7章
7
(本当は夜の方が雑音が少なくて感知はしやすいんだが――夜にチャトム連れて練り歩くって、あからさまに怪しいもんなぁ……先方さんに警戒されて作業急がれたりしたら目も当てられねぇ……)
ティレグはそんなことを考えながら魔力波動に精神を集中した。さすがに演習場近くだけあって色々な魔法の気配があるが、どれも比較的小さい。
(ライザート=ロウの魔術装置……未完成にしてもこんな規模じゃないはずだな)
演習場は結構広かった。しかも様々な環境が必要とかで、林がこさえてあったり広いグラウンドだったり池があったりと、ここが隠れた作業にいいのではといったチャトムの言葉も頷けると言うものだ。
そのチャトムは先ほどからカイに即席魔法講義を行っている。
「えーと、まず、魔法って、基本的に『世界律の交換』だってことはご存知ですよね?」
……本当に基本の基本からだ。
「うん、一応は。こことは違う世界から引っ張ってきた法則で、この世界では起きないような現象を起こす――んだよね」
「はい、そうです。こことは違う時空に、異なる世界法則を持った異世界がある、そこから魔法はスタートしています」
そこでチャトムは言葉を切って、少し考えた。
「……んーと、すごく乱暴に言っちゃうと、例えばここで火の玉を起こしたい、と思ったら、この世界より「ものが燃えやすい」世界から、その性質を引っ張ってくる――そうすると、普通火がつくはずのない所に、火がともります」
(確かに乱暴な表現だ――が、まあカイにはこの程度で十分だろうな)
とティレグは思う。
実際には「ものが燃えやすい」なんていうアバウトな世界律があるはずもなく、例えば物質の動きがより活発な世界の物理法則を空間の一部に表してやれば、そこで摩擦熱が起きて発火する、とか、物質の結びつきが強い世界律を導入して酸素と対象物の結合を盛んにする――とか、ものを燃やす、という魔法ひとつ取っても様々な方法があり、それには「ものが燃える」ということがどういう事なのかを熟知する必要がある。結構大変なのだ、魔法と言う学問は。
「それで、よその世界律を導入するために、まずその世界の特性を正確にイメージして、呪文の音律と精神の集中でその世界に干渉する。そしてこの世界に向こうの世界の世界律を導入して、ありえないような現象を起こす、これが魔法の基本的な動作ですね。
だからそもそも魔法って、長期的にずっと同じ効果を持続するのが難しいんです。瞬間的で小さな歪みしか起こせないから、持続的にするには魔法陣とか魔法装置が必要になります」
それにカイはふんふんと頷きながら、
「えっと、それで、そのよその世界を表すのに10コの要素があるんだよね?」
「はい、それが讃・解・集・積――といった界軸で、10の軸の座標でその世界の特性が分かります。讃軸の38、解軸の2…とか」
「数学っぽいよね」
「ええ、実際、平行移動や回転、投射、微分積分――なんて要素を用いた術もありますから、数学が出来ることも結構大切な資質ですよ」
「うわぁ……」天を仰ぐカイに、チャトムが笑った。
「で、今回の――問題の本は、その十軸全てが0を差す点、原点が重要で、その位置を正確に知る必要がある――って主張の本、らしいですよね。
多分それには、どれかひとつの軸の座標を徐々にずらして、0に近づける――そういう干渉実験を繰り返すんじゃないかと思うんですけど」
ティレグはかすかな振動で肯定を示した。何しろ近くに実技授業中の生徒がいたので。
「うん、あってるって言ってるみたいだ」
「やっぱり。だから安定的に軸移動が行える魔法陣が必要なんでしょうね。
でもそうすると間違って負軸に突っ込んじゃうことも充分考えられますから――それで危険なんだと思います。大体、軸要素が0の点でさえはっきりしたことは分かってませんから。
まして原点は学者の数だけ説がありますね。虚無の世界が広がっているとか、なにもない、点でさえない、とか、全てを飲み込む魔力場があるんだとか、逆に全てを産み出す世界の元が詰まってるんだとか――」
チャトムが指折り数える。
「……そりゃあたしだってそれを知ってみたいって…気持ちは分かる、けど……」
ふとチャトムがうつむく。
「でもやっぱりまだ『魔法』が触れちゃいけない範囲だって…気がします。
誰が犯人であれ……そうやって思いなおしてくれるといいんだけど――」
暗い表情。
(やっぱりさっきの友達のことが気になるのかな……)
と、カイはさっき見た2人連れを思い出した。
チャトムには悪いが……多分総長の中ではあの2人は犯人候補に乗っているだろう。
それは優秀だと言うナーリェに、もう一人は魔法に長けるエルフ種族なのだから。
「カイさん、あたし――気付いちゃった。総長、あれでもまだ控えめに言ってたんだって。
歪率粉ってかなりの量が誰にも気付かれずになくなってたんですよね」
「……うん、そう言っておられたね」
「直径20メートルの魔方陣――それを書けるくらいの歪率粉。
何度かに分けたとしても相当かさばりますよね」
「――そうだね」
「……だから――能力の問題なんですね。――転移魔法の、それも応用ができないと盗むの難しいから」
「………」
「転移魔法、難しいんですよ。とっても。基礎過程の最後の白金のクラスのクリア課題なの。つまりこれができれば卒業なんです。
それも既存の魔方陣を利用できればよくて、それで一人前の魔法士になれます。
でもこっそりものを運び出すなら、オリジナルに魔方陣を書いて、意図した場所から場所への転移をしないといけないですよね。それを行える人は教官や研究生でも多くはありません――生徒に至っては……あたしが知る限り、4人だけ」
カイもティレグも沈黙を守って聞いている。
「そのうちの2人を、さっき紹介したの。ナーリェとフェリーナ。
――昨日までは3人、だったのに。よりによってナーリェったら、今朝あたしの目の前で、あたし達の家からの転移をやってのけたんですよ――タイミング悪すぎですよ」
「チャトム」
呼ぶ声に地面から視線を上げると、カイが手を差し伸べてきた。
「行こう。今度は裏手のほうにまわらなきゃ」
笑顔。
大きな手だ。指が長くて骨ばっていて――おとこの人なんだよね、などと改めて思う。
「あのね、チャトム。もう一度確認するよ?
