31章
31
小さい頃から、人間というのは恐ろしい種だと教えられて育った。
無知で愚かしく、それゆえに凶悪な彼ら。そのかつての過ちを、村の長老であるフェリーナの祖父は幾度も幾度も話して聞かせた。
自らの行きすぎた魔術開発の反動に、突然『魔術狩り』を始めるその唐突さは、何度聞いても身の毛がよだったものだ。
そしてエルフは、ただ魔的素養に優れる種であるというだけで、その狩りの対象となり、数々の集落が襲われた。
何よりエルフの怒りを買ったのは、そのために森ごと焼き払うという蛮行である。
森に生き森に死ぬエルフにとって、森が傷つくというのは、我が身を切られる事より恐ろしいことなのに。
それでもなお、争いを嫌う彼らの多くは、ただ森の奥に身を隠して嵐の過ぎるのを待った。
中には復讐にはやる若者もごく少数いたそうだが。
多くの集落が滅び、今やエルフは数えるほどの小集落が、各地の森の奥に息づいているだけである。
フェリーナも、そんな人口が100人にも満たないような村に生まれた。
飽きっぽい人間のこととて、その頃には、すでに魔術狩りの嵐はやみ、『魔法』が流行し始めていた。友好を求め、かつての行いを陳謝する使者が彼らの村にもやってきたりする。
だが、と祖父は言う。
「――だが、結局、種族の性質というのはそう簡単には変わらぬもの。
彼らのうちには、かの愚劣さと危うさが厳として存在するのだ。
我らは、彼らが再び道を踏み外さぬよう、あるいは道を誤るときはその時期を見定めるため――監視を行わねばならぬ。この長い寿命と、優れた魔術の才をもって」
――それを聞くたび、私は身体を小さくして、手をぎゅっと握ってうつむいてた。
フェリーナには祖父の言う優れた魔術の才がなかったのだ。
軸属性がたった4つ。長老の末孫でありながら、同じ年頃の子供たちより術の上達がずっと遅かった。
今になって思うと、エルフの魔術は――魔術時代の傾向を色濃く残しているので、魔法というより魔術だろう――属性をもっていることが前提となっているものが多かった気がする。
5つ以上の属性を持つものがほとんどであるエルフにとって、それはごく当然のことだ。
けれど学院の魔法は、軸属性の少ない人間が使うもの。自分の属性でない軸でも補強して使えるように、工夫がなされていることが多い。
――ああいうものが、もっとエルフにも浸透していたら、私もあれほど劣等感を持たずにすんだかもしれないけれど。……今言ってもむなしいだけね。
人一倍頑張って、やっと人並みに手が届く。
小さな集落で、そんな子供がどんな思いをするものか。
長く穏やかで変化のないエルフの生活は、幼い身にはいかにも永かった。
転機は5年前。
祖父の命で訪れた。
人間の魔法研究施設である『学院』へ行けと。
人間からすれば研究のため、こちらからすれば監視のための交流は、細々と存在していて、親善の名目の留学生を置くのは、エルフに限らず、有翼人などもやっていた。
そうして人間の動静を里に報告するのだ。
エルフでは村ごとの持ちまわり。今度はこの村の番。
10年ほど、若い誰かを学生として学院にやらなければならない。
とうとう来た。そう思った。
祖父は、長老の孫という立場ゆえだ、すまぬ、と言ってくれたが、要はやっかい払いということだろう。
少なくともフェリーナはそう思った。
人より習得速度の大きく劣る自分が邪魔なのだ、恥なのだ。きっと。
だからおはちが自分に回ってくるのだろう。人間は恐ろしい。できるなら――誰も、行きたくなんてないのだから。
それでもフェリーナは黙ってうなづいた。
不出来な孫は、せめて言いつけに従うしかできないのだ。
厳しい祖父が、顔を和らげて自分に礼を言うことなんて、あれが初めてだった。
――でも、悲壮な覚悟でやってきた学院は……まるで別天地だったわ。
そこで知る。
自分が、人間達の中にあるとどういう存在であるか。
軸属性が4つという数字は、人間には信じられないほどのものらしかった。
人間の数倍の時間を持つエルフの頭脳には、若い外見からは想像もつかないほど大量の知識が詰まっていて、それも周囲の耳目を集めた。
さすがエルフ、という響きはこの上なく甘美だった。
立場が180度変わった。
ここでは自分は恥ではない。エルフという種族の代表として誉れになれる。
足が地に付かないような気分だった。
『魔法』というのも、そう悪くなかった。
