異世界に行ってもみんなヤンでる アナザー
シャム猫様に感謝します。
「あ、目が覚めた?」
彼の視界に映り込んだのは病的な白さの肌に小麦色の髪、その中で至極目立つ熟れた林檎の様な深みのある小ぶりな唇と大きな瞳、それは一目見ただけで自然には存在し得ない均整の取れた顔立ちだった。
それだけで覚醒するのは容易いのだが彼女が四つん這いとなり覗き見る態勢のせいか、体のサイズと合わないゆるゆるの服装のせいか首もとから小さくも形の良い乳房や桃色の突起が垣間見え、思わず赤面し周囲を確認する体で目線を室内へと逸らす。
木造のこじんまりとした部屋は女性にしては予想外に汚く、塵は所々に山を作り、シーツも妙に湿っぽく、匂いも香水や腐敗臭、それに獣臭さもない交ぜとなりお世辞にも臭くないとは言えない。
ベッドとは反対側にある薪ストーブがかんかんと照らし室内を暖かくするせいで余計に匂いはきつくなるのに目の前の少女と言うには大人びて、女性と言うには幼い彼女は何も感じないのか瞳をくりんとさせて物珍しそうに彼を見詰める。
よく見ればベッドに伸びる手足は異様に細く、脂肪など無いに等しいのだろう骨の角ばった形が助長されて後味の悪い不気味さがあった。
それなのに彼女から漂う惹き付けるような独特の花の香りがその不気味さを得体の知れぬ色気へと姿を変える。
彼女が笑うと整い過ぎて白過ぎる歯が見えたに過ぎないのに、それだけで妖艶とした空気が彼を包み込む。無意識に生唾を飲み込み、不思議な魅力に囚われて目が離せずにいたがハッと今の自分の状況を思い出すや漸く彼女から開放された気がする。
ふと首元を触れば肌ではなく金属の冷えて滑らかな触り心地がして未だ首輪は外れてはおらず、毎日の様に繰り広げられた狂宴を思い出してはその現実を受け入れきれずシーツの上におびただしく吐瀉物を撒き散らした。
ここ何日か飲まず食わずでひたすら逃げ出したのに何処から運んできたのか白く柔らかい塊と胃液が飛び出し、気分は更に悪くなる。
疲労と過酷な現実は幼い彼には辛すぎるモノで彼処から逃げ出さず姉を、妹を受け入れていた方がまだましだったのではと思う始末。しかし、道徳心や倫理的精神がまだ働きその提案を拒み続けていた為、戻りたいとは思わなかった。
「ごめんなさい。」
彼は頻りに謝っていたが彼女は気にするでもなく両手で吐瀉物を掬い集積し屑箱へと捨てる。彼女は何食わぬ顔をして首を横に振り、汚れた両手をぶかぶかのシャツで拭いベッドに肘掛け、彼を注視した。
真っ直ぐな、目力のある、髪の色と同じ小麦色の光彩を放つ瞳に耐えられず俯くとシーツには幾つもの染みが出来、自然の斑を作り出していた。
「散らかっててごめんね。」
彼女の声はその貧相な体から出たとは思えない、輪郭のはっきりとした、よく通る、澄んだ声質を帯びて彼に謝るや身近にあるゴミの山を崩してはいたが山を平坦にするだけで更に散らかす結果となるも、それに気付くこともなく苦笑して「そう言えば」と話題を切り替えた。
「まだ名乗って無かったね。私はアゾリカム・ウィーク・ジャスミン2H。皆はスミンって呼ぶからスミンで良いよ。」
「あの……ユーリ…です。」
ユーリはスミンの名前の異変に気付くもそれがどういう訳なのかは皆目見当もつかず思い詰めた顔付きをしてスミンに正直に問うことにした。
「えっと、スミンさん。」
「さんは要らない。」
スミンは目を見据えて言った。
「でも…」
「いいから。」
彼女は譲らない。
「じゃ、じゃあスミン。」
そうしてユーリが質問をする前に彼女は掌を下に向けた状態で両手を差し出すとあるはずの爪はなく、指先まできちんと肌色に覆われている。
驚きの色を隠せず、余計に意味が分からなく言葉にもならず、次はユーリの手を握り腕を触らせれば体毛は無く生えた形跡もない。
「私はね、愛玩従属と呼ばれる人工物なの。」
