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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。

硝子色の花園

作者: ユリユリ好き太郎
掲載日:2026/01/17

硝子のように透明な花があれば貴女の望む色をいくらだって写せるのに。


「鈴。こっちにいらっしゃい」


透き通るような声に呼ばれ私は草の影から顔を出す。


「あら、そんなところにいたのね。お茶にしましょう。今日は美味しいモノをもらったのよ」

「はい」


私は広げていた用具をまとめると流しに向かった。

土で汚れた軍手を取り手を洗う。

蛇口から勢いよく飛び出る水流はガラス張りの天井から射す日の光に当てられて少し眩しい。

手の平、爪、手首と一通り洗い終えてからもう一度自らの爪を見る。

まるで洒落っ気というもののない短い爪。女学生としては少しみっともない。

けれど、問題はそこではない。

爪の間に視線を移す。幸い短く切っておいた爪の間に入った土はほとんど落ちていた。

私は念のためにもう一度冷たい水に自分の手をさらす。

たとえ、どんなことがあっても、あの人の茶器に土がつくようなことがあってはならないのだ。


「はい、鈴。今日も精がでるのね」


そう言って背後からハンカチが差し出される。

クリーム色のそれは隅に小さく赤い薔薇の刺繍が施されている。


「遅かったから心配してしまったわ。まったく鈴は相変わらずね。そこまで気を使わなくていいって私は後何回言えばいいのかしら」


振り返るとそこには先ほどの声の主がいた。


瑠美先輩。

私よりも一つ学年が上の先輩にしてこの学校の理事長のたった一人の孫娘。

そしてなによりも、この温室に来る私以外の唯一の存在。


「すみません。今日は土を入れ替えたせいでいつもよりも汚れてしまっていたので……」


私はポケットから自分のハンカチを取り出して手に残った水滴を取る。


「あら、使ってくれないの?」


先輩は頬を膨らませて残念そうにひらひらと手にしていたハンカチを揺らす。


「…汚してしまう訳にはいきませんから」

「ふふ、鈴は今日も鈴ね」


そういって先輩は小さく笑う。


「さぁ、そろそろいいころ合いのはずよ。行きましょう」

「はい」


私は花で作られた小道を進む先輩の背中を追いかけた。


〇 〇


「ーーそしたら水瀬さんなんて言ったと思う? 『結局、メロスにとってセリヌンティウスなどその程度の存在だったのよ』なんて言うのよ」


先輩は呆れ交じりに言う。

私もつられるよう相槌を打つ。


「もし水瀬さんの言う通りなら「走れメロス」はあまりに酷い話になってしまうわ」


昼下がりの暖かな陽光がガラス張りの天井から草花に射す。

滴る水に射した光は白く反射する。


「人は決して一枚岩ではない。たとえ物語の中であってもそれは変わらないと思うの」

「そういうものでしょうか」


先輩の考えどうにも賛同しきれないところがあった私は否定とも肯定とも取れない返事をする。

そんな私の態度を感じたのか先輩は「そういうものなのよ」と言って笑った。

その笑顔は幼子に向けるように優しさに満ちていた。

私はこの笑顔が少し苦手だった。

だってそれはつまり私が先輩にとって未熟な子供と同じようであると言われているような気がしてならなかったからだ。

けれど、同時にその笑顔を私に向けてくれることは何よりもうれしかった。

感じられる先輩の優しさの前には私のひねくれた口から出る言葉も自然とどこかに消えてしまった。

だから、私は先輩のその笑顔が苦手であっても嫌いにはなれなかった。


「あのゼラニウム、綺麗に咲いたのね」


紅茶が半分ほどになったころ先輩はふと近くにあった桃色のゼラニウムに目をやる。

あれはここに初めて植えた種の花だ。

忘れるわけがない。


「ここに初めて来たとは大違いね。本当に見違えたわ」

「わがままな人のために沢山植えましたから」


先輩は「誰の事かしらね」とわざとらしく肩をすくめる。

そして遠い昔を懐かしむような瞳で小さいながらも凛と咲くゼラニウムを見つめた。


今でもひとつ残らず鮮明に覚えている。

あれはまだここが花園になる少し前の話。

あの日から私だけの花園が、二人の花園になった。


〇 〇


全寮制の女子高校と全国どころか世界的に見ても珍しいこの学校には全国から選りすぐりの生まれや気高さを持った人間が集まっていた。

そんな中、妙なプライドを持つ両親が許す範囲でありなおかつ寮で暮らせるからという不純極まりない理由でこんなところを選んだのは私くらいだろう。

結局、生まれながらの高貴さも高潔な目標もなかった私はあっという間に周りの雰囲気についていけなくなった。

誰かと過ごすことにも辟易してしまった私は人のいない場所に逃げた。

