10章
10
「……見つかりませんねぇ……」
チャトムが図書館前の短い階段に座り込みながら言った。
重厚だが機能的な作りの、大陸屈指の蔵書量を誇る図書館は、夕日を浴びて銅色に輝いている。図書館に入っていく三人の生徒が、不審そうにチャトム達を見て、何ごとか囁きながら歩いていった。
1日歩き通しだったというのに、今日もなんら成果なし、だった。
北の裏庭から回って東、南東と、学院の半分くらいは見てみたのだが。
あとはこの辺りで残るのは図書館の向かいにある講堂くらいか。
「なんだ、まるでオレが見落とししてるんじゃないかとでも言いたげだな、チャトム?」
ティレグが生徒たちが完全に視界から消えたのを確認して小声で毒づいた。
疲れが出たせいか単調な仕事に飽きがきたせいか、少々口調が非難がましくなってしまったかもしれない、とチャトムは反省する。
「そ、そんなんじゃないよ……でも」
「うーん、確かにね」チャトムの弁明にカイが助け舟を出した。
「本当はないに越したことはないんだ。ただの二件の紛失事故、ですむなら。
でも、反応がさっぱりないならないで、なんだか妙に不安になってしまうよね。本当にないのか、ただ僕らが見つけられていないだけなのか分からないから。……いっそ、ぱーっと見つかっちゃったらかえって安心するかも」
「いやその……ちょっとそれはそれで困るんですけど」
しかし確かに「ない」ことを証明し確信するのは難しい。「ある」ことを明らかにするよりずっと。
何やらしみじみしてしまった2人に、ティレグが怒鳴りつつ――と行きたかったのだろうが図書館内に聞こえても困るため、音量は抑えて――割って入った。
「いーや、そんなこた始めっから分かってんだ!それでもやるしかないんだからしょーがないだろ。
とにかく、だ!そんなことより!
徒労に終わって一番疲れてんのはオレ!ずっと探査魔法行使してたオレなんだぞ!?ぼんやり歩いてただけのお前らがため息なんぞつくな!」
つまりはこれが言いたかったらしい。
「ティレグ……」なんて勝手な、とチャトムはかすかに呆れたものの、確かに魔法は精神的に疲れる作業だし、自分が使えない負い目もあったので一応「…まあそうだよね、ゴメン」と言った。
しかし。
そんな殊勝な態度に対して返って来たのは。
「いーや許さん。罰として最後の、あの講堂の探査はお前ヤレ」
理不尽な命令だった。
「えぇえええ!?無理!無理だよ!」
思わず跳ね上がってしまった声としっぽに気付いて、慌てて周囲を見渡す。幸い周囲に人の姿はなく、図書館は防音の扉がきちんとしまっている。
「何が無理だよ。お前だって学院生徒だろーが」
ティレグの言葉は冷ややかで、確かに理屈は通っているが……。
「だ、だって…あたし全然魔法使えないんだもん……一番簡単な明かりの魔法がやっとなの。マッチくらいの火だって起こせないないんだから……」
自分で言っていて情けなくなってくる。
「それでも理論と呪文公式くらいは覚えてるんだろうが」
「そ、それは…そうだけど」
確かにそれはいつも追加課題で死ぬほどやっている。せめて、と思って自習もしていたのだ。転移魔法だって論理式だけなら構築できるくらいだ。
「だったらやってみろよ。成せばなる、何事も気合だ!」
無茶苦茶言っている。なんか無茶苦茶言ってるよ~。
チャトムは半分泣きそうになった。助けを求めてカイの方を見上げる。
すると彼は少し考えるようにあごに手を触れながらティレグを見つめ、ついで穏やかな微笑みをチャトムに向けた。
「うん、そうだね。ちょっとやってみたら?」
「カ、カイさんまで~~~~」
頭を抱えるチャトムだったが、カイは微笑んだまま滑らかな仕草でティレグを腰から抜いて、鞘ごとチャトムに差し出す。
「これだけ言うんだし、ティレグがきっと手伝ってくれるよ」
その言葉にチャトムは顔を上げた。(ティレグが?手伝う??)
「こうして持って…」とチャトムの手に黒い柄を握らせる。そして口の中で二言三言呟いた。
かなり細身の剣なのに、それはやはり鉄の重さで、ずっしりとした量感があった。チャトムは両手でなんとか支える。
「ティレグに上手く誘導してもらったら、今までできなかったことが出来るかもしれない――総長も言ってたよね?勉強になるかもしれないって。どうせだから一度やってごらん、滅多にない機会だろう?」
そう言って首を傾げるようにチャトムの目を覗き込む。間近で目が合った。
その、温かく肯定的な目の色。
(……………なんであたし、この目に弱いんだろう。この仕事引き受けたときみたいに、なんかやってみようかなって気になっちゃうよ……)
「ティレグ……誘導、してくれる…の?」
おそるおそる手の中の黒い剣を見下ろして問いかける。
「……まあ、そんくらいのサービスはしてやらんでもないぞ」
ティレグはわざと尊大ぶって「ま、ちゃんとお願いできたらな」と続けようとしたのだが、
「すごい!お願い、ティレグ!あたし、やってみたい……!!
