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12章

  12


 その夜、夢を見た。

 時々、嫌なことがあったときや落ち込んだ時に見る夢だ。

 それは温かな優しい記憶。チャトムにとっては何より大切な思い出だった。


 チャトムが生まれ育ったのは、ティルバイより北に位置する、山脈沿いの小さな村だ。

 山から吹き降ろす風は気まぐれで、冬は寒く厳しかったが、温泉が湧くのでちょっとした観光地でもあった。

 そんな村にある一軒の宿屋。それがチャトムの生家である。

 チャムチャム族は総じて商才に秀でると言うが、そう言うには恥かしいような小規模経営で、それでもまあ経営は傾く事もなく、家の中はいつも温かだった。

 また多産であることも彼らの種族の特徴で、例にもれずチャトムにも兄弟が沢山いた。上に兄と姉が5人、下に双子が一組。そんな中で揉まれ、押し合いへし合い成長していたのだった。

 そんな生活にナーリェが現れたのは、二人が5歳の時。

 近所に越してきたその一家は、幼いチャトムがどきどきするくらい綺麗な人達だった。

 小説を書いているという貴族的な風貌の若い父親と、美しい褐色の肌と濡れるような黒髪をした異国風の母親。その間に挟まれたナーリェは、大人びた目の美少女だった。

 踊り子であった彼女の母が、チャトムの家の宿で、客寄せに舞台を持った事がきっかけで、二つの家族は親しくなった。

 聞けばナーリェの両親は旅行好きでしばしば家を留守にするので、しばらくするとナーリェをチャトムの家に預けて出かけるようになったものだ。

 チャトムの家はといえば、今更一人増えた所でどうということもなかったので、ナーリェはすっかり入り浸り状態。半年もすると家族の一員のようになった。

 おかげで食事どきの競争は激化したが、それでもチャトムは嬉しかった。

 小さな村の中で同い年の子供は貴重な存在だったし、父譲りの白い肌と母譲りの黒い髪を持った利発な少女のことが、一目ですっかり好きになってしまったからだ。

 幸いナーリェの方もチャトムを気に入ってくれて(多分兄弟もいなくて淋しかったのだろう)2人はどこに行くにも一緒だった。

 本当の兄弟たちより親しく、ぴったり一緒に成長していって――あれは9歳の夏の事だった。

 2人だけで、内緒の冒険をしよう――そんな子供らしい思いつき。

 チャトムたちは夕刻、2人きりで家を抜け出して、山へ登って行ったのだった。確か山奥に咲くという夜光る花を探しに行ったのだと記憶している。

 夏の夜の山は、生命と彩り、様々な音に満ち――しかし暗かった。

 気がついたら沈んでいた太陽に、昼見るのとは全く異なった顔を見せる木々、道に迷うまで一刻もかからなかっただろう。

 刻々と冷える外気に2人で身を寄せ合い、握った互いの手だけを頼りに涙をこらえながら震えて歩いた。あれほどの心細さは今にいたっても味わっていない。いつもは遊び場のはずの山は、まるで魔界のようだった。もし一人だったら、いや相手が別の人だったら、とっくに泣き出していただろう。

 手を繋いで歩いていたのがナーリェだったから頑張れたのだ。夜闇にも白い手は、ほんの子供のものなのに、とても美しかった。

 歩いて歩いて歩いて――根を上げそうになったとき、木々の間にそれを見つけた。

 今なら分かる。それは古い魔術遺跡だった。

 いや遺跡と言うほどの規模でもなかったので、多分魔術狩りを逃れた魔術師の隠れ家ででもあったのだろう。

 しかし9歳の2人には、崩れた崖の間からのぞく石壁が何を意味するのか分からなかった。

 でも分からないながらに、明らかに人工物の匂いがするそれに安堵し、風化と木々の浸食を受けて壊れた壁の隙間から中に入った。

 入った瞬間、その中がほのかに明るくなる。自動的に照明がつくようになっていたようだ。

 今思えば恐ろしく運が良かったと言える。

 遺跡のほとんどは魔術狩りを警戒して多くの罠がしかけてあるものなのにそれがなかったし、また、それでなお、まだ役に立つ魔術が作動する状態に保たれていたのだから。

 そこは小さな部屋だった。調度品は既に風化して原型を留めていなかったが、中心にある台に据え置かれた水晶球が、ほのかな光を放っていた。

 2人で顔を見合わせながら恐る恐る近づいて覗き込む。

 その――かつて見た事のない美しさ。

 自分たちの頭ほどもある透明な玉の中に、乳白色の霧のようなものが漂っていた。その中心から溢れる光が白い粒子に反射して、七色の光が揺らめく。

 夢の中の光景がそこにあった。

 そしてふと横を見ると、ナーリェもそれに見入っていて、黒い瞳が虹色を映すその様子が、また不思議な感動を呼んだ。

 手をかざすとその玉はほのかに温かく、また周囲の冷えた夜気が穏やかになったのに気がつく。室温の調節機能も付加されていたのだろう。

 歩き疲れていた二人はその台に寄りかかって座り込むと、ほどなく猛烈な眠気に襲われた。

 頭上から注ぐ白い光、ホコリの匂い、つぶった目の裏に今見た夢のような光が踊る。

 そしてつないだナーリェの手の温かさ――。


 チャトムは、そこで目が覚めた。

(あれ、ここは……遺跡――じゃなくて――)

