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13章

  13


 チャトムは途中、街頭で花を買った。朝夕に仕事をしているらしいかごを提げた売り娘は、それでもまだ立ち始めたばかりらしく、今朝一番の客だと言って新鮮な笑顔とともに白い小さな花を差し出してくれた。

 チャトムの手の中の小さな花弁は花束にされても慎ましかったが、朝露の降りた輝くような白色が可憐だ。

「可愛い花だね」とカイが言うと、チャトムは

「はい。名前とかはあたし全然知らないんですけど。でも白い花の好きな人だったから。多分これで喜んでくれると思います」

 と返す。

 少し遠くを見るような目つきに、カイはまだ聞いていなかったこの外出の目的に思い当たった。

(『だった』……花――これはもしかして……お墓参り、かな?)

 チャトムの不調の原因は予想できなくもない。

 昨日別れた時はなんともなかったのだから、帰宅後、何かあったのだろう。

 とすると十中八九ナーリェがらみ。それがどう墓参りと絡むのかは分からなかったが、カイは思いついたその単語は顔に出さず、むしろチャトムの言葉の前半に対して反応を返した。

「チャトムはあんまり花の名前とか覚えたりしないんだ?」

 彼女は少しバツの悪そうな顔をした。

「実はそうなんですよ。花は花。キレイだって思えることが大事で、名前なんてあえて頭につめこむものじゃない、って母に言われて育ったから。女の子らしくないですよね」

「そんなことはないよ。素敵なお母さんだね」

 カイの誉め言葉にチャトムは元気のなかった顔を赤く染め、にゃはーと息を吐くと「ありがとうございます」と照れながらも素直に礼を言った。

 自分の事をストレートに誉められると慌てるのに、身内のことだと嬉しさを隠そうとしない。チャトムの言葉を聞くまでもなく、そんな彼女を見れば良い家族の中で育ったのだろうと見当はつく。真実素敵な母親にちがいない、とカイは改めて思った。

「だから……そうですね、ナー…リェ、の方がよっぽど花の名前とか花言葉とか詳しいですよ」

 カイの予想を肯定するようにチャトムはナーリェの名前を出す時に一瞬苦しそうな顔をした。しかしここもあえて話題に集中しておく。

「へぇ…そうなんだ……」

「意外って顔ですね」

 図星だった。むしろ逆だと言う印象があったからだ。

 すねたような顔を作るチャトムにカイはくすくす笑う。

「いや……でも聞いてみるとかえって納得、かな」

 確かにナーリェの方が花も名前まで覚えないと落ちつかないタイプかもしれない。

 昨日図書館で見た渋面をふと思い出して、あんな顔で白い、可愛い、だけでは納得できないと言うのだろうと思うと、なんだかおかしかった。


 たどり着いた街の北東はやはり集団墓地だった。

 かなり広い土地がとってある。できた当時はこのあたりが町外れだったのかもしれない。街が発展するにつれて街の中に飲み込まれたとか……とそんな事を考えさせる異質な空間だった。

 そのくらい賑やかな大通りとはかけ離れた静謐な空気の中、白い墓石がずらりと並んでいる。

 朝早いとは言えひとりふたりと人影が見え、しかし故人への思いに沈む生者同志はあまり互いに関心を払わない。

 チャトムはそんな中を迷わず歩き、ひとつの石の前で足を止めた。

 小ぢんまりした白い石はきれいに整えられ、花もすでに捧げてある。おそらく頻繁に訪れる者がいるのだろう。

 月とフクロウの意匠の下に刻まれた名は、マーグラム=ウィルブ。

 没年はほんの2年前だった。

 更にその下に

――慕わしき知の母よ、我等は皆 汝の子――

 という文句が刻まれている。

 チャトムはひざをついて、その下に花を置くと手を合わせた。

「ご無沙汰していてすみません……お久しぶりです、マム」

 懐かしそう、と言ってしまうにはまだ生々しい悲しみを帯びた声だったが、2年前という日付を見れば分からなくもない。2年程度では気持ちの整理はできても忘れられない、くらい親しい人物だったのだろう。

