28章
28
青い魔術陣が白い光を発し、ヴヴヴ――と低い音を立て始める。
「……やりやがった……!!」
うめくティレグを携えたまま、カイは一直線にフェリーナに向かった。
抵抗するいとまもあらばこそ。
瞬時に背後に腕をとられて動きを封じられる。
同時に耳元で
「――呪文はやめてね。抵抗もしないほうがいい。痛い思いさせるの、嫌なんだ」
と低い声で告げられて、フェリーナは体を硬くした。
さすがに剣を抜いて首元につきつける、まではしていないものの、脅しているくせに妙に明るい口調がかえって不気味だった。
そもそも華奢なエルフの、しかも女性にとって、物理的な暴力は不得手だ。
警戒しながら背後をうかがうと、見た顔である。
「あなた……やっぱり視察の……!そういうこと……」
思い当たったらしいフェリーナに、カイはにっこり微笑んで見せる。
「まあ、こちらにも事情があって。
でも本当に君だったんだね……エルフなのに……」
最後の一言で、フェリーナの綺麗な顔が、激情に歪んだ。
「………エルフだから、よ…………!!」
吐き捨てた言葉は、詰まるような小声で、他の者には聞こえなかっただろう。
「エルフだから……エルフだから、魔法で、人間に負けるわけにはいかないの……!!」
「……君……もしかして……」
「………っ」
そのやりとりの間にもティレグの指示が飛んでいる。
「レイド!負軸到達まで12分――30秒ってとこだ!10分でなんとかしやがれ!」
「言われるまでもありません!!」
レイドは起動し始めた魔術陣を仔細に観察し始める。
今や発動した魔術が、徐々に伝軸の座標を低くしながら異世界への干渉を行っているのが、カイ以外のものにははっきりと分かる。
ティレグはすぐさま概算で、それが負軸に達するまでの時間を割り出したのだ。
そしてそれまでに、術を解除しろと。
「チャトム!ナーリェを!」
「わ、分かった……!!」
ティレグに言われて、固まっていたチャトムも壁際のナーリェに駆け寄った。
猿ぐつわから解き始める。
「で――フェリーナ」
ティレグの声に驚いてか、視線をめぐらせる彼女に、カイが改めて声をかける。
「状況は分かっているよね。僕らは、負軸干渉が起こる前に、これを止めるために来た。
停止できるなら、君にしてもらいたいんだけど」
これには引きつったヒステリックな笑みが返ってくる。
「――は、無理よ……!
これは一度起動したら、全部オートで零点を求めるようになっているもの……。
途中で止めるなんて誰にもできない。
負軸一歩手前まできたら、自動的に止まるわ……!」
「――ダメだ……!」
遮る声は背後からのもの。
チャトムに拘束を解いてもらったナーリェだった。
頭が痛むのか、こめかみあたりを押さえつつ、顔をしかめている。
解いた縄などを握り締めながら心配そうにするチャトムに「平気だから」と言ってから続ける。
「ダメなんだ、フェリーナ……さっきからよく見たけど……なんとなく、ここの……停止機構に欠陥がある気がする。固定系ガデオン域との相乗で過負荷がかかってるんじゃないか?」
「なっ――!」
言葉をなくすフェリーナ。彼女の全身がこわばるのが、カイにはよく分かった。
ティレグからも驚きの声があがる。
「なにを……ナーリェ……そうか、お前、見えるんだな……!?十軸空間が!」
「別に……調子のいいときにちらっとイメージが浮かぶだけだ……」
「なんだよ、どうりで把握が早すぎ……。まさか『想元者』とはな……!」
「?なんだそれは」
ナーリェが眉をひそめる。カイとチャトムにも意味不明の会話だった。
だが、ただ一人。
「……『想元者』………!?うそ……そんな……!」
フェリーナが過剰な反応を示す。
泣き出しそうな表情になって、体が小刻みに震えた。
がくり、とひざが抜けて、動きを押さえつけていたはずのカイが彼女を支えるような状態になる。
