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番外短編3「暁色の空に」

 死にかけるのは、2度目だった。



 日が、落ちた。

 夜だ。

 そう自らに言い聞かせたものの、めまいと頭痛で体が動きそうになかった。

 今動かなくてどうするんだ。

 日がまた昇れば、あの容赦のない熱気が復活する。

 うずくまっていたって状況は悪化するのみだ。

 のどや体の痛みは明らかに脱水症状の兆候を示していたが、夜になれば少しは体が冷えて……動けるように、なる、はず――だろ。

 そこまでぐらぐら揺れる脳に叩き込んで、無理やり体を叱咤したところで――視界が回った。

 ずざ、という砂のなる音。

 目をこじ開けると、くすんだ視界にめいいっぱいの、星、星、星――。

 ああ、空に落ちている。

 と――一瞬ばかなことを思った自分を笑った。

 ……むせた。

「げほっ…ぐ、……はー…はー……」

 座っていたのが仰向けに倒れたらしい。

 幸いというべきだろう。砂がすでに冷えていたことも、支えにしていた岩に頭を打たなかったことも、うつぶせになって窒息しなかったことも。

 ………いっそ、そうでない方が楽にはなれたかもしれないが。

 渡された水は1日分、集落までは5日、それが何を意味するかくらい、砂漠の民ならば瞭然だった。

 いや――分かって、いたのだ。

 この行商についていけと言われた時から。

 大人の男ばかりの中に紛れ込んで、どうなるかくらい。

 ……旅程について行けなくなったものには、1日分の水を与えて取り残すのが、厳しい気候の中に暮らす集落の決まりだ。

 だから。

 死ねと……言われていることくらいは。

『悪魔の知恵』と呼ばれている自分が、8つの年まで生かされたことだけでも不思議なくらいだったのだろう。

 3年前に虫の毒にやられたときも、放置されていたのになんとか回復してしまったし。

 死にたい、わけでは、ない。

 ないが――。

 そのあたりまで考えたところで、なにやら脈絡のないものが次々と思い浮かんできた。

 家の敷物の端のほつれとか、数年前石の裏に見つけたけったいな虫とか、姉の手にあったあざだとか――。

(……いやだ。せめて最後くらい、自分らしく、『悪魔の知恵』らしく。

 こんな目にあってる原因まで放棄したくない……そんなのあんまりバカバカしいじゃないか)

 星をにらみながら習慣づいていた暦の計算を、再開するのだが……。

 すぐに頭がまともに機能しなくなった。

 目も、開けていられなくて、閉じた。

 残ったのは指先のしびれとかのどの痛みとか――結局肉体的な不快感ばかりで――。

(こういう、ことなのかな。小賢しい知恵なんかより頑健な肉体が重要だって……のは)

 今更納得したってどうなるものでもないわけだが。

(もう、目ぇ覚めないだろうなぁ……)

 眠るときの意識が落下するような感覚とはまた別の、なにやら意識が拡散して薄まっていくような感じのはしで、耳がひとつの旋律をとらえた。

 何か美しい、歌のような――。

 連続したつながりをもつ音。

(お迎えとかって奴?)

