35
ユリウスにしがみついていた手が力無く落ちた。
泣き疲れてまた寝落ちしたらしい。
ユリウスはリナを起こさないようにゆっくりと抱き上げた。
そのままベッドまで連れて行くと、そっと寝かせる。
相変わらずの無防備さである。
ユリウスはベッドの横にあるイスに座り彼女を見つめた。
イーヴォから聞かされていたとはいえ、実際に少女が自ら違う世界の住人だと認めたことは大変な衝撃だった。
特に元の世界ではすでに死んでいるという事実。
彼女のような若い娘が死ぬとは…それほど危険な社会なのだろうか。
いや…この無防備さで危険ということはないか…。
病死ということもある。
だが今はそれを追求しない方がいいだろう。
少女自身こちらの世界に来たことに疑問を持っていた。おそらくエメリヒや両親にも違う世界から来たとは言っていないのだろう。
だがエメリヒは魔物に襲われた時に落ちていた音楽が鳴る魔道具…あれら彼女の持ち物を把握していて、俺に詮索するなと言った。彼ら親子もこの世界の人間ではないと感じていたのではないか。
そして少女が自ら告白するのを待っていた…。
泣き崩れた様子を見る限り、内に秘めていることに限界を感じていたのだろう。
もしその告白が俺ではなく彼女の父親…エルンスト…あの男だったらもっと上手く彼女を受け止めてやれたのかもしれない。
エメリヒならむしろ同じ目線で共に気持ちを分かち合っただろう。
彼らほどには少女との関係を構築できていないのは分かっている。
それでも打ち明けてもらえたことは僥倖だった。
これからどう向き合えばもっと彼女を知ることができるのだろうか。
そこまで考えて我に返る。
…いや…性急すぎるのは少女を追い詰める可能性もある。
『私…頑張ります。この世界で…』
イーヴォが言う『執着』とまでとはいかなくても、前向きな言葉が出たのだ。
今はそれで良しとすべきだろう。
「ん…」
また目が赤くなってしまったな。
リナの目元に触れる。
と、ユリウスの手に顔をすりつけ幸せそうな笑みを浮かべた。
…これは…。
…無防備にも程があるだろう…。
…俺が全く警戒されていないということだろうが…。
もちろん害するつもりはないが…。
なんとなく、面白くない。
ユリウスにとってこんな感情が生まれるのは初めてだった。
先ほどの心音を確かめろと言われた時も驚いた。
自ら異性の手を胸に持っていこうとした少女の行動はあまりにも…。
しかも耳を当てて聞けとは…。
人に見られたらどう思われるか…。
その前に俺に何かされるとは微塵も考えてもいないのが問題なのだが。
それは信頼とは違う…おそらく『二股』されたことが彼女のそういった自信を奪ってしまっているのだろう。
…危うすぎる…。
「はぁ…」
華奢だとは思っていたが少女の腰は思いのほか細く、乱暴に力を入れたら折れてしまいそうだった。
自分の手にすり寄って眠る少女。
首も腕も手も、何もかもが白くて細い。
彼女の顔の輪郭をなぞるように撫でると首に指があたり「ん」と声が上がる。
思わず手を引く。
何をしているんだ…俺は…。
なんとなく後ろめたい気持ちになり少女から視線を外した。
「ふっ、おぬしも男よのぅ…」
!?
ガタンッ!
