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5章

  5


「道案内、ですか」

 チャトムは自分のことが階下で話題に上っているとも知らず、緊張の面持ちで総長から呼び出しの説明を受けている。心配していたようなお叱りはなく、かえって丁寧な依頼をされてしまった。

「ええ……こちらのカイナックさんからあなたの名前が出ましてね、私としてもチャトムなら適任だと思って、お願いしたいと。

 詳しい事は了解を貰えるまで話せませんが、学院にとってもとても大事な用件なんですよ。急がなければなりませんし。ですから授業に出られないフォローはしますし、今抱えている課題の提出も待ってもらえるように話を通しましょう」

「……はあ」

 総長という地位にも関わらず、一介の学生にも「お願い」するところがサジェイルらしい。

 しかし、どうも随分な厚遇だ。向かいに座って微笑するカイのナビゲータになることがそんなに重要で一刻を争う用件なのだろうか。

「それに、関わっている物品の数々からして、ある意味勉強になる可能性は大ですね。……もっとも、それに伴う危険も覚悟してもらわなければなりませんが」

「………危険なんですか?」

「はい。これは正直に言わないと申し訳ないですからね。下手をするとティルバイがごそっとなくなるかもしれないような危険性ですよ」

 いやちょっと、まってください総長。そんなことを明日は雨かもしれないっていうような口調で、あっさり穏やかに言われても。

「で、でも――だから急ぐし、重用だっていうことですよね?」

 たじろぎながらもそう聞いてみる。

「その通り。察しが良いのもこの仕事を任せる上で大事なことですよ」

 その、大事を自分に任せようと言ってくれる――この敬愛する総長が。期待してくれている。

 それは、かなり、とても、嬉しい。

 とは言っても……正直身の竦む思いだ。

(――どう、しよう……)

 迷いながらふとカイに目を移す。

 彼はチャトムの視線に気付いてちょっと頷くように微笑した。

 自分でも何故か分からないのだが。

 いったいどうしてか。

 その目を見た瞬間。

(やってみようかな)

 と思った。

(詳細はともあれ多分この人と一緒な訳だし)

 その一事だけで妙に安心する――変な話だ。

 ……というか。

(縁が出来るのがなんとなく嬉しいんだな、結局)

 動機が不純な気がして自分でも呆れてしまう。

「ああ、そうそう、言い忘れました。一応アルバイトの扱いで、些少ですがあなたにもお給金を払いますよ」

 総長の一言がトドメだった。



 そして結局「詳しい事」を聞くことになったチャトム。

『ゼロの書』の名を聞いて青くなった。

 負軸干渉のくだりでイヤな汗が吹き出た。

 歪率粉に及んで目眩がした。

(………あたし……とんでもないこと引きうけちゃったかも……)

 正直怖い。不安だ。恐ろしい。

 というのに……どこか高揚する自分もいて。

(ヤダ、あたし見てみたい知りたいって、思ってるのかな。こんなに怖いのに)

 しかしやらなければならないことだ。

 これを聞いてヤバイから逃げようとは到底思えないのだから。

 自分はこの場所が好きだ。学院も街も、それから人も。

 どのみち誰かがやらなければならないのなら……。

(ん?誰か?)

「……あの、すみません」

 思わずいつものクセで、質問、と片手を上げてしまう。

「なんですか、チャトム?」

 しかし応じる総長の態度も堂に入ったものだ。

「事件の重要性は分かりましたけど、それを…失礼だったらごめんなさい。冒険者で難事に慣れてるとはいえ剣士のカイさんがなさるんですか?」

 そう、なぜその「誰か」が彼なのだ?

「あたしじゃ感知の魔法もろくに出来ないから助けにもならないし……」

 いっそナーリェにでも頼んだ方が、と続けようとするチャトムを、カイが手を打つ音が遮った。

「ああそうか、まだ紹介してなかったね」

 続く声は――今まで聞いた事のない、当然カイのものとも総長のものとも違う、低い男性のものだった。

「そうだぜ、まったくオメーは段取りが悪ぃったらねぇ」

(そらみみ?)耳をぴくぴく動かすチャトムに構わず、カイはごめんごめんと謝りながら腰の剣をチャトムの前に捧げ持った。

「改めて。僕の相方のティレグだよ。今朝もちょっと言ったけど、彼がその方面には詳しいから、お任せすることになる――僕はオマケかな」

 そして疑いようもない声が。再びした。

「おう、今更だけど一応名乗っておこう、ティラザーグだ。……まあティレグでいい。滅多に名乗りなんぞ上げないが、今回の仕事の関係上、お前さんは知ってた方が良さそうだからな。

