異世界に行ってもみんなヤンでる アナザー2
それから月日が経つのは早かった。
二、三日の滞在のつもりが一週間、一ヶ月、六ヶ月とあっという間に季節を跨ぎ、辺りは緑に覆われ、晴々とした天気が続いた。雲一つない青空をこうして何にも囚われずにのんびり眺めるのは何時以来だろうか、太陽の光を浴びて木の香りが鼻を潤し、全身で生きてる実感を抱く。
冬場は一日を生き抜くので必死で、食料を探す為にそれこそ死に物狂いで動かなくてはならない。けど、そんな時に食べた料理はどれよりも美味しく、体に染み込んでいくのを感じ、満たされて楽しかった。
何者にも追われず、強要されず、ひもじくも充実した日々はユーリの心におおらかな気持ちを抱かせ暗く悲しそうな表情を次第に明るみに富んだ顔つきにさせていく。さながら、快活な少女を彷彿とさせる出で立ちで家事をこなし、また楽しそうに鼻唄までする始末にまで幸せで満ち足りていた。
スミンもまたユーリという守るべき存在が出来、且つ孤独から脱却し幾分、幸せ太りか肉付きは良くなったが月日が流れるにつれ一抹の不安が膨らみ始め、今ではユーリが側にいなければ情緒不安定に陥るほど焦燥感は募っていく。
それは何時ユーリが居なくなってしまうか。
それは純粋に彼の魅惑に囚われたのではなく、孤独に打ち勝つ自信が無く、今と昔の落差が怖かった。
友達は居るがユーリとは一線を画し、きっと元には戻らない位、心の空虚は大口を開けたまま何時も物足りなさに生活は荒んでいくのだろう。
彼女はそれを恐れ、ユーリを軟禁するようになった。
外出するときは必ず一緒に、決して離れず、依存は連鎖的にスミンをユーリに拘束させる。しかし、彼はそれを不思議や疑問には感じず寧ろ可愛いと勘違いする、ユーリは密かに彼女に恋心を抱き擬似的にもデートをしているようで彼自身もまた彼女が居なくなってしまわないか不安で多少の我が儘は受け入れ、それがまた彼女に尽くす彼氏のようで内心満悦として気持ちよかった。
でも。
「じゃあ、ユーリ。行ってくるね。」
彼女が月に一度は決まって奉仕に出向かう姿には堪えられず嫉妬しましまう。
今までユーリには到底無縁だった筈の独占欲にまみれた感情が彼の気持ちに揺らぎを与え、これまで自分を囲い、私利私欲に勤しむ彼女たちに言い得ぬ共感と罪悪感を抱いていた。
自然と彼女たちがああも異常な行動を起こしてしまう理由を氷解し、その度に自分は盲目に愛に溺れたりはしないと心に決め込むのにスミンのあの欲情心を煽る衣装を見るとどうにも嫌な気持ちしかしない。
胸が苦しい。
姉や妹の事を好きとはまた違う、心がキュウっと締め付けられるのに心地好くてスミンが必要不可欠であると実感を抱く。
「ここなら、幸せに暮らせるかも。」
そう呟いた事があった。
スミンはここが嫌いらしい。
ごみ捨て場と呼ばれるこの場所にはかなぐり捨てられた性の俗物しかない。皆が飢えて生身の肉体を求めて、瞳をぎらつかせ、獣臭いこの集落が嫌で堪らない。そうして、そこに自分が居ることにも腹立たしいのに生きていける場所は此処しかない。
「でも、ユーリが居るから少しはこの村が好きになったの。」
そう言う彼女の瞳は幾重にも光彩を輝かせ端整な顔立ちにより秀麗さを引き立たせ放つ、崩れ落ちそうな肉体からは生への執着が色濃く映えてそれでいて官能的で、ユーリは思わず生唾を飲み込んでしまう。
スミンを手放したくない。
そんな格好で誰かを誘惑して欲しくない。
ユーリの嫉妬心はこれまで培ってきた幾多の女性の心を根強く受け継ぎ、自身が彼女たちと同等となっている事にまだ気付いていない。
誰もがそうであるように自身では自分が異常をきたしているなどとは考えつかない、それどころか焦燥する思いは常に合理化され正常な思考だと誤るのだ。
「早く帰ってきてね。」
ユーリの本心は勿論、行って欲しくないのだが現実は何時だって厳しく冷たく惨たらしい。必要最低限の物を揃えようにもお金は付いて回り、ユーリはその体質や愛玩従属の溜まり場である状況下に於いて、働くことはおろか無下に出歩く事さえ難しい。