 そうはっきりと意識する前に。


 ばしゃぁんっ


 ……何かが体に叩き付けられた。

 痛みさえ伴う質量のそのものが、渇望していた水だったと気づくより早く。


「おーい、だいじょーぶ?生きてる~?」


 ……お迎えとは到底思えない……。

 能天気な女の声が響いて。

 彼は改めて意識を手放した。



 死にそこなったのも、2度目だった。




「……礼を、言うべきなんだろうな……」

 目を覚ました少年の第一声が、沈痛な声でのそれだったので、彼女はなんだか笑いたくなった。

 一刻一刻冷える外気を防ぐための毛布から腕を出して、ひらひら振って見せる。

「良いわよ。別に言いたくないなら無理に言わなくても。頼まれて助けたわけじゃないし」

 気楽に言うと、カンテラの明かりに照らされる彼の顔が、困惑したように歪んだ。

「そういう、わけにはいかない――貴重な水で、命を、救われたんだから。命の水の恩は、命をかけて返す。砂漠に暮らす者の流儀だ」

「う~ん、まあ確かに私じゃなかったら、見つけられなかったとは思うけどね」

「??」

 そんなやりとりのうちに、生真面目な口調と、よろけならがも毛布を払って小さな体を起こして姿勢を正す律儀さが、さらに彼女の笑いを誘う。

 ……彼女以外の人間だったら、おそらくむしろ痛々しさを感じたことだろう。

 見るからに憔悴した、10にも満たない子供の無理な強がりを哀れんだに違いない。

 しかしそこで妙なおかしみを感じてしまうのが――彼女の、彼女『らしさ』だったりする。

 少年の方ではそんなことはもちろん分かるはずもなく、なんとか手をついて頭を下げた。

「――ありがとう。恩義はいかようにしても、返す。必ず」

「うん、楽しみにしてるわ」

 にっこり笑ってみせると、少年は少し驚いたような顔をした。

 間髪入れず、

「じゃあ早速、恩返しそのいち~♪」

 ぴっとひとさし指を立てる彼女に、今度は表情が固まる。

「良かったら名前教えてくれる?さっきからどーも落ち着かなくって」

「……は?」

「イヤならいいけども。少年、とか君、とか呼ぶから。

 ちなみに私はマーグラム。マーグラム=ウィルブよ」

「……い、いや……その」

「イヤなの?」

 どうにもペースについていけていない少年に、マーグラムはたたみかける。

「どーしても、イヤ?命の恩人ってのに名乗るのは?」

 殊勝な声色を使いながらも顔は笑っている彼女に、少年は呆れた表情になる。

 そうすると、ようやく年相応の幼さが表れるようだった。

「……あんた……」

「んん?何かな、少年?」

 腹をくくったように口を開いた少年の言葉は、マーグラムの問いからはかなり外れたものだった。

「……外の地の……人間か?」

「そうよ。旅をしているの」

「……なるほどな」

 納得して息を吐いた彼は、そういえば肌が焼けていないし、などとぶつぶつ続ける。

「なに?外の人間には名乗れないの?」

「……違う。俺の名を問うなんて、ここらの人間なら絶対しないから」

「もしかして有名人?」

「まさか。知りたくないだろうってだけさ。我ら――『卑啓の民』の名前なんて」



 おかしな、女だ。

 そう思った。

 見たところ、一番上の姉と同じ位の、年頃の女のようなのだが……。

 挙動の落ち着きのなさといい、よく変わる表情といい、妹より幼い感じさえする。

 白い肌や、見なれない旅装も物珍しかったし、自分のような子供が砂漠で行き倒れていても、理由も何も聞きやしない。けれど、何より目に奇妙に写るのは、彼女が歯を見せて笑うことだ。