総長が犯人探し。
ティレグがが魔法装置の探査。
で、君は?」
チャトムはカイの手を取った。
「……案内役、です!」
「はい、よくできました。
……まあ、ついでに僕はティレグの足、らしいけどね」
その日、午後遅くまで行った調査は、しかしなんら成果を上げなかった。
夕刻というには少々早い、という頃。ティレグの提案で早めに引上げることになった。
(考えてみたら当然よね)とチャトムは思う。(行き倒れてるトコ拾ったの、今朝なんだもの)
「じゃあ南門から行きましょう。その近くに良い宿知ってるんです」
安くて清潔で料理が美味しいの、と嬉しそうに言われては否やはない。
南門は、さすがに正門だけあって立派なものだった。敷地を囲む囲壁から続く大きな門。が、その下は淵が半円にえぐられたようになっていて、柵が設けられている。その周辺の魔方陣、魔器術具の類。
ちょっと不思議な光景だ。
「この下が広場になっていて、そこに下りられるようになってるんです」
と半円の淵を指す。下は……遠くてよく分からないが確かにそのようだ。
「この、柵の前に立って」
チャトムの指示通りにするカイ。
「ここに書いてあるキーワードを唱えるんです」柵にとりつけられたプレートには確かになにか書いてある。
「古代魔術語ですから意味は分からないと思いますけど、発音するだけで大丈夫ですから」
「うん、分かった」カイはひとつ深呼吸して、その文字を読み上げた。
「えーと……『レアール=ドゥ=ソフィール=アガスタン=ティル=マニ=アグ』」
瞬間、何か――風のようなものが足元からわきおこって、身を包むのが分かった。
そしてふわり、と平衡感覚が喪失する感じ――宙に浮いているのだ。
軽く柵を乗り越えて――その後は急降下、だった。
「あ、割に平気そうですね」
一呼吸遅れて降り立ったチャトムが、飛行の余韻に浸るカイに言った。
地上では確かに円形の広場のようなところに降りた。広く整備された石の床。ここも魔方陣が描かれている。
カイは遥か上空の学院を一瞥すると、片耳を押さえながら苦笑して答えた。
「うーん、そうでもないよ。どっちが上で下か一瞬分からなくなって、三半規管がちょっとぐらっときたかな」
「降りる時の方が打ち上げより怖いって言いますからね」
話しながら順路に従って通りの方に向かう。間違っても降りてくる者と衝突したりしないように、降りられる場所と上がれる場所、歩く通路は分けてあるようだ。
「でも思ったほどスピード感はなかったね。降りるまでの時間からしてかなりの速度だと思うんだけど」
「ええ、結界が張ってあるせいで風が感じられないからだと思います。地面に近づくほど遅くなるように設計されてるし、立ったままの姿勢で降りますしね……やっぱり使用に際してめちゃくちゃ怖いんじゃ困るじゃないですか」
チャトムが笑いながら広場を囲む壁の中の扉を押し開くと、外は賑やかな大通りだった。おそらくこれが街の入り口から通じる中央路なのだろう。少し先から道の両脇に屋台がびっしりと軒を連ねている。
カイが昨日通った入り口付近とは比較にならない賑わいだ。静かな学院を1歩出るとそこは観光地なのだからおかしなものだ――そんな事を考えながら会話を続ける。
「なるほど、そう言う所も配慮してあるんだ――さすがに魔術だね」
「そうですね、このレベルに『魔法』が追いつくのは随分先の事でしょうね――」
そこで先行していたチャトムは歩みを止めてくるりと振りかえった。
「でもね、この『魔術』を蘇らせるのに尽力した人達でさえ、やっぱり『魔法』を旨としていたに違いないんですよ。さっきのキーワードでそれが分かるの」
そして少し眩しそうに学院を見上げる。下からでは素っ気無い土塊にしか見えないが。
「だからあたし、ここの南門、なんだか好きなんです。カイさんも今朝言ってたでしょう?
