18章
18
――昨日図書館でナーリェに会った時に、彼女が持っていた本のタイトルです。
その言葉に、一瞬にして思考が蒸発して、頭が真っ白になるのが分かった。
一体、何を言っているのだろう、カイは。
呆然とするチャトムの前では総長とティレグが身を乗り出すようにカイに応じている。
「おい、お前そりゃ本当か?」
「間違いないよ。これくらいの大きさの……」
「……ええ、それは確かに私の言ったものですね」
だって、だってそんな。
――ナーリェがそんな本を読んでいたからってなんだって言うの?
小刻みに体を震わせるチャトムに気づかず、総長がするりと痩せたあごをなでてつぶやく。
「……そう、今ナーリェは自主研究を準備している最中ですか」
そう、その通り。彼女は今研究生になるための研究課題を行っているところだ。
「そりゃぁひょっとするとひょっとするな。――おいチャトム」
ティレグに呼ばれて反射的に顔を上げる。
「ここ最近のナーリェの行動ってどうだ?研究課題は進んでるようだったか?」
「え?ええと――ここ10日くらい研究にのめり込んでるみたいで帰りが遅くて……昨日は珍しく早かったけど」
自分の声が数瞬遅れて耳に届いてからやっと、真っ白な頭のまま機械的に問いに答えていた事に気付く。
「結構進んでるみたい、だったよ。ほぼまとまりかけてるし内容もイイ感じだって……」
そう、そんな話をしたのもつい昨日のことだ。
色々あったせいで随分遠い事のような気がしていたが。
ティレグはこれにも「ほぉう、まとまりかけてるのか……それで、昨日は帰宅が早かったのかな」などとつぶやいて、次に総長に話をふった。
「なぁ総長さんよ、ナーリェの『軸属性』はなんだ?」
チャトムは自分の心臓がぎゅっと音を立てて縮んだような気がした。
「……そうですね、ナーリェは10年にひとりの天才と言われる子ですから。『属性』も沢山持っていますよ」
総長の言うとおり。
相性の良い軸を示す『軸属性』を多く持っている事が魔法士としてのひとつの適性だ。
干渉しやすい界軸がたくさんあるということは、それだけ多くの魔法の実行力を潜在的に備えていると言う事なのだから。
通常は1つ2つの『属性』がそれ以上あるということは、すでに魔法士として天性の素質があると言って良い。
確か、ナーリェの『軸属性』は……解と集と成……それから……。
チャトムが思い出そうとする前に総長がさらりと答えを並べた。
「解・集・成・示……そして、伝と破、全部で6つです」
――ナーリェが昨日持っていたという本。
――ここしばらく帰りの遅い事。
――まだあたしの知らない自主研究の課題。
――犯人の選んだ軸は伝軸で――。
「よし、決まりだな」
相変わらず白い頭の中でそんな言葉が意味も成さずに踊っている状態だったチャトムには、そのティレグの満足そうな一言が雷のように響いた。
「これでどん詰まり状態がなんとかなるかもしれねぇ」
それに答えてカイが腰を浮かせる。
「そうだね、とりあえずナーリェに話を――」
――バタンッッ
「……チャトム!?」
カイの言葉が終わる前に、チャトムは総長室を飛び出していた。
決まり、って何が?
なんとかなるってどうして?
それは、つまり。
だから、つまり――。
犯人の正体が決まりってこと?
人が分かったから基底部に入れなくてもなんとかなるかもしれないってこと?
ナーリェが自主研究の課題としてライザード=ロウの遺著を選んだとでも?