しかし、スミンは生まれもった人工物である上に彼女曰く『特別種』でもある為、こうして出稼ぎに行ってもそれなりに仕事があるらしい。
「何時もゴメンね、スミン。」
ユーリは彼女が扉から消える前に必ず謝る。
するとスミンは素敵に微笑みを首を横に振り、今度は元気に笑顔を作る。その変化にユーリの心は魅了され呆けたように見惚れて、耳まで赤く染めていく。
「ん〜ん。ユーリは心配しちゃダメ。ユーリは胸を張って私を待っていて欲しいの。だって、ユーリは私に希望をくれたんだもん。だから、自信満々にしていいんだよ。」
嗚呼、僕は何度スミンに助けられたんだろう。
スミンの言葉は何時も僕の胸中を見透かされたように的確に癒していく。
その度に涙は止まらない。
それでも僕が泣き笑いするとスミンは静かに笑い「変な顔」と滅多に見せない砕けた笑顔をしてくれる。
そうして、指で涙を拭い「ユーリは優しいんだね」と励ましてくれる。
癒してくれる。
決して癒える事の無い傷が彼女の何気ない接し方一つでみるみる消えていく。
「私は大丈夫だよ。ユーリが家に居るんだ。そう思えるだけで心がぽかぽかするの。何時もありがとうね、ユーリ。」
「ううん。僕の方こそありがとう、スミン。」
そうして行ってしまうスミンを見送り、幸せの余韻が訪れ、その場でへたれ込み、彼女の想いで胸焼けする程に心は詰め込まれ至福の静寂がユーリを包み込む。
すきま風が火照る体を心地好く冷まし、床の冷たさがユーリを寝転がせ眠気が徐々に彼の瞼を重くしていく。
眠ることがこんなに気持ち良いなんて知らなかった。
ずっと誰かに追われ続け眠れぬ日々が続き、癖となり浅い眠りはただ、生命を正常に保つだけの最低限の行為となっていく。
そして訪れる闇が怖かった。
瞼の内側、肉体と隣接する誰もが経験する生まれ持った暗闇が恐れて、憎くて、拒めず、何時しか睡眠は畏怖した存在へと成り上がり、小さな物音一つでさえその闇の中では命取りとなってしまう。
それが今ではどうだろうか。
寝具に包まれ、好きな人の隣で、有意義に眠れている。
多少なりとも癖は今も垣間見えるものの、その先、暗闇が晴れた後に待ち構える光景が陰鬱な気持ちを健やかに明るくさせてくれる。
人工的な顔つきに生は芽吹き、可愛らしく吐かれる寝息が気持ちを和やかにし、そして彼女が側に居てくれるだけで全てが光輝く。
「ねえ、ユーリ開けて?ユーリ?」
彼女の声に目が覚めるや月明かりもなく漆黒が窓を塗りたくり、少しばかり風が冷たく感じた。涎を手で拭い未だ微睡む意識の中で錠前を解こうとした時、ふとスミンの約束が頭を過る。
私が扉を開くまで、絶対に、部屋から出ちゃダメ。
客人をもてなしてもダメ。
居ることを知られちゃダメ。
ゆっくりと静かに扉から離れる。
額から冷や汗が滴り、顎へと伝わり床へと落ちる。
口内は熱く渇き、鼓動は強く気持ちを煽るように早く鼓動し、喋らぬよう右手で口を隠し、荒れた呼吸音さえ気付かれないかと心配で汗は止まらない。
意識は直ぐ様覚醒し、視線は扉を捉えたまま、その向こうに誰が要るのか、分からぬ恐怖がユーリをその場から動けなくさせる。
「ユーリ、お願い開けて?」
しかし、その声は確かにスミンの優しく柔和な声質で聞き間違う筈の無い、確信すら抱く程。
「スミン?」
「ユーリ!?お願い開けて?鍵を無くしちゃったの。」
スミンの悲哀めいた言葉にユーリの気持ちは恐怖よりも心配が勝り約束など無視して鍵を解いた。
少しでもスミンの役に立ちたい、好かれたいと下心と欲をかいたお陰でユーリの表情は一変する。頬は青ざめ、後悔と後先考えぬずぼらな思考が瞳から生気を奪っていく。
まるでこれから起こる狂宴に備え自己を守る準備を整えているかのようで体は強張り、萎縮させ、少しでも痛みを軽減させるべく筋肉が凝り固まる。
扉を閉めようとは考えなかった。