この温室もその一つだった。

校舎から最も離れたこの場所に用事もないのに来る人間はおらず、この温室はすぐに私のお気に入りの場所になった。

そうして朝も、昼も、放課後も、この温室に入り浸っていると、いつの間にか私は用務員さんに手入れを任せられるまでになっていた。

最初は暇つぶしを兼ねたただの手伝いのはずだったのに、気に入られたのかあるいは哀れみなのか分からないが用務員さんは私に倉庫の鍵を預けてくれた。

私自身土いじりというのが性に合っていたようで、私は毎日のように草木の手入れをした。

無理だとおもっていた虫もいつしか慣れていた。

そんな当時の温室と言えば花はなく一面緑と茶。今にして思えば随分寂しい風景だった。

けれども、あのころのそんな景色が嫌いではなかった。

だって、温室の景色を見るのは他の誰でもない私だけだったのだから。


そんな温室に花を植え始めたのは先輩が来てからだった。


あの日は丁度寒い冬だった。

新しい植物を植えるために土の準備をしていた

作業がひと段落して休もうとベンチに腰を掛けようとしたとき鍵を閉めていたはずの温室の扉が開いた。

人の気配を感じた私は本能的に近くの草木に身を隠す。

草木の隙間から恐る恐る温室の様子を覗く。

顔は見えないだが身に着けている制服を見るに職員ではなく

女生徒はゆっくりと雑木林のような温室を歩く。

その動きはとても端正で品というものがにじみ出るまさしく深窓の令嬢のようであった。

草影から覗いていた私は文字通り言葉をなくした。

語彙を持ち合わせていないのではなく、この瞬間の彼女を形容する言葉が存在しなかった。

陳腐な、本当に陳腐な言葉で言うなら。

彼女の存在は奇麗で美しかった。

ただ見惚れるだけの一瞬一瞬が私の何かを満たすような奇跡のような瞬間だった。

ほんの数秒の間、私の感覚はその全てを彼女に奪われてしまった。

そう、それは彼女がこちらに近づいていることなどまるで気づかないほどに。

女生徒が私の隠れる草木のある一直線の道に差し掛かるころになってようやく「しまった」と思って身を隠した。

だが時すでに遅く女生徒は既に私のいる草影の目の前に立っていた。


「ねえ、この温室貴女が手入れをしているの?」


それが私と瑠美先輩との出会いだった。

決して、派手な人ではない。

学校内でももっと美しい人はいたと思う。

けれど今にして思えば、私の全てはただの一瞬で彼女に奪われ尽くしていたのかもしれない。


「ねえ、聞こえてる」と言われ私は意識を取り戻す。

見つかって隠れているのもなんだか恥ずかしくなった私は草陰から立ち上がった。


「……そうですけど」


私はぶっきらぼうに答える。

正直に言ってしまえば、私はとても不機嫌だった。

見惚れていたというのとはまた別の話で、自分だけの楽園に勝手に入ってきた人間がどうしても気に食わなかったのだ。

けれど先輩はへそを曲げている私のことなど歯牙にもかけず続けた。


「ここ花は植えないの?」

「植えません」


先輩はまるで草木ばかりでつまらないとでも言いたげな先輩に私はきっぱりと言い放つ。


「どうして?」 


先輩の態度はなおも変わらない。


「それは………」


私の突き放すような物言いにもまるで動じることのない先輩にいつのまにか私の方がひるんでしまっていた。


花は嫌いだった。

赤も、青も、黄色も、全部うるさいくって落ち着きと言うものがまるでない。

そしてうるさいばかりで私に寄り添うことなどしてはくれない。

こんなものどうして好きになれるものか。


答えを返さない私に、先輩は目を輝かせながら口を開いた。


「私、わかっちゃった。種がないのね」

「…別に、そう言う訳じゃーーー」

「待ってて、たくさん持ってきてあげるから」


先輩は私の話を最後まで聞かないまま勢いよく出て行ってしまった。

私はその背中に「叶うのなら二度と来ないで欲しい」念じた。


けれど、翌日も先輩は私の前に現れた。

袋いっぱいの花の種を抱えて。


〇 〇


「出会いたて頃の鈴は困った後輩だったわ。私が何を言っても「嫌です」「無理です」しか返してくれなかったんだから。仲良くなるのに本当に苦労させられたわ」

「……昔の話なんて忘れてください」

私は紅くなった顔を隠すように俯く。

「ダメよ。こんなに可愛い後輩のこと、簡単に忘れられないわ」


そんな隙を見逃すまいと先輩は意地の悪そうに笑った。


入れてくれた紅茶を飲み終えると私たちは温室の端に向かった。

ここはフェンス越しではあるが外からも見えるということもあって一番手をかけて手入れをしたところだった。


「綺麗に咲いたわね。私が来た時とは大違い」


先輩はしゃがみこむと並んで咲く花を一つ一つ見始めた。

なぜだが自分が褒められた気がして私は少しはずかしくなった。


「私が手入れをしたんです。綺麗なのは当然です」

「鈴は自信家さんね」