伝説の魔剣ティラザーグの誘導なんて嘘みたい」
言う前にはしゃいだ声でお願いされてしまって、目を輝かせて誉め言葉を口にされて、さらに嬉しそうにぎゅっと抱きしめられたりしたものだから(これがまた柔らかくて温かくて、なんとなく良い香りがして、カイに持たれてるときとは比べ物にならない良い感じだった)結局了解の一言以外、何も言えなかった。
横で見透かしたように微笑むカイの視線がちょっとむかついたりした。
「邪魔にならないように僕はここで図書館でも見物しているから、2人(?)で行っておいで」というカイの言葉は少し残念だったが、魔法の練習なんて横で見ても面白いものではないし、何より失敗したときにカイがいると恥かしい――という訳で、チャトムはうなづいてティレグを両腕に抱え、踊るような足取りで隣の講堂に向かった。
集会などのために全校生徒も収容できるように作られている巨大な講堂は、しかし今はがらんとしている。ここで行われる授業も今日は既に終わっているためだ。ぎっしりと並んだ椅子の先に、舞台のように高くなっている所があって、ぽつんと教壇が置かれている。
「広いな」とティレグが漏らした声が反響して、少し耳鳴りがした。
「うん、広いでしょう。2階にも席があって、千人以上が入れるの。……見たところ魔法陣なんて書けそうにないけどね……」
「まあそれでも学院の建物ではダントツの床面積だからな……ここだけは一応調べておかないと。椅子とか退かして隠匿魔法でも使えばなんとかなるかもしれん……まあ多分ならないだろうけどな。その程度だからお前が練習にやってみてもいいだろ」
「う……」
バカにされてるのは分かったが、事実なので反論できない。
それでもむくれて耳を震わせるチャトムに、ティレグはくっくっと笑って、このくらいで勘弁してやるか、とばかりに本題に入った。
「さ、とりあえずオレを両手でしっかり持って……その感覚に集中するんだ。同調できるように」
「うん……」
言われた通りにする。どこを持つのかよく分からなかったが、少し悩んでから柄と鞘をぎゅっと握った。確かに金属でできているティレグは、硬くて冷ややかなのに、その滑らかな感触が不思議と人の手を思い起こさせた。
(手、か……考えてみたら手を引かれてるみたいなものだよね……こうして誘導してもらってるって)
その連想が誰かの手を思い出させる。
闇に浮かぶ美しい白い手。
掲げられるシワだらけのしかし温かい手。
差し出される長い指の大きな手。
……思えば自分はいつも誰かに手を引いてもらってばかりだ。
ほんの子供の頃から、昨日にいたるまで。
「で、界イメージだ……座標は分かってるな?」
ティレグの声に、回想に浸りかけていた心がはっと現実に立ちかえる。
(いけない、いけない、集中しなくちゃ)
チャトムは頭をひとつ振ると、頑張って意識をティレグの声に向けた。
一方そのころカイは、ぼんやり図書館内を見てまわっていた。
見上げると首が痛くなるほど高い棚に、ぎっしりと本が詰まっている。本棚の脇には細い梯子つきの高い椅子が用意されているが、あれでは上の本を整理するのは大変だろうに、と思わず管理者に同情する。
本棚が立ち並ぶ室内は紙が傷まないよう照明が落としてあるが、閲覧用の机が設けてある所は沢山魔法の明かりが置いてある。古い本特有のカビっぽいような匂いがするが、整然と数えきれないほどの本が並ぶ様は、カイにはいっそ新鮮な光景だった。
職業柄、本というものはあまり読まない。旅の身では紙の束なんて邪魔だし、里にも文字の並んだものは少なかったことだし。
それでも書物はなんとなく好きだ。むしろそれを残そうとする人の意思、あるいは他人の残した知識をとり込もうとする行為が、貴重なものに思えるのからかもしれない。
そう思って手に取ると、それは紙の束とは言えずっしりと重みがあって、丁寧な装丁も、中に書かれた知識への敬意のように思えて好ましい。
読まないまでも、そんなことを考えながら棚の間を歩き回るのはなかなか楽しかった。
(ま、ホントは本の真価なんて読まない人間にはわからないだろうけどね)
などと苦笑しながら歩いていって――ばったり、知った顔に出会った。
薄暗い照明の中でなお沈んだ色調の黒髪、数冊の本を抱えた知的な麗姿は、周囲の本の山にあつらえたように似あっていて、書物の精霊なんてものがいたらこんな感じかと思わせる。手の中にあるのは難解そうな分厚い書物で、『詳解中空制操典』『学院年鑑』『ティルバイ建設史』などの金字が目に付いた。