 自分の集落では、女性は目以外はすっぽり覆い隠して、家人以外に肌を見せないのが常識だったので、こんなにまともに顔を正面から見たのは、家族の女性以外にはいなかった。

 そして家族の前でさえ、歯まで見えるほどに笑うのは、はしたないことであるから――女性がそんなふうに笑うのは、見たことがなかったのだ。

 だが、それでも――。

 なぜか。

 いやな感じは受けなかった。

 はしたない、というよりいっそ清々しいとさえ思える。

 それはきっと……。

 彼女が、当たり前だとばかりに、恥じることなくそうしているからなのだろう。

 なんだかとても、不思議なものを目にした気分だった。



 少年が口を歪めて笑うのに対し、マーグラムはあっさりと、ああ、そういうこと、とうなづいた。

「別にいいよ、私は気にしないから。心置きなく名乗ってちょうだい」

「………いいのか?」

「むしろ知りたいわよ~。『卑啓の民』の名前ってどんな感じなのかな?って気になる気になる。

 うんうん、それならガイドさん帰してまで助けた甲斐もあるってもんです」

 満足げなマーグラムに、少年の方が慌てた。

「ちょ、ガイドって……帰したって……ッ!」

 とたん、咳き込む。

「こらこら、ダメよ。無理しちゃ。さっきまで死にかけてたんだから」

「……ッ」

 水の入った皮袋を渡して、水を口に含むのを、手をそえて手伝ってやる。

「……だ、って、あんた……」

 涙目になりかけながらにらんでくる目に、つい、

(お、かわいー。結構将来有望かも)なんて思ってしまうマーグラム。

 ……口に出さなかったのは正解だと言える。

「そりゃさすがに私だって、こんな不慣れな砂漠を案内もなしにうろつくほど物好きじゃないもの。

 近くの町で、人足兼ガイドを雇ったのよ。

 さっきまで一緒にいたんだけど……君を助けるって言ったら、止めろ、こいつの近くに寄るくらいなら帰る、とか言うから。じゃあバイバイって……」

「あんた……バカか!?」

 ようやく呼吸を落ち着けた少年から、遠慮のない罵声が飛ぶ。

「あら、ずいぶんねー」

 マーグラムは気にした様子もない。その態度に、彼は苛立ちが増したようだ。

「なんだって……せっかくのガイド帰して、貴重な水を俺なんかに山ほど注いだりすんだよ!?

 砂漠の危険さってもんを分かってないのか!」

「死にかけた君が言うとたいそうな説得力だけどね。私だって何のあてもなくそんなことしないわよ」

「何のあてがあるってんだよ……!」

 少年の顔には、まざまざと、ああここでこいつと一緒に野垂れ死にか、という絶望が浮かんでいて、マーグラムはどう言ったものか、少し悩んだのだが……とりあえず自分のカンテラを少年の目の前に押しやった。

「まあ百聞は一見に如かず。ほらこれ。よーっく見てください?」

「なんだよ、ただのカンテラ……?」

 不審が、瞬時に驚愕に変わる。

 何の注意も向けていなかったのだが、ただのカンテラにしか見えないそれの中で光を放っているのは、火ではなかった。

 ただの、白くて丸い……光の、塊。

「維持が楽なようにちょっとした道具使ってるんだけどね。ここにも作れるよ」

 言ってマーグラムは手のひらを出して上向ける。

「カ=ルカンテ=リーィ=ズム=セー=リャック……」

 唇から流れ出す旋律に、少年は聞き覚えがあった。

 全く同じモノではないのだが……彼がもうろうとする意識の中、かすかにとらえた、あの歌のような音の流れ。

 あれに酷似している。

 その言葉が終るなり、彼女の手の上に、光点が生まれ――瞬時に、拳大に膨らむ。

「!!」

 カンテラの中のものと同じものだった。

「……というわけで。マーグラムお姉さんは魔法使いさんなのよ。あの水も魔法で出したし、瞬時に町に戻るってのも一応できるわ」

「魔…っ……あんた魔女か……!」

 目を見開く少年に、マーグラムはくすくす笑った。

「うん、さすがね。そんな古い用語が出てくるなんて。でも、今は『魔法士』って言い方が一般的」

「魔、法……?魔術じゃないのか?」

「基本的には同じモノですが、目的が違うのです――ってのが模範的解答かな」

「目的って……」

「知ること」

「………」

「100年前くらいにね、魔術復古の動きがあったのよ。それでも過ちを繰り返すまいと、こうしたらこうなるっていう術よりも、どうしてこうなるのかっていう法とことわりに重きを置くようになった、のが魔法。そして、魔法を通じて世界を知ろうとする……半分学者さん、それが魔法士」

「……あんたはその一派?」

「まあそんな感じ。下っ端だけどね。

 例えばねぇ。魔法士は、この魔術だと最低ランクの技術しか必要ない明かりを作るのにも、色々研究するのよ?そもそも光とは何か、エネルギー順位の高低、何を核にするかとか、置換物質の選択とか……今は大体10種類くらいの光の魔法があるわね。全部にそれぞれの論理があって、これひとつのために一生かけた研究者もいる」

 言いながら腕をふっと振ると、手の上にあった光球が消えた。

「……なんか……」

 少年は呆れ顔だ。

「ムダっぽくないか?そんなのに何年もかけるのか?

 このカンテラに明かり入れるなんてこと、火打石と油があれば、ガキでも1分でできるだろ」

 思わずもれた感想に、マーグラムは吹き出した。

「ぷっ……あははっそう、そうなのよ!