 一瞬自分がいる場所が分からずに左右を見まわしてしまう。

(そう、あたしの――部屋だ。ティルバイの…アパート)

 あれはもう8年も前のことだ。

 それなのに未だにこんなにも鮮明な夢を見る。

 結局あの後、2人で寝入ってしまって――翌朝そのまま探しに来た大人達に見つけられたのだった。

 両親は勿論、村の大人総出で怒られたが、気にならなかった。

 どんなお叱りもナーリェと一緒に受けたし、夢のような体験に有頂天だったからだ。

 ただ残念なことに、二人で見つけたあの場所は、村から学院に未発見の遺跡が見つかったと言う連絡がいって学院の調査団の手が入り、光る水晶も研究資材として持って行かれてしまった。

 それでも2人はくじけなかった。

 その理不尽さ(今思えば当然の措置だったが、幼い子供には信じられない暴挙に思えたのだ)に対する憤りも含めて、調査団の去った遺跡を見に行った。

 そこはすでにただの暗い小部屋に過ぎなかったが、チャトムとナーリェの記憶には美しい魔法の玉の事が刻まれていた。

 そしてその場で2人で誓ったのだ。


――大人になったら魔法使いになって、一緒に世界中を冒険しよう。

  そして、あの美しいものを、きっとまた探しに行こう。


 ――と。

 それはチャトムにとって神聖な誓いであり、大切な夢だ。

 だからこそこうして記憶に刻み込まれているのだから。

 あんな魔術の名残をまた見つけてみたい。不思議で美しい、昔の知恵者の遺産。

 それがまだ世界中の遺跡の中で眠っているはずなのだ。

 そのためにはやはり魔法士になるのが一番だ。カイも言っていたではないか。遺跡探索には知識の豊富な魔法士が必要なんだと。

 学院に通って魔法士を目指している自分は今、その入り口にいるはずなのに――。

 重い気分で窓の外を見ると、青い空が広がっていた。

 また、夏が近づいているのだ。

 この街に来て4度目の夏。

(……ナーリェは、まだ覚えているのかな――あの約束……)



 改めて時間を見ると夜が明けたばかりの早朝で、ナーリェがまだ起き出していなかったのを良い事に、結局彼女と顔を合わせずに家を出てきてしまった。

 ナーリェが起きて同居人がいないのに気付いたら、怒るだろうか。あきれるだろうか。それとも安堵するのだろうか。

 空の青い気持ちの良い朝なのに、カイを迎えに宿へ向かっているのに、どうにも足取りが重い。

 いつもあの夢を見た日は、温かい思い出に活力が湧いてくる感じがするのだが、今日は勝手が違った。

(ナーリェにあんなこと言われた後で、あの夢を見るなんて――)

 まるで優しい記憶に逃げ込むみたいだ。

 ナーリェはちゃんと目の前に、同じ屋根の下にいたのに。

 わざわざ夢で記憶をたどる必要なんてないのに。

 気になるなら聞けば良いのだ。現在の、現実のナーリェに。

「あの時の誓い、ちゃんと覚えてる?」と。

 少なくともこの街に来る事になった4年前には、そうして一緒に喜んだのだから。

 きっと一昨日卒業はまだしないと言った時と同じ口調で「当然だろう?」と言ってくれる。

(でも――)

 心からそう信じられない自分が、ここにいる。

 でも、もしもう忘れていたら――?

(ううん、覚えていたとしても、もうその気はないのかもしれない)

「なんだ、お前はまだそんな子供みたいなことを言ってるのか?私はもう研究に入る事に決めたし、お前はそもそも魔法士になんてなれそうにないじゃないか」――なんて呆れた口調で言われてしまったら――。

 ………自分の想像に、ずきんと心臓が悲鳴を上げるのが分かった。



 泣いていないのが不思議。

 約束の時間よりもかなり早くやってきたチャトムの様子を一言で表すとそうなる。

 目もとのくぼみは明らかに寝不足を示していたし、肌や表情にも張りがない。何より顕著なのはやはり耳か。空気の重みにも耐えかねるといわんばかりにぺたんと伏せられている様はいっそ哀れを誘う。

 それでもチャトムは笑顔を作って(全然成功していないのだが)

