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25章

 25


 ティレグの真摯な願いが届いたかは別として、カイは無事道案内を行える同行者を伴って、先を急いでいた。

「――で、その石像翼竜の破片を踏みしめて思ったんだよね。黄金パイナップルはもうゴメンだって――」

「う、く、あははははっ!そ、それは大変でしたね――!」

 ――いや、多分……急いでいる。

 カイとチャトムは数百メートル隔てた何枚もの壁の向こうで、何が起こっているかなど知る由もなく、なごやかに歩を稼いでいた。

 まあ実は見た目ほど緊張感がないわけではないのだ。

 カイは剣の柄に手をかけて周囲を警戒していたし、チャトムは片手でせっせと異界魂避けの印を切っている。

 異界魂の対処法の基本は、まず意識を集中することだ。

 自分をしっかりもって、異世界のものに影響されないぞ、という意志を絶えず心中に置くこと。

 実はこれだけで濃度の薄い異界魂なら、問題なくその中を歩いたりできる。

 これに次いで、おまじない程度の気休めだが、この世界の世界律を象徴するのだという印を手で組んだり、言葉を口で唱えつづけたり、という手法もいくつかある。

 チャトムが行っているのもそのひとつだ。学院で教えられた。

 更に濃くなると結界を張ったほうが良いのだが、これはチャトムにもカイにも行えない。

「いっそ固まって凝縮してくれていたりすると、この剣で『斬る』ってこともできるんだけど。だから僕らにとっては、まんべんなく濃く広がっているってのが一番対処に困るよね」

 というカイの言葉にうなづきながら、チャトムはまた落ち込み気味だった。

 ナーリェなら強固な結界をさらりと張ってしまうだろう――まあこれは事実として完全に正しい。

(あたしってやっぱり――ふぅ。前途多難だなぁ……)

 そんなチャトムの内心を慰めるつもりなのか無意識なのか、カイは歩きながら笑える冒険談などを披露しているわけだ。

 ただ、実はチャトムは自分が思っているほど無為でもなかった。

 つまり彼女は、律令士たちが褒め称えるほどに、この世界に安定した存在属性を有するチャムチャム族だ、ということだ。

 実際は立っているだけで、異界魂の害を相当量緩和している。

 結界を持たない無防備な彼らが、問題なくここまで進めてきているのも、そのおかげといえる。

 ただそれが分かるティレグやレイドはこの場にはいないので――二人は「意外と異界魂が濃くない」「ラッキーだ」などと言い合いながら、チャトムの判断に従って、南部の転移地点から、北に向かって進んでいるのだった。

