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22章

 22


 気がつくといつもの場所に立っていた。

 ちょっとした広さの小部屋である。天井は結構高い。

 部屋の左右が大人2人が並んで余裕で歩ける程度の通路につながっていて、石でできた部屋と通路には、壁や天井にびっしりと魔術のこもった紋様が刻まれている。

 その模様が「……ヴゥ……ン……」とかすかに虫の羽音のような音を立てながらぼんやりした光を放っているせいで、あたりは薄明るい。

 地下特有の湿った空気が少々肌寒いが、それらしいかび臭さがないのが、ここが超自然的な――異界の世界律に近しい場所なのだと思わせる。

 ただ代わりと言ってはなんだが、ほんの少し異界魂の気配がする。音も匂いもないし、見えもしないのだが、どこかが「ズレている」ような感覚。この程度ならまったく問題ない濃度だが、目的の現場に近づくともっと濃くなるかもしれない。

 ナーリェは一瞬でそこまで考えると、周囲の模様を確認して、ここが何度か訪れた、基底部の北東部に位置する小部屋だと確信した。

 やはり人数が増えても飛ばされる場所は変わらなかったらしい。

 しかし左右を見ても人影はなし。

(どうもここに飛ばされたのは私ひとりだったらしいな。

 まあ別に困りはしないが。

 できればチャトムと一緒が良かったんだがな……心配だし……)

 言っても詮無い事ではあるので、ナーリェは諦めて歩き出そうとした――と。

「おいおい、ちょっと待てよナーリェ、オレを置いてくなって」

 足元から聞き覚えのある声がした。

 ――魔剣ティラザーグ。

 ここに飛ばされたのは、ひとりではなく、ひとりと一本、か。

 薄暗い中で黒い剣が見えにくかったらしい。

「ふぅん、本当に持ち主とバラけてしまうんだな」

 しゃがみこんで剣の鞘に手をかける。剣帯などはないので少々持ちにくいかもしれない。

「ああ……できりゃ同じトコに飛ばされて欲しかったけどなー。ま、いいや。お前さんならレイドより百倍マシってもんだ」

 それはナーリェも同じ気持ちではあった。ただ残りがチャトムと剣士と、あの律令士とかいうのだと思うと、そちらの配置が少々心もとない。

「私としては残りの人員の配置も気になるが――って……やっぱり重いな……」

 床から剣を持ち上げてみて改めて気付く、その慣れない重さ。

 先刻持ったときはあまり意識しなかったが、こんなものを下げて歩くのかと思うと結構な負担だ。

「ああ、そうだな。ちょっと待ってろ……」

 言うなり、ふっと腕が軽くなった。

「……!」

「……ん、こんなもんかな。半分くらいの重さだろ?」

「……あ、ああ……重力制御系の魔術か。スゴイな、本当に呪文がいらないとは」

 術自体はそれほど高度なものではないのだが、思わずしげしげ見つめてしまう。

「うん、面白い。もう一度やってくれないか?」

「おいおい……見世物じゃねぇっつの。それにカイが側にいないからオレの力は半減してるんだぞ。そうそう無駄遣いできないからダメ」

「そうか……なら仕方ないな」

 ナーリェはこれからも機会はあると思って聞き分け良く諦めると、ふと思いついて制服のポケットからブックバンドを取り出した。

「お。なんか便利なもん常備してるな、さすが学生」

「まぁな。いつたくさん本を抱えなきゃならない羽目になるか分からないからな」

 言いながら手早くティレグの鞘と柄に巻きつける。止め具でとめて、余りの分で肩に下げる――随分持ちやすくなった。

「よし。こんなもんでいいだろう。さて――行くか。

 できれば一番に現地について、カタをつけよう」

「そだな、どー考えてもここが一番戦力になりそーだもんな」


 チャトムは思わず仰ぎ見るように周囲を見回し、感嘆の息を吐いた。

「う、わぁ……」

 息を呑むほど見事な魔術の再現だった。魔力を内在した精緻な文字の列が圧倒的な存在感で四方から迫ってくる。

 何より心に響くのは、その仕事が自分と同時代の人達の熱意が成したものだと言うことだ。

 いくら下地のテキストがあったにしても、これだけのものが自分たちにも作り得るのだと言う事実がここに存在している。

(これなら『寝食を忘れる』って言うナーリェの言葉にもうなづけるなぁ……)

 状況が許せば自分だって今にも壁に取りすがって仔細に観察したいところだ。

 いや、状況が許さないのに妙にわくわくしてしまっているというか。

(いいなぁ、いいなぁ、ナーリェ。きっとここ10日くらい楽しかったよね)

