異世界に行ってもみんなヤンでる アナザーŌ2
「天柱なる焔」
一本の木めがけ呪文を唱えるも空しく風の音だけが彼女とその木の間を横切り、諦めきれず再び意識を集中し、今度ははっきりと詠唱しても言葉だけが出るばかりで何も起こりはしない。躍起となり、あらゆる呪文を思い出したモノから周囲の被害、影響を気にせず口に出しても出るのは彼女の気合いと焦燥のみ、残酷な事実が顔色を曇らせ焦りが自信と唯一誇れるものが無くなり存在意義は皆無に、そうしてこの先の不安に苛まれユーリの目元には涙は溜まり、溢れ落ちてしまいそうで必死に取り繕おうとするのに頬を伝い、一滴の粒が地面へと落ちていく。
今まで何とか塞き止めていた感情の濁流は小さな落涙によって彼女の理性をぶち壊し声涙を荒げ、空虚となった女体を恨むも、この肉体が無ければこうして生きている事すらままならない現実が呪詛を吐き散らせずに清々しい青空に紅涙を放流した。
魔力の核と云われる心の一部分がユーリには存在しない。
それは男児であった状態で肉体が復元されていれば残っていたかもしれない、がスミンとリリーを元に新たな体を生み出し、更に恩恵が生への執着を優先した事により無駄な部分を、魔力や筋肉、才能、それらをかなぐり捨ててしまった。
容姿は確かに秀麗ではあるが魔力が無ければ、彼女たちの行き着く先は決まってしまっているようなもの。現実の過酷さ、望まない力、ユーリはあんなに泣き喚いていたのに気付けば呆然と立ち尽くし、空を見上げ何を考えるでもなくせせらぎが残涙を消し去っていく。
「……………。」
瞳から生気は薄れ、亡者に似た虚ろで、悲愴で、緑に恵まれた美しい景色にも感動を覚えず、ただの木の集まりの何処にでもある光景だと電気信号が頭を駆け巡る。
どうして此処にいるのだろう。
どうして僕は立っているのだろう。
緑に囲まれた土地でどうして佇んでいるのだろう。
分からない事だらけなのに疑問ばかりが浮かび、誰も解決せずに疑問が疑問を呼ぶも不安に陥るでもなく冷静に答えは探さず、どうしてと自問するだけして再び青空を仰ぎ見て、陽の光りを浴び、森林浴に耽る。
毎日続く再生と解体の繰り返しはユーリの心を摩耗させるだけでは物足りず記憶の消去まで始めていた。徒労かはたまた膨大な情報量か徐々に彼女の脳を簡潔に生存本能のみに纏まっていく。繰り返される耐え難い苦痛を和らげる為に自然とシナプスが働いているのかも知れない、辱しめを忘れる為にと頭は呼び掛けているのかも知れない。
何か必死に思い出そうとしても何かが分からず闇雲に記憶を辿り、辛くても悲しくても自分を形成する大切な部位が失われていく感覚がまるで他人事の様で現実味が無く、無抵抗に思い出を放棄し、気付いた頃には記憶の彼女たちの顔は朧気に名前はぼやけ、全てが曖昧になっていた。
現実は厳しく険しく残酷で。
ユーリは幾度も此処に訪れては出る筈もない魔法を唱え、悲しみに明け暮れ、呆然と生気の薄れた彼女をリリーが連れて帰る。夜になれば、解体ショーによる痛み、苦しみ、悶え、あらゆる衝撃が過去を蘇らせる為、少しはまともな状態に戻るも朝陽が昇れば、再び呆けてふらふらと何時もの場所へ赴いていく。
逃げなければと確固とした意志を持った所で日を跨いでしまえばキレイさっぱり忘れてしまい同じ一日を延々と繰り返し、次第に心は衰弱するのに肉体は健康なまま。何を話すでもないユーリの言語野も衰えを見せ、誰にでも笑みをして、そして愛想を振り撒き殆どお人形の様に誰かが居なければ無表情で一日が終わる。
