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32章

 32


 正直ひどく傷ついた顔をされると予想していたので、「ちょっとだけ、分かるような気がするな」という言葉が返ったときは、つかの間ペンの動きを止めてしまった。

「あ、ナーリェ、そこって、~である、の方が流れとしてよくない?」

 それにつられてナーリェの前に目をやったチャトムからそんなことを言われて、自分の手元に目を落とす。

「……ふむ。言われてみればそうかな」

 納得して言われるままに文末をつける。

 すでに日は落ち、数時間前の騒動がウソのように学院は静かだ。

 2人は、フェリーナに事情を聞きにいった総長とカイを待ちながら、総長室にすえられた応接セットで今回の報告書を作成している。

 向かい合ってペンを走らせるチャトムは、眉を八の字にした。

「でも……本当にいいのかな、レイドさんが術を止めた余波で学院が傾いた、なんてことにして……」

 報告書を書き始めてから、何度目かのつぶやき。

 地下から先に出た後、すぐに学院に向かったチャトムだったが、実際に傾くといってもたいしたことはないのに正直安堵した。

 地上から見てもはっきりと分かるわけではないし、敷地に立っても別にどうということはない。……落としたボールが北に向かって転がっていったりはするが。

 ただ、傾くときにやはり少々揺れがあったらしく、薬棚が倒れたなどと学院内はかなり騒然としていた。

 慌てて見つけた総長は、結局魔術陣が止まったことは探査の魔法で確認していたので、チャトムたちの後続の編成は取りやめて、騒ぎの収拾にあたっているところだった。

 反射的に謝りそうになったチャトムだが、ナーリェとの約束どおり簡単な説明にとどめておいた。

 そしてナーリェたちと合流、総長の手伝いをして片付け仕事などをした。

(ちなみにカイがフェリーナを抱えて現れたときは、なぜだか妙にもやもやした感じがしてチャトムは自分でも不思議だった。……きっとフェリーナが気にかかったのだろう、多分)

 それがあらかた片付いたところで、フェリーナが気がついたという報告が入る。

 様子を総長たちが見に行く間、地下でのできごとを総長に渡す報告書にまとめているのだが……ナーリェはチャトムのやったことをレイドの仕業にしようと言い出したのだった。

 当然、自分の責任を人に押し付けるなんて、とチャトムはしぶった。が、カイとティレグもそうしてほしいと言っていた、などと言われてようやく承知したのだ。――のだが。

「いないからって好き勝手しちゃ、やっぱり……」

「いいんだ。むしろあいつにとっては手柄だろ。うれしがるかもしれないぞ」

 ナーリェは平然としたものだ。

 そう言う問題じゃ、と言おうとしたチャトムの先を制して、

「それより」とそれた話題を戻す。

「フェリーナの気持ちがわかるって?」


 そう。さきほどナーリェは、ティレグに言われたことをチャトムに教えていたところだったのだ。

「エルフだから人間に負けるわけにはいかない」とカイに言ったそうだと伝えると、さきほどの反応があった。

 ナーリェに水を向けられて、チャトムはペンの柄の先でこめかみをかいて、ちょっと困ったように続けた。

「うん……まあ、あたしとフェリーナじゃ立場が正反対だから、わかる、なんて言っちゃフェリーナに怒られるかもしれないけどね。――人間でない種族は……」

 ふっと目を伏せて耳をなでる。……その動作が地下で相対したフェリーナに重なる。

「特に、あたしたちみたいに、見ればすぐそれと分かるような種族は」

 それは、確かに。チャトムの耳と尾、フェリーナの長い耳、それらを見れば、彼女たちがチャムチャム族だとかエルフだとかは容易に知れる。

「いつも、その種族全体を、背中に背負ってるようなもの、だから、ね」

「?」ナーリェは不心得顔だ。

 チャトムはちょっと笑った。

「――『人間』は、大陸人口の大半を占めるからね。あまりないことかもしれないけど。

 例えばね、初対面の人と向かい合うと、その人はまずあたしを見て『ああ、チャムチャム族だな』って思うわけ」

 チャトムは小首をかしげて、報告書に二言三言つけたしてから続けた。

「もちろん親しくなれば、それ以上にあたし個人、『チャトム』として見てくれるよ。でもそこまで行かないことも多いわけだし、あたしのひとつの属性でもあるしね、チャムチャム族だっていうのは。

 なんていうかな……極端な話、他にチャムチャム族を知らない人からしたら、あたし一人に対する印象で、チャムチャム族の評価が決まっちゃうこともあるのよね」

 ナーリェは何をおおげさな、と言おうとして思いとどまった。学院におけるチャトムの立場を思い出したからだ。

 チャムチャム族は彼女ひとり。進級の遅さを指して「やっぱりチャムチャム族は」という声は、ナーリェの耳にも多く届いていた。

(……個人的な中傷だけじゃなくて、種族全体の屈辱にも耐えてたってこと、だよな……)

 いまさら気がついた。

 逆に種族の印象を押し付けられることもあるに違いない。そう……あの頭の配線がダース単位でかけちがってる律令士のように!

