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「ではこの書類に記入を」
ここは領主館の本邸の客間。
今日はギルドへの所属と製法の登録をすることになっている。
数日前。
ユリウスからマチルダからの提案『製法の登録』についてどうするのかを聞かれた。
私はすっかり忘れていて、エメリヒを見た。
「相談していいですか?」
エメリヒを指名しながらユリウスに確認をとると頷かれた。
だが私が相談する前にエメリヒからも「俺も話がある」と言われた。
その時差し出されたのは『そろばん』について書かれた書類。
「ラルフからこれをリナ名義で登録するように言われてる」
書類を受け取り内容を読むと『そろばん』は私が発案・開発者になっていた。
全権利が私にあって、ブンゲルト子爵がその使用権を一定の支払いをすることで独占する契約になっていた。
額が…ちょっと予想外である。この収入だけで何もせずに生活できるレベルである。
「これは父さん達がラルフと話し合って決めたことだから」
エメリヒの言葉に顔を上げる。
「えっ、でも目立つことはダメなんじゃ」
「ジジイ達が追ってるのは俺達で、リナの存在は知られてない。リナの名前で登録しても問題ないだろうって。リナの知識はリナが得るべきだって」
いやいやいや、待って。私の知識って、エルンスト達は知ってるはずだ。
これが地球の知識であって私のものではないことを。
「エメ、だって!」
私が抗議しようとすると
「言いたいことは分かってる。でもリナがこの世界で生きていくのは容易じゃない。割り切って享受するべきだ」
確かに魔法が使えない私はこの世界での生活がとにかく大変で、エルンスト達がいなかったらあっという間に底辺に落とされていたと思う。
でも…ズルくない?
これは自分自身への問いだ。
弟が読んでいた小説でも、地球より文化が遅れている世界で一強する主人公がたくさんいた。彼らには「自分の生活水準を上げたい」「領地を繫栄させたい」「人のためになることをしたい」や、純粋に「儲けたい」といろいろ目的や理由はあったけど、誰かが考え出したものをあたかも自分の功績にすることに抵抗や罪悪感はなかったのだろうか?
誰も知らない世界ならいいと、称賛を浴びても問題ないと、何の疑問も持たずに受け入れられたのだろうか?
確かに私もエルンスト達への恩返しだと、自分の生活のためだと、情報を得て、それを使ってきた。でもそれを商品として利益を得てしまったら…自分の中の良心を裏切ることになる。
私は書類を握る手に力が入った。
…ここにきて自分のしたことに後悔することになるとは…。
マチルダにパッチワークやキルティングを教えた時もっと考えるべきだった。
いつも動画で得た情報を使う時はエルンスト達に相談してたのに、この世界にある道具で作れる物だからと、あの時はつい軽く考えてしまった…。
登録して利益が出れば助かる。そう思ったのも事実だ。
それを考えると気持ちがぐらつくけど…。
提示された内容に怖くなった。
「エメリヒ…やっぱり私の名前で登録することはできない。私が考え出した物じゃないから…。ごめんなさい」
私は書類をエメリヒに返した。
やっぱり…ズルはしたくない。
「それは考えが甘いのではないのか」
それまで黙って会話を聞いていたユリウスが口を開いた。
「この世界にない物を持ち込んだ時点で君が責任を負うべきじゃないのか」
え…?
「敷物の製法…あれを登録せずに売ればすぐに誰かが自分の物として登録し利益を上げるだろう。それを防ぐためにマチルダに託したとしても、マチルダは君と同じように誠実な人柄だと見受けられた。彼女も『君が作った物なのに』とずっと後ろめたさを抱えて過ごすことになるだろう。君と知り合いたまたま初めにその製法を知っただけなのに、だ」
「あ…」
ユリウスの指摘はもっともだった。
…そこまで考えてなかった。
確かに…私がズルしたくないからって、持ち込んだ責任を放棄したら…誰かにしわ寄せがいく…。
もちろんそれをラッキーだと受け入れる人もいるだろう。でもそれはきっとその人にとっても良くないことだ。
自分が蒔いた種だ…。
それを他人に押し付けるのは違うよね…。
「…すみません、でした…私の考えが浅かったです。ユリウスさんの言う通り…出してしまった物の責任は取らないとですよね」
行動には責任が伴う。それが良いことでも悪いことでも。
「出した物がどう扱われるのか…それにも責任を持たなくちゃいけないよね」
私は大きく息を吸い込んで、覚悟を決めた。
「エメリヒ、私…登録するね」
私がそう言うとエメリヒもホッとした様子だった。
ユリウスが少しきつい言い方をしたが、エメリヒとしてもリナに登録をしてほしかったのだ。もしエルンストとアンネリーエ、エメリヒ自身に何かあった時、リナが一人で生きていけるお金を持たせておきたかったからだ。
「じゃ登録について詳しく説明するな」
エメリヒからギルドのことや登録の仕方を改めて教えてもらった。
ーーそして今日、ブンゲルト領の同職ギルドのギルドマスターと事務員の女性、後見人としてユリウスとブンゲルト子爵、そして家族としてエメリヒが同席のもと、つつがなく登録を終えることができた。
初めて会ったラルフの父親であるブンゲルト子爵は、ラルフを渋オジにしたような、とても気さくで優しい素敵なおじさまだった。療養させてもらっているお礼を伝えると「不便があったらすぐラルフに言うように」と穏やかに笑ってくれた。
同職ギルドのギルドマスターは元武器職人とのことで、がっしりとした体つきの少し強面のおじさんだった。でもとてもテキパキとしたカッコいい事務員の女性に頭が上がらない様子で、それが少し面白かった。
彼の薦めで私もマチルダと同じく服飾部門に登録した。
後日、マチルダのところへ登録したことの報告と仕事ができなかったことへの謝罪に行った。マチルダは私のケガをとても心配してくれた後、登録したことをものすごく喜んでくれた。マチルダは私がどうするのか決めるまで、作ったパッチワークキルトの敷物を売らずに待っていてくれていたらしい。
迷惑をかけてしまったことへの謝罪にも笑顔で応じてくれた。
「私、これは絶対いけると思うんです!だからリナさんが決心してくれて安心しました!」
マチルダのホッとした笑顔を見て、ユリウスが言ったことを実感した。
罪悪感や後ろめたさはあるが、これでよかったと思った。
そういった日々を過ごし、領主館でお世話になり始めてすでに一か月経とうとしていた。
未だエルンストとアンネリーエの消息は分かっていない。
夕食後、人数分の紅茶をメイドさんが用意し退室していった。
私は有難くソファに座って紅茶をいただく。
エメリヒも私の隣に座る。そして紅茶に手をつけることなく切り出した。
「リナ、ブンゲルト領を出ようと思う」