どうして?どうして。
だって――そんなわけはない。
そんなハズがない。
まさかナーリェが。
彼女のことは誰より良く知ってる。
ずっと一緒だったもの。
だからナーリェがそんなことするはずがない。
あたしが、何も――聞いてないのに。
ほとんどやみくもに走ったつもりだったが、気が付くと白金クラスが授業を行っているはずの教室まで来ていて、自分でも意外に冷静だなんて思った。
扉の前でくるりと廊下を見渡すと、多くの生徒が歩いていて、息せき切っているチャトムを不審げに見ている。――休み時間中だ。
ひとつ息を吸って呼吸を押さえつけて扉を開く。「ナーリェ、いますか?」
残念ながらその場に当人はいなかったものの、教室に残っていたひとりの男子生徒がいやいやながら(多分彼もチャムチャム族が気に入らないクチなのだろう)答えてくれた。
ナーリェは休み時間になるなり記念館のほうに向かったらしい。
確かトーチスという名前だったと記憶している(チャトムも取っている準科目の先月の論文集で、少し面白いものを発表していたのでなんとなく覚えていたのだ)その生徒に礼を言って再び駆け出す。
何をそんなに急ぐのかは自分でも判然としなかったが――いや、あとで冷静に考えてみたら、おそらくあまり具体的に理由を確定したくなかっただけのことだろうが――とにかく早く会わないと、と思った。
カイや総長より先に。
――取り返しのつかなくなる前に。
植え込みを突っ切る近道をして記念館に急ぐ。
きっとあそこだ、と思ったとおり。ナーリェは外壁にたたずんでいた。
マムの名を記したタイルの前に。
がさっ、と音を立てて茂みから飛び出した瞬間、ナーリェが振り向く。
「――チャトム」
いつもと同じような自然さでするりと名前を呼ばれた瞬間、何故だか胸が詰まって泣きそうになった。
――ただ呼吸が苦しいからかもしれなかったが。
昨日のけんかも、今朝のお墓参りも、さっきの総長室も、なんだかみんな嘘のようだ。
ナーリェはいつも通りだ。
こんなにもいつもどおりなのに。
「――……ナ、……リェ……」
喉であばれる息をむりやり押さえ込みながら名前を呼ぶ。
何を訳のわからないこと言ってるんだ、って、言って欲しい。
そんなものないぞって、今あたしを呼んだみたいに自然に、さらっと、否定して。
お願い、お願い……。
「……ナーリェ。……あたし……あたしに、秘密にしてるコト……ない?」
瞬間、ナーリェの顔が強ばるのが、確かに分かった。
「何を、言ってるんだ?」
ナーリェはすぐにそういった。
しかし――遅い。遅すぎる。
今一瞬なにか思い当たったでしょう?
すぐに切り返したつもりだろうけど、表情も変えていないつもりだろうけど、他の人ならともかく、今のではあたしはだませないよ――。
チャトムはこくん、とツバを飲み込んだ。
「――ある、んだね?」
「チャトム、私は――」
そう言いながら1歩近づいてくるナーリェに、
「言って、欲しかったの!」
思わず高い声を上げていた。
「そりゃなんでもかんでも話して欲しいなんて言えないけど、でも――大事な事はできるだけ話して欲しかったの!例えば、その――自主研究の、こととか――」
そういった瞬間、ナーリェの顔からうろこでも落ちるように緊張がはがれるのが分かった。
むしろ拍子抜けしたような――顔?
(――あれ?)
「なんだ、そのことか」
「へ?そのことかって……」
ナーリェは決まり悪げに頭をかきながら言葉を続ける。
「課題のことは……まあ秘密にする気はあまりなかったんだが、その、なんとなく言いそびれててな。しかしそんなことどこで知ったんだ?」
「え?えっと、ナーリェ?」
チャトムは思わず口をぱくぱくさせた。
これは……なんというか反応が予想外だ。
意外さに戸惑った表情は見せているものの、ナーリェには罪悪感とかバレた、といった色がない。
知られたところで一向構わないといわんばかりではないか。
学院所蔵になるはずの魔術書を持ち出して、負軸干渉の危険を冒して禁じられた魔術の実効に取り組んでいる人間がこんな表情をするものなのか?
深い付き合いの幼馴染だと思っていたのに、こんな理解の範疇を超える反応を返すようなことが有りえるのか?
「……ナーリェ、あの、課題って……」
「チャトム!」
戸惑いながらつなげた言葉はすぐ横から割り込んだ声に遮られた。
そこには通常の通路から追ってきたらしいカイと総長の姿がある。
二人はぱたぱたと近寄ってきた。
「びっくりしたよ、いきなり走り出すから。もしかして何か誤解したんじゃないかと思って」
「…………は?」
誤解?