そう。本棚の影から出てきたのは、昨日紹介された、チャトムの幼馴染の同居人、かつ自慢の友人。
ナーリェ、だった。
「こんにちは、ナーリェさん。…いや、もうこんばんは、かな」
とりあえず基本、とばかり笑顔で挨拶する青年に、しかしナーリェは冷ややかな眼差しを返した。挨拶もせず、むしろ憮然とした表情で彼の周囲を見渡すと、
「これは意外な所に。……チャトムはどうしたんです?」
と問うた。一応敬語は使ったものの、かなりあからさまな態度だった。が、相手の笑顔は崩れない。
「この中を見せてもらいたいと頼んだんですよ。でも武器を差して入るような場所柄でもないからと思って、私の剣を預かってもらってるんです。多分図書館の外の、近くで待ってるんじゃないでしょうか」
「そうですか」
確かに持っていたはずのアンティークじみた剣がない。ナーリェはひとまず納得して、すぐにも立ち去ろうかと思ったのだが。
頭をずっと占拠していた考えが、ふと足を止めさせた。
「そういえば視察の方」
名前は忘れたのでこう呼ぶしかない。しかし青年は気を悪くした風もなく「なんでしょう?」と聞き返してくる。鷹揚なのか鈍感なのか、相変わらず笑顔のままなのが何となく癇に障った。
「こちらにはいつ頃まで滞在のご予定ですか」
我ながら不機嫌な声だと思いながら聞いてみる。
心中ではさっさと帰れと言いたかった。
だいたいずっと笑顔というのは胡散臭いのだ。とらえ所のない感じがする。単なるお人好しなのかもしれないが、なんとなくこちらのことを全部見透かして笑われてるようで好きになれない。
しかし彼はそんなナーリェの思惑など全く知らぬげで、
「そうですねぇ。実ははっきりとは決めてないんですよ。別に急ぐわけでもないし、ここは良い所だし。ゆっくりして行こうかななんて考えてますが」
と、返事は実にのんびりしたものだった。その言葉にナーリェは自分の額に青筋が立つのを感じる。のどかな笑顔も怒りをあおった。
(急ぐわけでもないし、だと!?……その間ずっとチャトムはこんなのに付き合わされるのか!?)
チャトムにだってするべき勉強も課題もあるというのに。こんなのにくっついて学院をうろうろせねばならないのか。総長は何を考えてるんだ。
呆れと憤りで目眩がしそうだった。
心のかたすみで昼間見たチャトムの楽しそうな笑顔がよぎったが、あえて無視した。
視察の男はしばらくそんなナーリェを眺めて、ぽつりと訊ねた。
「……気になる?」
これには立った青筋が幾本か切れそうになる。
「自意識過剰か?」
ナーリェは永久凍土のように重く冷えた声で軽蔑の念を表した。相手が口調を崩したのにつられたわけでもなく、ただこの相手に使うのが嫌になって敬語をやめた。
いったいどうして自分がこの男の日程など気にせねばならんのか。あまりばかばかしくて笑い出しそうだ。
しかし彼は気に病む様子もなくこれに苦笑して、付け加えた。
「いや、僕じゃなくて。チャトムのことが」
一瞬、ナーリェは自分の思考が真っ白になるのを自覚した。
「チャトムが、心配?」
そう、首を傾げるようにして訊いてくる青年。
……一体自分は何に怒っているのだろうか。
白濁した頭のすみでナーリェは考える。
この男の馴れ馴れしい態度か。
得体の知れない笑顔か。
チャトムを親しげに呼ばれたことか。
そう呼ばせているだろうチャトムか。
あるいは――。
(……チャトムが心配か、だと?)
そんな――そんなの。答えなんか。
決まっている。
(くそ――ッ)
なんだ。
これはなんなんだ。
とにかく闇雲に腹立たしい。
ナーリェは怒鳴り声を飲み込むように歯を食いしばると、それらを全て視線にこめて、人ひとり射殺せそうな目で男をにらみ、そのまま身を翻した。
こんな時でも背筋を伸ばして、足音は荒いながら凛々しく立ち去るナーリェを見送って
「……う~ん、もしかして僕、嫌われた……かな?」
とカイは本棚の間でつぶやいた。
ティレグいわく人の悪意に象より鈍感な、さしもの彼も、さすがに彼女の逆鱗に触れたらしいことにはどうにか気付いたのだった。
「でもまいったなぁ」
ちっとも参ってない口調だ。
「あそこで怒れるコって、僕は嫌いじゃないんだよね」
そう言いながら片手で顔をなでると、独りで少し笑う。
近くに本を取りにきた生徒が、それに奇異な視線を向けて回れ右をして去っていった。




