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ぺちっ
「おい、いい加減起きろ」
遠くで誰かの声がする。
…でもエメリヒじゃない…。
ぺちぺちっ
「…ん…」
つぅ…頭…痛い…。
ぼやける視界。何度か瞬きを繰り返す。
「!?」
私を覗き込む見知らぬ男。ビクリと体が揺れた。
え…誰…?
「おお、やっと目覚めたか」
その男はニィっと笑う。
ここ、どこ…?
体を起こそうとして身動きが取れないことに気づく。
見ると体を縄で縛られていた。
両手足も縛られている。
周囲を見回すと壊れた道具や枯れてひび割れた木材が四隅に散乱している。
外を確認できるような窓はなく、使われていない期間が長いのか部屋の中は空気が淀んでいた。
「ここはなぁ、町からちょいと離れた森ん中の山小屋さねぇ。だから叫んでも無駄。助けは来ないよぅ。分かったかい?」
だから大人しくしていろとでも言いたいのだろうか。
「ちょっとなぁ、お前さんに聞きたいことがあってここに来てもらったんだよ」
男の口調は優し気ではあるが、この状態を「来てもらった」と表現するあたり堅気ではないのだろう。
「お前さんの両親は今どこにいるんだ?」
両親…?
エルンストとアンネリーエのこと?
ああ、そうか。私、襲撃犯に捕まったのか…。
人にぶつかったことは覚えてる。
あの後殴られて…ここに連れてこられたんだ…。
「おやぁ、まだ目が覚めてないのかな?」
そう言うとパンッ!と頬を叩かれた。
「っ」
ビリッと頬が引きつる痛み。
…うそ…。ぶたれた…?
男を見ると変わらずニィと笑っている。
みぞおちの辺りが冷やりとする。
ああ…。
私…ここで殺されるのかな。
それともエルンストとアンネリーエに対する人質にされるのかな?
…どっちにしても最後は『また』殺されるんだろうな。
「…おい」
部屋の出入り口の方から別の声がした。
もう一人いる?
…声がした方に視線を向ける。
だが陰に隠れるように立っていて顔が良く見えない。
「あぁ、すいやせん。つい。後で売るんでしたね」
売る…?私を?
「なぁ、お嬢ちゃん。おいちゃんは女子供を叩くのは好きじゃないんだよ。素直に吐いてくんないかなぁ」
躊躇なく叩いといてよく言う…。
「知りません」
「んん?」
「本当に知らないんです」
何を聞かれてもこれは本当のことだ。
男はうーん、とわざとらしく考えるふりをすると
「じゃあ何でこの町に来た?両親が流された川の下流とは真逆だろう?」
何かしらの情報をもとに動いてると思われたらしい。
確かにエメリヒが調べたことと、前もっての約束から推測を立ててここに来たのだが。
でもそれを素直に言うわけない。
「ご領主様のご子息に助けてもらおうと思って」
この町を選んだ理由が必要なら、これほど有力なカードはないだろう。
「確かに!確かにさっきご子息様と話してたなぁ。あんな大通りの真ん中で。熱い抱擁なんかされて。お嬢ちゃん、ご子息といい仲なのかい?」
まさか。というか、そこから見られてたんだ…。
「いえ…情に厚い方なんです」
「ほーぅ」
私とのやり取りに、またしてもわざとらしく考えるふりをする。
「それで?何を話したんだい?」
「…特に何も。心配したと言われただけです」
そう答えると男は緩く笑い「へぇ」と言った。
男は足元にあったカバンに手をかけると私に見せた。
私の学生カバン!
「それじゃぁさ、このカバンについて聞こうか。どこで手に入れたんだい?」
そう言いながらカバンの中を漁るとペンやノート、そしてスマホを出して見せる。
「見たことがない道具も多いなぁ」
首を傾げニィっと笑った。
「どこで手に入れたんだい?」
どうしよう…見られた…。
エルンスト達に絶対隠すよう言われていた私の持ち物…。
もし持ち主が私だと知られたら、エルンスト達にまで迷惑がかかるかもしれない。
「拾いました。売れるかなと思って。買い取ってもらえますか?」
シラを切るしかない。
ここで全て手放したとしても。
男は「うーん」と口角を上げたまま私を見つめる。
ここで目を逸らしたら負けだ。
どのくらい睨み合っていただろうか。
男はスッと立ち上がると、後ろにいる男を振り返る。
「旦那ぁ、このガキ、ここでバラしましょう」
「何故だ」
「気味が悪いからですよぅ。こんな状況で俺と冷静な受け答え。ないない。ふつうは泣き叫んだり、ガタガタ震えてしょんべん漏らしますよぅ」
確かにこの男の言う通りかもしれない。
自分でも分からない。
何でこんなにも無感情でいられるのか。
恐怖を通りこして心が麻痺してる?