 そして思う。そう言えば自分は……フェリーナを個人的に優秀だと認める一方で、どこか「やはりエルフだから」という意識がなかっただろうか。

「あたしを見てチャムチャム族だって思うってことはね、つまり、あたしを通してその種族を見るってことか、種族を通してあたしを見るってことなの。……やっぱりどうしてもこだわっちゃうよ。

 あたしをチャムチャム族として育ててくれた家族を愛しているし、種族の文化を誇りに思っているから、なおさらね」

 だから、と傷ついたような顔で笑う。

「考えても仕方ないって分かってても、考えちゃったりしたもん。あたしがもっとしっかりできてたら、学院の人たちにチャムチャム族を見直させられるのに、って」

 ナーリェはひどく不快になった。想像通りだ。

 チャトムには、自分のこと以上に、その背景になっている人々への侮辱のほうがこたえるのに。

 それを無神経な、そう、一昨日カフェで声をかけてきたような――ちなみに思い出したはずの名前はすでに忘れていた――連中が。

 そんなことを思い返すナーリェを見て、チャトムがくすっと笑った。今度は影のない笑みだった。

「やだな、ナーリェ。ナーリェがそんな傷ついた顔することないんだよ?

 大変なこともあるけど、そればっかりじゃないもの。

 言ったでしょう?あたしは家族を愛しているし、種族を誇りに思ってる。

 だから、人に何を言われても、チャムチャム族だってことを恨んだことなんか一度もないんだよ」

 明るい笑顔が何よりその言葉を肯定している。

「結局、何かに属するっていうのはそういうこと。誇りと安心と一緒に、責任と自覚も背負わないといけないの」

 そう言ってからチャトムは、ふと思いついた。

「あ、でも……そっか、そういえばナーリェは『属する』のが嫌いだから、人間だって以上にぴんとこなかったかもしれないね」

「……なんだ、それは」

「だって、今も絶対フルネーム名乗らないじゃない」

「それは……っ!」

 反論しようとして、言葉につまる。……確かにそう言う傾向もないとは言えないかもしれない。

 ナーリェラッテ以下のたいそうな家名などを名乗れば、自分も一族というものを背負うようになるのだろうか。チャトムが種族を負うように。

 ……そんな想像にぞっとした。

(――冗談じゃない、絶対嫌だ……!)

 そもそもナーリェはチャトムのように、それらを愛し誇ることができないのだから、悪いことばっかりだ。

(大体、それもあの馬鹿の勝手な所業のせいだし……)

 奇怪なことに自分と血がつながっている(それを思い出すたびにナーリェは自分の血をごっそり半分献血したくなるのだが)男の顔が頭をよぎると、先ほどに数倍する不快さがわいたので、話題を変えることにする。

「だから、それは……まあ、どうでもいいんだ。今はフェリーナの話だ」

 チャトムはくすくす笑って、うん、そうだね、と応じる。

「だから、ね。フェリーナがエルフなのに、って種族にこだわっちゃう気持ちも少しは分かるって、思ったの」

 ナーリェは気を紛らわせるように報告書にさらさらと最後の行を入れた。

「……フェリーナには、つまり……大変なこと、の比重のほうが多かったってことか?」

「……そうだね、エルフだってことが……重荷だったの、かも」

 しゅんとうなだれながら紙をそろえるチャトムは、純粋にフェリーナを案じているようだ。

「これから、フェリーナ……どうするのかな」

「……さあ……多分、故郷の方と学院で処遇を決めるだろうけど……学院にとっても表には出したくない不祥事だろうし、事は適当に隠されて、フェリーナは里に帰されるとか……」

 チャトムの耳がますますしおれるのを見て、ナーリェは慌てて付け足した。

「まあ、総長が悪いようにはしないさ」

 すると、チャトムは一筋の光明を見出したように顔を上げた。

「そっか、そうだね、総長に任せておけばきっと平気」

「ああ」

 というか、とナーリェは心の中でこっそり付け加える。

(あの総長のことだから、多分『いいように』するだろうな……学院にとって)

 穏やかな風貌にだまされてはいけない。

 彼は結構したたかで食えないことを、ナーリェは知っている。

 政治力、と言うのだろうか。優秀なだけでは魔法学の最高峰である学院の総長にはなれないのだ。

(フェリーナを不問にする代わりに、エルフの村から古代魔術知識のひとつふたつ引き出してくるかもな)

 まあこれは総長を単純に尊敬しているチャトムには言わなくてもいいことだ。

 代わりにナーリェは別のことを問うた。

「……なあ、チャトム。お前は今もそうやってフェリーナを心配するけど。

 その……『分かる』から、許せるってことか?」

 チャトムはきょとんとした。

「許す?え~と……」しばし考え込む。

「こんなことしたことについて?