学ぶ意欲が大事、って。その、学院の……理念、かな。それをね、思い出せる感じがするの」
賑やかで楽しいのもあるけど、といいながら、その賑やかな屋台群に向かって歩き出す。
その軽やかな歩みを見ていると、カイまでどことなく嬉しくなった。
「そっか。で、さっきのキーワードってどう言う意味なの?」
「ああ、それは――」
しかしその先は聞き損ねた。
「チャトムじゃないか!」
横手からチャトムを呼ぶ声がしたからである。
見れば屋台のひとつから声がかかっていた。おそらく観光客相手にだろう、飲み物を売っている女性だ。
「あ、おばちゃん」
チャトムが手を振って応える。相手の、かなり恰幅の良い女性はにやりと笑って、
「なんだ、久しぶりに見たと思ったらオトコ連れかい?
いつもナーリェと一緒で色気がないと思ってたけど、あんたも年頃だもんねぇ?」
あからさまに冷やかしだった。しかしチャトムは顔を真っ赤にしてわたわたと手を振る。
「え、ええええ!?ち、ちがうよ、カイさんは、そんなんじゃないよ!」
「うーん、そこまで必死に否定されると、僕としてはさすがにちょっと哀しいなぁ……」
笑いながら言うカイにも思いきり焦ったようだ。
「や、違うんですってば!そんな…だってだって……」
両脇の2人を交互に見ながら必死で言葉を捜している。困惑したようにふるふる震える耳が愛らしい。
おばちゃんとカイは声をそろえて笑った。
ここでも総長が言ったことは正しかったようだ。街でも好かれて顔が広い、と。
結局おばちゃんはカイが気に入って飲み物を2人分振舞ってくれた。
その後も歩いているだけで何かと声がかかる。
アクセサリーを売る青年、記念品を並べる老人、果物売りの若い女性や串焼き屋台の親父さんなどなど。
好意的な笑顔と友好的なからかいの言葉に、チャトムは照れたり慌てたり笑顔を送ったりと楽しげに対応している。
「人気者だね」と感心するカイに、チャトムは赤くなりながら
「そんなんじゃないです。ここって学院を中心に栄えてる街だから、皆さん基本的に学院生徒には親切で。バイト紹介してくれたりとか」
と答えた。それでも個人的に好かれていないと、こうはいかないと思うのだが――まあその謙虚な所も好かれる理由のひとつなのだろう。
そして歩くこと十分あまり。大通りから少し外れた所に建っているこじんまりとした宿を示すと
「実はね、ここなんですけど……あたしが時々バイトしてる宿なんです。試験明けの観光シーズンなんか、生活費の足しにって。
身びいきかもしれないけど、良い雰囲気のところですよ」
そう言いながら扉を開けた。
「親父さーん!ご無沙汰でーす」
扉を入った1階は、こうした宿の例にもれず食堂兼酒場になっているようだ。2階に部屋があるのだろう。
店内はそろそろ人が集まり始める雰囲気で、テーブルがまばらに埋まりかけている。
そしてカウンターの奥に、どっしりした体型の親父さんが立っていた。ヒゲに覆われた顔はいかにもいかついが、全体の印象は意外に穏やかだ。
チャトムの挨拶に彼は黙然と頷いただけだった。しかし
「きゃー、チャトムじゃなーい!」
直後に起こった黄色い声に歓迎を受ける。奥の厨房から出てきた娘が盆を片手に慌しく近寄ってくるところだった。
「リーン、久しぶり」
チャトムの言葉に、その娘は後ろでくくった髪を揺らしながら腰に手を当てる。
「ホントよー。バイト頼んでない時は滅多に来ないんだから。薄情者!
安くするから食事にくらい来てっていっつも言ってるのに!」
「いやー…だって悪いもの。代わりに今日はお客さんを連れてきたから許して、ね?」
そう言ってカイを振りかえる。それでやっとリーンはチャトムの後ろのカイに気付いたようだった。
「あら、あらあらあら」
節でも付けるようにそう言って、リーンは先から大通りでよく向けられたのと同じ種の笑顔を浮かべた。にんまりと。
「ヤダ、チャトムったら。いつの間にウチにイイ人連れてくるようになったのよ」
「ち、違うよ、そんなんじゃなくてね……!」
しかしリーンはチャトムの弁明も聞かずにカウンターを振りかえった。
「ちょっとお父さん!チャトムったら男連れなのよー」
「わーわーわー!」
そのやり取りに周囲から笑いが起こる。店の片隅の一団からは軽妙な口笛が聞こえた。おそらく常連でチャトムのことも見知っているのだろう。
なるほど、確かにアットホームで雰囲気のよい宿だ。
カイは店内の人々と一緒に笑いながら、ティルバイ滞在中はここに寝泊りする事に決めた。