魔術を学問として昇華しようという動きは、エルフとしても好ましいものだと思う、と里への便りに記した。
人間への恐怖も、日に日に薄れていった。
――でも、それもあまり長く続かなかった。……ナーリェが、来たから。
マムの最後の子の入学は鳴り物入りだったと言って良い。
マーグラム=ウィルブの才能発掘の遍歴は輝かしいばかりで、今度も例にもれず期待された。
まして軸属性が6つだと診断されたナーリェは。
心が騒いだけど、あえて考えないことにした。
大丈夫、大丈夫。だって、ほんの子供なのだ。自分の何割か程度しか生きていない、子供。そして――自分より早く老いる。
それが、無視できなくなったのは、初めて同じゼミを取ったとき。
――すごかったわ。ナーリェの創作は。緻密で完璧で、無駄がない。
あの容赦ないまでの論理性は、エルフの魔術にはないものだ。
初めて『魔法』を怖いと思った。
それでもそれに向き合うのが自分の役目だ。
その才能に怯えながらもナーリェとの付き合いを深くしていった。
それに――数年の学院生活で、フェリーナは確かに『魔法』の学術性に惹かれてもいたのだ。
ナーリェの展開する世界は、その魅力の粋を極めたものだ。
美しい、と思った。目が離せなかった。
惹かれるほどに自分の劣等感は膨らむばかりだと、分かっていたのに。
――私は『知って』いただけ。エルフだから知っていただけ。
でも、ナーリェは『作る』のよ。あんな発想力も、独自性も論理性も、私にはない。
しかし、知識だって力だ。
フェリーナは自分にそう言い聞かせた。
実際、ナーリェだって、自分の知識には一目置いている。
その象徴が――学院の、基底部だった。
――学院建造はエルフもかなり手を貸したから、私たちの手元には、詳細な構造図の写しがあるの。
もちろん、危険な魔術でないかを調べるのが目的だったのね。
だからフェリーナは、入学前から、基底部への進入路なども知っていた。
役立つこともあるかもしれないからと、密かに祖父から教えられたのだ。
もちろん周囲には秘密にしろと厳命されて。
非常時のためだったはずなのだが、結局フェリーナは不安になると基底部に入り込むようになった。
別に何をするでもなく、1時間くらいぼうっと歩き回るくらいだ。
それでも、ここにこれるのは自分だけ。
学院で知っているのは、たったひとりだけ、という事実が、心を落ち着かせた。
知識は力だ。知っている自分は、他人のできないことができる。
――それも……私だけの特権ではなくなってしまったけれど。
それを破ったのも、よりによってナーリェだ。
彼女の姿を基底部で見たときの気持ちは。
とても言い表せない。
少なくとも、とっさに姿を隠してしまったことが、あのときの気持ちを端的に表しているだろう。
――私は、ダメなの……ここでも、ダメだった……!
エルフなのに。エルフなのに!エルフなのに!!
そのとき、手元にあの本があったのは、いったいどういう符合だったのだろう。
いや、違う。きっと、こういうことがあるかもしれないと思っていたのだ。心のどこかで。
はじめはただの義務感で魔術書を回収した。
不必要に人間が危険な魔術に接するのは好ましくないというのが、エルフの総意だ。
だから、2ヶ月ほど前、遺跡調査隊に参加した知人から、古謄本の数学書が発掘されたと教えられたときははっとしたものだ。彼は、単に善意で、エルフなら心当たりがあるのでは、なんて、扉に刻まれた文字を私信で知らせてきた。
『ディクレ=ア=リトバリィ』――最悪に近い魔術書だと、すぐに分かった。
こういうときのために、ここにいるのだ。役目を果たさなければ。
手段は問わずに盗み出す。
そして、村に送って祖父に処分を任せよう。と、思っていた。
――でも、手に入れてみたら、手放せなくなってしまったの。
少しだけ、ちょっと見るだけ、と思ってページをめくると、止まらなくなった。
魔術師でありながら数学者でもあったライザード=ロウの記述は、むしろ非常に『魔法』的だ。
徹底した論理性。数学的な理論展開。特異な発想力。
その戦慄には身に覚えがあった。
……ナーリェ。
――この本で、自分に欠けているものが補えるんだって、思えたの。
ナーリェにも、誰にも負けない研究が、私にも『作れる』んだって……!
……でも、やっぱり、違うのね。
しょせん盗んだ知識はそれだけのものね。
こんな付け焼刃で『想元者』に対抗しようと思ってただなんて。
お笑い種、でしょう?
