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17章

  17


 言えないでいることがある。

 多分チャトムの事を想うなら言った方が良い事なのだが、その時の反応を考えると首がすくむ。

 このところずっと考えていた。

 それが加速されるような出来事が相次いだから多分いらだっていたのだ。

 昨日の暴言はその反動だろう。

 チャトムの笑顔、あの妙な剣の男、エイザの言葉。

 ――言うべき、なのだろう。

 彼女が誰より大事な友だと思うのなら。

 ナーリェはそんなことを考えながら教室を出た。


 学院の西側下手、演習場と研究施設群の間に、ひとつの小さな建物がある。

 創立記念館と名付けられたそこは、名前の通り学院史や記念品が展示してある。外壁には、整然とタイルがはられており、かつての学院の偉人の名がその功績と共に記されていた。当然、マム・マーグラムの名も、その中の1枚、彫り跡がまだ新しいタイルに見出せる。

 特別な行事の時以外はほとんど人通りがなく静かなここ、記念館外壁横に、珍しくひとつの人影がある――ナーリェだ。

 迷いのない足取りで壁に近付くと、はられたタイルの1枚を指でなぞりながら、ふう、と息を吐いた。

 そこにはマムの名前と「多くの才を見出せし知の母」という文句が刻まれている。

「……何を、しているんだろうな、私は……」

 静かな横顔はあまり動揺しているようには見えないが、心中では後悔の嵐が吹き荒れていた。

 そもそも平静なら、休み時間になるなりこんな所に来て、タイル相手に独り言をつぶやくようなマネはしない――自嘲してそんなことを思う。

「……後悔、か」

 正直なところ、後悔というものはあまりしたことがない。

 他人にはそれを指して、諦めが良いとか豪胆だとかあるいは才能があってなんでも思うようになるからだろうと言われる向きもあったが、でもそれは違う。――自分では違うと思っている。

 要は後悔するほどこだわっている対象が少ない、ということなのだ。

 自分には、人に比べて「どうでもよいこと」が多い気がする。物欲も乏しいし他者にも淡白だ。自分自身に対するこだわりも少ないような――誇りがない人間だとは思いたくないが。

 冷淡と言われればそうなのかもしれない。過ぎ去ってしまってから振り返って、悔やむほどの価値があるものなんて、そうそうあるとは思えない。……しかし、少ない例外もある。

 その最たるが――チャトムだ。

 誰に嫌われようと疎まれようとそんなものは大した問題じゃないが――しかしチャトムにだけはつらい。彼女だけは失うわけにいかない。……そういう存在だ。あいつは。小さい頃から、ずっと。

 それは分かっている。――分かって、いるのに。

「……本当に、何をしているんだか……」


――おバカさんねぇ、ナーリェ、大切なものはそのまま素直に大切になさい。

  こんなに回転の速いオツムで、一番近い所にある自分の気持ちが捕まえられないわけないでしょう?

  それとも早くまわしすぎてショートしちゃうのかしら?


 ふと故人の声が聞こえた気がした。いや、これは以前言われた事だ。かつて、このタイルに刻まれた名前の主に。

 チャトムのことは、可愛がる一方でどこかその人柄を尊重しているらしい態度を(相手がほんの小さな女の子でも)取るマーグラムだったが、ナーリェのことは結構容赦なく子供扱いしてこき下ろしたりした。たぶん色々見ぬかれていたんだろう。内面にある頑なな子供っぽさや臆病さ、独占欲――なんかを。

 マーグラムのことは敬愛していたけれど、そういうところは少し苦手だった。何しろそんな扱いはチャトムの母親からくらいしか受けたことがなかったから。

 でも、言う事はいつも的確で――まあ、だからこそ耳に痛かった事もある。

 例えばナーリェが入学2ヶ月目にして初めて昇級を勧められた時。今では笑ってしまうが、当時のナーリェは進級をためらった。チャトムを置いて自分だけ先に進むのか、と。

 当時マーグラムは郊外に細々と暮らしながら、時折車椅子で学院にやってきて臨時講義を行なったりしていて、そうした折にはなんということもなく挨拶した。あの時もそんな感じで、自習室にひとりでいるナーリェに気軽に声をかけてくれたのだ。


「聞いたわよ、ナーリェ。進級試験なかなか受けずにいるんですって?ハリソンが困ってたわ」

 鉛の過程の主任教官に泣きつかれたのだろう。しかし声も瞳の色も明らかに笑いを含んで、いかにもお前の考えなどお見通しだ、と言われているように感じて、幼いナーリェは思わずむっとした。

「別に……そんな先を急ぐわけでもないし、基礎固めは重要でしょう?」

 むっつりと言い返す子供に、マーグラムはくすくす笑う。

「まあ、それはそれで筋も通っているけどね。……で?チャトムにはもう言ったの?」

 ぐ、と言葉につまると、彼女の笑いは苦笑めいてくる。

「本当に、あなたは時々妙に可愛くて困ってしまうわね。でも、秘密のままというのはルール違反じゃないかしら?言ったら落ちこむかも、なんて考えるくらいなら、後で知ったらチャトムがどう思うかも同じように考えておあげなさいね」