思わず飛びのいてしまったユリウス。
むくりと起き上がった少女は、それはそれは楽しそうに意地の悪い笑みを浮かべた。
「小娘の胸に発情したか?」
くっくっくっ、と笑う少女。
とても同じ少女だとは思えない妖艶さに狼狽える。
「イーヴォ、殿…そういうのではありません」
全く説得力がない答えだった。
「よいよい。ぬしのそのような慌てた姿、はじめて見たわ。好きにせい」
そう言うと少女はベッドから起き出し膝立ちでユリウスに手を伸ばしてきた。
「だからっ、そういうのではーー」
ユリウスが言い訳を口にすると、ぐらりとバランスを崩し少女がベッドから落ちそうになる。
ユリウスは慌てて受け止める。と少女はニヤリと笑い、彼の首に腕を回した。
そのまま少女は自分の方に体重をかけるとユリウスを引っ張るようにベッドに倒れ込む。
「ちょっ」
ドサリッ…。
少女をベッドに押し倒した、ようになだれ込んでしまったユリウス。
押しつぶしたかと慌てて体を起こすと、少女と目が合った。
冗談にしては質が悪いと文句の一つでも言おうと口を開きかけて止まる。
少女の目がものすごく見開かれ、みるみるうちに顔が赤くなったのだ。
「あの…あの…」
「ーーリナ!い、いや、違っ」
ユリウスが飛びのくのと同時にリナも慌てて後ろに下がる。
彼女は自分の身を守るように警戒する素振りを見せた。
それはユリウスが望んだ反応ではあったが、今じゃないと思う。
「…落ち着いて聞いてほしい。君が泣き疲れて眠ってしまったからベッドに運ぼうとしたんだが、バランスを崩してしまって、申し訳ない」
ユリウスが必死にそう説明するので、リナもだんだん落ち着いてきた。
「そうなんですね…すみません、私こそ…重かったですよね」
そうだよね、ユリウスが私を…なんてあるわけない。
意識のない人間は普段より重いっていうし…でもバランス崩すほどって…けっこうショックなんだけど…。
いつも軽々と抱えてくれてると思ってたけど、やっぱり違ったんだ…。
うう…凹む。恥ずかしい…。
違う意味で顔が赤くなってしまう。
「誤解しないでほしい。本当に足が滑っただけで」
ユリウスの焦った声。
「あ、いえ…大丈夫です。分かってますから」
そんなふうに必死に釈明されると余計惨めになる…。
ガチャ。
「ただいまー…って、何してんの?」
微妙な空気の扉を開けたのは張り込みから帰ってきたエメリヒだった。
ベッドで俯く半べそのリナといつもと違い焦った表情のユリウス。
エメリヒは無言で二人に近づくと、ユリウスの胸ぐらを掴んだ。
「お前、何した」
目が据わっている。
「何も」
と言いつつ、疚しさがあり視線を逸らしてしまうユリウス。
その目の動き…あやしいな。エメリヒはさらに掴む手に力を籠める。
「待ってエメリヒ!違うの!私が重いのが悪いの!!」
慌てて彼の外套を引っ張って止める。暴力反対!!
「はぁ?」
エメリヒはユリウスの胸ぐらは掴んだまま、私とユリウスを交互に見た。
エメリヒはするりと手を離すとおもむろに私を抱き上げた。お姫様抱っこである。
「ひぇ!!」
私は慌ててエメリヒ首にしがみつくと
「エメ降ろして!重いから!」
なにこれ!!なんなのこの公開処刑!!
エメリヒは私の訴えなどまるで無視してユリウスを見上げた。
「リナが重いって…あんたどんだけ力無いの」
エメリヒのこれはわざとである。
「…だから重いとは言っていない」
ユリウスは片手で顔を覆うと、もう言い訳も辛そうである。
「エメ…お願い。降ろして…」
もう私のヒットポイントもゼロである。
エメリヒは私のおでこにチュッとすると、やっとベッドに降ろしてくれた。
うう…。エメリヒがまた変になってる。
「リナ…目が赤い。また泣いた?」
エメリヒからそう指摘されてドキリとする。
でもさっきユリウスと話した内容をエメリヒに伝えるにはまだ勇気が持てなかった。
やっとこの世界で生きていく覚悟をしたばかりで。
もしエメリヒに少しでも拒絶されたらと思うと怖かった。
何も言わない私の頭を撫でると「タオル持ってくる」と洗面室へ行ってしまった。
「彼には言わないのか?」
ユリウスの言葉に小さく頷いた。
「もう少し…したら話します」
ユリウスは「そうか」と私の気持ちを尊重してくれた。
エメリヒが戻ってくると冷たい水で濡らしたタオルを目に当てられ、ベッドに横になるよう促されて素直に従った。
「泣くとすぐ赤く腫れるんだから、あんまり泣くなよ」
エメリヒの前ではそんなに泣いてないと思うけど。
「うん」
エメリヒの温かい手が頭を撫でてくれて眠気を誘う。
何度か頭を撫でているとリナの反応がなくなった。どうやら眠ってしまったらしい。
掛け布団をかける。振り返るとやり取りを見ていたユリウスと目が合った。
そう言えばリナが目を腫らしてる時はこいつと二人きりの時が多いな。
「お前…わざと泣かせてないだろうな」
思わず疑ってしまう。
「何のことだ」
ユリウスは怪訝な顔をする。
違うな。こいつはそういう面倒はしない。
リナがこいつの前では泣けた…そういうことなんだろう。
「別に」
それがどんなに面白くなくても、今はそれがただの事実である。
俺がリナに頼りにされてないだけ、か。
エメリヒは密かに己の拳に力を籠めた。
今は頼りにならなくても、いつかはーー。




