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ドンッ!!
エメリヒはユリウスの胸ぐらを掴むと、レンガ造りの宿屋の壁に乱暴に押し付けた。
「リナが攫われたってどういうことだよ」
エメリヒにはユリウスがそんなミスを犯したことが信じられなかった。
それはユリウスの強さを身をもって知っていたからだ。
「すまない」
ユリウスは何の言い訳もしない。
その態度に余計腹が立つ。
「お前っ」
「やめろエメリヒ」
間に入ってエメリヒを止めたのはラルフだった。
「うるさい!お前に関係ないだろ!つか何でいるんだ!」
ラルフの手を払いのける。
「エメ…そういう言い方はないだろ。心配したんだぞ」
冷静な声にハッと我に返るエメリヒ。ラフルの本気で怒った目。
「あ…ごめ、いや…申し訳ありません」
エメリヒがリナを本気で心配しているように、ラルフも突然消えたエメリヒとリナを本気で思ってくれていたのだ。
「ふっ…エメが殊勝になると調子狂うな。もうエメはふつうに話していいよ」
そう言ってラルフはエメリヒを抱きしめると
「無事でよかった」
背中をポンポンと叩いた。
リナを見失ったのは一時間前に遡る。
「すみません。一人で帰ります」
ユリウスを見つめるリナの目には明確な拒絶と失望があった。
掴んだ手を離してしまう程度にはユリウスの動揺を誘ったのだ。
二人のやり取りを見て困惑していたのはラルフだ。
ユリウス・ビュルクナー。
彼は『レーツェル』の調査員である前に、隣国ドリーネルケ王国の四大公爵家の一つ、ビュルクナー公爵家の次男である。
ビュルクナー公爵家は王族から分家した一族である。
代々王家を支える立場にあり発言権も強い。
ドリーネルケ王国内、そして他国からも王家と同等の扱いを受ける程の家柄だ。
そのビュルクナー公爵家の人間に対して、平民であるリナの態度は許されるものではない。だがユリウス本人がそれを容認し、むしろそう仕向けている節さえ見える。
先ほどの『見初めた』発言が嘘とは思えない程に。
リナの立ち去る後姿を見つめるユリウス。
ハッと我に返り後を追おうとした。が、そこをラルフに引き止められた。
「お待ち下さい。リナとはいったいどういう関係なんですか?エメリヒも一緒なんでしょうか?」
今はラフルの質問に答えている暇はないと「君が知る必要はない」と切り捨てる。
だが一瞬ラルフに気を取られた隙にリナの姿を見失ってしまった。夕時の混雑にあっという間にまぎれてしまったのだ。
舌打ちをし見失った場所へ走る。リナの姿はない。
昨夜リナの外套に魔力遮断を強く付与したことがあだになり、僅かな魔力さえ拾えない。
くそ…っ
それでも慎重に探しつつ宿に帰る方向へ急ぎ歩くユリウス。
すると宿屋が立ち並ぶ、建物と建物の間の脇道に血が数滴落ちているのに気づいた。
これは…。
その血には僅かに神獣イーヴォの魔力を感じる。
「!」
だが血はその数滴だけで、それ以外の痕跡はなかった。
おそらくここで何者かに襲われ脇道に連れ込まれたのだろう。
そして攫われた。
ユリウスは飛行魔法で空から追跡を試みようと脇道に入ろうとした。だが彼の後を追ってきたラルフと護衛騎士にも血を気付かれてしまった。
「それは…まさかリナの血ですか?」
ラルフの質問を無視し脇道の奥へ進もうとするユリウス。
さすがに黙っていられなくなったラルフは声を上げた。
「お待ち下さい。リナに何かあったのなら我々にも協力させて下さい!!」
ユリウスはゆらりと振り返ると、ラルフを見据える。
「必要があればお願いしよう」
いつもより一段低い声。
それは手出し無用の常套句。
「っ」
ラルフはユリウスの気迫に体が止まる。
格上のユリウスにそう言われては引くしかない。
だがラルフは何とか食い下がろうと口を開こうとし、遮られる。
「何してんの」
振り返ると、声の主はエメリヒだった。
エメリヒは今日も収穫を得られず足早に宿に向かっていた。
と、脇道に入る手前、そこに馬を引いて待機している護衛騎士の姿を見つける。
その騎士に見覚えがあった。
遠くから様子を窺うと奥にはラルフとユリウスの姿。何か揉めているようにも見え、声をかけたのだ。
エメリヒが現れ、ユリウスは舌打ちをする。
「リナは?」
エメリヒの問いにユリウスは頭を下げた。
「すまない。攫われたようだ」
「…は?」
ーーそして冒頭である。
ラルフのおかげで少し落ち着いたエメリヒだったが表情は暗く焦りが滲んでいる。
それはユリウスも同じだった。
今の状況は最悪で、もしリナに何かあれば彼女の中にいる『神獣』が動くだろうからだ。
そうなれば簡単にリナを見つけられる反面、ことが公になる可能性がある。
そうなる前に必ず見つけ出さなくてはいけない。
