6章
6
「えっと、ティレグの話だと、直径10メートル級か、下手すると20メートル以上の大きい魔方陣が必要だってことなので……」
考え考え横を歩いているのは、今日知り合ったばかりのチャムチャム族の小娘だ。
ティレグはここ2年定位置となっている相方の横で
(……しかしなんだってカイはカイ「さん」なのにオレのことは呼び捨てなんだ?)
などと考えた。
――あまり愉快な答えは出て来そうにないので深く考えるのは止めておこう。
「歪曲粉を使っても多分学院の敷地内だと思います。
それで考えると、校舎ではちょっと無理だと思うんです。
大教室とかもあるけど、そんな所でやったら目立って仕方ないし。
床下とか屋根裏とかもあるかもしれないけど、そんな所で作業するのは時間がかかりますよね」
聞きながらティレグは安心する。ぼけっとして見えるが、それなりの健全な判断力のある少女だ。総長の太鼓判もあながち贔屓目でもなかったらしい。
「歪率粉が紛失してまだ数日…とすると、少なくとも犯人がすぐに作業に移れるような場所を優先した方がいいと思うんです。時間かかるような所ならまだ作業をはじめたばかりでしょ?でもすぐ作業できる開けた場所で、明日にでも完成しちゃったら大事だもの。
だから広くて人目につきにくい……演習場の裏手とかをまず見て回るのはどうですか?」
うん、まあ妥当だ、とティレグは思う。声には出せないが。
何しろ遅めの昼食をとりにカフェテラスへ向かう途中なのだ。昼休みの終わりかけたこの時刻、周囲には多くの学生が行き交っている。
――チャトムに向けられる悪意の視線は相変わらずで、ティレグにはそれが不快で仕方ないが。
おかげで先ほどから、周囲にそれらしい魔法装置の波動がないか気を配っているのに、感情の波長に邪魔されていまいち集中出来ない。
(もっとも、カイが本調子じゃないからってのもあるんだけどな)
ティレグは個でも自律的に存在できるが、それでも能力の大半は主からエネルギー補給しないと使えない。
それは体力や精神波といった分かりやすい形ではないので、ティレグにも原因がこれとは断言できないのだが、やはりカイのバイオリズムが低下していると自分も少し弱るような感じがする。
(まったく健康だけが取り柄みてーなヤツなのに……まあ仕方ないか。今朝方まで行き倒れてたんだもんな)
昨日は寝てないし。
その前は歩きづめ。
加えて食事は……。
(……前言撤回。やっぱこれで平気で動いてるコイツは亀よか鈍いわ……)
今日は早めに切り上げて宿を取って休むよう提案しよう。
そのカイは、自分の愛剣の思考にも、自分の疲労にも気付いた様子もなく、
「んーと、学院の外じゃダメなの?そんな大きいものなら街の…どこかの地下室とか、郊外とかに準備した方が良さそうな気がするけど」とチャトムに聞いている。
(あー、そっか、こいつにゃその当然の道理がわかってなかったっけな)とティレグは頭を抱えたくなった――剣だから無理だが。
「あ、そっか」チャトムはぽむ、と両手を打ち合わせた。「説明してませんでしたね、ティルバイは、魔法的にちょっと特殊な立地条件にあるんです――ここの浮遊魔術のせいで、魔力場と斥歪場が――」
「?」
「ええと、つまり――」
説明しようとしたチャトムの動きが止まる。その視線の向かう先は――前方から歩いてくる二人組。
なかなか印象的な、麗しい女性の二人連れだった。
一人は、長い耳と言い淡い色の金髪と言い、絵に描いたような――正統的なエルフは確かに絵の中の住人のような幻想的な雰囲気がある――エルフだ。
横にいるのはどうも人間のようだが、エルフに並ぶすらりとした優美な肢体の麗人だった。が、受ける印象は異なる。
癖のない黒髪、知的で鋭い黒い瞳。繊細で線の細いエルフに対して、どこか直線的で鋭角的な、硬質の美貌の持ち主だ。
「ナーリェ、フェリーナ!」
そのチャトムの声に(なるほどこれが)とティレグは思う。
ナーリェは人間ということだったので、黒髪の娘がそうなのだろう。とするとエルフはフェリーナというのか。
(美人で優秀でキクルー博士型のクールな外見――ね。確かに聞いたとおりだな)
向こうもチャトムに気付いて近づいてくる。
「チャトム、もう総長のご用はすんだの?――あら、そちらは?」
外見に見合った、穏やかに澄んだ声でエルフが聞いてくる。
ナーリェの方はいぶかしげな視線をチャトムに並ぶカイに注いでいる。
「あ、う、うん、この人はね――」
対応するチャトムはしどろもどろ。明らかに動揺している。
(こらこらこらー!それじゃ隠し事してますって大声で叫んでるようなもんだろがー!!)