 そして――ひとつの小部屋の手前にさしかかる。

「ちょっと待って下さい、カイさん……」

 チャトムの制止にカイが歩みを止める。

「?どうしたの?」

「えっと、分かりません?この先の……小部屋なんですけど」

 彼女が指差す先には20メートルほどの通路の先に部屋が開けているようだった。

 言われてカイは改めてその先を凝視した。

 遠目ではっきりとは分からないのだが、よく見ると――なにやらもやのような白っぽいものが渦巻いているようだ。

「もしかして……異界魂?」

「そうみたいです。確かに考えてみると――」

 とここでこめかみに人差し指を当てて、基底部の構造を思い出す。

「ここの先の部屋って、世界律の伝達経路からして……異界魂の吹きだまりっていうか、集まりやすい場所になってるんですよね」

「なるほど、遺跡調査してたりしても、たいていそう言うところが何箇所かあるものだしね」

「迂回することも可能なんですけど、かなり後戻りしなきゃいけないから時間がかかっちゃいます。

 でもあの濃度は……ちょっと危険ですよね。意思的に襲い掛かってきてもおかしくないような濃さだし……」

 言いながらカイを見上げると、彼は安心させるように笑って総長に借りた剣の鍔を鳴らした。

「いっそ、だからこそ対処のしようもある。ちょっと量が多し、ティレグのサポートがないのは惜しいけど……なんとかなると思うよ」

 チャトムはなぜだか少しどきどきした。

 戦闘に入ると予告されたのは初めてだからだろうか。それともティレグがいないのが不安なのか……。

「斬る、んですね?」

「うん。ここから一気に走り込む。君は……そばは危ないけどあまり離れるのも不安だから、入り口あたりまでいっしょに走って、そこで待っててくれる?」

「は、はい……!」

 チャトムは緊張しながらうなづき、身構えた。気合を入れて握った拳がかすかに汗ばむ。

「行くよ。3、2、1――スタート!」

 同時にダッシュ。

 チャトムのほうが足が遅かったので、自然とカイの後ろにつくような形になった。

 ほんの数秒で走りつめられる距離だったが、チャトムは入り口に到達する寸前、カイがちらりと振り向いて自分がついてきているのを確認するのを目にした。

 なんだか少し緊張が和らぐ。

 チャトムは入り口手前で急停止。カイはそのまま部屋に走り込んだ。

 部屋は10メートル四方ほどの正方形。

 例に漏れず壁や天井に魔術紋様が刻まれ、四方の壁にそれぞれ通路がつながっているようだ。

「が、頑張ってください……カイさん……!」

 せめてカイの背中にそう声をかけるチャトムに、彼は再び振り向いて微笑んで見せるなり――剣を抜き放った。

 大振りな白い刀剣が軽々舞う。

 刀身が白いもやのように凝り固まった異界魂を両断すると、それが霧散する。

 宙を素振りしているかに見える剣筋だが、きちんと異界魂の集まっている個所を狙っていた。

 ――キ、キ、キキキキィ――

 耳障りなきしみ音を立てて異界魂のかたまりが彼に向かってくる。

 濃密な異界魂になると生命体に対して指向性を持つものなのだ。

 そもそも目に見える形や耳に聞こえる音を持たないのが常である異界魂が、これだけ分かりやすい形態になっている濃度自体が、その危険性の証左でもある。

(こんな濃い異界魂は、魔法実験が毎日行われてる学院の実験室でも、あまり見たことない……!)

 チャトムは気休めだとは思いつつ、カイの背後で異界魂対策の印を切った。

 しかし実際、カイはそんなもの必要ないだろうと思えるくらいに良く動いている。

 ティレグもいないというのに――360度どこからでも向かってくる異界魂に対して縦横無尽に剣を振るう。

 まさか背後に目がついてるワケでもないのだから、感覚知覚を総動員して察知しているのだろう。

 一瞬の緩みも無駄もない緻密な、というのに自然体な、その動き。

 これなら『剣』はティレグでなくてもいいのだと言い切ったのにも、うなづける。

 流れる剣の軌跡が水のようだ。

(なんか……キレイ……)

 カイが剣を使うのを見るのは三度目という余裕からか、チャトムはほどんど見とれていた。

 右手前方を水平に薙ぐなり身を沈めて剣を突き上げ、それを追うようにジャンプしながら身をひねり、左手後方のことさら大きな塊を縦切り。着地と同時に振り向く動きのまま振り払うように剣を繰り出す――と、そこで動きの流れが一瞬滞った。

「カイさん!?」

 彼はチャトムから向かって右側の通路口をにらみながら微笑んだ。

「これは――珍しいものがあるなぁ……」

 その通路から現れたのは――黒い、人型の――

「『影人』!?」

「そう、みたいだね。ここはこう言うところまで魔術時代の様式を真似てるの?」

「まさか!そんなの――いるわけありません……!」

「じゃあ――」

 話す間にも彼は異界魂を斬り続けている。

「犯人さんの、歓迎かな?」

「そんな――!」

 影人なんて魔術時代の、すでに失われた技術だ。木材も特殊だし。たとえ学院関係者でも……こんなことができる者などいるのだろうか。

(あ、でも、元の人形さえ整ってたら、新たに命じることくらいは……って、そんなものどうやって調達するの?)

 考えている間に影人はカイに走り寄っている。

 片手間というのはさすがにカイでも荷が重いのではと思ったのだが、彼は動じる様子もなく淡々と異界魂を片付けながら迎え撃つ。

 チャトムが見守る前でカイの体がふっと沈んだ。

 影人は二歩手前。

「――はっ」

 気合一閃。

 踏込みと同時に大剣が抜き払われる。

 ――両断。

「う、うそ……!」

 我が目が一瞬信じられなかったが、影人は胴体部で綺麗に上下に二分されて、その場にかしゃん、と崩れ落ちた。

 なんと。いくら木製とはいえ……こんなことが可能なのか?

