16章
16
ティレグが心底嫌そうに出した、ライエン=イーゼルの名はチャトムも魔術史学の授業で聞いた事があった。
魔術狩りの始まる直前。ミサ=ラドラル皇国政権中枢にあって、世界律の絶対保護と魔術の徹底廃止を訴えた急進派の巨頭だ。
当時は魔術狩りといっても色々な派閥があり、その中でも最も強硬な一派だった護律派の代表的人物である。
まあ結局は政権抗争に破れて中央からはこぼれおちる事になったらしいのだが。
「で、その後は自分の思想を広める私塾みたいなのを作ったって……習った記憶がありますけど」
「うん、ま、そこまで知ってりゃ上出来だ。実際には私塾つーか、道場みてぇな実践的なもんだったんだけどな」
辟易しているティレグの言葉をカイが継いだ。
「そこで彼は、元々この世界に備わってる世界律を保護しそれを乱す魔術を徹底排除する思想と、独自の対魔術技術に東国の方術を組み合わせた実技をまとめあげ、弟子に伝授したんだ――それが律令術」
チャトムは先ほど見た彼の律令術というものを思い出した。確かに魔法ならあるはずの干渉系が見られず、変わりに、既存の世界律を局所的に増強するような不思議なイメージがあった。
「かくして、僕の里が成立するのに前後して、異世界の世界律を導入することなく魔術に対抗し得る魔術狩り集団ができあがった、というわけ」
裏道を通りぬけながら、紙芝居で昔話でもするような口調でカイは結んだ。
「じゃあ……それが今日まで残っているんですか?カイさんの故郷があるみたいに。
で……さっきの人は、その、一員?」
それなら確かに、魔術時代の名残である魔術至極の逸品、魔剣ティラザーグを敵視して当然という感じはする。
レイドの台詞を思い出しながら言ってみると、カイが笑いをこらえるような奇妙な表情を作った。
「うん、まあ一員というか、全員というかね……」
続いてティレグの意地悪そうなニヤニヤ笑い――を浮かべていそうな声がした。
「言っただろ、時代錯誤だって。んなバカはもーあいつっきゃ残ってねぇのさ」
「……へ?」と思わずマヌケな反応を返してしまうチャトム。
「というかむしろとっくにすたれて消え去ってるはずの思想と技術が、あいつの一族のせいでかろうじて受け継がれているというか。
オレは昔からやつらの標的でな。50年前、こいつの前の主のもんになって外に出てたときだって、あいつのじーさんにめちゃくちゃ付けねらわれてたんだぜ。あいつにそっっっっくりで、そりゃもうしつこいのなんのって」
カイがくすくす笑う。
「で、その孫でかつ愛弟子、が彼――レイドだからね。祖父の悲願を果たすんだって、ティレグを消滅させるのに躍起になってるんだ。どこで僕のことを聞きつけたものだか、いままでも数回こうして旅先に現れるてんだけど、いつもあんな調子」
「はぁ……いつも……」
カイを追い掛け回すレイド。その光景がくっきり脳裏に浮かぶのはなぜなのだろう。
さぞ大変だろうとチャトムは思うのだが、うんざりした感じのティレグに比べてカイはなんだか楽しそうだ。
それを指摘するとカイはやはり笑って、
「でも、こうして里を離れた今では、ちょくちょく顔を合わせる知人なんて彼くらいだしね。僕は嫌いじゃないよ」
これには即座にティレグから茶々が入る。
「向こうはそう思ってないだろーけどな。おまえは黒い歪みたるオレを振り回す、悪の尖兵なんだぞ?」
「はは、そうだね。でもまあ、いいじゃないか。彼が君に集中してかまけてるせいで、他の魔術遺跡とかはあまり攻撃対象になってない。手当たり次第魔術関係のものをぶち壊すような活動をされることに比べたら、これって悪いことじゃないよね、チャトム?」
「あ、ハイ。そういえばそうですね……」
チャトムは思わずレイドにはじめに会ったときを思い出した。魔法を敵視してはいたけど全面的に否定することはなかったような。それが、言い方は悪いが、ティレグが犠牲になってくれてるおかげだとしたら。
……まあ研究者にはありがたいかもしれない。貴重な魔術資料をはしから壊されるような事態が起きないでいるなら。
「でも……まさか今時まだ魔術狩りなんて言ってる人がいるなんて」
改めてそう言うと、ティレグが間髪いれず「そうだろ?」と同意した。
「もー流行らないっての。350年も前の人間をライエン師なんぞと敬いやがってよ」
500年の魔剣に言われるのはどうかと思うが。
「でも、彼の律令術は本物だよ。あの熱意で修行に励んだんだろうね」
カイの言葉にチャトムは先ほど見たあの術を思い出す。確かに興味深い術だった。
今まで不思議の現象を起こすには他の世界律を導入する、という手段ばかり考えていたけれど、そうではなくて、この世の理のうちでもあれだけのことが行えるのだ。
………ん?
