え我慢しているのに他人は関係なくユーリを玩具の様に無慈悲に遊び、徐々に壊していることさえ気付かずに労りも心配りもなく、ほんの小さな微笑が心を繋ぎ止める唯一の鎖だとしても彼らはそれさえ踏みにじるだろう。
でも自分だけは味方でいようと、ユーリの悲しみを知っているのだと心に刻み決して傷付ける事はなかった。
その日も女性の団員から果物を用いて動物を象る術を習い、早速ユーリに見せようと息巻いてた所、部屋はもぬけの殻となり、ただ微かに彼女の甘い香りが鼻孔を擽った。
リリーはユーリが居ない事への失望ではなく、喜んでもらおうと覚えたモノを披露できない辛さが胸を酷く苦しめる。
今のユーリは誰かの介護なしでは歩けない程に衰弱していること、仄かに漂う彼女の乳臭く甘い香り、それはまだユーリが遠くへは行ってないと容易に想像でき、また行き先も決まって団長の所だろうとリリーは果物を乱暴に捨て駆け出した。
果実の動物なぞまた作り直せばいい、寧ろ目の前でやって見せてもいい。熱気と速まる鼓動が汗を噴き出させ、口は乾き、何度も立ち止まりそうになる。
それでも会いたくて堪らない。
笑顔が見たくて止まらない。
酸欠で苦しくて、心臓が肉体から突き破ってくるのではと言う位に胸打ち、節々が軋み、足はどんどん重たくなっていくのに笑みは消えない。
こうして奔走している自分が好きだ。
自分にはユーリが必要だ。
こうして間違いを気付けたこと。間違いを正せたこと。どれを着目してもユーリだからこそなし得て、愛があったからこそ人生に華が、喜びが、そして焦燥が芽生えた。
でも、行き着く先に在るのは大量の札束と喜び狂う団長だけ。
「ウ、ユウリあ?」
的は外れ、あんな辛酸を嘗めた酷い表情をしていたのが嘘かの様に頬を緩ませ卑しく笑う団長の顔、側にはユーリのお金が詰まっていた宝箱、それに煙草臭さに混じるも確かに香る彼女の匂い、地面を一瞥すればまだ新しい轍の跡。
虫食いだらけのパズルは次第に埋め尽くされ、悪寒が背筋を走り、嫌な考えを払い除けても団長の一言がリリーの思いを無惨に抉り、汚す。
「嗚呼、ユーリならどこぞのお偉いさんに売っちまったよ。娘のプレゼントにとか言ってたな。お陰で食い物に困らなくなったよ。」
リリーには言葉の意味は解らない。でも、もうユーリが居ないのだと知らされた。
頭を抱え、悲鳴を押さえ付けた甲高い呻きが漏れ、悲壮が体を強張らせ、涙は、鼻水は、唾液が、溢れ、行き場のない感情が逃げ場を求め、記憶を思い巡らせる。
もう彼女は居ない。
何を恐れてる?
孤独?不安?怪訝?嫌悪?
彼女は居ない。
何を躊躇っている?
自分のすべき事は一つしかないだろ。
「あああああああああああ!!」
両手の力を強め、めり込む程に爪を立て、腹の底から唸り上げた叫びの最中、心からユーリを追い出した。
全ての後ろめたさを捨て、概念を消し去り、後に残るのは今まで慣れ親しんだモノ。
ユーリが居ないのならこんな場所はもう要らない。
瞳に宿るは冷酷且つ無慈悲に捨て去る勇気。
愛ゆえの暴力では無く、巣立ちを迎えた雛の如く試練に立ち向かう為の大いなる力。幾ら殴ろうが愛はもう感じない。ただ現実から遊離していくような感覚と共に徐々に団長の乞おうていた声は脆弱になり、動きも止まる。
鮮血に濡れた手が愛しかった筈なのにそれも心さえ汚されたようで吐き気さえ覚え、直ぐ様服で拭った。
ユーリが居ないのならもう喜ばせる術は要らない。
胸を踊らせるのは心の決断と実行する強い意志。一つずつ着実に肉体に蟠る煩わしい物を吐き捨てる感覚が何時しかユーリと自分が似通い、一つになるのではと不思議な希望が花を咲かせた。
団員を一人残らず嬉々として自分から切り捨て、追い出し、そうして彼女の体には自分自身、リリーが残った。
ユーリが居ないのなら何も見えない方が良い。
ユーリを思うが故にユーリを肉体から剥離しなければならない矛盾は何時しか盲目に自分こそが彼女を不幸に陥れたのだと信じ、戸惑いは無く、リリーの指が瞳を貫き、くり貫かれ、握り潰される。
想像だにしない痛み。しかし、ユーリはそれ以上の責め苦を味わったのだ。こんな所で断念してはならない。まだまだ償わなければならない。
ユーリが居ないのなら音など無くていい。
ユーリが居ないのなら言葉も要らない。
髪を撫でる手も。共に歩く為の足も。
ユーリを想うのなら決して命を捨ててはならない。
そうして、彼女が如何に苦しんでいたか、堪えてきたかを身を以て知るべきだ、体感すべきだとリリーは漆黒の世界で漸くユーリと心が繋がった気がした。
もう喋られない。
でも、最後に言葉として言いたかった。
「ダイスキ。」