「こんなときばっかり来たりして、ダメですね……総長を見習わなきゃ。きっとまだ定期的に来ているんでしょう?お忙しいのに」

 いいながらうなだれる。

「ホント…こんなとき、ばっかり……」

 言葉が詰まる。

 チャトムはそのまま顔をひざに埋めてしまった。

 瞳からひざに雫が滴っているのは容易に想像がついたが、カイは黙って小さく震える肩を眺めるだけだった。

 朝の静けさがひんやりした風に乗って石の間を吹き抜ける。

 どこかで鳥が鳴いた。


「カイさんは、マム・マーグラムのこと……知ってます?」

 ぽつりとそう尋ねられたのは、そうしてたっぷり15分もたった頃だっただろうか。

 声はかすれてはいるものの、嗚咽は全く混じっていない。その芯の強さにわずかならず感心しながら

「……マーグラム導師のことなら話には聞いたことがある。何しろアドでは少し有名なんだ。……ティレグは直接面識があると思うけど?」

 と答えると、チャトムはやっと顔を上げてぱちぱちと目を瞬いた。

 まだ睫毛に残る涙が小さい玉になって飛び散るような気がする。

 それでも驚いた顔は泣いたせいかわずかにすっきりして見えたので、カイは少し安心した。

「ホントに?」

 それに答えたのはティレグだ。

「まぁな――もう30年も前のことになるがな」

 しれっとチャトムには長大な時間に思える年月を口にする。続く言葉は少し決まり悪げだった。

「でも……まあ、そうか。こういうことになってるとはな。

 まああんとき既に結構な年だったから、無理もないだろーけど」

 冗談めかして言う言葉には、隠しきれない感情がにじみ出ていて、多分これがティレグ流の悲しみの表し方なんだろうとチャトムは思う。

 それが分かったようにカイも苦笑して、説明した。

「マーグラム導師は……って、僕らの里ではそう呼ばれてるんだけどね。

 彼女は、ここ百年ばかりで唯一外からアドの里を訪ねてきた人物なんだ」

「そう…なんですか……そんなこと全然知らなかった……」

 驚くチャトムの目は、見開いたせいで既に乾きかけていた。

「そうか。じゃあ導師は沈黙の約束を完全に守ってくれたんだね」

 言われて思い出す。チャトムもカイに里の話を聞く時に約束したのだ。絶対に内密にすると。

 おそらくマーグラムも同様の約束をしただろうし、彼女ならそれを堅く守っただろう。そう言う人だった。

「当時は結構問題になったらしいよ。でも結果的には良かったんだろうね。こうして『学院』と良好な関係を築くこともできたし」

 里は彼女の訪問を機に学院とつながりを作り、ここ20年ほどは年に一度使者を派遣して情報交換の場を持つまでになっている。元はといえばカイもその使者としてここにやってきたのだ。


 マーグラム=ウィルブ。

 今現在はともかく20年前であれば、魔法に関わるもので知らぬものはいなかっただろう。

 いや、むしろ死後の現在の方がその影響力は大きいかもしれない。

 彼女は80近い高齢で没するまで、目覚しい理論の発見などもしなかったし、学院の学長会に名を連ねることもなかったが、それでもある特異な才で学院に大きく貢献し、大陸中に知られていた。

 一言で言うと伯楽の才能、ということになるのだろうか。

 おそらく一種の予知力でもあろうか、彼女には不思議と魔法士として有望な子供を見出す力があった。


「光って見えるのよ」

 と彼女は言っていた。

 30年前はティレグもそろそろ封印に飽きた頃で、数十年ぶりに外界からやってきた人間と言うのは丁度良い刺激だったと言える。なので里長に無理を言って引き合わせさせたのだ。