「リリーは妹みたいだね。」
ショーが済めばユーリは饒舌に口元を綻ばせ、恍惚とリリーの髪を撫でふわふわと浮わつく気持ちの良い感覚に踊らされながら呟く。
「妹なんていないけど、何だかリリーは僕の妹って感じがするんだ。」
「リリーは可愛いね。」
「お人形さんみたい。」
でも、リリーが求めるユーリはこんな甘ったるく、何でも笑って許してしまう寛大な心を有したモノではなく、その後に訪れる錯乱したユーリが好きなのだ。
肉体が再生される副作用として放出されるあらゆる脳内麻薬の作用が消えかけた思い出を一気に露出させ、彼の表情を一変させ先ずは否定する。そして、記憶の整理を行う。憔悴し溢れる過去を拾いきれず錯乱をきたし、顔色を七色に染め変わる、リリーには苦悶や苦痛、狼狽、焦燥、代わる代わるユーリを困窮させる瞬間を待ち望んでいた。
疲労困憊しなんの反応もしない状態ではなく、ちゃんと拒否し懇願し、自分の愛を真っ向から受け止めてくれるユーリが大好きだ。
三つ編みに結った後ろ髪が殴打した方向へ舞い踊り、宝石の輝きを放つ瞳には絶大なる愛の矛先を捉え、薄い唇の端から唾液が漏れようが、付着した血液が柔肌に降りかかろうが、こうして愛を受け止め、自分の為に言葉を投げ掛けてくれる。証しを付けてくれる。
言葉に出来ないながらにユーリの名前を連呼する彼女の姿は愛に悶える乙女の様で不器用ながらに吐き出される愛情が彼女なりの告白で、それは言わば、本来のユーリを愛しているのだ。
皆がリリーを避けたがった。冷酷な境遇故の切ない愛情表現は皆をただ不愉快にし、外面は体よく仲間意識に接しても余暇に至っては誰一人リリーには近寄らない。
熱の籠る情を以て拳でしか語れない彼女に誰も真実を教える者はおらず、ずっと一人ぼっちだった。
団長は愛してはくれるけど二人きりになろうとはしない。
何時もリリーの心にはぽっかりと穴が開き、そして孤独だった。
でも、ユーリは違う。
彼は決して離れたりはしない。
確証のない自信ではあるが彼女はそれだけで心は満たされ、そうして傷を、愛していると体に刻みたいと感じ、不慣れな愛し方でユーリを包み込む。
それが彼女の日常となり、心の拠り所ともなると同時にその依存は加速度を増し、執念深く、狡猾に様々な愛をユーリの体に残したいと思うようになり、且つ彼が一体どんな反応をするのだろうか、そればかりが気掛かりでいて楽しみでもあった。
「ウーリ?……ウーリ!!」
しかし、満たされた日々は長くは続かない。
ユーリはとうとう人形の様に動かず、喋らず、無感情に、無反応に空を見つめ、一日をそこで佇んだまま、夜は訪れる。
リリーに揺さぶられ、名前を呼ばれた所で自分の名前すら忘れてしまっては意味を成さず、且つ目の前の単眼娘が誰かなのかさえ分からない。
ユーリの抑揚の無い表情に嫌気がさし、手当たり次第に痛みつけてもその反動で無抵抗に体を倒し、起き上がろうともせず、呻き声すら上げない。以前にも増し治癒力は高まり、赤みがかった頬は起き上がらせた時には既に青白い肌へと戻り、痛みに顔を歪めることすらなくなった。
細胞は進化し続ける。
痛みという刺激を取り除き、生きる事のみに制限された肉体は瑞々しく常に熟れて、常に青い。相反したモノ同士が混在出来るのもまた制約された反作用によるもので、感情の欠如、記憶の消去もまた弱味、欠点を握らせない為の極自然の成り行きでもある。動かないことで無駄な消費を無くし、喋らないことで思考による疲れを無くすも、それは外面を恩恵による支配がもたらすモノで彼女は何時だって考えていた。
