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30章

 30


「――正直迷ってる」

 というのがナーリェの返答だった。

「……さすがにモルモット扱いはないだろうけど」

 予想通りの答え。

 貴重な能力者であると分かったチャトムが、学院の研究対象にでもならないかと心配している――ということだろう。

 研究熱心なナーリェでも、チャトムが検体になるのは耐えられまい。

 ティレグも個人的に賛成だった。希少な能力者というのは――あまり幸せな存在じゃない。

「ま、そうさな。チェルの頃とは、時代も違うけど。ただ、行動の自由が制限されるってことは十分あり得るな。それは困るんだろ?」

 憮然とうなづくナーリェ。

「もちろんだ――せっかく見通しが立ったのに」

「約束、だろ?」ティレグがくつくつ笑う。「悩みが向こうから一方的に解消しちまったことだし?」

「~~~うるさいっ」

 むっとしたナーリェはつかつかと、魔法資材の置いてある部屋のすみに歩いていった。

 例の本がないか探すから、お前達はその2人の様子を見ておいてくれ、と言い放って、魔法資材や本の山に向かってしゃがみこむ。

 そんな様子にカイも微笑んだ。

「ぼかして報告してもいいんじゃないかな。僕らも協力する。あの総長殿なら『だまされて』くれる気がするよ?」

「あ、レイドに責任押し付けるってのはどうだ?」

「……非道だねぇ」

「だまれ。こいつならやりかねなかったじゃねぇか」

 カイとティレグが言う間も、ナーリェは無言で本の山を調べている。

 基礎理論参考書が多い。魔術陣の構造の確認でもしていたのだろうか。

 それに、積まれた歪率粉の袋。

「……なんで」

 それはほとんど独り言だった。

「……フェリーナはこんなことしたんだろうな」

 単なる話題そらしにしては重い口調に、ティレグも真剣に応じる。

「さて、なぁ……エルフならこういう魔術に抵抗があるはずなんだけどなぁ」

 エルフという種族は、大陸でも有数の寿命をもつ種であるだけに、紫昏期や禁魔時代の記憶をもつ老人なども生き残っていて、むしろ人間以上に、魔術に対する警戒心が強い。

 なにしろ禁魔時代には、魔術に優れるエルフは、格好の魔術狩りの対象だったのだ。

 エルフの住まう村が、森ごと焼き払われたりもしたらしい。

 それで今も、暴走しかねないような大魔術、ことに人間の生み出したそれに対して根強い反感が残るようで、実は学院との関係も微妙なものだ。

 人目を避けるように森深く、ひっそりと暮らしているエルフたちにとって、人間社会との接点――学院にやってきているフェリーナなどはその顕著な一端と言えるが――は、交流というよりも監視に近いものがある。

 フェリーナの学院での研究態度も慎重だった。

 印象にそぐわない、と首をかしげていると、カイがぽつりとつぶやいた。

「う~ん、それなんだけど」

 一拍置いて苦笑する。

「多分、ナーリェ――君が原因……みたい」

「――はぁ!?」

「エルフが人間に負けるわけにはいかないんだって」

 ばかばかしい言いがかりに思わず本を放り出して振り向くと、ティレグがははぁん、と声を上げた。

「なるほどな――ナーリェ、フェリーナの入学ってお前より前?」

「ああ……ちょうど1年」

「フェリーナが基礎過程終わったのは?」

「え~と、2ヶ月前くらいだったか」

「で、お前は転移魔法をマスターして、卒業寸前だった」

「まあ、後は試験を受けるだけだから、自主研究も進めてたし」

「ちなみに、フェリーナの軸属性知ってるか?」

「解・成・那・伝――だな。一緒に課題やるとき知っておくと便利だったから、覚えてる」

「ま、つまりそういうことだ」

「……何なんだ一体?」

 ワケが分からずいらいらと問いただすナーリェに、ティレグは嘆息した。

「これだもんなぁ。お前、情緒面ではカイ並みに鈍いところあるぞ」

「は?」

「ナーリェ、ここ、多分怒るトコだよ。『僕並み』って、ティレグにとっては最高……じゃないか、最低級の侮辱的表現だから」

「侮辱に使われるなら、怒るのはむしろお前の方じゃないのか?」

「……あ。そういえばそうかなぁ……」

 はたと考え込むカイの横に下げられたティレグは、情けなくなってきていた。

「――お前ら、漫才はそこまでにしてくれよ……オレが悲しくなるから」

「何が漫才なんだ。お前がワケの分からないこと言うからだぞ、ティレグ」

「分かって欲しかったんだよ……。

 あ~、だからな。魔法に長けるエルフである自分より、お前さんが早く昇級してるのが我慢できなかったんだろ。属性数でも劣るんだ。プライドに障って、嫉妬と焦燥でつい魔が差したんじゃないかな」

 唖然とした表情をつくるナーリェ。

 フェリーナに対しては、その優秀さにいつも感心していたというのに。

 あっちでは私に負けてると思っていたとでも?