 マーグラムの方でも熱烈にティレグを見たがったらしいが。

 彼女はティレグが封印されていることをしきりに残念がり、すでに40も半ば過ぎなのに、好奇心にきらきらと輝く瞳はまるで少女のように見えた。

「宝物みたいに特別光って見えることがあるの。子供はみんな宝物だけど。

 でもそう言う子は話してみるとすごく聡明で、いつも驚かされるのよ。

 私には皆が言うみたいに選んでいるっていう意識は全然ないけれど、そう言う子に会ってしまうとね、もっと教えたい、知って欲しい、そして新しい知恵を生み出して欲しいって思ってしまうの」

「で、つい人攫いをやっちまうわけだ。知の殿堂、学院までご案内ってな?」

 ティレグが意地悪く言うと、マーグラムはこれまた少女のようにころころ笑って

「そうね、本当、その通り」

 と嬉しそうに頷くのだった。

 面白い人間だった。

 しかし30年は人の身には確かに長い。

(もう会えないだろうとは思ってたけどな。まさか2年違いで墓の下とは)

 墓石に刻まれた名前に、なんだかやりきれない気がした。


「そうやって……沢山の才能を発掘した功績で、彼女は知の母――『マム』の称号を学長会から贈られました」

 そんなティレグの前では、チャトムがぽつぽつとその後のマーグラムの話をしている。

「唯一独自の称号を与えられるのは、学院では最高の栄誉です。

 でも、マムが見出した人物はみんな学院を代表する学者になっていますから、むしろ当然かもしれません。

 今の学院…いえ、魔法学世界の上層の何人もがマムの弟子ってくらいだから」

 そして指を折りながら人の名を挙げていく。

「現宮廷魔法士のラセーク様。

 30代の若さで研究室長になったソリギル教官。

 学長会にも何人も。

 それから……――サジェイル総長」

 彼もまた、マーグラムがどこからか連れて来た子供のひとりだった。

 実は密かに最年少基礎過程終了の記録保持者である彼は、マーグラムの才能を示す人材の最たる一人とも言える。

「そういう人達は……」

 ここでチャトムは少し迷う風だった。けれど結局そのまま言葉を紡ぐ。

「――『マムの子』って呼ばれていて、特別な敬意の的です」

 カイもティレグも、そのフレーズには聞き覚えがあった。

「チャトム……お前……」

 ティレグに答えるチャトムの声は、そよ風にもかき消されそうなほど小さかったが、静かな墓地ではよく響いた。

「うん、そのマムが最後に見出したのが――ナーリェと……あたし」


 つまりサジェイル総長にとっては彼女等は兄弟弟子のようなものか、とティレグは納得する。

 それならああして親しげに語りもするだろうし、一介の生徒に過ぎないはずのチャトムを尊重した発言も出るだろう。

 年齢差を考えればほとんど娘のように思っているのかもしれない。



 マーグラムは学院に落ちつくことなく、旅をするのを好み、その度に優秀な生徒を連れ帰ったものだが、流石に老年になるとそうもいかなかった。

 それでも生来の旅行好きの彼女が湯治にと山間の温泉村へ行ったのが5年ほど前。没する3年と少し前のことになる。

 そこで知の母は、生涯最後の「宝物」をふたつ、見つけたのだった。


「学院に来る気はないかしら?」

 老いてなおチャーミングな目をくるっとさせて、彼女はそう言った。

 足が弱ってしまって自分ではほとんど歩けないくらいになっていたのに、シワだらけの手は魅力的な声に合わせてよく動いた。

 その動きだけでも目を惹かれる。12歳のチャトムにはそれだけでも魔法のように見えた。

「あなたたちはきっと2人で素敵な魔法使いになれるわ。

 学ぶ気がある子は大歓迎なの……もし良かったら私のささやかな貯蓄で学費も出すのだけれど。

 ふふ、もうこんなおばあちゃんでしょう?使い道もないし、お迎えが来たら学院に寄付でもしようかなんて思ってたんだけれど、将来有望な子に投資できるなら、ただ寄付するよりずっと学院のためになるわ。最後のお勤めと言うヤツね」