ユリウスはリナの捜索に今一番邪魔なラルフをどうするか考えた。
「ラフル殿。リナ嬢を攫ったのは、彼らの家を襲った盗賊の一味だと思われる」
ユリウスの説明に息を吞むラルフ。
「だが彼女を追うのはエメリヒと私に任せてほしい。犯人が盗賊の一味だった場合、そちらに引き渡そう。そしてリナ嬢については、今後忘れてほしい」
ユリウスの言い分にエメリヒは驚きラルフを見た。
「っ」
ラルフは拳を握りしめ歯を食いしばる。
何故ここまでユリウスがリナを囲い込もうとするのか。
その理由を問いただすことも彼の言葉を覆すことも、ラルフにはその力がない。
「リナの…リナとエメリヒの安全が保障されるのであれば忘れましょう」
その返答にエメリヒは目を見開く。
「家名にかけて保障しよう」
ユリウスは迷いなくそう答えた。
「ラルフ殿は屋敷に。ことが終わり次第、結果は必ず報告しよう」
そう言うとユリウスはエメリヒを伴い脇道の奥へと入っていった。
ユリウスとエメリヒの後姿を見送り、領主館へ戻るラルフと護衛騎士。
無言で馬に揺られる若君。
ラルフの護衛騎士が心配げに声をかける。
「良かったのですか、無理にでもついていかなくて」
ラルフは頭を振り苦笑いする。
「俺の意地より、リナの無事が優先だ」
『レーツェル』の調査員。それは精鋭部隊と同義である。
調査員になるためには難関と言われる筆記と実技の試験に合格する必要がある。
知識面で問われるのは精霊獣・魔物のことだけではなく、各国へ派遣されるため各国の言葉・文化など多岐にわたる。
そして特に重視されるのが実技試験である。魔物と対峙し調査するためには、魔物より強くなくてはいけない。戦闘能力の高さを現役の調査員相手に示さなければいけないのだ。
ユリウスはそんな精鋭部隊の上位十人に入っている。
そのユリウスがリナとエメリヒの安全を保障すると言い切ったのだ。
それなら信じて託すしかない。
ラルフは自分の力のなさに悔しく歯がゆくても、優先順位を間違ってはけないと身を引いたのだった。
今大事なのはリナの救出。
リナが無事助け出されるなら、それでいい。
まが黙ってしまったラルフ。
損な役回りだなと思った護衛騎士。
それでも心優しい若君を静かに見守るのだった。
ユリウスは飛行魔法で町全体が見渡せる高さまで舞い上がった。
リナが連れ攫われた場所から人目を避けて移動し隠れるとなると限られる。
前回リナ達を襲撃した輩を思い返せば、今回リナを攫った犯人もならず者である可能性が高い。主犯がどうであれ、ならず者が町中をうろつけば目立つ。
脇道から最短距離で人気のない場所…領主館の裏手に広がる森。狩猟の時季でなければ人の出入りはほとんどない。
一度下まで降りるとエメリヒを連れて森の方へ移動する。その途中、見落としそうなほど小さな血痕を見つけた。
その血にイーヴォの魔力を感じ、ユリウスとエメリヒは頷き合う。
「お前は中から移動しろ。俺は上から探る」
エメリヒは頷くと森の中、人が通った痕跡を探しながら進んでいった。
ユリウスはまた高く飛び上がると、彼もまた人が隠れ潜めそうな場所を探す。
ユリウスは考えていた。
リナが感情的になった理由を。
あの場を切り抜ける嘘として『見初めた』と言い、リナも納得して話に乗った。だが『婚約者』の存在を知った途端、態度を変えた。
リナにとってユリウスの『婚約者』は見ず知らずの赤の他人である。だがその他人を思って『婚約者』が傷つくことを心配した。
合理的ではない。
ユリウスの考えとしてはそれに尽きる。
だがリナが見せた拒絶と失望。
ユリウスはリナが自分とは違う常識の上に立っていると感じる時がある。
それは彼女が作る物の発想力。不必要な物を全て落とした上で構築された洗練さがある。
かと思えばあの冊子に書かれた内容のように、どうでもいいことに納得するまで拘るのだ。
リナの中には相反した考え方が同居している。
しかも彼女の中には生まれた時から植え付けられる『階級』への恐れがない。
リナの容姿も含め体内に『魔器』がないと知った時、イーヴォを生み出した『主』と同じ世界の住人なのかもしれないと思った。
神かそれに近しい存在が生きる場所。
そんな世界に興味を持ってどうする。
そう戒める気持ちと知りたいと欲する探求心。
リナの目に映ったユリウスの姿。
ユリウスへ向けた拒絶と失望。
合理的ではないと無視することは簡単なはずなのに、リナにどう思われたのかが気になって仕方がない。
今リナがどんな状況にあるのか。
数日前の魔物に食いつかれ血だらけでぐったりとしているリナの姿が過る。
危うく魔力が溢れそうになり抑える。
どうか無事でいて欲しい。
その願いが『神獣』がもたらす災害を恐れてなのか、リナを想ってのことなのか。
ユリウスには分からなかった。