* * *
「――助かりました。私たちにはまったく口を開こうとしてくれなくて」
特別医務室から出ながら、サジェイルはそう礼を言った。
もう夜なので、部屋や暗い廊下には魔法の明かりが灯っている。
今日はあれこれと騒動があって、色々指示を出したり収拾をつけたりと、かなり疲れているはずの総長だったが、やわらかな笑顔には疲労の陰がない。たいしたものだ。
「いえ、僕も気になってましたから。やっぱり学院関係者には話しづらかったんでしょうね。それに僕には一度当たってしまってるから、抵抗も少なかったのかもしれないし」
これで少しは気が楽になるといいんだけど、とつぶやいて、カイは扉を閉める。
個室がとってある医務室に運ばれたフェリーナは、目が覚めても貝のように口を閉ざしたままだったのだ。
部外者のほうが話しやすいのでは、とカイが乗り込んでみると、せきを切ったように鬱屈を吐き出した。
詳しく経緯を聞くと、まさに彼女ならではの知識が素地になっていることがよく分かる。
エルフが基底部の構造を知悉していたり、影人を作る術を心得ていたりするのには、総長も驚いていた。
「それだけじゃねぇんだよ、多分」
人気のない廊下を総長室に向かって歩きながら、ティレグが会話に口を出す。
「お前ってぼさーっとして揺るがないから、不安抱えて揺れてる奴にとっては、なんか話してみたいって感じのオーラ出してんだ。チャトムもそうだったろ」
そうかなぁ、と首をかしげるカイと、そうかもしれませんねぇ、と微笑む総長。
「言うなら弱者キラー、迷子タラシ……しょっちゅう自分が迷子になってんのにな」
けっけっ、という笑い声が続く。カイは、
「それはそうかもしれないけど」といったん応じておいて、反撃に出た。
「じゃ、君も揺れてるから僕を主に選んだワケ?」
「ばっ――」
かやろう、と叫びかけてさすがにひかえる。人目がないとはいえ、廊下に響き渡る罵声というのは考えものだ。というか、あまり過剰に反応しては、まるで図星さされたみたいではないか!
「そんなん、お前があんまりぽーっとして、頼りなかったからに決まってんだろ!」
くすくす、という笑いがなぜか総長から起こる。
カイは肩をすくめた。
「伝説の魔剣のボランティア精神に触れるとは、僕も相当なもんだねぇ」
「それで――彼女の扱いはどうなるんでしょう?」
気を取りなおしてカイが尋ねると、総長はしばらく考え込んだ。
「そうですね……かなり、精神的にまいっているようですし……エルフとの関係は正直、微妙なものですから、彼女のお里と相談して決めますが。多分、村に帰ることになるでしょうね」
「それはそれで居たたまれないでしょうね……」
役目を果たせず、不祥事を起こして里帰りになったら、周囲の目は相当冷ややかだろう。
「ま、しょーがねぇ。やることやっちまったんだから。結局そこがあいつの居場所なんだしな。どうしようもなくなったら飛び出すでもなんでも、自分で決めりゃいいのさ」
さらっと突き放すティレグ。
「ドライだねぇ」
「オレには関係ねぇもん。っつーか……オレ、正直ああいうの嫌いなんだよ」
「ほう、やはり好き嫌いがおありなんですね」
「モチロン。まあ、オレのこの世界での感覚は、歴代の盟血主を通じて培われたもんだから、自分の腕に頼って生きる剣士の好みが影響してて、偏ってるんだろうけどさ」
その感覚によると、他人が認めてくれないとか、居場所がないとか、誰も気持ちを分かってくれないとか、そんなんで悩むな……ということ、らしい。
「それは、まあ……人それぞれだと思うけど。
そうやってひとくくりにできない事情や状況ってのもあるだろうし」
「いーや。要は気概だ、自分でなんとかしてやろうっていう心意気。
たまに自分でやりすぎて突っ走る奴も問題だけどよ。
オレはそーいう、自分の心のままに生きてやろうとあがいてる奴の方が好きなんだよ」
サジェイルがくつくつと笑い声をもらして、なるほど、確かに腕に覚えのある剣士らしい好みかもしれませんね、と言った。
カイは、おそらくティレグが気に入っているだろうチャトムやナーリェなどのことを思い出しつつ、
(今のって少しは僕にも当てはまるとうぬぼれて良いのかなぁ)とぼんやり考えていた。
即座にさきほどのような否定か罵声が飛ぶのは分かっていたので、口にはしなかったが。




