第7話 剣
松明の灯りが、家の前の道を照らした。
炎の数は想像していたよりも多く、重なり合う影が地面に濃く落ちる。
「あれって……」
思わず声が漏れる。
揺れる布の向こう、先頭に掲げられた紋章。
見間違えるはずがない。
幼いころ、絵本や噂話の中で何度も語られてきた――王家の印。
喉の奥がひくりと鳴る。
どうしてそんなものが、こんな村に現れるのか。
考えようとするほど、息が浅くなっていった。
行進の足音が、家の前でぴたりと止んだ。
一斉に止まった重さが、空気を押し潰す。
外は静まり返っている。
さっきまであったざわめきが嘘のように、音が消えた。
胸の奥がざわつく。
理由のわからない不安が、逃げ場のない形で広がっていく。
足音が一つ、前に出る。
鎧がわずかに鳴り、誰かが私の家を見上げている気配が伝わってくる。
呼吸の音さえ、外に漏れてしまいそうで、身体が強ばった。
扉と、窓と、自分の距離を意識してしまう。
そのとき。
外から、低く、はっきりとした声が響いた。
「この家に、ルナ・フェイという者はいるか」
胸の奥が、一気に冷えた。
どうして。
その問いだけが、頭の中に残る。
ここで、この名前を呼ばれる理由が、何一つ思い当たらない。
それでも、名指しされたという事実だけが、現実として突きつけられていた。
外では、松明の火が揺れ続けている。
待つつもりだ。
逃がすつもりは、最初からない。
心臓の音だけが、やけに大きく響いていた。
窓の外の光から目を離した、その瞬間だった。
背後で、微かな音がした。
戸板が軋む前の、空気が動く気配。
振り向くより早く、低い声が落ちてくる。
「ルナ」
囁くような、それでいて聞き間違えようのない声。
息を呑んで振り返ると、裏口の影にレオンがいた。
外套も羽織らず、剣だけを腰に差した姿。
暗がりの中で、暗い金色の目がまっすぐこちらを捉えている。
迷いのない目だった。
「……やっぱり来た」
声は、思ったよりも静かだった。
でもその瞬間、胸の奥に張りつめていたものが、ふっと緩む。
心臓は、うるさいほど鳴っている。
それでも、さっきまでの冷えた感覚とは違っていた。
「王家だ」
レオンが短く、それだけ言う。
「紋章、見た」
私がそう返すと、レオンは一瞬だけ目を細めた。
胸の奥がひやりと冷える。
「……なんで」
「わからない。だが――」
言いかけて、彼は言葉を切った。
外から、鎧が触れ合う音が聞こえる。
近い。
「ここにいれば、囲まれる」
レオンは一歩近付き、声をさらに落とした。
「森に行く。今すぐ」
迷いのない判断。
目を合わせただけで、互いに頷く。
裏口を抜けると、夜の空気が一気に肌に刺さる。
村の灯りを背に、二人で走り出した。
足音を殺す余裕はない。
それでも、道は自然と頭に浮かぶ。
子どものころから何度も通った、村はずれの森。
枝を払い、低木を越え、闇の中へ滑り込む。
背後で、誰かの声が上がった。
「逃げたぞ!」
松明の光が、森の入口を照らす。
「……追ってくる」
そう口にすると、レオンは歯を食いしばった。
「わかってる」
それでも走る。
息が乱れ、肺が焼けるように痛む。
しばらくして、森の奥で足を止めた。
息を殺し、耳を澄ます。
松明の光が、木々の間を縫うように近付いてくる。
数が多い。
想像していた以上だった。
「……無理だな」
レオンが低く呟いた。
悔しさを押し殺した声。
剣の柄に手がかかる。
「時間、稼ぐ」
その言葉に、胸が跳ねた。
「レオン、待って」
腕を掴むと、彼は一瞬、驚いたようにこちらを見る。
「離せ」
「だめ」
短く、はっきり言った。
「ここで剣を抜いたら、王家に逆らったことになる」
「それでも――」
「それでも、だよ」
声は震えていた。
それでも、視線だけは逸らさなかった。
「あなたまで、連れていかれる理由を作らないで」
言葉を重ねるたび、レオンの表情が歪む。
剣にかけていた力が、わずかに緩んだ。
「……俺は」
言いかけて、声が詰まる。
その瞬間、森が明るくなった。
松明が、すぐそこまで来ている。
「ルナ・フェイ!」
はっきりと、名前が呼ばれた。
私は、ゆっくりとレオンの腕を離した。
「大丈夫」
自分に言い聞かせるみたいに、そう言ってから、彼を見る。
「ここで剣を抜かないで」
レオンの目が揺れる。
何かを言おうとして、結局、何も言わなかった。
私は一歩、前に出た。
「私が行く」
松明の光の中に姿を現すと、ざわめきが起こる。
兵たちが一斉にこちらを見る。
「抵抗はしない」
その言葉と同時に、背後で空気がわずかに張りつめた。
誰かが息を詰めた気配。
次の瞬間、低く押し殺した声が落ちる。
「……触るな」
声は低く、震えていた。
それ以上言葉を重ねれば、あの人が抑えているものが溢れてしまう気がして、私は、何も言えなかった。
腕を掴まれ、拘束される。
思ったよりも、あっけなかった。
引きずられるように森を出る直前、
一度だけ、振り返る。
レオンは、その場に立ち尽くしていた。
剣を抜くこともできず、手を伸ばすこともできず。
暗い金色の目が、まっすぐにこちらを見ている。
その手が、無意識に胸元を押さえた。
指先に触れているのは、陽が落ち切る前に渡されたばかりの――琥珀色の石。
言葉は、出なかった。
次の瞬間、二人は松明の光によって引き裂かれた。
背後で、森が闇に戻っていく。
その夜、
レオンの中に残ったのは――
なぜ連れていかれたのかもわからないまま、
守れなかった、という事実だけだった。