自分は一体誰だったのか。
「ウーリ……。」
目の前の女の子は泣いていた。
何故、泣いているのかは分からない。
でも、悲しんでいるのは分かる。苦しんでいるのも分かる。
ただ何をすればいいのか分からない。
そもそもこの子は私とどう関係があるのだろうか。
何か言おうとしても口は開かない。
それでも、何かしなくては。
ユーリ自身、どうしてリリーの頭に手を乗せたかは分からない。奥底に眠る思い出が目覚めたのか、それとも丁度良い所に彼女の頭があったからか、ただ乗せるだけではあったが彼女は泣き止みユーリを見上げた。
微かに口元を吊り上げ彼女は静かに微笑んだ。
その微笑は見慣れた筈なのに、リリーの心を、信念を大きく揺さぶり再び泣き喚いた。先程よりも強く。強く。
どうしてこんな優しさに満ちた表情を嫌っていたのだろう。
どうして苦悶した顔つきを好んで力を行使していたのだろう。
殴れば誰だって痛い。蹴れば誰だって苦しむ。
誰もが持ってる感情を最愛だと信じて止まなかった自分が恥ずかしくて情けなくて、泣いて許してくれるなら泣き続けよう。涙が罪を流してくれるなら何時までも落涙しよう。
それでユーリが笑ってくれるなら、自分は愚か者になってもいい。
リリーの愛情表現は不器用で付け焼き刃の下手くそなモノで、更に力でしか語れない、交わせない。それでも、リリーには確かに苦悶した表情を見た時とはまた別の心の暖まりを感じた。ゾクゾクと背筋を走る快楽志向の感覚ではなく、ポカポカと気持ちが満たされ、爽快に晴れた空の様に清々しい感覚は後悔とそして新たな喜びの芽生えを呼び覚ます。
笑みはほんの一瞬で消え失せたのに今も残像がこの目に焼き付き、漸くリリーは至福を、愛を、人生を痛感した。ユーリの瞳は暗く淀み、沼の土臭ささえ醸し出そうな汚れた色をしているのに彼女にはそれが綺麗に見えた。
どういう理由かは理解出来ないのに彼女の全てが愛しく、美しく、光輝いて見えた。
未だ泣き止まないも、これまでの蛮行が馬鹿らしく笑いもまた止まらない。どうしてこんな簡単な事に気付かなかったのかと自分を蔑んで、嘲笑い、どうして言葉を習う気力を出さなかったのかと叱責したくても諌めたくても、言葉は出てこない。
分からないから、謝ることすら出来ない。
理解出来ないから、ユーリを知れない。
ただ、愛してるのだと言う証明が欲しくて外面だけを頼りに暴力に心血を注ぎ、愛してくれてると盲信していた自分にユーリは笑みをしてくれる。
何でもっと大事にしなかったのだろう。
何でこの笑顔を壊そうと考えていたのだろう。
何でこの愛情を知らずに育ってきたのだろうか。
自身の境遇を恨んだところで疑問を抱かず、それが全てだと思い込み執着していた自分を戒めたいと、呪いたいと願ったところで、じゃあ何が本当の愛なのだと聞く勇気も言葉も覚悟も無かった。愛されたい一心で、構ってもらいたい欲望で、嫌われたくない気持ちで、見捨てられたくない思いで、歪んでいても、壊れていても、異質で受け入れられなくても、言う通りにしていれば可愛がられた。褒められた。
だから皆にもそう接せれば愛してくれるのだと信じ、無惨に、残酷に、無慈悲に、振りかざす力が愛情の大きさだと、赤く腫れた後が愛の証だと独りよがりに横暴していた自分に腹が立つ。
もう一度あの笑みを見たい。
しかしながら、リリーには言葉も接し方も感情の表現すら糸口の見付からないまま当ても無く、金切り声で泣き叫び、目元を赤くし大粒の涙を溢し続けた。