 チャトムは、その温かい手が好きだった。

 笑いジワのよった目元が好きだった。

 稚気と知性に満ちた語り口が好きだった。

「繰り言めいたワガママを聞いてくれるとね?老人はとてもとても嬉しいものなのよ」

 そう言って微笑むと、自分で言っておきながらとても老人とは思えないほど、可憐な印象が残った。

 その人格だけでも敬意と親愛に有り余るほどなのに、まして自分の夢をかなえる1歩を手助けしようと言ってくれるのだ――それも、ナーリェと2人そろって!

 これで好意を抱けない方がおかしい。

 結局付き合いそのものは残念なほど短い間だったけれど――それでもチャトムは抗えないくらいマーグラムが好きになった。

 今でも勿論大好きだ。純粋に敬意としてなら、多分一番に尊敬している。


 けれど。

 その人の申し出に対して、自分が出せた応えは――。


 思い出に続く自己嫌悪に視界が真っ暗に塗りつぶされるような目眩を覚えながら、チャトムは言葉をつないだ。

「笑っちゃうでしょう?あたしみたいなチャムチャム族がマムのお声がかりでここに来たんですよ。……7年分の学費まで納めていただいて。ホントは、あたしのうちの経済力じゃこんなところには通えないもの。

 学院生徒としては最高の名誉ですよね……なのに」

 一瞬言葉に詰まってうつむき、それでも言葉を続けた。

「ナーリェは…ナーリェは、ちゃんと……マムの言ったとおり非凡な才があったけれど。あたしは……こんな、落ちこぼれで」

 種族の差を考えても、なお。これは、あまりに。

「だから、本当は、みんなの気持ちも分からなくもないんです。生徒は皆プライドの高い人達だから、あたしみたいなのが知の母に見出された、なんて許しがたいでしょうね」


 ――最後の最後で、マムもとんでもない思い違いをなさったものだ。

 ――さすがにかのマムもお年には勝てないらしい。

 ――ナーリェひとりに留めておけば良かったものを。

 ――ばかばかしいオマケまで、な。


 ……そんなふうに。

 声を潜める風を装ってあからさまに耳に届いてくる言葉たち。

 マムの死前後からささやかれ始めたのだ。

 元々チャムチャム族への反感はあったものの、チャトムの進級が止まった頃から更に視線は冷たくなった。

 チャムチャム族のくせに。「マムの子」になって。そのくせ、結果はまるで出せないで――と。

 自分への中傷は勿論心に刺さったが、それ以上にマムやナーリェまでもが自分のせいで貶められるのは耐えがたかった。

「あたし――あたしは、皆の言う通り。

 ナーリェの気遣いにも、マムの期待にも、総長の好意にも、全然、相応しくないの」

 チャトムは俯いた顔を更に手で覆った。

 指の間からこもった声が漏れる。

「でも、でもね、本当は、一番嫌なのは――そんなことを考える自分。

 頑張れば――いいのに。ナーリェと一緒にいたいのに。夢を叶えたいのに。約束を守りたいのに。

 どうして、できないの?やりもせずに不安がってばっかり。自分を卑下して落ち込んで、そんなことしてもなんにもならないって知ってるのに。

 あたし……あたしは」

「チャトム……」

 搾り出すようなチャトムに、カイはただ名前を呼びかけた。

 労わりに満ちた、というよりは、相手を落ちつかせる静かな声音だった。

 そうして自分を呼ぶ声にチャトムは初めてその存在を思い出したように、切羽詰った表情の顔を上げてカイを見つめた。

「ねえ、カイさん。向き不向きってどうしようもないの?

 あたしは才能がないから夢も約束も叶えられないの?

 カイさん……カイさんは……ティレグに選ばれたくらいだから、やっぱり……剣士としてスゴイ素質があったから。だから剣士になったの?

 迷ったりなんてしなかったの?」

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