「そんな……そんな……」
完全に自失の態だ。
カイは少し困ったように首を傾げると、
「……ゴメン」
一言ことわってから、フェリーナの首筋に手刀を入れた。
軽く、トン、とたたいた程度に見えたのに、くたっと簡単に気を失う。
「カイさん……?」
不安そうなチャトム。
「大丈夫。ちょっと静かにしてもらっただけだから。
それよりティレグ。ナーリェの言ったこと、本当?」
「……ああ。確かに欠陥がある。このままじゃ零点で止まらずに、負軸にまでつっこんじまう……」
「彼女には止められないっていうのも……」
「マジだな。一度作動したら止まらねぇ。――ライザード=ロウの悲劇もこうやって起きたんだろうな……」
「感慨にふけってる場合じゃないよ」
「……だが……確かに、これは停止は無理だ……。
私もさっきから機構を考えてるんだが……どうもどこから切り崩したものか、見当がつかない……」
ナーリェが髪をいらいらとかき回しながら言う。
彼女よりももっと見当がつかないチャトムは、すがるように陣を調べる律令士を見た。
「……あの、レイドさん……どうですか?」
魔術陣をにらみつけていたレイドは、いつもの不遜な態度とはかけ離れた迷いの見える顔で、
「…………難しいですね……」
という返事。
「そんなぁ……」
「でも……やってみましょう。少し下がってください」
カイは軽々とフェリーナを抱えて、チャトムたちのところに下がった。
息を殺して見守る。
入れ替わりに緊張の面持ちで中央に立つレイド。
かつてない気迫だ。
2度、深呼吸をしてから、錫杖をかまえると、床の一定の箇所をリズム良くたたき始める。
カンッ、カンッ、カカカカカッ、カッ――
「天門八卦、令を正さん――!!」
高らかな声に応えて、瞬時に部屋中の異界魂が消し飛び、魔術陣の発する光がすーっと小さく――なった直後。
また光が強まった。
「………………?」
怪訝な顔で見守る一同。
沈黙のおりた部屋の中で、魔術陣の作動する低い音だけが空虚に響く。
レイドは、ばっと腕を振り上げて、自分の頭をかき乱しながら苦悩の表情で叫んだ。
「…………………無理です……!
時間をかけずに停止させるには規模が大きすぎますっ!」
とたんにわき起こる怒号。
「……ってやっぱ失敗かよ!?」
「くぉんの……役立たずがぁ!!これがキサマの本業じゃなかったのかぁ!?律令士!」
「あなたがたに言われる筋合いはありませんっ!!!」
「やかましい!30分前までの大言壮語はどこに行った!?」
「ちょ、ちょっと……」
「まあまあ。そんな場合じゃないよ」
とりあえずカイとチャトムが割って入る。
「レイド、無理やり壊すとかはできないの?床を叩き壊したら陣が崩れるとか……」
「はっ……これだから無知蒙昧の輩は!」
軽蔑もあらわに、大仰に肩をすくめる。
そんな態度にも、わずかばかり焦りが見えていたが。
「これだけの規模の完成された魔術装置を無理に破壊したら、暴走の危険があります……!」
「安全に壊すのは無理?」
レイドが屈辱に顔を歪める。
「………………3日いただければなんとか」
「……無理なんだね。打つ手ナシ、かな」
「ちょ、ちょっとカイさん、そんなあっさり……」
「いや……まだ手はある」
重々しく口を挟んだのはティレグだ。
「本当に最後の手段だけどな……チャトム」
いきなり呼ばれてチャトムの心臓が跳ね上がる。
「え?えええええ!?あ、あたし!?」
意味もなく左右を見回し――皆の視線が自分に集中しているのにうろたえた。
もとより、他に「チャトム」がいるわけがない。
「そーだ!もう止められるのはお前しかいねぇ!」
「な、何言ってるのティレグ……あたしに何ができるっていうの?!」
伝説の魔剣と学院の天才でも歯が立たない魔術陣を前に。
プロフェッショナルの律令士もさじを投げた、この状況で。
魔法のひとつも使えないのに?
