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第3話「初めての会話(2)」


 昼休み。


 キオは一人で考える時間が欲しくて、図書館へ向かった。

 王立魔法学校の図書館は、まさに叡智の森だった。天井まで届く巨大な本棚が迷宮のように並び、古代から現代に至るまで、無数の書物が静かな眠りについている。


 中央は吹き抜けになっており、午後の光が大きなステンドグラスを通して、色とりどりの影を床に落としていた。古書のインクと、乾いた紙の微かな匂い。聞こえるのは、誰かがページをめくる乾いた音だけだ。


 キオは魔法史の専門書を手に取り、窓際の席に腰を下ろした。しかし、活字は目の上を滑るだけで、全く頭に入ってこない。今朝のルイとの会話、そして授業での出来事が、何度も頭の中で再生される。


 ふと顔を上げると、図書館の奥、専門書が並ぶ一角で、誰かが背伸びをして本を探している姿が見えた。

 陽光に透ける、柔らかなグレーの髪。


 ――ルイだった。


 彼女は一人で、料理関係の本が並ぶ棚を熱心に見ている。時々本を手に取ってはぱらぱらと中身を確かめ、また戻す。その真剣な横顔に、彼女の料理に対する純粋な想いが表れているようだった。


 キオは一瞬迷った。声をかけるべきか、彼女の時間を邪魔しないでおくべきか。でも、教室にいた時よりは、ずっと話しやすいかもしれない。周りには誰もいない。あの明るいカリナも、気まずそうにしていたセドリックもいない。


 『一人きりだ。今なら……』


 キオは静かに本を閉じ、立ち上がった。ルイのいるコーナーへ向かう足音が、静寂の中で思った以上に大きく響く。その音に気づいて、ルイが振り返った。


「あの……ルイさん」


「あ、キオ様」


 ルイは驚いて振り返ると、慌てて手にしていた本を胸に抱えながら頭を下げた。周りに誰もいないせいか、今朝ほどの硬さはないが、それでもまだ緊張が伝わってくる。


「料理の本を、探しているんですか?」


 ルイが抱える本の表紙に目をやりながら、キオは尋ねた。『魔法調理学基礎』という文字が見える。


「え、あっ、はい……。魔法を使った調理法について、もっと知りたくて」


 ルイの答えは控えめだったが、その本を大切そうに抱える仕草に、彼女の情熱が滲んでいた。


「将来は、料理人に?」


「えっと……実家が洋食屋なので……いつか、母の手伝いができるように、魔法を活かした新しい料理を覚えたいなって」


 その言葉には、家族への温かい想いが込められていた。七年前に自分を迎えてくれた、あの優しい家族の顔がキオの脳裏に浮かぶ。


「素晴らしいですね」


 キオが微笑むと、ルイは少し嬉しそうに頷いた。


「あの……授業でのお話」


 ルイが小さな声で言った。


「とても素敵でした」


「え?」


「私も……自分の髪色を、少し誇らしく思えました」


 その言葉に、キオは胸がじんわりと温かくなった。


 その時、ルイが高い棚の方を見上げた。

「あの本……」


 彼女は背伸びをして、指先が本の背表紙に触れるか触れないか。でも、あと少し届かない。踏み台も近くには見当たらなかった。


「ルイさん、その本ですか? お手伝いしましょうか」


 キオが声をかけると、ルイは慌てて首を横に振った。


「で、でも……お手を煩わせるわけには……」


「いえ、これくらい」


 キオはそっと手をかざした。


『これくらいなら大丈夫だろう?』


 シュバルツに心の中で問いかける。


『ああ、ごく小さな空間転移だ。お前ならできる』


 キオは静かに魔力を集中させた。本がふわりと棚から滑り出し、ゆっくりと宙を舞ってルイの手元へと移動する。ごく自然で、派手さのない魔法だった。


「わあ……」


 ルイが目を丸くする。


「ありがとうございます、キオ様」


「いえ、これくらい。困った時はお互い様ですから」


 その言葉に、ルイは少し驚いたような顔をした。


「お互い……様、ですか?」


「はい。誰かが困っている時に助け合う。それが自然なことだと、僕は思うんです」


 貴族社会では、身分差があるため「お互い様」という考え方は稀だ。ルイは、キオの言葉の意味を噛み締めているようだった。


 ルイが手にした本を見て、キオは再び話しかけた。


「もし、よろしければ……」


 キオは一瞬ためらってから、言葉を続けた。


「僕も魔法については少しだけ勉強してきたので、分からないところがあったら、いつでも聞いてください」


 その申し出に、ルイは明らかに戸惑いの色を見せた。


「そ、そんな……キオ様はお忙しいでしょうし、私なんかのために……」


「いえ、僕にとっても勉強になりますから。それに……」


 キオは言葉を選びながら、真っ直ぐに彼女の目を見て言った。


「七年前のお礼が、まだちゃんとできていませんから」


 その言葉に、ルイは何か言いたげに唇を開きかけて、また閉じた。断るのも失礼だ、でも甘えるわけにはいかない。そんな複雑な気持ちが、その揺れる瞳に映っていた。


「あの……一つ、お話ししたいことがあります」


 キオは、今しかないと勇気を振り絞った。


「はい?」


「ルイさんの、髪色のことなんですが……」


 突然の話題に、ルイは戸惑い、無意識に自分の髪を指で弄んだ。


「私の、髪色……ですか?」


「はい。とても美しい色だと思うんです」


 キオの言葉に、ルイは心底意外だという表情を見せた。きっと今まで、自分の髪色を褒められたことなどなかったのだろう。


「グレーという色は……」


 キオは、慎重に言葉を紡いだ。


「他のどの色とも調和できる、特別な色だと思うんです。まるで、全ての色を優しく受け入れて、それぞれの良さを引き出してくれるような」


 その比喩に、ルイは息を呑んだようだった。


「調和……ですか?」


「はい。白にも黒にも、どんな鮮やかな色にも寄り添うことができる。それって、すごく特別なことだと思いませんか?」


 キオの真摯な言葉に、ルイはキオの言葉を、一つひとつ噛みしめるように黙って聞いていた。今まで自分の髪色を「中途半端」で「どこにも属さない色」だと思っていたのかもしれない。


「本当に……そう、思われますか?」


「はい。心からそう思います。午前中の授業で話したことも、ルイさんの髪色と同じかもしれません」


 キオは続けた。


「多様性こそが豊かさ。様々な色と調和できるルイさんの髪色は、本当に素晴らしいと思います。それは、まるで料理みたいだなって。様々な食材を調和させて、一つの美味しい料理を作り上げる。ルイさんの髪色は、まさにそれを体現しているような気がします」


 料理に例えられたことで、ルイの表情がふっと和らいだ。


「ありがとうございます。そのように、言っていただけて……」


 ルイは、控えめに、けれどもしっかりと頭を下げた。


「……光栄です」


 その声には、まだ丁寧さと距離が滲んでいる。それでも、ほんの少しだけ、心の壁が溶けたような気がした。


 その時、図書館の入り口から、複数の足音が聞こえてきた。



最後までお読みいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
グレーを調和と評するキオの心根、素敵です。
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