「あ、あれ…あれって、界軸干渉行わないでやってるんですよね!?」
いきなり意気込んで尋ねたチャトムに、カイがああ、という顔をした。
「そうだね……うん、もしかしたら君の参考になるかもしれないね。今度会うことがあったらよく観察してみるといい」
「………う」
今度会う、という事態はあまり起こって欲しくないような気もする。けど……。
「まぁ、間違っても染まらないよーにな」
ティレグの一言に更にがくっと来た。
ちょっとした紆余曲折で回り道はしたものの、彼らはようやく東門についた。
すでに日はかなり高くなっているが、一昨日と同じようにそこをくぐる。
相変わらず東門の移動はあっさりしている。扉をくぐると瞬時に東棟玄関だった。
慣れているチャトムはともかく、カイは「やっぱり面白いなぁ」などと考えながら窓の外に広がる空を眺めた。
だが――。
そんなほのぼのした気分はすぐに崩れる。
ティレグの緊迫した一言で。
「――――マズイな」
学院内に入るなり、ティレグはそうつぶやいた。
彼に顔があったら青くなっていそうな口調に、チャトムとカイにも緊張が走る。
そもそも、いつ人通りがあるかもしれない玄関口でいきなり言葉を発する事自体、尋常でない。
「こいつはいけねぇ――チャトム、緊急事態だ。総長室に直行しろ」
「え、ええ?」
戸惑うチャトムに、ティレグは常に似ず言葉すくなに促した。
「一刻を争う。急げ」
学院内に入った瞬間に分かった。
ある種の圧迫感。
巨大な干渉系。
歪曲の気配。
探査の術を使うまでもない。
学院の敷地に入る前はまったく気配がなかったのは、それだけ厳重な結界で浮遊魔術がしきられているからだろう。
(しかし……なんてことだ。一気に仕上げにかかりやがったな)
昨日までは何の気配もなかったのに。
今やティレグは欠片も疑わなかった。
『ゼロの書』に記された魔術がこの学院内で行われようとしていること。
――そしてそれが完成に近づいていることを。
「というわけだ。ここまでの干渉圧をオレが感じる以上、完成率は7割に達していると思って良い。
多分あと数刻の問題だ」
ティレグに急かされて総長室にかけこんだカイとチャトムを、サジェイルは驚いて迎えたが、ティレグの言葉にはさすがに顔つきを変えた。
「――急ですね」
「ああ、急だ。もしかしたら調査の手が入った事に勘付いたのかもしれん」
ティレグが苦々しく言う。
チャトムは思わず小さくなった。誰も一言も責めはしないが、こんな時期に自分のために朝からの時間を潰させてしまったのだ、と思うと、申し訳なくて涙が出そうだ。
「しかし……どうも私には何も先触れが感じられないのですが」
サジェイルの言葉にチャトムもうなづく。確かに干渉系のひとつも見えはしなかった。どこに歪みがあるとも分からない。
学院内ならおそろしく広大なわけでもなし、人の身でも少しくらい何か分かりそうなものなのだが。
「ああ、そりゃ多分この干渉がオレの元の存在属性に近いんだろうな――」
ティレグは意味の分からない事をなかば独り言のように言うが、すぐに付け足した。
「だからつまり、コイツは多分十界軸の中でも『伝』軸の零点をつきつめることにしたんだろうさ。
おおかた、犯人の『軸属性』がその辺なんだろうよ。自分の得意な干渉軸の方が成功率が高いに決まっているからな。
で、伝軸への干渉が強まっていて、それがオレに関係が深いから……こうしてびりびりきやがるんだと思う」
神妙な顔で聞いていたカイがはじめて言葉をはさんだ。
「なるほど。……確認するよ?