ティレグは内心大いに焦った――がカイが平然とフォローをいれる。
「はじめまして、カイナック=ラキソルと言います」
にっこり笑って完璧に礼儀に適ったお辞儀をひとつ。
「今日からこの『学院』の視察に参りまして、チャトムさんには案内をお願いしてるんです」
「まぁ、視察ですか?」
「ええ。帝都近くのハーシスの街で学問所建設の予定があるんですよ。その参考にしようということで、ここの視察に私が雇われたんです」
にこにこにこ。欠片の不自然さもない笑顔のまま、すらすらと嘘八百並べ立てる。
ティレグは少しの動揺も見られない相方の安定した感情波に、それはそれでため息をつきたくなった。
(……こいつって……もう結構な付き合いになるけど時々分からねー。
ボケでおばかなお人好しのクセに、こーゆうとこでタヌキなんだからなぁ……どういう精神構造してやがるんだ?)
りつ然とするティレグを他所に、カイはエルフと談笑している。
「それは遠い所をようこそ。道中大変でしたでしょう?」
「いえ、とんでもない。こちらこそしばらく失礼します。きっと目障りにうろうろして皆さんの勉学の邪魔になることでしょうが――出来るだけ控えるようにしますのでご容赦願います」
「いえそんな。もし当学院で得る所があったら嬉しいですわ。
――そう、総長の呼び出しはこれだったのね、チャトム?」
二人の様子を呆気にとられて見ていたチャトムは、話題を振られて驚いたようだ。
「あ、うん、そおなの!カイさんの滞在中ティルバイとか案内してあげてくださいって――。
やだ、紹介が遅れちゃいましたね。
カイさん、こちらフェリーナです。……あたしの先輩で」
チャトムが予想通りエルフの女性を示しつつ言う。フェリーナはよろしく、と頭を下げた。
「で、こっちがナーリェ。あたしの同居人です」
先ほどから無言だった彼女は、そのまま会釈する。
「そーゆう訳だから、ナーリェ、これからしばらく帰りが遅くなったりするかもしれないんだけど――」
チャトムが振った話題にナーリェはやっと口を開いた。これまた予想通りというか、少し低めの、響きは美しいが色に欠ける声音だ。
「ああ、分かった。私も最近遅いから気にするな――チャトム、昼食はまだか?」
「え?うん。これからだよ」
チャトムが頷くとナーリェが脇に抱えていた包みを差し出した。
「一応取っておいたんだが……余計だったか?」
そっけない口調だったが、チャトムは顔を輝かせた。
「ううん!まさか。いつもありがとう!!」嬉しそうに受け取る。
その様子にナーリェは微かに口の端を上げた。そしてカイに向き直ると
「頼りない案内役ですがごゆっくりして行って下さい。――それでは私は授業がありますのでこれで」
一礼して颯爽と立ち去る。歩く姿まで直線的で潔い感じだ。
そしてフェリーナも「では私も失礼します」と言って、微笑を残して去っていった。
残される二人。
チャトムはごそごそと包みを開いた。
「あ、これサンドイッチだ。……もう一人分買って、外でお昼にしましょうか?」
結局中央広場のベンチに腰を落ちつけた。既に授業中でもあるので人影もまばらだ。小声ならティレグも話しても聞きとがめられないだろう。
かなり広い学院の敷地は、大まかに言うと、東と北に校舎、中央は広場や中庭、南東に図書館や講堂など、西に演習場、南西は研究所や実験施設――といった配置で埋められている。もっとも敷地全体が円形なので、北校舎の裏手などにもかなりのスペースがある。
「大体半日で大まかになら練り歩けますね」とチャトム。細かく見て回るにしても3、4日あれば十分だろうか。
「ええとそれで……なんで学院内をあたるか、の説明でしたよね」
サンドイッチをほお張りながらチャトムが言う。
「うん、そうそう」
青い晴天の下、仲良く昼食をつつきながら語らう二人の姿は、傍から見たらそれはのどかな光景だっただろう。
チャトムは少し考えて、素人にも分かりやすい表現を探しているようだった。