「分かって、います……」

 思わず視線をそらしたナーリェには、マーグラムがどんな表情だったか分からない。それでも続く言葉は、声は小さくとも聞き逃しようがなかった。

「――言うのは、怖い?」

 びくっと上げた顔は、きっとひどい表情を浮かべていただろう。マムの声は優しかったが、それがかえって痛かった。

 確かに、その時の気持ちは、そういうことだっただろう。

 言われて改めて明確に意識される。自分は怖がっているのだ。

 2ヶ月とはいえ既にチャトムが実技で苦労しているのは明白だった。そこに自分が早々と進級試験を勧められたなんて言ったら、傷つかないだろうか?置いていかれると落ちこまないだろうか。そして……ナーリェだって実の所チャトムと離れるのは嫌だった。これまでずっと一緒にきたのに。これからもそうでありたいのに。学院の勉強は面白かったけれど、そういう気持ちを踏みにじってまで求めるほどのものとも思えない。

「そう、ですね……私は臆病だ。皆は平然としてるなんて言うけど、本当に大事なことには逃げ腰で。言わなきゃいけないのは分かってるのに」

 多分後から知ったらチャトムはひどくショックだろう。黙っているということは、例え彼女を思いやってのことだろうとあの友人の意思と誇りを踏みにじることだ。自分がナーリェの足枷のような形になったこと、そしてそれを他ならぬナーリェが黙っていたこと、その両方に傷つくに違いない。

 そう言うとマーグラムは苦笑して、そこまで分かっているのにねぇ、と言った。

 その含みが分からないで不思議な顔をするナーリェに、でもね、と続ける。

「でもね……怖いってことは実は素敵なことよ」

「………素敵……ですか?」

「そうよ。今あなた言ったでしょう?大事なことには逃げ腰で、って。

 でもそんなの当然のこと。だってどうでもいいことなら怖がる必要もないんだもの。どうなってもかまわないようなことに心は動かないわ。失いたくないから、ためらうし迷う。

 私は貴重なことだと思う。怖い、逃げたい、それはつまり、なくしたくないっていう気持ちなのだから」

「なくしたく……」

 そう、それは確かにそうだろう。なんとなく胸に手を当てる。

 チャトムに嫌われたくない。落ち込ませたくない。泣かせたくない。その思いが怖い、という気持ちにつながっている。

 そんなナーリェをマーグラムは優しく見つめ、

「だけど、怖いからこそ――いいえ、自分にとって大事なものがなにかはっきり分かってる聡明なあなたには、この先は不用ね」

 老人のおせっかいはここまで、と言って車椅子をめぐらせる。

 送ります、と慌てるナーリェに無用だと手を振った。

「サズが――サジェイルがね、送ってくれるって言うから」

 またね、と言って、帰っていく時も気安く消えてしまう。残されたナーリェは扉を黙然と眺めて続きを考えた。

「多分……怖いからこそ、それに立ち向かえってこと……だろうな」

 きっとそれが、勇気とか思いやりとか誠実さいうものなんだろう。

 どうでもよいことを正直に処理するのなんて誰にでもできる簡単なことだろうから。

 こだわらずにいられないような大事に対して行動できることこそ価値がある――多分。

 そう言う勇気で言えば、ナーリェよりチャトムの方が各段に上だ。つまづくことも多いけど、それだけに泣いても落ち込んでも前を向く強さがある、と、思う。

 自分はそう言う所が好きだし、マーグラムもそういう部分を認めているから、ナーリェに対するのとは少し違う態度をチャトムに対して取るのだろう。

(――言おう。チャトムに、ちゃんと。進級を勧められたって)

 すぐ今晩にでも。


 それで、その夜にチャトムに言ったのだった。

 言ったら――おそろしくストレートに喜ばれた。おめでとう、と言って。

――おめでと、ナーリェ。こんなに早く進級なんて、スゴイじゃない!

  あぁ~、なんかあたしも嬉しいよ、鼻が高いな。

 耳がぴょんと立って、踊るような仕草に会わせてぴるぴる上下するのには、確かに隠しきれない喜びが表れていた。

 実際には試験もまだなのにうきうきとお祝いの計画まで立て始めるのに心底呆れて――安堵した。

 もしかしたらマムはこういう反応があると分かっていたのかな、と思いながら、私だけ進級してもいいのか、と思わずこぼした。チャトムは一瞬きょとんとして、それから、ああ、思い当たったようだった。

――そっか、あたしのこと心配してくれてるんだ?