「カイさん、おはようございます。朝、早いんですね」

 とリーンの取次ぎで階下に下りたカイに言った。

 カイはそれでも笑顔を作ろうとしたチャトムの気概を尊重して、ただそのまま微笑んで応じた。

「うん、おはよう。……一応朝は鍛錬に当てているからね。日が昇る頃には起きてるんだ」

「そ、そうですか…そうですよね」

 チャトムは気もそぞろに頷いて、うろうろ視線をさ迷わせ、

「――あの」思いきったように切り出したが、なかなか先が続かない。

 さんざん躊躇って、しかしカイが椅子を勧めようとする気配に慌てて言った。

「あの、実は今日――ちょっと行きたい所ができてしまって。

 ホントはそんな場合じゃないんですけど――えっと、急いで行って帰って来ますから――。

 あ、でもまだ朝早いっていっても、急いでも約束の時間には戻って来れないかもしれないんですけど、でも、その――」

 勢い込んで言うがうまく思考がまとまらなくて無茶苦茶だ。

 しかしカイは

「うん、分かった」

 とチャトムの言葉が詰まったタイミングを見計らって、

「出かける用意をするから2分待ってくれる?――リーン、ホットミルクでも出してあげてくれるかな?」

 後半は厨房のリーンに向けたものだ。当然快い承諾の声が返ってきた。

「え?え?あの」

 チャトムは戸惑うばかりだ。自分は今急いで行って帰ってくるから待っていてくれと言うつもりだったのに。

 階段を上ろうとする後姿を慌てて呼びとめる。

「待ってください、カイさん、そんな一緒に行ってもらうような所じゃ――」

 彼はきょとんと手すりごしに振り返った。

「あれ?もしかして僕は行っちゃいけないところなの?」

「そんなわけじゃなくて――でもこれはただあたしのワガママで――…だから」

 言いながらチャトムは自分が情けなくなってきた。今は大事な仕事の最中なのに。どうして子供じみた思いつきにこだわって、カイの時間まで奪うのだろう。

「…やっぱりイイです。行きません。

 そんな、今こんな時に行くべき所じゃなかったんです。ゆっくりしてください。その後学院に出かけましょう?」

 仕事の続きをしよう、というチャトムに、カイは困ったように頭の横を人差し指でかきながら

「うーん、まいったな。渡りに舟だと思ったんだけどな。

 正直ここ2日あまりに反応がないから、他の所の様子見に街中でも散歩してみようかと今朝考えてたんだ。でも君がいないと迷うだけだし――先日の有り様はもう遠慮したいからね――それを君が学院以外のところに行きたがってるらしいなんて、なんて良いタイミング、と思ったのに、取りやめちゃうの?」

「え――その」

 至極残念そうな彼の口調は、自分の行動が迷惑になると思い込んでいたチャトムを混乱させた。

 そもそも昨日はなかなか寝つかれなかった上に今朝は早く起き過ぎて、寝不足で思考が停滞気味なのだ。その頭にはカイの言う事はとてももっともらしく聞こえる。

 渡りに舟?もしかしてワガママを通したほうがカイには喜ばれるのだろうか?

 目をぱちぱちさせて考えるチャトムの鼻先を、やわらかな湯気がくすぐった。

 甘い匂い。

 目の前には湯気を立てるミルクをたたえた大きなカップがあった。

 持ち手からつながる手の先は――リーンだ。

「デートの行き先に迷ってるみたいだけど?とりあえずこれでも飲んでから決めたら?」

 軽くそう言って首を傾げるように促すのにつられて、カップを受け取る。

 じんわり温かさが伝わってくる。

 心地よい重みにつられてがらがらに空いていたテーブルのひとつに腰掛けた。

 そんなチャトムを見てカイはちょっと待っててね、と手で示しておいて二階に上がる。

 なんだか流されている。

 ほとんど停止した脳でちょっとそんなことを考え、カップに口を近づけて、そこで改めて甘い匂いに気付く。

(……ハチミツ入りだ)

 こくん、と一口含むと、程よい温かさとミルクの風味、ハチミツの甘さが広がって、落ちつくと同時に少し力が湧いてくる感じがした。

 そこで初めて自分がやたらと体をこわばらせていた事に気がつく。

(もしかしてあたしが沈んでるから気遣って甘いもの入れてくれたのかな……)と思ってリーンを見ると、軽い足取りで厨房に戻っていく所だった。

「あの、リーン、ありがとう。スゴク美味しい」

 背中に声をかけると、くるっと振りかえって「とーぜんよ」と笑う。後ろでくくった髪が踊るように軌跡を描いて、チャトムもつられるようにほにゃ、と相好を崩す。

 湯気にあてられた鼻の奥が少しつんとした。


 カイが下りてくる頃にはチャトムはすっかりカップをカラにして、ついでに腹も決めていた。

 落ちついて考えてみると自分がとても気遣われているのだと分かる。

 多分カイはチャトムの気が楽になるようにああ言ってくれたのだし、リーンは寝不足の体を思いやってくれたし、黙々と掃除をする親父さんも密かにこちらに気を配っているし。

 申し訳ないとも、そんな自分を情けないとも思ったが、それでも嬉しくてありがたい。

(なんかすんごい恵まれてる……あたしって)

 ホントは自分で頑張らなきゃいけないんだけど。当てにするのは悪いんだけど。

 でも、なんだかここまでされるとかえって覚悟ができた。いっそ潔く――かなり間違った言葉の使い方だが――好意に甘えてしまおう。

「カイさん、あたしやっぱり、行きます。街の北東で片道30分くらいかかる所なんですけど。ついて来てくれますか?」

 カップの柄を握り締めて重大な宣誓でもするように言うチャトムにカイは笑顔で勿論、と答えた。

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