チャトムは自分の目が点になるのが分かる気がした。本日2回目だ。
「ああ、でもナーリェが見つかったんですね」
カイの後ろで総長が穏やかに声をかける。
ナーリェは戸惑ったように3人を見比べると「一体何の騒ぎです?」と総長に尋ねた。
総長は優しく微笑んで、
「ええ、それはひとつ確認してから説明しましょう。
――ナーリェ、あなたの研究課題についてなんですが」
穏やかな総長の声にナーリェが更に首をひねる。
チャトムに向けた表情は、如実に「お前にも聞かれたけどいきなりなんなんだ?」と訴えている。
「私の研究課題は、ティルバイの浮遊魔術についてですが……基底部の詳細についてまで研究するのはやっぱりまずかったんですか?」
「たしかに『中空制操典』は最高機密扱いですけど、それ以外の資料からあたって、理論的に構造図を予想しようっていう面白い試みなんですが。以前からこれほどの規模の浮遊魔術を可能にするだけの基底部の機構にとても興味があって……ん?どうかしたか、チャトム?」
「……な、なにそれ……」
ナーリェの冷静な説明を聞きながら、チャトムはへなへなとへたり込んだ。
カイが大丈夫?と声をかけてくれるが気が抜け、一気に今までの緊張や走った疲労が襲ってきて、なかなか立てそうになかった。
「やっぱり誤解しちゃったみたいだね。言い方が悪かったよ」
カイがチャトムを覗きこんで、苦笑しながら言う。
「さっきのは、ナーリェが基底部について研究してそうだから、犯人でないことを確認しながら、いっそ協力を仰いでみようかって話だったんだけどね」
……なんでそうなるのだ?
チャトムには正直、ナーリェを断罪する場にしか思えなかったのに。
「ウソ……だって、あたしてっきり。昨日図書室で見たって」
カイの台詞を思い出す。
「うん、だから昨日までそんな本を見てるようじゃ作業として全然間に合わないだろう?
少なくともスペースとして地下を使うなら、そのくらいの下調べはとっくに終わってないと。今日、ここまで事が進んでいるくらいなんだからね」
……なるほど確かに。
言われてみると昨日の夕刻にまだ場所のチェックをしているようでは遅いかもしれない。
しかしまだ他にもある。
「あたしにここしばらくのナーリェの行動聞いたじゃないですか」
ここしばらく帰りが遅い友人に不審を抱いたのではなかったのだろうか。
しかしカイはこれにも微笑んで、
「そう、昨日は帰宅が早かったんだよね。いきなりここまでになるからには昨日は追い込みで徹夜作業になりそうなものなのに。
ついでにいうと、連日の帰宅が遅くなってるっていうのは、それなりに研究課題――これが基底部についてのものじゃないかと持っていた本から思ったんだけど――それが進んでいるのかなって」
……そうか、むしろ昨日は早かったというのが重点だったのか。
同時に研究が進んでいることも確信して、そのテーマが現状に役立つものかもしれないと思ったわけだ。
チャトムは次々明らかになる自分の早とちりに、がっくりうなだれた。
「……『軸属性』は」
ここまでくるとこれも、伝軸も『属性』に持っているナーリェなら犯人の要素を満たしている、ということではなかったのだろうか。
これにカイは、記憶をたぐるような表情をしながら、伝聞形で答えた。
「それはね、ティレグが言うには、あれだけの『属性』があるなら、少しでも考える頭があれば、まず『伝』軸より『集』か『示』で試すだろうって。
この世界だと、伝軸よりそっちのほうがゼロ点に近い座標だからって」
「……う」
確かにクマールの概軸理論によれば、各軸の概算絶対軸値において、この世界の世界法則の性質からすると、伝軸より集や示の軸の座標の方がゼロに近く、原点を求める実験のためには好都合なのは明白だ。
学院生徒としてそれにすぐ気付かなかったのは不覚と言う他ない。チャトムは言葉に詰まった。
「それじゃあ、ティレグが決まりだって言ったのは……」
もうすでにほとんど答えを予想しながらなおチャトムは言った。
カイが苦笑する。
「どう考えても犯人とは思えないうえに、研究課題として浮遊魔術を調べてる可能性が高いから、ここは藁にすがるつもりで相談してみることに決定~って……」
「……なんだぁ……」
チャトムは更に力が抜けて、ほとんど前のめりに倒れる寸前だった。
「ヤだ、もう……あたしったら……バカみたい」
安堵と情けなさで、ほとんど泣きそうになる。
ほとんど鬼気迫る勢いでナーリェを探しに飛び出したのがバカみたいだった。
ただの勘違いであそこまで思いつめながら駆けずり回ったのだと思うと顔から火が出そうだ。
そんなチャトムの頭上から、困った風な親しい声が聞こえた。
「……で、結局なんなんだ?私にはさっぱり話が見えないんだが」