「昨日の約束を果たしてやるよ。お前の軸属性を教えてやる!昨日、講堂の探査をやったときの感覚は覚えてるだろうな?」
「え?え?」
なにやら頭がぐるぐるしてきた。
目もぐるぐるしてきたような気がする。
「ちょっと待って、ティレグ」
混乱の極みにあるチャトムを見かねて、カイは静かに近づくと、ぽん、と肩を叩いた。
「大丈夫。落ち着いて」
「カイさん……っ」
涙目になっている瞳をじっと覗き込んで、そっとティレグを握らせる。
ナーリェとレイドがむっとした表情を作ったが、二人とも気づかなかった。
「ティレグはね、会ったときから、君のこと気にしてた。
昨日も何か確認して、確信があるからこう言ってる。
君には多分、まだ自分も知らない能力があるんだよ」
「…………そう、なんですか……?」
「うん。同じような人を知っていたって。
さすがに500年も生きると、顔が広いんだから――顔、ないけど」
とぼけた口調に、チャトムがちょっと笑った。
合わせてカイも微笑む。
「こうやって、持って――昨日みたいにティレグが誘導してくれる。
時間がないから、説明が足りなくて怯えちゃうかもしれないけど……大丈夫、信じて」
「で、でもあたし……」
「自分を信じられなくてもいいから、ティレグを信じて。
ついでに、ティレグに確信があるって言う、僕の言葉を信じて。
……どう?できる?」
「……っ」
肩に置かれたままの手が温かい。
状況はさっぱり見えないし。
自信なんてないけど。
でも。
カイの目は、優しい色をたたえて微笑んでいて――この仕事を引き受けたときのことを思い出させた。
自信なんて少しもないけど。
でも、カイとティレグを信じられるかと言ったら。
それは――。
「……………はい………」
気がつくと首肯していた。
「よし、いいかチャトム。お前いつも魔法使おうとすると途中で失敗するって言ってたな。
昨日も、出だしは良かったけど、すぐ強制的なキャンセルが入るみたいに干渉が立ち消えた」
「う、うん……」
ティレグを握って部屋の中央に移動したチャトムを、他の3人が見守っている。
レイドは間断なくわき出る異界魂を消しながら。
ナーリェは陣をにらみつけて対策を考えながら。
カイは気を失ったフェリーナの様子を見ながら。
「こらこら、気負うのは止めろ、リラックスだ。自然体なのが一番いいんだ」
「う。がんばってみる……」
「だから頑張るなって。お前が生まれつき備えてた能力を使うだけなんだから。
深呼吸して……カイのボケ面でも思い浮かべてろ」
「えっええ?」
瞬時に顔を赤くするチャトム。
なんか向こうでナーリェが額に青筋浮かべているが、とりあえず誰も気づいていなかった。
「ん、まあ余分な力が抜けたな。よし」
「……も~~~っ……」
「んで、いつも魔法が失敗するときの感覚を思い出せ。
お前言ってたな、内側からあふれだすものがあるって」
「うん……」
「いつもはそれを押さえつけようと頑張ってるんだろうが、今回だけは、それを受け入れろ。
身を任せて、それに浸りこむような感じ。そのままその感覚が膨らむに任せる――分かるか?」
「……うん……なんとなく分かる」
「十分だ。それだけに集中できるように目は閉じちまえ」
「……これでいい?」
「んで、そうだな、いっそ簡単な魔法を使いかけてみよう。ライヤーナ理論の炎の魔法とか」
「いつも失敗するやつね……ん、やってみる。
――リームイーク=ア=アル=ソル=ラム……」
「……そう……そうだ……最初は干渉を構築できるのに、そのうち邪魔が入る……。
そう、その感覚。それを……そのまま……うまいぞ……」
感覚を同調させながら、チャトムの精神統一を誘導していく。
すでにチャトムの呪文は止まっていた。
内奥の感覚に集中し始めたらしい。
いつも実技をやるたびに、あった感覚。
界軸への干渉を強めていくと、身体と心の内側から何かがあふれてきて……。
無理に押さえこもうとするとぱぁんっと弾けて、魔法が失敗しているのだった。
(押さえこまない……自然に……あふれるに任せて……。
大丈夫、怖くない。ティレグが助けてくれるから……)
冷たいはずの金属の感触が、不思議と温かく安心させてくれる。
(それに……カイさんが。信じてって……)
「うん、その調子だ……」
満足そうなティレグの声に、安堵感が高まった。
ふと、様子を見守っていたナーリェがぴくりと眉を跳ね上げる。
「な……なんだ、これは……もしかして……?」
「ナーリェ?何か分かるの?」
隣のカイが小声で尋ねると上の空の答えが返ってきた。
「……干渉系なんだ。確かに、どこかの世界律を引き入れようとしてる……のが、みえる……。
でも……その対象があまりに……自然というか……重複……いや、まさか、そんなこと……」
その間にもチャトムとティレグのやり取りは続く。
「……よし、イイ子だ……。そのまま、オレに続いて呪文を唱えろ……」
「……ん……」
目を閉じて、ティレグの誘導のまま感覚の中を漂っているチャトムは、素直にうなづいて復唱を始める。
「央門全卦」
「お、央門……全、卦……」
これに激しく反応したのはレイドである。
「そ、それは――!!!」
チャトムたちはかまわず続ける。
「界を開かん」
「界を……開かん――!」
その瞬間。
チャトムを中心に、風が渦巻いたような――気がした。