 あの研究熱心なナーリェの事だ。初めてこの場に立った時にどれほど目を輝かせただろう。どんな表情でこの中を歩き回ったか、目に見えるようだ。

 でも。

(――でも……ナーリェはそれを、こんな嬉しい事を、あたしに話してくれなかったんだね……)

 さっき課題について聞いたときはそれどころではなかったけれど。

 それは、なんだか、改めて考えると――。

「すごいものだねぇ」

 ふっと暗くなりかけた気分を背後からした声がぶち壊す。

 チャトムは慌てて振り返った。

「――カイさん!!」

「ハイ」チャトムの後ろに立っていたカイはくすくす笑うと、ふざけて手を挨拶するように左右に振った。

「やっぱり気付いてなかったね。せっかく一緒のとこに飛んだのに」

 チャトムは真っ赤になる。基底部の様子に目を奪われて、すぐ横にいたカイに気がつかなかったのだ。

「す、すみません……!!」

「いやいや、仕方ないよ。僕でさえこの壮観には感心するからね。学院生徒にとってはネコにマタタビだよ」

「えへ、えへへ……」

 照れ笑いで誤魔化しながらチャトムは壁に近づいた。軽く壁に触れて紋様の解読にかかる。

「で、でも良かった~。ひとりだったらどうしようって思ってたんです」

「うん、まあ順当な組み合わせってところだよね。僕もひとりだったらどうしようもないなぁって思ってたんだ。思ったとおり……ティレグもいないし」

 カイが空っぽの剣帯を示して苦笑した。

「そうですよね、やっぱり離れると不安だったりします?」

 カイは「う~ん、そうだなぁ」とうなりながら肩にかけていた刀袋を下げて中から剣を取り出す。

 沈んだ青に彩られたシンプルな形状で、ティレグより大きくて厚く長い。

 柄に一粒、ちらちらと朱色の光が薄く揺れる白い魔石が組みこまれていて、それが剣が帯びる魔力の源のようだ。

「あ、それ、総長が貸してくれた剣ですか?」

「そう、なかなかの業物だよ」

 言いながら慣れた手つきで剣帯にかちゃ、とつける。

「キレイな剣ですね……重そうだけど」

「両手剣だからね。でも、まあ里の鍛錬で大抵の武器は使えるように仕込まれてるから……」

 言いながらすらっと剣を抜き、言葉通り堂に入った仕草で数度振る。

 重そうな剣を軽がる扱うのに少し驚いた。(はぁ……やっぱり力があるんだろうな)なんて思ったりする。

 こちらの剣にはティレグと違って、普通の金属色の刀身に、魔術文字が薄く焼きつけてある。

「ん、大丈夫。使えそうだ。

 そう言う意味では『剣』としては必ずしもティレグである必要はないんだけどね」

「え……?」

 意外な言葉に驚くと、カイは平然と剣を鞘におさめて、

「でも『相方』はやっぱりティレグだから。不安っていうより、ちょっとさみしい、とか、物足りない、かな」

「……へぇ」

 なるほど、道具というだけの存在ではないのだな、とチャトムは思う。

 それは確かにあれだけ確固とした自我があるならそうなるだろうが。

(うん?そっか。自我か……)ふと自分の考えであることに思い当たる。

 しかしそれはまず置いておいて。

 チャトムは壁から手を離して振りかえった。

「うん、分かりました。壁から読んだここの機能からして、この場所は基底部の南部にある部屋です。なんか目指す場所に一番遠いところに飛ばされちゃったみたいですね」

「……すごい、さすがだね。そんなこと分かるんだ」

「えへへ、でも基底部は巨大な魔術陣みたいなものですから。通路の構造が即機能なんです。だから機能から場所を割り出すのも簡単だし、さっきナーリェの書いた設計図も見せてもらったから道順も分かると思います。――こっちですよ」

 言ってチャトムは部屋から出ている三つの通路のうち、真ん中のものを指し示した。

 カイはうなづいてチャトムの方に歩み寄った。

 しみじみひとりでなくて助かったなぁと思う。ひとりだったら絶対に迷った自信がある。

「よし、行こう。一番遠いってことはもしかしたら着いたら全部片付いてるってこともありえるけどね」

「う~ん、でも……あたしは他の組み合わせがちょっと……不安ですけど……」

 残るはナーリェとティレグと――レイド。

「特に……その、レイドさんが誰と一緒か、とか……」

 カイがああ、と言ってくすっと笑う。あんまり笑い事でもないような気がするのだが……。

「まあ――多分なんとかなってるさ。彼はあれで、誰よりプロだからね。相応の分別くらいはあるよ」

 にこにこと言うカイの方が彼との付き合いは長いわけだから、信用するべきなのだろうが……どうもレイドの言動を思い返すにつけ、一抹の、どころでない不安があるのは気のせいなのだろうか?