 ま、よろしくな、チャトム」

「……チャトム?」

 カイが顔を覗き込むと、チャトムは目を点にして固まっている。

 しばらくの沈黙。

 掲げられた剣。

 どこからともなく聞こえる男性の声。

 ………もしかしてこれは。

「驚くのも無理はないけど……」

 説明しようとするカイに向かって、ぎこちなく口を開いた。

「………………腹話術、ですか?」


 ティレグには大受けだった。



「いやいいよ、良い反応だ」笑い転げるティレグ。

「なるほど、普通そう思うよね」妙に感心するカイ。

「しかし極めて妥当で合理的な解釈ですよ」なぜか誉めるサジェイル。

 どの反応にもチャトムは顔を赤くして縮こまるしかなかった。


「ごめんなさいごめんなさい。だってまさかこんな……」

「謝る必要はありませんよ。突然こんなに稀少な古魔器を目にできるなんて普通思いません」

 総長が穏やかにとりなしてくれる。

「何しろあの魔剣ティラザーグですからね」

「ハイ……これがあの。魔術史学の時に、ちょこっと習った事あります。

 ……ちょ、ちょっとだけ触ってもいいですか?」

 おずおず聞くチャトムに笑顔で諒承するカイはともかく、ティレグの方は「あの」という表現を聞きとがめたようだった。

「おいこらちょっと待て。「あの」ってなんだ?」

「え?だから暗黒時代に数多の魔術狩りの血をすすった、あの……」

 怖々とティレグの鞘の部分を撫でながらチャトムが言う。

「マーリの反乱では500からの人間を肉片に変えて『無星赤月』の忌み名をささやかれたと言う、あの、ですよね」

 サジェイルも微笑みながら言う。

「なんだそらぁ!まるでオレが血に飢えた呪いの剣みてぇじゃねーか!?」

 ティレグがわめく。

 しかし彼らの理不尽な誤解を解くべき彼の所有主は

「だってねぇ、仕方ないよティレグ。君が、多くの所有者さえ狂乱に追い込んだ、魔術時代末期の作としか思えない不安定な魔具だってことは動かしようのない事実なんだから」

 とのんびりのたまった。

 その台詞にチャトムが怯えて手を引っ込める。

「オメェには相方を庇おうって善意さえないのか……?」

 ティレグがうんざりと息を吐いた。


「でも、凄いです」

 チャトムの感嘆の視線はティレグよりもむしろ所有者のカイに向けられたようだ。

「カイさんってば凄い剣士だったんですね……!」

 それに対してカイは照れ笑いでもするしかない。

「とんでもない。凄いのは剣であって僕じゃないよ。

 ……でも、これで分かったよね?ティレグが感知の魔法――まあ君らがするのとは少し手続きは違うけど彼も使えるんだ――を使う。君はそれらしい所に彼を案内する」

「んでカイの野郎はオレの足、って訳だ。一人だと道に迷うだけってんじゃ、ただの荷役以下だな」

「……君には相方を不当に貶めようっていう悪意があるみたいだね」

「はっは、まさか!兄弟とも慕う相棒を、このオレが?そんなまさか」

 そのやり取りにチャトムが思わず声を立てて笑う。

 総長はそれを穏やかに見やりながら手を組んだ。

「――そしてその間私が犯人探しを続ける、というわけです。

 役割分担がハッキリした所で――チャトム」

「はい」

 サジェイルに呼ばれて少女は居住まいを正した。

「ひとつ、お約束です」

「……はい」

 怪訝な顔をするチャトムに、総長はよどみなく言い放った。

「当然、この事は他言無用に願います。

 あなたとカイナックさんがここを歩き回る事に付いては、ある学問施設の視察に雇われたカイナックさんを、あなたが案内している、ということで皆には話を通しておきますから。

 校内外を問わず他人にはそう説明して下さい――どんな友人に対しても」

 その含みに気付かぬはずがない。

「…まさか、総長、ナーリェも、ですか?」

「――チャトム」

「ナーリェも、お疑いなんですか!?」

 思わず声を荒げる――しかしチャトムはそんなことにも気が回らない様子だった。

「まさか彼女がそんなことをするはずが――」

「チャトム」

 総長の声は穏やかだが重みがあった。

「それを言うなら、私は総長として、この学院内の誰もがそんなことをするはずがない、と思っています、正直ね。……ですが実際内部の者の可能性が非常に高い。

 そして歪率粉の紛失の仕方から言って、転移魔法の使い手であることもほぼ確実でしょうね」

「転移、魔法――」

 チャトムの頭を今朝見た紫色の魔方陣がよぎる。

「ならば白金の過程以上の者――もちろん同一犯なら、の話ですよ。この2件が何の関係もなくて実際には差し迫った危険などない、という可能性だって充分ある。ですが私達は最悪の事態を想定して動かなければなりません」

「……はい」

 そのことは充分分かるつもりだ。『ゼロの書』の危険性は。

 チャトムとて4年無為に過ごした訳ではない。

「いいですね?今問題なのは可能性であり、それはつまり能力なのです。能力あるもの、あるいはある者とつながりのある者、それが誰であれ、この件を明かすわけにはいきません。あなたまでが、ぎりぎりの線です」

「――分かり、ました」

 チャトムの声は少しかすれていた。



 総長室を丁寧に辞去する.