何故なら開けた瞬間からキャットは体を潜り込ませ塞いだからだ。
キャットの体からは蒸された雌の香りが立ち込め、その濃い体臭と乳臭さが甘くそれでいてユーリの雄としての本能をくすぐり、意志とは無関係に彼の体は行為へと移りやすく熱くなり始めた。
嗅いじゃいけないのに何故だか癖になり無意識に匂いを堪能し酩酊し、頭はまともに回らなくなる。それでも、反発せねばとユーリはキャットを睨み付けるも彼女はいやらしく口元を歪め鋭利な犬歯を見せ付けた。
見下しながらもゆっくりと近付き、体毛にくるまれた顔をユーリの首元へと寄せ確かめるように匂いを嗅ぐ。そうして確信めいた様に彼の下腹部に触れるや喜びにうちひしがれた、淫靡な笑みはユーリの心の余裕を削り取っていく。
味見するため、ざらつく長い舌で首元を這わせ、滲み出る体液を舐め取っていく。鼻をユーリの顔に擦りつけ、発情した肉体を携え、それでもまだ貪ろうとはしない。
二人を引き連れ優雅にユーリを横切るやベッドに腰掛け、これから行われるであろう悦楽に顔を歪ませ彼を再び眺めた。
震える体と恐怖の色を放つ瞳が幾度もの性体験を積み、それも強烈な経験なのだろうと動物の本能があの幼き体から見てとれる。ユーリをみれば見るほど嗜虐性が叫び上がり喉が鳴る、どんなに弱者であろうが支配するのは気分が良く、こんな人工的でありしかも人間以下である存在が人間を思いのままに出来るのだと考えただけでキャットの人間としての理性や呵責は打ち砕かれた。
しかし、とキャットは支配欲に足止めを試みる。それはただ面白味もなく早急に支配するのではなく僅かな希望を与える事で少なからずの抵抗を煽るのはどうだろうかと考えた。
ユーリを見る限り、明らかに直ぐ様降伏し性欲の捌け口となる事に違和感なく受け入れしまうだろう。恐らく今までもそうしてきたのかもしれない。
それでは退屈だ。
「ちょっとお話ししようか、ユーリ?」
疑心に駆られ近付けずにいては会話など出来る筈もなく玄関近くで立ち尽くし、キャットを睨むだけで何もしない。抗おうとも考えたがユーリはどう行動を起こせばいいか分からずに頑なに拒否を示す現れとして瞳に抵抗の色を携え見つめた。
しかし、キャットは物怖じもせずただ口元をやらしくつり上げ手招きをし、何度も彼を誘惑するも頭を横に振り淫らな香りと共に払い除けようとする。
「ユーリに拒否権はないよ。ユーリの大事な、だ〜いじなスミンを想うなら、オレの言うことを聞いた方が良いと思うけどなぁ?」
キャットはベッドの脇に置かれた小さなオルゴールを手に取り雑に弄び、ユーリを容易く憔悴させるも未だに近付けず、オロオロとしどろもどろに両手を空中にさ迷わせる。
それがスミンにとってどれほど大事な物かユーリは知っている。
最初で最後の贈り物。
初めて人として平等に扱われたその時は感情は突出して現れ無かった、が月日が経つほど如何に稀有であったか、嬉しいことだったかを痛感し、後悔した。
もっと素直に喜べば良かった。
きちんとお礼を言えば良かった。
親身に受け止めるべきだった。
例え愛玩従属であろうが自分を卑下せず誇りと意義を持つべきなのだと教えられた、このオルゴールを見る度、聞く度にスミンは人工物の人生は無駄ではないのだと安堵して、幸福を噛み締めた。
「お願い!それに触らないで!」
ユーリの切実な叫びにキャットはしたり顔をし、人指し指のみで手招きする。
既にユーリの心中はスミンへの謝罪や後悔と言った後ろめたさなぞではなく彼女の大切な思い出を守らねば、それだけに一貫し表情からも恐怖は消え去り勇ましく抗いの炎を燃やしていた。
スミンの思い出を守れるなら自分がどうなろうとも構わない、彼女への熱き想いだけが今のユーリを支えており、自身高揚していた。
恋人に尽くすみたいで心地よかった。
そうして踏み出す一歩一歩が確かに自身の破滅を導きながら、記憶が警告する中でユーリは微笑んだ。
やっとスミンへの想いを証明する事が出来るのだと。