 それは……別にあたしが許す問題じゃないと思うんだけど……」

「いやそうじゃなくて」

 ナーリェはまとめた報告書を読み返しながら、困ったように髪をかきあげた。

「だから……フェリーナがそういうことを黙ってたことについて、だよ。

 つまり、その、私をひどく嫌ってたみたいなのに、表面では笑って付き合ってたわけだし……お前に優しく接してくれてたのも、うれしく思ってたけど……」

 あれだけ自分の種族にこだわっていたのだ。内心チャムチャム族をどう思ってだろうか。

「本心では安っぽい同情とか優越感からだったんじゃないかと思うと……私はなんとなく……イヤな感じがするというか……」

 自分に対してより、チャトムへの対応に裏表があったのでは気にかかるナーリェなのだった。

「裏切られたとか、だまされたとか……思わないのか?」

 そういう反応を予想して、話すのもためらいがちになったのだったが。

 チャトムはナーリェの言葉を計りかねるように考え考え言った。

「う~ん……あたしは……フェリーナがナーリェを単純に嫌いなだけだったとは思わないけど……もしも、ね、そういう本心が態度とは別のところにあったとしても、あたしには関係ないというか……」

「あぁ!?」

「あ、いや、関係ないって言っちゃうと言い過ぎかな。もちろん真心から親切にされたほうが嬉しいよ。っていうか……フェリーナは気持ちも優しかったと、あたしは思うけど……そうじゃなかったとしてもね、それでもいいの。事実フェリーナはほかの人とちがって優しかったし、あたしはそれが嬉しかったの。それは本当のことだから」

 唖然とするナーリェを置いてチャトムの話は進む。

「だから本心がどうとかっていうのは、あんまり……あ、でも確かにそれだけ思いつめてたのに気づいてあげられなかったのは悔しいかも……もうちょっと友達として何かできなかったのかなって……ナーリェ?どうしたの?」

「いや……なんというか、コメントのしようが」

 頭を抱えるナーリェをチャトムが覗き込んだところで、軽くノックの音がして、部屋の扉ががちゃり、と鳴った。

 相手を確認するより前にティレグの声がする。

「無駄だぞ、ナーリェ。こういう手合いは、だますのは死ぬほど簡単でも、それで傷つけるのはすんげぇ難しいんだ。身近に似たよーなサンプルがあるから、オレにはよっくわかる」

 ドアノブに手をかけたカイが「何の話?」と首をかしげた。


 部屋の主と客が戻ってきて、総長室は一気ににぎやかになる。

「聞いてたのか」とナーリェがむっつり言うと、

「聞こえたんだよ、だまされたとか、の辺りから。オレの知覚は人とちょっと違うから、壁とかがあまり障害にならんのだよな」

 平然と返された。

「まあ別に聞かれて困るようなことではないし……」

 でも今後は気をつけよう、とナーリェは思う。

「しかしまあ、そうだな……カモ体質とか言うんだろうな……」

 ちらりとカイに視線をやってうなづくが、彼は分からないようで笑っているだけだ。

「そうだろそうだろ。で、周りのヤツが苦労するんだ。危なっかしくて」

「確かにな……」

 その横ではチャトムが、自分の席についた総長に報告書を手渡している。

「総長、あの、これを。一応簡略に報告したのと同じ内容ですけど」

 総長は受け取ると、ページを繰ってざっと目を通す。

 丸っぽくて読みやすい、丁寧な文字が並んでいる。確かに聞いた話と大差ない内容のようだ。形式などに問題はない。

「――はい、疲れているのに申し訳ありませんね。ご苦労様でした」

 労う総長に、チャトムはかえって身を縮ませた。

「そんな。こちらこそせっかくお任せいただいたのに、不手際がたくさんあって……ばたばたするし……学院傾くし……」

 うなだれるチャトムを押しやるように、ナーリェも報告書を提出する。

 こちらには、流麗でやや右上がりの小さな文字が几帳面に並んでいた。

「その件なんですが、総長」

 話に割り込んできたナーリェに、サジェイルは微笑んだ。

 チャトムの前に立った彼女の行動を、かばうためのものと思ったのだ。

「大丈夫ですよ。ちゃんと危険な事態をとめてもらって、『ゼロの書』も戻ってきて、むしろ感謝しているんですから。お礼はしますが、特に処罰などは……」

「いえ、違うんです。基底部から戻ってくる間に考えていたんですが……」

 総長の机の前に直立したナーリェは次の言葉でその場の全員を驚かせた。

「むしろ退学処分を2件いただきたいと思いまして」

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