「学院って、浮いてるでしょう?これだけの大規模な、しかも持続的な魔術になると、どうしても世界律の歪む危険性があるんです。元々はこの世ならざる現象を無理に起こしてるわけですから」
「う――うん」頼りなげに頷くカイに、ティレグは
「世界律うんぬんがあやふやなら、後でオレが探し物してる間にでも歩きながらチャトムに聞け――いいだろ、チャトム、素人に説明するってのは、存外いい勉強になるもんだぜ。――なんせ授業を放って付き合わせてるんだからな、そんくらいさせてやるよ」
「うん、いいよ、あたしでよかったら――」
だから何でオレにはタメ口なんだ――とティレグは問いただしたかったが控えた。チャトムが説明の続きを始めたからだ。
「とにかく魔術がもれだす、ってイメージでいいと思います。学院の外の、そのへんの民家まで浮き始めちゃったら大変でしょう?だから、街をカバーするくらいの範囲の、歪みを正す魔術も、ここを浮かせる浮遊魔術には含まれているの」
「うーん、凄いんだ……」今更ながら感嘆するカイ。
「ふふ、それはそうですよ。だって『魔術』なんだもの」
その言葉に思い当たる。そう言えばさっきもチャトムは「浮遊魔術」と言った。「浮遊魔法」ではなく。
「え、じゃあ……?」
「はい。現存するたった3冊の魔術書。そのうちのひとつを解読して実践されたのがここ――ティルバイなんです」
唖然とするカイに、ティレグが呆れたような声をあげた。
「お前そんなことも知らなかったのか?
復興期に見つかった魔術書『中空制操典』に書かれた空中庭園の製造法に倣って、学院は作られたんだぞ。まあ復興期の熱狂の最中だからこそ許された無謀なまでの企みだったけどな――それでも完成までは50年近くかかった」
「うわぁ、50年?」
「ええ。中心的に計画を進めたのが当時の宮廷魔法士だったそうなんですが、結局完成は見届けられなかったそうですから――気の毒な話ですよね」
「なんだか凄いものの上に立ってたんだね……何気なく」
「まったく。お前みたいなボケばっかりだと、その宮廷魔法士も浮かばれねぇな」
毒づくティレグにチャトムは少し笑った。
「ふふ、でも実際あたし達生徒は、ここに毎日通いながら、今踏みしめてる場所を作った先人の困難と偉大さを思って学業に励んでるんですよ――っと、いけない、話が脱線しちゃいましたね」
チャトムはちょっと考え込んでもとの話を思い出そうとする風だった。
「それで、ティルバイ内では元々大きな魔法はできないんです。それを安定させる力が働くから。
でも魔法陣って歪みを大きくしたり持続的にするための補助装置だから――それも相当大きくて歪率粉まで沢山使うような魔法陣なら、その魔法が大きな歪みを生むって、予想つきますよね」
「ああ、じゃあそれで、そんな規模の魔法なら、街中では使えない、と」
「そういうことです。でも学院内は当の浮遊魔術の対象内ですから、そういう大魔法を打ち消す力は働いていません。……もしそうなら魔法実験とか全然できなくって困っちゃいますしね」
「確かに。それで学院内、か……でももし街の外でやってたら?東の山の中とか……」
「そんときゃアウトだな」あっさりティレグは言い放つ。「んな広範囲調べられねぇし。けど、そもそもそん時は被害が小さいだろ。街の中心で負軸干渉されるよりは」
その言葉にチャトムが不安な顔をして、
「ねぇティレグ、あたしは負軸干渉の事例って、ひとつしか知らないんだけど――ティレグははっきり分かってるの?どういうことが起きるか、って」
「ふん――オレだって知ってるのはひとつだけだ。んなバカなことする奴は滅多にいないのさ――」
ティレグの声を聞きながら、チャトムは総長の言葉を考えていた。
――下手をするとティルバイがごそっとなくなるかもしれない――
実際に負軸に干渉するとどうなるか――その記録はない。