…もしかしたらそうなのかもしれない。
でもポールや魔物に襲われた時と決定的に違うのは、蓋をしていた疑問を開けてしまったってことだ。
一年前のあの日。
交差点を渡るため待っていた人達。その誰かとぶつかって偶然押し出された不幸な事故。
周りにはそう見えただろう。
だけど違う。
あれは事故なんかじゃない。
あの時、私は誰かの手で背中を突き飛ばされたのだ。
明確な悪意を持って、車道に。
ーー私は誰かに殺された。
…ずっと認められなかった。
平塚さんに選ばれなかったことも、誰かに殺意を抱かれてたことも。
認めたら…。
私は平塚さんにとって必要ない人間だったってことになるから。
殺したいと思うほど誰かに憎まれていたってことになるから。
けど…認めたくなくても、もう…自覚してしまった。
「ははっ…」
笑いが零れる。
「何だぁ?嬢ちゃん、何がおかしいんだ」
男がさも気に食わないという目で私を見る。
でも男の視線などどうでもいい。
だって…。
これを認めて生きていくのなら『やり直し』なんていらなかった。
たくさんの失敗も後悔も、悲しいも苦しいも、楽しいも嬉しいも…全部抱えて。
ーー日本というあの場所で『瀬川涼』を生き続けたかった。
生き恥だと思う人生になっても小さな「やり直し」を積み重ねて、最後は「頑張ったね」と自分を褒めてあげられる終わりを迎えたかった。
ずっと疑問と共に蓋をしていた気持ち。
私はただ…自分の人生を全うしたかった。
「…いらない…」
都合のいい人生なんていらない。
ーーそう。
私に物語のような『やり直し』は、必要ない。
ぶわぁっ!!
瞬間、自分の中から光が溢れ出し体から何かが飛び出した。
「こやつ、我を拒絶しおったわっ」
バリバリ…ババガッッ!!
小さな山小屋の天井を破り、己にかかる木の破片を巨体を使って振り払う。
小屋はあっという間に瓦解し、夜の森が姿を見せた。
「えっ…」
私の体から出てきたのは、なんと巨大な狐だった。
「きつ、ね…?」
月の光を浴び、キラキラと輝く稲穂のような金色の毛並み。
くわりと開けた口からのぞく鋭い牙。
切れ長の黄金の瞳は驚きに見開いて私を見下ろしている。
そして巨大な狐は長く伸びる尾を苛立たし気にばふりと床に叩きつけた。
「ひっ!!なんだこれは!!どっから現れた!!」
男の悲鳴が聞こえる。
「旦那ぁ、こんな展開聞いてないですぜぃ」
口調は変わらなくとも焦りは過分に含まれている。
男達の慌てる声が遠くに聞こえた。
「っく、はっ…」
突然咽たと思ったら吐血する。
いきなり体中の繋がりがほどけたように、力が入らなくなる。
と同時に全身に激しい痛みが走った。
「あ…な、に…?」
体を支えていられなくて縛られたまま投げ出してしまう。
痛みで思考がままならない。
「はっ…はっ…はっ…」
息をするのも辛くて、涙が溢れてきた。
「崩れ始めたか…。馬鹿者が…我を拒絶するからじゃ」
高い高い場所に呆れ顔の狐が見えた。
「…ふっ」
呆れた顔が分かるって…なにそれ…。
なんて表情豊かな狐なのだろう…。
それはまるでアニメの「日本昔ばなし」に出てくるような神の御使いのようだと思った。
「あ…はっ…お稲荷、さま…か…」
まさかこの洋風な世界で会えるとは思わなかった。
懐かしい…。
ああ…帰りたいな。
日本に帰りたい。
「…助け…て…」
私を日本に帰して…。
「…我を拒絶しておきながら、助けを乞うか…」
苛立たし気にまた尻尾を床に叩きつける。
その風圧に巻き込まれ、転がされた男達の悲鳴が上がる。
叩きつけた尻尾を床を掃くように動かすと、諦めたようにため息をつく。
「…しかし…そなたの目…ほんに主に似ておる。真っ黒なところも、違う世界を想うて翳るところも」
イーヴォはそっと縛られた少女の胸に前足を乗せる。
「我を見よ。生意気な小娘よ…」
でもイーヴォの声は少女に届かない。
すでに少女の瞳から光が失われつつあった。
ワォーーーーーーーーンッ……
森の中、高音の遠吠えが響く。
「ユリウス!どこにおる!早う参れ!!」
イーヴォの怒号が木々を揺らした。
と同時にーー。
ダンッ!!
真っ黒な外套に風を纏わせ、巨大な狐の前に着地したのはプラチナブルーの髪色をした美青年だった。