愛玩従属。それは持て余した性欲を解消する為だけに造られた存在。
見た目はほぼ変わらず抗えなくするよう爪を無くし、抱き心地を良くする為に体毛を無くし、玉のような肌に改良された。物同然に扱われ、人形と同じように自分の好き勝手に出来る事からそう名付けられた彼女たちは毎年、毎月、毎日飽きもせず大衆向けに大量生産される事から『ポピュラー』と蔑まれ、見下され、人工物である故に人間としては見られず人権も存在しない。
「最近は動物化されたセクサドールが人気なの。動物特有の締まった筋肉に柔らかな毛並み、それに年中発情期だから多少の無理も効いちゃうんだって。」
ユーリは悪気もなく話すスミンを見て心を締め付けられる思いをした。そんな不遇の立場にあるのに不貞腐れもせず、かと言って怒りを露にする訳でもない。
それなのに自分はただ行き過ぎた愛情に畏れ、自分可愛さに逃れる事ばかり考えていた。
そこで終われば誰かが幸せになる運命をかなぐり捨ててまで誰もが幸せになると称した、結局は自分が幸せになりたい運命を求め逃避していた自分を諌める為の言葉に聞こえて、彼女が女神に見えて。
ユーリの瞳は意思とは無関係に涙が零れた。
「あれ?どうして……。」
ユーリはしどろもどろに涙の訳を探しだす。
答えなんてとうに導き出されているのにそれを理解できず、受け入れられず他の訳を見付けようとしては、今までの自分の行いと重なり更に涙は大粒となり溢れだし止まらない。
「悲しくない。」
彼女の声は天使だ。
「ユーリは悲しくないよ。」
頭を抱きその艶やかな髪をあやす様に何度も撫でて、胸からはっきりと彼女の鼓動がユーリの頬に伝わり、揺りかごに揺られた心地好い感覚が彼の悲哀を暖め、救われた気持ちが体を満たし、心は軽やかに宙を舞いそうで、スミンの体は人工物とは無関係に温かった。
「ユーリはちゃんと純血種の香りがするもの。其れだけで幸せな事よ?だからもっと自分に自信を持って。」
スミンの慰めは斜め上を行くモノなのにユーリにはそれさえも勇気を与え、自分勝手に生きていいのだと恩恵を受け、蟠る不快な思いをぶち破ってくれた。
堪らず彼はスミンの胸を借りて精一杯泣いた。
今までの苦悩を流しだす様に、体には出せる水分など無い筈なのに涙は溢れていく、その間も彼女は髪を撫で下ろし救いの言葉を投げかけて、聖母めいた慈しむ心が彼を優しく包み込む。
こんなに優しくされたのは何時だったろうか。
ユーリには犯された記憶しかなく、狭間にある大事だった思い出も朧気で不確かな記憶となり辛かった場面はいつの間にか美化され懐かしさすら覚える。
人ですら持ち合わせていないスミンの優しさは彼を純粋な頃に戻していくような錯覚をして心は段々に落ち着きを、平穏を取り戻していった。
「落ち着いた?」
柔和で朗らかな声がユーリの心を一層安らかにしてゆったりと頷いた。
ユーリは久し振りに笑ったなと感じ、ぎこちなく口角を上げていないか心配だったがスミンが微笑み返すのを見て一抹の不安は直ぐ様消え去っていく。
しかし、彼女の顔を見ただけで鼓動は速く、強く、脈をかき鳴らし心臓が飛び出しそうな、それ位体を叩いては胸に蔓延る気持ちの正体が分からぬ事に恥ずかしさが込み上げる。
が紛らわすようにお腹の虫は可愛くて空腹であることを告げた。
「あはは、それじゃあご飯にしよっか。」
そう言うや既に調理は済んでいたのかスミンはスープを運んできた。
味はあの頃に比べれば随分と劣り、具材も有り余りを詰め込んだ彼女の部屋のようにゴミゴミとしてスープにはそぐわない物も入っていた。獣や土、生臭さが残った片手間に作られたみたいにスープの味はしないのに体の芯から暖まり、飲まずにはいられない。
空腹のせいもあるがこうして何にも追われず、恐れずに食事をしたのはいつ以来だろうか、啜る度に彼女に対し感謝と何かしらの恩を返したい気持ちになるも一刻も早く此処から立ち去り誰にも見つからない僻地へと向かわねばと急ぎ気味にスープを平らげる。