 扉の前でチャトムは目に見えて沈んでいた。

――問題なのは可能性であり、それはつまり能力なのです――

 総長の言葉が耳から離れない。ナーリェにその能力があるか、と問われれば、チャトムは確信を持って頷くしかない。確かに、ナーリェなら「できる」。――でも……。

 俯いたチャトムの横で声が上がった。カイだ。

「チャトム、悪いけど、ナーリェっていうのは……?」

 きっとずっと気になっていたのだろう。

 チャトムは幼馴染の凛とした麗貌を思い描いた。

「あたしの、同居人です。出身が同じ幼馴染で――4年前、一緒にティルバイに出てきたの。

 凄いんですよ、人間だけどエルフ顔負けの進級スピードで、どんな気むずかし屋の教官でも、ナーリェの優秀さだけは認めます。

 将来学院を代表する知性になることはもう確実ですね。でもそれに安住せずいつも上を求めてる。

 美人で賢くて才能があって――自慢の、友達なんです……!」」

 すがるような視線を向けてくる。

「いつも一緒だったもの、あたし知ってます。ナーリェがそんなこと……」

「……そう…」

 よほど大切な友人なんだなと納得するカイに対し、

「そりゃあどうかな」

 冷然と言い放ったのはティレグだった。

「ティレグ!?」

「のほほんとしたお前等には分からないかもしれないけどな、そういうどこか特化したヤツってのは、何かしらその心に尖った偏執的な熱情を秘めてるもんなんだ。あるいはそう言う部分がないとそこまでになれないのかもしれないな」

 チャトムは愕然と黒剣を見下ろした。

「お前そいつの事よく知ってるんだろう?だったら思い当たらないか?

 そいつは本当に、これっぽちも魔が差さないような熱意の薄いヤツなのか?

 新しい知識の世界が目の前にちらついていて、それを無視できるようなやつなのか?

 例え偶然にせよかの天才の記した魔術書が実存したとしたら、何がなんでも見たい知りたい読みたいと、そう思いはしないのか?」


 チャトムは答えられなかった。否定したくてもできない。

 ナーリェは学院で「キクルー博士型」と言われていた。

 ひとえに優秀といってもそこは様々のタイプがある。出世の為に努力する者、理想に身を捧げるもの、穏やかな博識さを旨とする者、一瞬の閃きに人生を賭けている者――そうした生徒達を、過去の偉大な学徒に例えて称するのは特に上のクラスで伝統となっている。

 そしてナーリェに冠されたのが「キクルー博士」だ……よりによって。

 それは淡々と素っ気無いくせに、実はクールな外見の内に熱烈な学究心を秘めていたという有名な数学博士兼魔法学者で、学院設立期に多大な貢献を成した人物の名だ。

 その態度は確かにナーリェにぴったりだと思う。

 だが、彼は同時に熱烈なライザード=ロウの信奉者としても有名で、今際の言葉が「『滄軸元異説』を一目見たかった……」だったという逸話まで残っている人物だ。……よりによって。

 例えどんな経緯であれ、ナーリェの前に『滄軸元異説』があったとしたら――。

 まず見たがるだろう。

 表紙を開いてみずにはいられない。

 絶対だ。

 その時の目の輝きまでチャトムにはリアルに想像できる。

 そう、泣きたいくらいティレグの言う事は的確なのだった。

「ふん、図星みた――」

 ぺしん。

 気の抜けた音でティレグの言葉は遮られた。

 カイがたしなめるようにティレグの柄の当りをはたいたのだ。

「カイ、何しやがる」

「ダメだよ、ティレグ。チャトムをいじめちゃ」

「いじめって……お前なぁ……」

 呆れるティレグを放って、カイはチャトムに向き合った。

「チャトム。そんな泣きそうな顔しないで」

「……カイさん……」

「僕はね、個人的には信じたいな。君がそれだけ思う人のことだもの。

 ……でも、これはお仕事。前金も貰っちゃったしね。

 だから僕も明確な根拠なしに、特定の誰かを、容疑の圏内から外したりはしない」

「……はい」

 チャトムがしゅぅん、と頷く。白い耳がそっと伏せられた。

「でも同じように不当に誰かを疑うつもりもない……それは僕の仕事じゃないからね」

「え?」

 チャトムは顔を上げた。ぱちぱち、と瞬く。

 カイは言葉を続ける。

「だから、君の友人だから、という理由でその子を信じることはしないけど――同じように、その能力故に、彼女を積極的に疑う事もしない」

 何故だろうか。

 今朝会ったばかりのばかりの人なのに……。

「約束、するよ」

――そう言って笑う、その目を見るだけで。

 こんなに心が落ち着く。

 そうだ、可能性は可能性でしかない。

 ナーリェは「できる」。でも「やった」わけじゃない。

 そして自分は、思うのだ。彼女は「やらない」と。

 チャトムは笑んで、大きく頷いた。

「はい……!でも、あたしは信じてますから。だから、頑張ってお手伝いします。

 全部終わったらナーリェへの疑いなんて、さっぱり消えてるに違いないんだもの」

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