 うん、少年。君、賢い。やっぱり素質あるわ。それに気がつかない研究者も結構いるのにね」

「やっぱり……って」

「ま、それはこっちの話なんだけど。

 でもねぇ。そんな回りくどい、役に立たないムダな寄り道が、何より楽しいのよね。君もやってみれば分かる」

「……分かるものかそんなこと」

「本当に?役に立たないって言われてることに興味そそられたこと、一度もないって断言できる?なんであの星が天を巡るのか、そんなこと考えたこともないって、君は言える?」

「……ッ」

 少年の顔は。

 思いきり心当たりがあると物語っていた。

 見込み通り。きっとそうだろうと思っていた。彼の目は、そういう者のもつ瞳だと。

 現実的かつ情熱的な明哲さ、なんて、十年後を想像すると心が踊るではないか。

(これはスゴイ拾い物だったかもしれないわね~)

 マーグラムは思わずほくそえんだ。

「魔術でなく魔法っていうのが――私の、ティルバイのティル・ランドーシャ学院の誇りであり喜び。……私は用語なんて割とどうでもいいと思ってるけど」

「……そんなものがあったなんてな」

「ふふ、知らなかったでしょう。西南部は……特にここらへんは、魔術への反感の根強い地域だものね。特に君たちは、外界から隔離されてるようなものだし」

「………そう、だな」

「だから君にも、とても興味がある。

 ……紫暮期に犯した魔術的禁忌ゆえに、迫害され、砂漠に押し込められた罪人の一族の末裔――『卑啓の民』に」

 マーグラムがそういうと、少年は皮肉っぽく笑った。

「なんだ、つまりは打算含みか。こんな辺鄙なとこにわざわざ来たのも、俺を助けたのも」

「ん~……そうね、打算っていったらそうかも。でも半分だけ」

「へぇ?」

「見てみたかったものがあるのよね。砂漠って何もかも初めてで、面白かったわ」

「……何が面白いんだよ」

「全部。……まあ、そうねぇ。少年、この砂が全部水って状況、想像できる?」

「……はぁ?なんだその夢物語は」

「夢じゃないわ。ここをずっと南下するとそういうものがあるのよ。海っていうの」

「………冗談だろう?」

「マジよ。まあ、塩辛くて飲めないけどね。でも、飲み水に全然困らない土地だって、ここの外にはあるわ――世界は、広いのよ。どれほど旅しても足りないくらい」

「…………まさか」

「と、思うでしょう?でも私はそう言うところから来たの。そんな私から見たら、砂ばっかりってココは、まさか、と思うくらい、とても不思議で珍しい。だから、来てみたかったの」



 想像を絶する。

 ガクインとやらでは、水が豊かにあふれていて、バカみたいに役に立たない古い魔術を研究しながら、なんでだ、どうしてだ、と連呼している連中が……この女みたいなのが、笑っているのだろうか。――こんな風に、白い歯を見せて。

 でも、なんでか……その笑顔を見ていると、そんなこともあるもかもしれない、なんて、ふっと思えるのだ。

 ……そんな自分が1番、信じられなかった。



「で……わくわく案内されていたら、なんと夜の砂漠の真ん中で光が見えるじゃない。それも今まで見たことないくらい強烈でまっすぐな白い光なんだもの。びっくりしちゃったわよ」

「………は?」

 マーグラムは心底おかしそうに、くすくす笑った。

「本当はね、私の目には、カンテラなんかつけなくても、君の姿が光って見える。……まぁ、行き倒れていたのが君だったのも、通りすがったのが私だったのも、ラッキーだったわね」

 少年には理解不能だった。

「で、かけつけてみたら、なんか子供が苦しそうにしてるし、環境を壊すからあまりやっちゃいけないことなんだけど、魔法で水を作ったの。

 ……ああ、ガイドさんは、半分はそれに怯えて帰っちゃったようなものだから、ホントはあんまり君が気に病む必要はないんだなぁ。

 ここらではまだ『魔法』がメジャーじゃないみたい。学院ももう少し頑張らなきゃダメよね。

 でもホントに聞いた通り、周辺住民に嫌われてるんだ~とか思ったら、やっぱりこう……魔術時代の伝承とかないのかな、とか期待が出てきちゃって……君が目を覚ますまでかなりうきうきしてたから。