犯人はどうもやはり学院内でことの準備を進めていた、伝軸のゼロ点をつきとめるための魔法装置だ。それが昨日から今日までの間に速攻で仕上げに近づいていて、それを止めるべき僕らにはかなり時間がない――これで充分だね?」
「ああ」
「で、でも……」チャトムが困惑したように言った。
「昨日まで何の気配もなかったのも不思議だけど――だったらどうしてティレグ、そこの場所を教えてくれないの?そんなことが分かるくらいなら、場所も――多分昨日までに調べてない敷地内だと思うけど――特定できるんじゃないの?」
そう。先ほどからティレグからは一言も装置の場所についての発言がない。昨日まであれほど探していたのに。
急ぐんでしょう?と問うチャトムに、ティレグも困惑したように答えた。珍しく歯切れが悪い。
「それが、な……どうもおかしいんだ。
学院内に入ったとたんに気配が感じられたんだから、結界で隔絶されたこの学院敷地の範囲にモノがあるのは確実なんだが――圧迫感の源が妙に遠い感じがする」
「遠い?」
限られた敷地内で、遠いというのはどういうことなのだろう。
「方向としては……北。そう、北なんだよ。このすぐ裏手だ」
ティレグは半ば独り言の様に続ける。感知に集中しながらしゃべっているのだろう。
「え?北?で、でも……」
そこは昨日調べたはずではなかったか。
全くなんの気配も無いとティレグは言っていたのに。それがたった1日で?
不審がるチャトム。ティレグも困惑を隠そうとしない。
「そう、おかしい。それに距離的にもっと……4,500メートルはゆうにありそうな感覚なんだ。だからぼんやりとして位置が確定できない」
それは更におかしい。チャトムは思わず絶句した。
ここ総長室があるのは北棟で、さらに北なんて、敷地のふちまで行ってもそれだけの距離はない。
「変だよな……。それだけの距離があるわけないのに。でも…そっちから術圧があるんだ。北から……突き上げるような、わきあがる、ような……」
ティレグの独白を聞きながらチャトムは必死で考える。
あごに手を当て、床を見つめながらティレグの言葉を反すうした。
北。敷地内。
でも敷地のふちより遠い。
遠い。
突き上げるような。
――わきあがるような?
方向。距離。あとは――。
奥行き――高さ?
まさか――。
「あ!まさか!!」
はっとして顔を上げると、同時に思い当たったようなサジェイル総長と目が合った。
「もしかして――」
総長と目を合わせたまま、半ば確信して、半ば信じがたい気持ちで、思いつきを口にする。
サジェイルの目に同じ色が浮かぶのを確認して、同じ結論に至ったのだと感じた。
「――基底部、に?」
基底部と言うのはティルバイの地下、主に学院の直下に存在する大規模な地下施設、これだけの浮遊魔術を可能にするための基盤部分だと言う。
「なにしろこれだけのモノを浮かせ、結界をはり、周囲には魔術封じを施し、出入りの魔術を整える――これらを可能にするだけの代物ですからね、ただの魔法陣というわけにはいきません。
ティルバイの地下には大遺跡規模の地下構造が発達していて、それだけの術が込められているんです」
サジェイルが言う横で、チャトムがふと思いついたように言葉を発した。
「でも……そうか。基底部、それなら……」
「チャトム、どうかした?」
カイと総長から視線を集中されて、チャトムは授業中に指名されたときのようにかすかに緊張して答える。
「え、えっと、ですから、基底部だと、移動と時間の問題が解決するなぁって」
カイが首をひねるので、すぐに付け加える。
「あのですね、初日にお話したでしょう?発見される危険があっても多分作業は学院内で行われるって。街中は歪みを正す魔術が効いているし、外には転移ができなくて移動に時間がかかるから。
でも……学院の敷地内の地下なら歪み補正の魔術はないし、移動に転移魔法が使えるんです。当の浮遊魔術圏内の上下移動って形になるから、学院に向かって引っ張られる魔力場の影響を受けないので……」
両手を上下させて必死で説明するチャトム。
それを聞いてカイがなるほど、とうなづいたが、ティレグは舌打ちした。
「――なるほど、確かに聞いてみりゃそうだろうな――だがよ、総長殿。そいつを最初に考慮に入れて教えてくれなかったってのは手痛いミスだぜ?」