  うん……まあ、そうだね、そりゃさみしいくないっていったら嘘になるよ。先に行かれちゃうのは残念だし……でも嬉しいのもお祝いしたいのも本当だから。

  だからおめでとう、だし、あとはね、んっと、あたしも頑張らなきゃって思……どうしたの?ナーリェ。

――ああ、いや…なんでもない。

 思わず顔に出た、泣き笑いのような表情を隠してそう言った。

 率直な祝福が嬉しくて、落ち込むかもなんて自分は随分チャトムを侮っていたのだと恥かしくて、さらりと出た前向きな言葉にやっぱりチャトムだなぁと思う。

 わかりやすいくせに、ときどきこんな風にぽんとナーリェの想像を飛び越えてしまう、だからナーリェにとって彼女は特別なんだと、当のチャトムは気付いているのだろうか。


「……こうして思い出すと、私は全然成長してないな……」

 タイルのはられた壁を背に座り込んで、ナーリェは思わずため息をついた。

「全く同じことを繰り返してる。――チャトムのためを考えたら言うべきことがあるのに……怖い。怖くて逃げてる」

 体を反らすようにして頭上のタイルを見上げると、マム・マーグラムの困ったような顔が一瞬見えた気がした。

「いや……分かってる、今の私は最低だ。むしろ退化してるかも。

 言うべきことに迷う自分を差し置いて他人に嫉妬して、自分の勝手な憶測に勝手にイラだって、それを全部チャトムにぶつけた。一番チャトムが傷つく台詞だって分かってて、ただの八つあたりでそれを口にして、さらにフォローもせずに逃げ出して……」

 昨日の所業を口にすると改めて情けないことこの上ない。気分がずぶずぶ沈み込む音が聞こえるような気がした――いっそ実際に足元がそんなふうになってくれたら、消え入りたいような気持ちが少しは晴れるかもしれないのに。

「あまつさえ今朝起きたらチャトムがいなくて――それに一瞬安心したんだ、私は。

 あなたが聞いたら怒るかな……」

 言いながらすでにない恩師の顔を思い描く。

「――いや、違うな……きっと笑うだろうな」

 しっかりと目じりに刻まれた笑いジワが深くなって、乾いた口元がほころぶ様が目に浮かぶ。

 確かに老人の声なのにどこか可憐な響きの笑い声をころころと立て、細く痩せた指でナーリェをはたくのだ。

――おバカさんねぇ、ナーリェ。

「うん……本当に。でも……」

 でも、今回ばかりはあの時のようにもいかないのだ。言ってしまったら、きっとチャトムは私から離れてしまう。それは、嫌だ――怖い。なくしたく、ない。

「せめて――」

 ……せめて、あなたが。

 生きていたら。

 と、そこでふと思いつめた自分を笑いたくなる。

「なにを、バカな……マムが生きていたらどうだっていうんだ」

 相当弱気になっている。自分は今何を考えた?

「……冗談じゃない。そんなことができるものか」

 首を振って勢いよく立ち上がる。再度タイルに向かい合って、自分に喝を入れた。

 そうだ、実際彼女が健在のときだってそんなこと考えられなかった。そこまでみじめったらしいことは。これは自分とチャトムの問題だ。例えマムだって、入り込む余地はない。

「ダメだな、このままじゃ本当にドツボだ。せめて昨日のことだけは謝ろう……」

 問題を先送りにするのはあまり誉められたことじゃないが、せめてこの陰鬱な後悔の念だけでもカタをつけないと、建設的な一切のことは考えられそうにない。

「逃げかもしれないけど、できることから、だ。それでもイイだろう?マム」

 タイルを軽く叩くと、ぽん、と音がして、仕方ないわね、とマムが息を吐いたような気がした。

 そんな妄想をする自分がおかしくて思わず苦笑した瞬間。

 予感、のようなものがした。

 いやむしろ気配というべきか。

 きっと実際には足の運びとか息遣いとか。そういうものを察したのだろう。

 それらをまとめて、気配、というのだろう。

 五感に慣れ親しんだその気配が背後に近づいてくる感覚。

 ある種の確信を抱いて振り返ると――そこには予想通り、先まで回想していた少女の少し成長した姿が、植え込みの木の間から勢いよく飛び出してきた。

「――チャトム」

 意外とすんなり呼べた自分に自分で驚く。

 いやおそらくただの反射に過ぎないのだろう。

 実際頭の中では唐突な対象の登場に戸惑って、先ほど決めた「まず昨日のことだけでも謝る」ための台詞が空転している。

 そんなナーリェの内心はともかく、チャトムは全力で走った後らしく、乱れた呼吸の間から無理に声を押し出した。

「――……ナ、……リェ……」

 よほど急いで来たのだろう。肩で呼吸しながら無理に息を整えようとしている。

 玉の汗の浮いた額の下の表情は、この世の終わりかというほどせっぱ詰まったものだった。

 頬は上気しているのに顔色は悪く、目が心なし潤んでいるのも唇がわなないているのも、走ったためばかりとは思えなかった。何より怯えるように伏せた耳が雄弁だ。

 一体どうしたんだと問おうとしたが、その間も与えず、チャトムは荒い呼気をかみ殺して口を開いた。

「……ナーリェ。……あたし……あたしに、秘密にしてるコト……ない?」

 ――瞬間、確かに心臓が止まったのが分かった。

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