先輩は「ふふ」と口に手を当てて小さく笑った。


「ねぇ、鈴。色が心に影響を与えるって聞いたことある?」


先輩は色とりどりの花を眺めながらそう言った。

私はかぶりを振る。


「例えば赤は情熱や愛。青なら誠実さとか冷静さ。黄色なら元気とか華やかさかしら」


綺麗に咲き誇る花々を先輩は一つ一つ丁寧に愛でるように見つめる。


「オレンジは何だったかしら……」

「覚えてないのに、話を振ったんですか?」

「いいじゃない、雰囲気よ。それに私のくだらない話は今にはじまったことじゃないでしょう」


先輩は開き直るようにこちらを向いて笑う。


「私知りたいの」

先輩は目をつむってつぶやくように言う。


「ねえ教えて、鈴。ここに貴女の好きな色の花もあるのかしら?」


私はその質問に口ごもる。

必死に花を見渡して探すけれど選ぶことができなかった。

だって、ここには色が多すぎる。

赤も違う。

青も違う。

黄も違う。

花のつける鮮やかな色は私が選ぶにはあまりにも多すぎた。


私が上手く答えられないでいると先輩は優しく笑った。


「ふふ、すぐには答えられないかしら。なら、先に私の好きな色を教えてあげる」

先輩は迷うように植えられた花の中から色を探す。



「私の好きな色はーーーーー」


瞬間、笑い声が先輩の声を遮った。

近くにある別の高校の男子生徒だろうかとにかくこちらにまで響くような大きな声だった。

その雑音に苛立った私は思わず立ち上がろうとする。

けれども私が立ち上がるよりも先に先輩が立ち上がっていた。


「………」


先輩は動かない。

ただ黙ってぼんやりと硝子越しに映る男子生徒たちに視線を向ける。

沈む眩しい夕日は談笑する生徒たちを幻のように影に隠してしまう。

けれど、目のくらむような夕日の中であっても先輩はその影を追う。

やがて男子生徒たちが去って見えなくなってしまっても先輩はしばらく外の景色を見つめ続けていた。


「……赤。じゃないですか?」

「え?」


私はぽつりと切り出した。

先輩はいきなりの私の言葉に驚いたのか少し困惑していた。


「…どうしたの急に?」

「先輩の好きな色です」


そう言うと先輩は落ち着きをとりもどしたのか「ああ」と納得して話を飲み込んだ。


「そう…なのかしら」


先輩に似つかわしくなく迷っているような言い方だった。

やがて先輩は花壇に視線を移す。

先輩は何かを探すように花々を見る。

はたから見る私には先輩が何色を探そうとしているのかのか分からなかった。


「そうかもしれない……」


迷っていた目線はやがて一つの赤い花で止まった。

先輩はしゃがんで足元に咲いていたその花を見つめる。

「ねぇ、鈴。この赤い花はなんていうのかしら」

私はすぐに答えようと思ったけれど、喉首のところで言葉がつかえ上手く出てこなかった。


「……アンスリウムです。先輩」


結局その日、私の口からそれ以上言葉は出てこなかった。

そして、それからすぐに試験期間が始まってしまって私はしばらく温室には行かなくなった。


〇 〇


再び温室に足を運んだのは二週間も経ってからだった。

入ってすぐに甘い蜜の香りが鼻孔をくすぐる。

私がいない間でも用務員さんがきちんと手入れをしてくれていたのかしっかりと綺麗に保たれていた。

私は花で作られた小道を一人で歩く。

二週間前にはまだ小さな若芽だった花もいつのまにか咲いていた。

足を進めるたび色々な花が瞳に入ってくる。


赤、青、黄、そして白と黒。


他にも名前も知らない色の花がたくさん咲いている。

私は屈んで足元に咲いた花を眺める。

一つ一つ丁寧に見てゆくけれど私の目に留まるものはなかった。

そうやって見ていくうちに、脳裏に刻まれたあの問いを思い出す。


『教えて、鈴。ここに貴女の好きな色の花もあるのかしら?』


結局、たくさん考えたけれど私の答えは出なかった。

そればかりか、考えるたびにそれは自分には永遠に見つけられないような気がした。

そうやって考えるたびに遠くなる。

だから、ここに来た。

あの人のために育てた花の中からなら答えが見つかると思ったのに。

それでも答えは遠く見えることはなかった。


硝子張りの天井を見上げる。

色を持たない硝子は雲一つない美しい蒼を映していた。

沈みゆく切ない夕暮れもも、暗く濁ったような曇り空も、きっとその美しさをそのままに映し出す。

そして、カメラにさえ写せないような夜空の星もさえも硝子はすべてを映して見せる。

どんな景色も。

どんな光も。

その透明な存在は全てになれる。

きっと最も美しい色だ。


「私は、硝子色がいい」



後に書くことなどありません。これが私の全てです。

(なんと稚拙で底の浅い全てだろうか…)

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