「……なんだそれは。そんなことで……」

「言っておくが、エルフの種族的プライドってのは、相当高いものがあるんだぞ。

 それに、コンプレックスもあったのかもしれないし」

「コンプレックスって――」

「エルフなら通常、軸属性は5つ6つ持ってるもんなの。それが4つってことは、エルフとしては魔法的に劣等生だ」

「……だけど学院では文句無く優秀だった」

「そ。人間相手なら負けるわけが無い――のに、それをお前が脅かした」

「たった――それだけのことで?」

「それだけって言うなよ。何が大事かは、人によって違うだろ。

 その大事にしてるもんを、横からぽっと出てきた、その価値もよく分かってなさそうな奴に、やすやすとかっさらわれそうになったら、誰だって敵意を持つんじゃねぇの?――お前だって、同じ理由でカイが嫌いじゃんか」

 ぐ、と言葉に詰まるナーリェ。

 チャトムの笑顔が向いているというだけで、ひどく腹が立った理不尽な自分を思い出した。

「ああ、やっぱり僕嫌われてたんだ」とかなんとか、横でのんきに笑っているカイはとりあえず横において、ナーリェはまた本をかき回し始める。

「ま、これ以上の詳しいことは、それこそ本人に聞かないと分からないけどな――なんだよ、やっぱショックだったか?」

「……あぁ。全然そんなそぶりはみせなかったのに……」

「表に出さない分根深かったのかもしれないぜ?」

「笑顔で私の相手をしながら、心の中では憎んでたんだろうか……」

「オレにゃ分からんよ。けど――例えそうでも、そればっかりだったとは限らないってとこが、ヒトの複雑なところだからな。

 ――おっ?その表紙……なんか見覚えがある気がするぞ!?」

 ナーリェが手に取った一冊の本に反応するティレグ。

 一際古びた黒い革表紙は、ぼろぼろになっていて、表題も判読できないほどだ。

 慎重に表紙を開いて1ページ目を見てみる。

「『原点への回帰 それこそ世界の希み』……間違いねぇ。『滄軸元異説』だ」

「これが……」

 斜陽の天才の遺した『滄軸元異説』。現存する4冊目の魔術書。

 改めてその本に向き直ると、腕にかかる重みがぐっと増したような気がする。

 さきほどまで作動していた魔術陣についての理論がこの中にかかれているのだ。

 キクルー博士を筆頭に、この本に相対することを夢見てきた先達のことを思い浮かべてみると、自分の幸運に身体が震えてくるようだった。

 しかしナーリェはそれ以上ページをめくることをしなかった。

「――どした、ナーリェ?中身見たくねぇの?」

「見たい」

 即座に率直な言葉が返る。

「死ぬほど見たいに決まってる――!けど、だから……正直言って、これを見てしまったら……チャトムが悲しむようなマネを絶対しないって自信が、ない……」

 むしろ、絶対実行したくなってしまうという気がする。単純かつ熱烈な興味から。

 フェリーナの失敗を見て、なお――いや、だからこそ、改善を期して新たに実験してしまいそうな確信が。でもきっとチャトムは止めるだろう、とそちらにも確信がある。

「そういえばチャトムは、まだ『魔法』が触れちゃいけない範囲だって気がするって言っていたっけ」

 カイが相づちをうつ。

「……チャトムならそう言うだろうな。だから、今は――止めておく」

 と、ナーリェはそっと本を閉じた。

「そうだな、数年自制心を鍛えて、もう大丈夫って思えて……そのときまだ、私の隣にちゃんとチャトムがいるなら。見ても、いいかもしれない……」

 それに、ティレグは総長のチャトム評を思い出してしまう。

(――知る事への渇望と畏れを併せ持つ、穏健な知性……だっけか。なるほどね、暴走しかねない魔法ってもんを端的にあらわしてるのが、ある意味ナーリェなのかも。そうすっと、確かにナーリェにはチャトムが必要なんだろうなぁ……)