これにはチャトムが慌てて立ち上がった。腕を振り回して訴える。
「違うよ、ティレグ。あたしだって考えもしなかったの。
だって――だって、基底部は、学院の建設が終わった時点で完全に封鎖されているんだもの!」
カイは驚いてサジェイルに視線を向けなおす。「……本当ですか?」
「ええ……チャトムの言う通りです」総長はうなづく。
「元よりメンテナンスは外部から行えるようになっていましたし、何しろただの地下室の類でなく、この学院の魔術を支える根底部ですからね――例えば通路の壁のひとつでも壊されただけで浮遊魔術に重大な欠損を生じる事もあり得る。
ですから、街の子供が入り込むと危ないといった話とは別次元で、厳重な封鎖がなされたんです。出入り口の全てには魔法の封印が施され、これを解くためには総長である私と、学長会全員の承認が必要になります」
「……それは確かに、そんなところを作業場にするとは思わないですね……」
カイが考え込むと、ティレグがむっと言葉を返す。
「だがオレの感知が示すのはまさにそこだぜ。地下ってんならこの奇妙な感覚も納得できる」
沈鬱な表情の総長が、ふぅ、ともの思わしげに息を吐いた。
「……考えにくいことではありますが。誰かが公式通路以外の出入り口でも見つけたと思うほかありませんね。しかし……困った事になりました」
そんな彼の様子にティレグはいらいらと応じる。
「何がだ?管理責任でも問われるってのか?
だがとりあえずオレ達ゃ大体の場所が分かったんだ。後はやっこさんがモノを完成させる前にそこに行って魔法陣をぶち壊――」
そこではたと言葉を閉じる。
それから恐る恐る、
「……もしかして……それが、できねぇのか?」
と尋ねた。
肯定を予想しつつ、否定を期待して。
しかしあいにくと学院総長殿は、予想のままに首を縦に振ったのだった。
考えれば当然のことだ。基底部には「厳重な封印がなされ」ており、出入りには「総長と学長会全員の承認が必要」なのだから、一刻を争うというのに、速やかに基底部に入るのは総長の一存では不可能だった。
といって許可を取ってからでは遅すぎる。相手と同じく非公式の通路を見つけようにも手がかりはゼロ。
更に言うと、複雑に絡まりあう地下通路でできている基底部の地図さえない。
勿論設計図はあるのだが、これは悪用を防ぐため出入り口より更に厳重な封印のもと管理されており、閲覧には総長、学長会、加えて王室の許可が必要との事。――これも致命的だ。
「………どうしろってんだ………」
ティレグが呆然とつぶやいたのも無理はない行き詰まり方だった。
チャトムも総長も眉をひそめて考え込んでいる。
「イチかバチか、学院内の転移魔法の痕跡を探す、くらいしかないのかな……でも、時間がないのに――」
へたりと寝たチャトムの耳が、緊迫を示すように時々ひくひく震えるのを眺めながらカイがぼんやりと口を開いた。
「しかしこんな状態で、どうやって犯人さんは出入り口とか作業スペースなんか見つけたんだろうねぇ……」
これには総長が考え考え答えてくれる。
「そうですね……もしかしたら調べ上げる事も不可能ではないのかもしれません。相当な才能と運があれば。
当時の記録は『学院年鑑』や『ティルバイ建設史』に残っていますし、『中空制操典』自体は勿論おいそれと閲覧できるものではありませんが、解説書なども学院の図書館に置いてあります。それらをつなぎ合わせて……」
総長の言葉はまだ続いていたが、カイはその中に自分の記憶を刺激する単語があるのに気付いた。
(……なんだろう?ええと、そうだ。書名……どこかで見たことがある気がする)
現状の打開策につながりそうな気がして、懸命に記憶をたどる。
(僕が本なんて見るのは……ここしばらくでは学院ででしかあり得ない。
そう、今総長も学院の図書館に、って……ん?)
カイが図書館を訪れたのはたった一度。つい昨日だ。
そこで会った人物の事も記憶に新しい。
――そうか。
「ナーリェ、だ」
「え?」
カイがぽつりとつぶやいた名前に、チャトムが耳をぴょこんと跳ね上げて反応する。
「『学院年鑑』『ティルバイ建設史』それに『詳解中空制操典』……昨日図書館でナーリェに会った時に、彼女が持っていた本のタイトルです」