(だって『魔剣』に『魔女』……だよ……?)

 しかし大丈夫だといってくれるカイに面と向かって、不吉な事を言うものでもないだろうし。

 結局チャトムには2割の期待と3割の願望と5割の祈りを込めてつぶやくにとどめた。

「そう……だと、いいですね」


 さて。というわけで残るひとりは。

「くぅ……なんというおぞましい感覚でしょう……!!」

 転移するなり、北西部の小部屋でさっそくめまいに襲われていた。

 言葉に忠実に、芝居がかった仕草でよろけてみせ――いやギャラリーは全くいないので見る者はないわけだが、そんなことはもちろん関係なく、よろけてみせる。

 そもそも強制的な転移魔術にかかるというのが「二日酔いの胃に油で揚げた肉を押しこまれるような(レイド談)」感覚である上に、ついた先は巨大な魔術陣の真っ只中に等しい地下基底部だ。

 壁に刻まれた精緻な魔術的紋様も、彼の目には「下町裏通りの壁に素行の悪い連中がしただんだらな落書き」みたいに見える。

 さらに辺りにただようかすかな異界魂の気配が「肺を消毒液で満たされたような」圧迫感と人工的な匂いを感じさせ――

「ふ、ふふふ……おぞましいことこの上ない魔術建造物……なにやらあたり構わず壊してしまいたくなりますね……っっ!!」

 いやそれはちょっとまずいんですが。

 しかし彼は思わず頭に上った案を実行に移す前にちゃんと思い出した。


――あそこがその破壊工作とやらの対象になったら取り返しがつかないだろう……!

――規範を理知によって読み解く術も知らず、ただ諾々とカビの生えた思想に従う事に喜びを見出すような――

――浮遊魔術を支える基底部に損壊でも生じようものなら大惨事だからな。


「~~~まさかっ!!!間違ってもあんな魔女の予測になんぞ従いません!!ええ、当然ですともっ!!」

 なによりもまずナーリェへの反感からそう決意するレイド。

 思いきり「一時的な表層の部分に流されて」いる。(どこが分別?)

 しかし、常識離れな白衣を着た律令士が大声で独り言を叫び、銀髪を振り乱して地団駄をひとりっきりで踏んでいる図と言うのは……この場の設立に身命を賭した過去の賢人達が見たら、ちょっぴり泣きたくなったに違いない。

「それに」

 と彼はムカツク胸を押さえて考えた。彼は考えたことは全部口にするので言った、ということでもあるのだが、考えた。


――最悪の場合、学院が降ってきて、あたし達生き埋めになっちゃいます……から……


「そうっあの方もそう言っていましたしねっ」

 そうしてチャトムの事を思い出すと少し気分が良くなった。

 やっぱり人間、良い事を思い描くようにした方が精神衛生上良いものだ。

 レイドは努めてチャトムの周囲の安定した世界律の流れなどを記憶から引き出す。

 苛立ちがおさまって少し気分が晴れた。てきめんだ。

「ふう……少し落ちつきました」

 さらりと額の汗をぬぐう。

「やはり彼女の言葉はきちんと守らないといけませんね。何しろチャムチャム族ですし。

 実際あれほどチャムチャム族らしいチャムチャム族の方は初めて見ましたしね」

 彼にとっては最上級の誉め言葉である。語尾に♪でもつきそうなくらいだ。

 チャトムとナーリェの言葉は、それぞれまったく別の方向性で、レイドに基底部破壊を思いとどまらせたわけだ。

 そもそも彼の、というか律令士の『チャムチャム族』への思慕は開祖ライエンの教義(といっても彼らには忌むべき魔術師たちのように書物を残す慣例はほとんどないので、口伝によるのだが)に遺された言葉に端を発する。

 そこにはわざわざひとつ「チャムチャム族について」の項が設けられており、いわくこの世界への帰順性の高い理想的な種族と語られている。

 そう。魔法適性の低い種族というのは、返せば異世界への干渉力が弱い。よりこの世界に即した体質を供えているのだ。呪わしいエルフ族や有翼人などとは違って、その存在は安定してこの世界にあり、清々しい気を発している。

 わけてもチャトムは、レイドの目には特に優れてうつる。非常に安定した存在属性は輝くばかりだ。――それはつまり魔法士としての極端なほどの適性のなさを示しているわけで――本人は聞いても喜ばないだろうが。

 かくて気分を回復したレイドはばっと錫杖を構えると――何度も言うがこの場には彼ひとりだ――

「さぁ!行きますよ!!魔術滅すべしっっ!!」

 気合を入れて、世界律の歪みを感じる異界魂の大元とおぼしき方向――彼の体に染み付いている律令士としての方向感覚と歪み感知感覚が示す方向はそちらだったのだ――に突進していった。

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