 ……まあ打算といえば打算か」

 肩をすくめる彼女に、少年は表情を和らげてくつくつとのどをならした。

 声をあまり出さずに笑うのが、この年の子供にしては違和感があったが、それでも顔が相応に可愛らしく見えたので、マーグラムは気にしないことにする。

「あんた、しょーじき過ぎ。

 ……うん、そうだな。嘘ついてる感じじゃないから俺も正直に言っておくけど。

 はっきりいってそういうことなら、期待はしないほうがいい。俺は……あんたより、昔のことを知らないよ」

「……そうなの?」

 見た目にもはっきりと肩を落とす。

「俺達はね、むしろ忘れ去ることに全力を傾けてきた。

 災いを呼ぶものとして知識を恐れ、罪を象徴するものとして知恵を封じ込める。

 考えることと知ることが、『卑啓の民』にとっては禁忌だ。あんたらと逆」

「………あちゃ……」

「そうしたものが、今の不遇を招いているのだと――文字まで捨てた」

「字まで!?」

「そう。だから……俺も、誰も、読み書きできない。文字のあるものは全部捨ててしまって残っていない。町で見たことはあるけど……綺麗な、模様なのにな……。必要ないんだって。砂漠の厳しい環境でも生き抜ける頑健な体だけが価値あるものだと。……そうでなきゃ、俺は――」

 うつむく彼に、マーグラムは「少年?」と呼びかける。しかし彼は聞こえていないふうに続ける。

「……そんなだから、大人たちは、どうして、とか、なんで、とかを連呼する早熟で小賢しい子供を憎む。『悪魔の知恵』って呼ばれるんだ。家族ぐるみで冷遇するし、機会があれば――」

「少年!」

 マーグラムは高い声をあげてさえぎった。

「ダメ!それ以上は止めなさい。君、今、自分がどんな顔してるか分かってる!?」

「………知らないよ、そんなもの見えない」

「じゃー教えてあげる。はっきり言って、ヒドイ。それを見る私はめちゃくちゃ不快になる」

 断言されて、少年はふにゃ、と苦笑した。

「……あんた…ストレート過ぎ」

「……うん、まあその顔のほうが数段まし。元がいいんだから、あんな卑屈な顔するもんじゃないわ。モテなくなるわよ」

「……あんたの好みを言われてもな……」

「あら、私の見る目の確かさは、折り紙つきよ。見こんだ子は、皆、一流魔法士になるし、見こんだ男は、間違いなくイイ男になる!」

「…………なんだよそれ」

「誉めてるのよ。私は聡明な子と、頭のイイ男が好きよ」

「……あんたの好みを言われてもな……」

「まぁとにかく、『卑啓の民』の現状はなんとなく分かった。

 賢くて知りたがりで文字に興味を持つような子供を、あからさまに死地に追いやるような、いぢけ体質なわけね」

「……おい!」

「確かにそれじゃ、私がのこのこ行ったって袋叩きか」

「…だから……あんた…ストレート過ぎだって……」

「いいの。なんか君って、聡明すぎて自分で言ってると内省しちゃいそうだけど、勝ち気だから私が言うと反発してくるみたいだから、私は言っても平気」



 完全に遊ばれている。

 けど……なんでか、別にムカつかなかった。

 思えば、自分の言葉にこれだけの反応が返ってきたのは――。

 初めてなのだ。

 口と頭の回転で、かなわない、なんて思うのも。

 ……認めたくないが、初めてだ。



「けど、そうかぁ……」と、マーグラムは言いながら伸びをした。

「君のこともあるし、仕方ない。見るもの見たら、さくっと転移して帰りますか」

「帰るって……どこに?」

「瞬間移動できる転移の魔法っていうのがあるの。緊急用に近くの町に魔法陣残してきたから、そこまで飛んで……そろそろ学長も怒ってるだろうから、一度ティルバイに帰ろうかなと、思ってるわけ」