 しかし、人の技に感嘆している場合でもなかったのだ。

 唖然とカイの手際を見守るチャトムだったが、突然。

 背後から肘を引かれた。

「!!」

 振り返ると――影人がもう一体。

 通りすぎた通路のどこからか忍び寄っていたらしい。

「み、みゃぁあああああぁ!?」

 慌てて飛び退くが、つかまれた肘に引っ張られる反動で態勢が崩れてしまう。

「チャトム!?」

「カ、カイさぁん~~~~っ」

 つかまれた肘でかろうじて転ばずにすんでいるような、情けない態勢のチャトムから情けない声があがる。

 闘いながら部屋の中央付近まで来ていたカイは、異界魂を払い切りつつ通路入り口に駆け寄ろうと――した、のだが。

 何物かに足を取られた。

「く!?」

 見下ろすと、両断された影人の上半身の腕が伸びている。

「まだ……動くのか……!」

 やはりこう言うところは、ティレグがいないとどうしようもなく不便だ。

 完全停止させられたかどうか教えて貰えないんだから。

 躊躇なくかかとのすぐ横の、粗悪な木偶人形の手首めがけて剣を振り下ろし、足の自由を確保した、まさにその瞬間。

「天門一卦、芥を払わん!!」

 聞き覚えのある声がして――部屋中の異界魂が消滅した。

 左壁面の通路から飛び出した白い風が、カイの横をすり抜ける。

 じたじたとあまり意味のない抵抗をしていたチャトムが、がく然と動きを止めた。

 そして――

「邪術、めっきゃぁぁああくっ!」

 回転を交えつつ繰り出された錫杖が、チャトムを捕らえようとしていた影人の額を打ち抜く。

 ――パキィイインッ

 予想されたような木の弾ける軽い音でなく、水晶の砕けるような音がした。

 糸が切れたように崩れ落ちる影人。

「まるで――図ったようなタイミングだね――」

 同じく足元の影人の額を剣で貫いたカイは、剣を収めながら苦笑した。

 チャトムを助け起こした白衣の美青年が、銀色の髪を払い上げて悠然と微笑する。

「ふっ……負け惜しみにしか聞こえませんよ」


 レイドが合流したことで、行軍は比較にならないくらい楽になった。

 何しろ彼の張った結界は完璧としか言いようのないものだったし、律令術で異界魂を端から消し飛ばしてくれるし、道順はチャトムが把握していた。

 更に言うと影人はもう出てこなかった。あんな貴重品は、そう何体もあるものではないと思うけれど。

「あの、レイドさん。さっきはありがとうございました。助けてくれて」

「いぃえ。あなたのお力になれるのは、律令士として妙なる喜びです。やはり師のお導きのおかげでしょうね……!」

「そ、そぉですか……」

 うやうやしく手をとられ、中空を仰ぎながら感激した声を上げられて、チャトムはうろたえて背後を振り返った。

 数歩遅れてついてきているカイは、にっこり微笑むのみ。

 二人が並んで歩くのにちょうど良い幅の通路で、異界魂に対処できるレイドと道案内のチャトムが先頭に立つという、非常に合理的な配置だったが、なぜ落ち着かない気分なのだろう……。

「え~っと、レイドさんは、おひとりで転移したんですか?」

「ええ、北西部に。……おぞましい感触でした……!」

 襟元にムカデでも放り込まれたような戦慄の表情で語るレイド。

 チャトムはとりあえず乾いた笑いでも浮かべるしかない。

 しかし北西部の転移地点からだとすると、あの部屋にたどり着いたというのはかなりの遠回りなのだが。

 そう思って、

「一人で大丈夫でしたか?道に迷ったりはしませんでした?」

 とたずねると、彼は「おお!」とか叫んで大げさにのけぞった。

(え?え?あたしなんかマズイこと言った?)

 しかしチャトムの焦りは杞憂だったりする。

「なんと――お優しい心遣いでしょう……!ありがとうございます!

 ですが、心配御無用!律令士は歪みの感知と方向感覚にかけては他の追随を許しません……もちろん、一瞬たりとの迷いなく、あの場にたどり着きましたよ……!」

 いやだから、それが遠回りなんですが――とは、感涙にむせぶ彼に言えないチャトム。

「あ、じゃ、じゃあ、その感知の能力で、さっきの『影人』の命令中枢の帥晶の位置が額だって、すぐ分かったんですね」

 代わりに無難なフォローを入れると、

「ええ、ああ言ったものの見極めは、我らの専門ですから」

 律令士の麗顔が蕩けるように笑んだ。至極、幸せそうに。

 これには思わず言葉につまる。

(う、参っちゃうよぅ……男の人なのにこの凶器的笑顔は反則だよう……)

 ふと彼に自分の父親と同じ形容をしていたナーリェの言葉を思い出してしまう。

 今までチャトムが知るうちで一番顔の良い男性というと、彼女の父親だったからだ。

 ――もっとも、ナーリェのあれは否定的な暴言だったが。

 でも。まあ結局。

 思想は極端ではあるものの、一生懸命だし一途だし純粋だし。

 暴走気味で理解しがたいけど、「役に立てて嬉しい」と言ったのは、この笑顔を見る限り、偽りない本心のようだし。

(結局――悪いヒトではないのよね)

 少なくとも、自分に好意を持ってくれているらしい相手を邪険になんてできない。

 ――なんて笑顔ひとつで、魔法士、それも魔術遺跡を研究しようという魔法士にとっては、害以外の何者でもないような彼にさえほだされるチャトムこそ、相当なものなのだが。

 そうして顔を赤くするチャトムを、微笑みながら後ろから眺めていたカイだったが、ふと口を開いた。

「でも……そうすると、残る一ヶ所は、ティレグとナーリェのペアってことだねぇ……」

 魔剣と魔女の名前を耳にして、笑顔を瞬時に嫌悪感いっぱいの苦い顔に変えるレイドとは対照的に、チャトムは弾んだ声を上げた。

「あ、そうですよね。なんか妙に強そうな取り合わせ……!

 位置的にも近いし、これは本当に、あたし達が着く前に片付いてたりするかもしれませんねっ」

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