 本人に自覚があるのは幸いと言えるだろう。

「なんかなぁ。チャトムって、お前さんの情熱のブレーキなわけか?」

「……いや、そうとばかりも言えないな……推進剤になることもあるし」

「そりゃ便利。……ん?そっか、お前もしかして――」

 にやり、とした笑いが含まれていそうな声音にナーリェは思わずたじろいだ。

「今のクラスに進級したの、先月って聞いたぞ。難解な転移魔法をマスターするにしちゃ、いくら天才でも『想元者』でも、早過ぎると思ってたんだ」

「……」

「うん、絶対、その前から転移魔法の研究してたろ。で、マスターして真っ先にしたのが、自宅から学院への登校。とりあえずひとり分で実験して――次は2人分。を、ただ今開発途中、かな?」

「…………」

「つまり――自主研究進めるかたわらで、チャトムを遅刻させないためのオリジナル転移魔法を、熱っっっ心に研究していた!」

「………………」

「ぷっ……く、くく……お前、ああゆう悩み抱えて、言うべきかどうかってひとりで迷いながら、その一方でチャトムの学院生活がサポートできる術を必死で開発してたんだな……!は、ははははは!!」

「う、うるさいなっ!矛盾してるって自分でもわかってたさ!

 大体さっきからなんだ、その『想元者』ってのは!」

 顔を赤くして怒鳴るナーリェは、なんというか非常に可愛らしく。

(こりゃ、拾ったとき相当嬉しかっただろーな、マーグラム)