正と負の要素が対消滅して『無』を生むとか、干渉勾配が激しくなりすぎて世界律の混濁が止まらなくなるとか言われてるが、確認などできるわけがない。
それでも、かつてライザート=ロウの研究所があった山が一夜にして盆地になった記録がある。もちろん彼は以来消息不明で、故に『ゼロの書』が彼の遺著になった――その一事で充分だろう。
「でも、多分街の外では難しいと思いますね」
ゴミを片付けながらチャトムが言う。ナーリェの渡してくれた包み紙を丸める時、ふと嬉しそうな微笑が口の端に浮かんだのにカイは気がついた。
「時間的に苦しいです。
総長はまだ犯人は分からないって言ってました。ってことは、突然登校してこなくなったりしたわけじゃない。普通に学院内で不審でない生活をちゃんと送ってるんだと思うんですよ」
「うん、そうだね。協力者が外部にいて、その人が作業を進めてる可能性もあるけど――」
ティレグが続ける。
「それくらいならわざわざ学院内で歪率粉を盗んだりしないだろ。もっと安全な調達方法を考えるさ。離れた街で買うとかな。
つまり、犯行は単独か、少数で行われた。それも多分全員内部関係者……ってトコだな」
その言葉にチャトムは少し暗い顔をしたが、気を取り直したように
「とすると、学院の外で準備をする場合、昼の学院生活が終わってからの、夜の作業ですよね。それって既にかなり時間が限られてるじゃないですか。それがあまり学院から遠い――町外れとかだと往復だけで大変だと思うんですよね」
「そうか……」カイは一度頷いたが、ふと考え込んだ。「あれ、でも転移の魔法っていうのがあるんだよね?」
「いえ、転移魔法は技術的に高度な上に、結構制約が厳しいんですよ」
「へえ、そうなんだ?」相槌を打つカイに、ティレグがツッコミを入れた。
「そりゃそうだろ、んなどこにでもぽんぽんいける便利なシロモノなら、とっくに、もっと広く交通手段に利用されてるぜ」
もっともである。
「距離とか方向とかにも約束事がありますし。前もって魔法陣が必要だし。
とりあえず第一条件として学院から外に飛ぶのはできません」
「んーと、さっきの、安定させる力が働くから?」
「いえ。転移魔法は細かい制御が必要ですが、一瞬の魔法ですから、例えば街中から学院に飛んでくることはできます。魔法陣は必要ですけど、学院にはちゃんと到着点も用意してあるし。今朝も――」そこでチャトムは一瞬躊躇った。
「――ナーリェがやりました」
しかしすぐ暗い表情を打ち捨てて
「でも、学院内からあたしのアパートに飛ぶのは無理です。これも学院の立地条件、ってことになりますけど、この浮遊魔術にはとても大きい魔力場があって――えーと、簡単に言うと、学院に向かって引っ張られる力が働くんです」
「引っ張られる」
カイは頭の中でなんとなくゴムに括り付けられた人形を想像した。
「はい。だから外から学院に向かって転移するのは簡単なんですが、学院から遠ざかる方向への転移は難しいんです。軽いものならともかく、人間が転移するとなるとまず無理ですね」
だから郵便程度にしか使われないのさ、転移魔法は、とティレグが言った。
「と言うわけで、カイにも分かるようにまとめてやると、例え転移魔法が使えるヤツでも、例えば郊外に作業場を作ってしまうと、そこまでは歩く、しかないわけだ。帰りは転移できるにしてもな」
「街はかなり大きいから――確かに毎日学院に通いながらそれはツライだろうね」
「はい、だからとりあえず学院内、今日は西側に行きましょう」
チャトムが立ちあがる。
「あたし達は練り歩くだけでいいんだよね?ティレグ」
「まぁな。でもあんまのへーと歩くなよ?オレが仕事してんのにお前らが遊んでるのはムカツクからな」
ティレグの言いぐさにカイは笑った。
「平気だよ。チャトムが僕に魔法講義してくれるんだから。そうしたら視察っぽく見えて怪しまれないし、ね?」
「はい」チャトムは頷く。そして二人は連れ立って西に向かった。