 言いながら荷物をあさって、棒――ロッドなのだが、少年には棒にしか思えなかった――を取り出す。

「で――君はどうする?」

「……え?」

 急に話を向けられて、少年は体をこわばらせた。

「どうって……俺、は……水さえあれば……」

「ま、ご希望なら水を何日か分あげてさようなら、でもいいし、できれば心配だから一緒に近くの町まで送らせて欲しいけど……」

 どこかぼんやりした表情の彼に、ずばりと聞いてみる。

「……集落に、戻る気、なの?」

 少年の顔が完全に固まった。

「またこういうことがあるだろうって、分かってて、戻る気、なの?」

 沈黙。

「もしかして、死に……たかった?」

 またしばしの沈黙。

 それに続いた声は、ひどく弱々しいものだった。

「――そんな……ことは、ない……と、思う」

 視線を落とすかと思えたのだが、意外にも彼は首をそらせて空を見上げた。

 恐ろしい数の星が瞬いている。

「死にたかった、わけじゃない。

 けど――しがみついてでも生きたかったって……わけでもないから。

 仕方ないのかもしれない、って思ったんだ。

 ここの自然は厳しくて、とても一人じゃ生きられないのに、周囲は俺を憎んでいて、俺は誰の役にも立てないし。

 逃げても卑啓の俺を受け入れてくれる町があるとは思えないし。

 だから、仕方ないのかもしれないって。

 できる限りは歩くつもりだったけど、それ以上は諦めなくちゃいけないなって。

 自然の状況と、人の情とが、俺の存在を許さないなら、それはそこまで、なのかなって」

 そんなふうに。

 ……彼の聡さが、周囲の感情というものを、その原因となるものを、幼い心にしっかりと認識させてしまうことこそが、あるいは彼の最大の不幸かもしれず。けれどマーグラムは、

「……つまり」

 そう、明るい声で切り出した。

「自然の状況と、人の情が許せば、生きる気はあるわけね」

「……へ?あ、ああ……その、まあ」

「よーしちょうど良いわ。巡察使マーグラム=ウィルブ、勧誘入りマース」

「はぁ!?」

 満面の笑みでワケのわからないことを言い出されて、少年は顔をしかめたが、次の言葉はなんとか、理解できた。

「『学院』に来る気はない?少年?」

「……は?」

 理解は出来たが……意図がつかめない。

 であるのに、マーグラムは立て板に水と言葉を連ねた。

「君にその気があるのなら、魔法士たちの聖地、ティルバイにお連れしましょう。

 自然の状況が、子供一人くらい余裕で受け入れられるくらいにゆるいところです。

 人の情が、君が言ったとおり、逆に、君の聡明さと早熟さを褒め称えるところです。

 むしろ、なんで、とか、どうして、と言える子供が大好きな変人ばかりが集まってます。

 あ、ちなみに『卑啓の民』なんて知らない人ばっかりだから。

 才能は私が保証するから、あとは君が努力すれば奨学生にでも何にでもなれまーす。

 ま、そろそろ私の妙な能力を学長会も総長も認め始めてるから、私の推薦ってば結構強力なのよ♪」

「お、おい、ちょっと……」

 戸惑う彼に、マーグラムはとどめとばかり。

「なお、今なら特典として!