 とか思わず思ってしまう。ただでさえ、想元者と重複世界干渉者だ。彼女の目には、類無い光がうつっていたことだろうが、それ以上に人柄が、彼女の琴線に触れただろう。

 そしてナーリェのこういう一面は、絶対に彼女のからかいの対象になったに違いない。と確信する。

「まあそう怒るなよ。そういうのってイイよ、うん。やっぱ、お前さんってなんかどっか可愛げあるんだよな、やたらと」

 そろそろナーリェの目が危険な光を放ち始めたので、「で、想元者ってのはな」と強引に話題を変える。

「魔術時代の用語なんだ。数学的な空間認識力に優れて、十軸空間が見える魔術師に贈られる称号。

 でも、今はもう言わないんだな。フェリーナはエルフだから知ってたみたいだけど」

 聞いてしまうとどうでもよかったようで、ナーリェからはふうん、と気のない反応があっただけだった。

「おいおい、すごい名誉なことで、当時は憧れの的だったんだぜ?想元者と認められるだけで、一生食うに困らなかった。お前、生まれる時代間違えたかもしれないぞ」

「別に、もしも、なんて仮定の話に興味はない。私が生まれて生きてるのはこの時代だし」

 それに魔術時代にチャトムはいないしな、と心の中で(口にするとまたからかわれそうだったので)付け足した。

 そうしてみると、先に行った友人のことが気にかかる。

「とにかく、本も見つかったし……どちらか起こして、早く戻ろう」

 大事にハンカチでつつんだ本を脇に抱えて、ナーリェは立ちあがった。

「って、どっちを?」

「……それは……まあ、当然……」

 こっちだろ、といいながら、レイドの前まで行ってぱちんと指を鳴らす。「――解呪」

「――はっ!チャトムさん!?」

 飛び起きたレイドと額がぶつかりそうになって、ナーリェは慌てて身をそらした。

 なんだか後ろのほうで「そっちなのかよ!?」と、ティレグの抗議が聞こえるが、とりあえず無視。

 風切り音がなりそうな勢いでぐるんぐるんと部屋を見まわしたレイドは、ぎっとナーリェをにらみつけた。

「チャトムさんはどうしたんです!?」

 隠してるならすぐ出せといわんばかりだ。

 怒鳴り返すかと思われたナーリェだが、意外にもふっと悲しげな表情を作って目を伏せた。

 長いまつげが黒い瞳に落ちかかる様子が非常に効果的だ。

「……それが……あいつ、自分のせいで学院の浮遊魔術に影響があったことを気に病んで……総長にあわす顔がないから、すぐに実家に帰るって……」

 くう、と目頭を押さえるナーリェ。

 迫真の演技だ。……というか、迫真すぎてどう見ても芝居くさい、のだが……。

「な、なんですってぇ!?」

 もちろん、気づくようなレイドではなかった。

 まあ、実際前半部分は事実なわけだから、説得力があったとも言える。

「止めたんだけどね、真面目な子だから……」

「気にするこたねぇって言ったんだけどなぁ」

 とカイとティレグも追従する。

 あれだけ反目していたナーリェやティレグがこれほど協力的なのだから、どこか怪しいと思ってしかるべきなのだが……。

 もちろん、気づくようなレイドではなかった。

「なんてことでしょう!呪われた魔道建造物のひとつやふたつ、いくら壊れたところでまっったくかまわないというのに……!」

 そりゃレイドとしてはそうだろうが。

 ナーリェはわずかに片頬をひきつらせたが、神妙な表情をなんとか保つ。

「――で、チャトムさんの実家とは!?」

「帝都近くのハーシスの街」

 即答してにっこり笑ったナーリェの笑顔はあからさまに不審だった。

 というか台詞がすでに棒読みだ。

 しかし……もちろん。

 気づかないからレイドなのである。

「分かりました、ハーシスですね!」

 と、やってきた道を引き返すつもりか、真ん中の通路に飛び込もうとする。

「ちょ、ちょっと待て……!」

 ナーリェは慌ててレイドのコートのすそをつかんだ。

 ――ガシッ――バタンッ!!

 ……見事に顔面から転ぶレイド。

「あ~、痛い……あれは……」というカイのしみじみした声をバックに、がばっと立ちあがるとナーリェにつめよる。丈夫な男だ。

「何をするんです!?止めるつもりなら……!」

「いや、そうじゃなくて。帰りはさっきのところじゃダメなんだ。あれは入ってくるときの転移点だから。外に出るには、そっちの」と3つあるうちの右側の通路を差す。「通路から、一番最初の分かれ道を右に曲がって、そのまま北に直進するといい。1時間くらい歩くと、転移点ではない正規の出入り口があってな。街の北の外れに出るんだ。外からだと閉鎖されてるけど、出ることは簡単にできるから」

 丁寧な説明を、レイドは頭から信じた。

 すっ転ばされたことも忘れて、信じた。

「一番最初の分かれ道を、北ですね……っ!」

 進路を90度変えて走り出す。

 その背に手を振りながら、ナーリェはダメ押しとばかりに、

「うん。私もチャトムが心配なんだけど、事後処理とかあって後を追えないんだ。うまくつかまったら、気にすることはないから戻ってこいと伝えて――って、もう聞こえないな」

 ――ものの数秒で、白いコートは見えなくなった。

「なるほどなぁ……こういうことかい。うまいな」

 感心するティレグに、ナーリェはにやりと笑う。

「ま、出口は遠回りでも正しく教えたから、ちゃんと出られるさ。あんな物騒なのに、この基底部をあまり長くうろついて欲しくないしな」

「そんで、帝都方向にまっしぐら、か」

「レイドのことだから、現地について話がおかしいって段階になるまで、気づかないだろうねぇ……これでまたしばらく会えないかな」

 苦笑するカイ。自分が以前使った嘘がこんなところで再利用されるとは思ってもみなかった。

「しかし、見事に魔剣のことも、魔術書のことも気にかけずに走り去ったな……」

「それが律令士ってもんだ。思い込んだら一直線型ってお前さんも言っただろ。それに、極撰如律令法ができりゃ――って、あいつは属性がまずいから絶対使えないんだが――魔剣も魔術書もメじゃねぇし」

「……最優先事項がチャトムになったってことか?」

「それは……あり得る」

 ティレグが肯定すると、ナーリェは壮絶に嫌そうな顔になって、ぶつぶつと何事か考え始めた。

 カイは「まあ、コツをつかめば、かわすのはそう難しくないから……今みたいに」とかなぐさめになっているかどうか分からないことをあいまいにつぶやきつつ、

「さて、と。それじゃ」といまだに意識の戻らないフェリーナを横抱きにかかえる。

「僕らも戻ろうか」

「近道で、な」

 まだ何やら考えているナーリェを伴って、チャトムの去った通路に足を向ける。

「上は大丈夫かなぁ」

「まあ多分大丈夫だろ。傾いたっていっても体感できない程度だし」

「そうだ、ティレグ。今気がついたけど。なんか結局、あの予言……当たっちゃったかもね」

 ――淵より現れた幻が浮遊の城を傾ける。

 言われてみると……負軸干渉は止めたが、結局学院は微妙に傾いた。

「…………解釈次第だ、そんなもん」

「負け惜しみにしても覇気がないね」

「っるせ!あ~チクショ~……また帰ったときにゼイレルの嫌味を聞かされるのかよ……!」

「いつものことじゃないか」

「笑うな!お前も言われるんだぞ!!」

「僕はあまり気にしないし」

「なんでお前はいっつもそう……」

 そんなやり取りを聞きながら、やっぱりこいつらは揃ってた方がにぎやかだな、とナーリェはぼんやり考えていた。

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