「事情は分からないし聞く気も無いけど、少しここで休んで気を落ち着かせた方が良いよ?」
スミンは食さずベッドに肘掛け問い掛けた。
「でも……。」
ユーリは反論しようと試みるも行く当ても無く、無一文で衣服も季節に合わない薄着のモノで、押し黙り俯くことしか出来ず彼女の提案を享受する他ないと心の隅では感じていた。
「大丈夫。これでも自給自足で生活出来てるんだから一人増えた位どうってことないよ。」
スミンは顔の前で握り拳を作り勇み良く胸にぶつけ頼もしさを強調させる。しかし、その華奢な体格が儚さを離さずぶつかる音が彼女を脆く崩れさせるのではと不安に陥る。
でも、ユーリは嫌では無かった。
寧ろスミンと数日の間でも暮らせることに幸せを感じてさえいた。
「おーーい。スミン居るかぁ?」
しかし、外から聞こえるハスキーな声色が彼女に焦りの色を塗りたくり、慌てたように衣類の山を掻き分け何かを探しているようで「ユーリこれ着て」と矢継ぎ早に催促され、彼もまた剣幕さに当てられ急ぎ足で女物の袖に腕を通す。
「なんだ。居るなら返事しろよ。」
スミンの返事を聞かぬまま勝手知ったる体で愛玩従属は扉を開けた。
今流行りのアニマライズされ全体をムチムチと肉質的でベストから盛り上がる胸とホットパンツからはみ出る大腿部が何とも娼婦の様ないやらしさを醸してるのに、猫耳とつり目の大きな瞳が子供っぽく、しかし声質は華やかに欠け大人びている。
言葉の節に高圧的とも傲慢とも取れる性格を垣間見せるとスミンは萎縮し更に儚げにガラス細工のように脆く壊れそうだった。
「キャット。」
そう呼ばれる彼女がユーリを黙視するやスミンには目もくれず無粋に近付き彼の匂いを嗅ぐ。頻りに鼻を動かし値踏みし獣の威圧を帯びた瞳が彼を捉えて離さない。
キャットが扉を開ける直前にスミンはユーリに香水を浴びせたせいか訝しげに顔を歪め、更に少女の様な顔付きと体躯のお陰で「ようこそ、廃棄物処理場へ」と皮肉混じりに彼を歓迎した。
「ユーリはね、実在の人物をモデルにした愛玩従属なの。」
スミンは補足するように言い、彼が純血種では無いことをキャットの頭に刷り込ませる。彼女の言葉に反応するも瞳はユーリを見つめ続け怪しげに怯える彼を何処か納得しきれずにいた。
彼女の毛並みは艶やかにミンクの様に高級な肌触りがしそうでその合間合間からは欲望をくすぐる雌の匂いが放出されている。スミンの香水と退けを劣らぬ濃い匂いにユーリはくらくらと目眩を起こし、その場で弱々しく座り込んだ。
下から見上げるとキャットのその熟れた肉体はより強調されて艶かしくて自然と唾を飲み込む。
以前は淫靡な感情など抱く暇も無かったが、今はそんな感情を抱かずに済んで良かったと安堵する。見れば見る程、肉体の線が生々しく欲情を煽り、意識とは無関係に下腹部はたぎる。
無意味に瞳は潤み色っぽさを表すだけ表して、それなのに本人は憮然と出で立ち、それだけでも扇状感を溢れさせユーリは何か良くないモノを見ているような背徳感を覚え、自然と俯きひた向きなしおらしい態度で身を縮み込ませた。
後ろではスミンが不安げに彼と彼女とを行ったり来たりと視線を漂わせ薄弱さをより顕著に体現し何度も言いあぐね、遂には彼女が帰るまでとうとう何も言えず終いで立ち尽くしていた。
「あのね、此処で暮らす為にはユーリは女の子として暮らさないといけないの。」
スミンは勿体ぶって言った言葉は彼には大して驚く事では無く、寧ろ安心すら抱いていた。
たったそれだけの事で平和に暮らせるのだから今までの陰湿な経験からすればこれ程楽な事はなく、ユーリは快く笑みを作り承諾する、それを見たスミンは一瞬、驚くも直ぐに微笑を返し疑問を抱かぬ彼に少々不安を感じたがそれも結局、孤独だった彼女も淋しさが癒える方が強くかき消されてしまった。