 ティルバイまでの道すがら、不肖ワタクシめが!『文字』をお教えしましょう~」

「……!!」

 明らかな反応を示す少年に、彼女は「落ちた!」と確信した。

 よほど文字に興味があるのだろう。

 しかしそれでも少年は最後の抵抗(とも言えない悪あがき)を試みた。

「……俺は、砂漠の、民で……そのことに、一応、誇りを持ってる。

 だから……ほいほいと、ここを出ていくのは、イヤだけど……」

 口ではそう言いながら、彼の表情は明らかに「いきたい」と言っていたので、マーグラムは余裕で「うん、うん、イヤだけど?」と続きを促した。

「……その……命の水の恩は、可能な限り、救われた人生を捧げることで返せっていうのも、砂漠の民の誇りだから……つまり。

 命の恩人の、あんたが、どうしても、俺にそうして欲しいって言うなら、砂漠の民として誇りをもって……その申し出、受ける」

 そんな迂遠な言い回しは、律儀で生真面目で勝ち気な、少年らしいものだったので、マーグラムはむしろ好感を持った。視線をそらさず言いきったのも、良いと思った。

 まっすぐこちらを向いた視線を、まっすぐ受け止めて、

「うん。じゃあ……どうしても。

 君みたいに将来のある人に魔法を学んで欲しい。

 死ぬくらいなら、私の愛する魔法学に、私が救ったというその命で貢献してください」

「……了解した。誓おう、努力する。誇りと――まあ、自信はないけど才能とやらにかけて」

 少年が、気恥ずかしそうにそう告げると、マーグラムは諸手をあげた。

「わーい、勧誘成功~♪がくちょ~!将来の幹部候補生を落としたっす~♪」

 ……はしゃぐ姿に、少年は一瞬、自分の選択を悔やみかけた、が――。

 ま、まあ……砂漠の民に二言はないのだ。多分。



 2人分の転移魔法陣だから~と鼻歌交じりに、先ほどの棒で地面に落書きを始めるマーグラムに、少年はふと思いついて、問うた。

「なぁ、そういえば、見るものがあったんじゃなかったか?それはもういいのか?」

「いいや?まだこれからだよ?」

 引いた線に、得体の知れない紫色の薬品を流し込みながらマーグラムが答える。

「これからって……何を見るんだ?」

「もちろん、夜明け」

「………夜明け?」

「そう。砂漠の夜明けを見るのが夢だったの。これだけは見ないと帰れない。だから、それまで魔法陣でもかいて待ってる」

 そんなもの見て何が楽しいんだ、と言おうとしたが、あまりに心底嬉しそうなので、やめておいた。

 自分には当たり前でも、彼女にはそうでないことがあるのだろう。

 彼女がすらすらと描いていく、図形と文字(だと思う)まじりの曲線が、自分にとって天上の絵のように美しく見えるのと同じように。これから……そんな世界を見に行こうというのだから、あまり無粋なことは言うべきじゃない。

「……なぁマーグラム。そろそろ日が昇るぞ。あっちに目向けろ」

「えぇ!?ホント!……って少年!?」

 すさまじい勢いで顔をあげた彼女は、彼の指差す方向に向けた視線を、これまたものすごい勢いで少年に戻した。

「名前!覚えてくれたんだ!?」

「一度聞けばそのくらい覚える」

「だって今まで呼んでくれてなかったからさ~。そう!そうだ、私ったら、少年の名前をまだ聞いてなかった!」

「……まったく……勧誘までしておいて、今更……。

 ああもうっあとで教えるから!東見ろよ」

 彼は呆れて、もう一度東の空を指差した。

 そこはすでに白み始めて、漆黒の砂の影を浮かび上がらせている。

 マーグラムは慌ててカンテラの明かりを消すと、目を輝かせてそれに見入った。

「スゴイ……静か。何も動かないね……世界が、始まるんだ……」

 そんな風にいわれてみると、それは確かに美しいのかもしれない。

 今まで気づきもしなかったが。

 白くなった、と思ったすぐに、オレンジ色に空が染まる。

 茫漠たる砂の一角に、強烈なオレンジ色の光が一点生じて。

 次の瞬間、太陽が姿をあらわした。

 とたんに、砂から夜が逃げ去る。

 砂が端から赤く塗りかえられていく。

 それが視界の全てに満ちて。

 改めて目をやると、太陽が完全に姿をあらわしていた。

 その間、少年は一言も発せられずにそれに見蕩れていて――気がつくと、傍らの女が自分に視線を注いでいるのだった。

 そのときは、知らなかったのだが。

 確かに彼女には、太陽のオレンジのほかに、彼女しか見えない、もう一条の、白い光が見えていて……。

 それがまっすぐに交差した瞬間は、心臓が止まるかと思ったのだそうだ。

 この瞬間、夢に見た砂漠の夜明けの瞬間に、隣に立っていたことを、彼は後々まで感謝される。

 そして……言われるたびに、思うことになる。

 自分こそ、彼女とともに見た世界の始まりを、その時の彼女の視線を、決して忘れられないと。

「――少年。名前」

 ささやくように言われて、はじめて、日が昇ったために外気がまた情け容赦なく上がり始めていることを意識した。

 ……熱い。

 昨夜、倒れた瞬間よりも強いめまいを感じつつ、あのときよりも乾いているように思える唇に、全神経を集中して、彼は自分の名をそこに乗せた。

 唯一、自分の持っているもので、気に入っていたそれ。

 生まれたときにつけられたそれが、ただひとつ、憎まれる前に与えられたものだったから。

 けれどこれからは――多分、それ以外にも気に入るところが増えていくのだろうという、不思議な確信を抱えながら。



「………サジェイル」


 ――そして、彼の世界は、始まる。


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