第3話「初めての会話」
朝の柔らかな陽射しが、教室の窓ガラスを通り抜けて床に落ち、空気中の細かな埃をきらきらと舞わせている。
生徒たちの談笑が心地よいざわめきとなって響く中、キオは今日こそ、と胸の内で拳を握った。
視線の先には、後方の席で友人たちと話しているルイ・リンネルの姿がある。
この学園に来てから、何かとオーウェンや貴族の輪の中にいることが多く、結局ルイとはまともに言葉を交わせていない。それでも、ふとした瞬間に彼女のことが気になってしまう。
『今日こそ、絶対に話しかけよう』
心の中で静かに誓う。シュトゥルム先生の授業が始まる前の、この賑やかで自由な時間。この機会を逃すわけにはいかなかった。
『キオ、緊張しているな』
シュバルツの声が、心の奥に響く。
『うん……でも、今日こそちゃんと話したいんだ』
『焦るな。お前のペースでいい』
その言葉に背中を押され、キオは静かに椅子を引いて立ち上がった。
そのわずかな動きが、まるで水面に落ちた一滴の雫のように、周囲の生徒たちの間に静かな波紋を広げた。いくつかの会話が途切れ、好奇と驚きの視線が、知らず知らずのうちにキオの背中に集まってくる。
ルイのすぐそばまで来て、キオは心臓が少し速くなるのを感じながら、おそるおそる声をかけた。
「あの……」
その声に、ルイは「びくっ」と肩を揺らして顔を上げた。まるでゼンマイ仕掛けの人形のように慌てて立ち上がる。
隣にいた茶髪の少年も、同じようにガタンと椅子を鳴らして席を立った。
「は、はいっ!」
ルイの声は、緊張で上擦って震えている。茶髪の少年も顔を青くして、どうしていいか分からないといった様子で視線を泳がせていた。
「えっと……ルイ・リンネルさん、ですよね?」
キオの問いかけに、ルイはこくこくと小さく頷く。
「はい……その、キオ・シュバルツ・ネビウス様」
最後に付け加えられた「様」の一言と共に、ルイは深々と頭を下げた。茶髪の少年も、それに倣って慌てて頭を下げる。その過剰なまでの反応に、キオは思わず困ってしまった。
「あ、あの、そんなに畏まらないでください。同じクラスなんですから」
キオは慌てて両手を振って見せるが、ルイと茶髪の少年の緊張は解ける気配がない。
「ですが……」
「僕たち、以前にお会いしたことがありますよね?」
キオの言葉に、ルイの目がわずかに見開かれた。やはり、覚えていてくれたのだ。キオの胸に、小さな安堵が広がる。
「あ……はい。えっと、確か七年くらい前に……」
ルイは少し困惑したように、記憶を探っている。
「あの時は本当にありがとうございました。ずっと、お礼を言いたかったんです」
キオは、心からの感謝を込めて言った。
「そ、そんな……大したことでは……」
ルイは恐縮しきった様子で、小さく手を振った。
「いえ、僕にとってはとても大切な思い出です。あの時、とても辛い......怖いことがあって困っていた僕を、温かく迎えてくれたこと、忘れません」
キオの真摯な眼差しに、ルイは少しだけ伏せていた顔を上げた。
「覚えていて……くださったんですね……」
「もちろんです。あの時の料理、とても美味しかったです。ご両親にも、どうかよろしくお伝えください」
キオが微笑むと、ルイも控えめに会釈を返した。
「はい……父も母も、きっと喜ぶと思います」
そんな二人の様子を、テーブルに頬杖をついて見ていたキャラメル色の髪に抹茶色の瞳をした褐色肌の少女が、面白そうに口を挟んだ。
「へえ、ルイ。この前話してた子供の頃の話って、もしかしてこれのこと?」
少女の遠慮のない言葉に、ルイは「カリナ!」と慌てた声を上げる。
「何よ、別にいいじゃない。あ、私、カリナ・マージェン。この国の出身じゃないから、爵位とか身分とか? そういうの、よく分かんないのよね」
カリナは悪びれもせず、キオに向かって人懐っこく手を振った。その太陽のような明るさに、キオも思わず笑みがこぼれる。
「キオです。よろしくお願いします」
「それにしても、すっごい美人さんね。ルイが言ってた通りだわ」
「か、カリナっ!」
ルイが真っ赤になって止めようとする横で、茶髪の少年は気まずそうに視線を逸らし、天を仰いだ。
「で、こっちがセドリック・モイヤー。ルイと同じ町の出身なのよ」
カリナに紹介され、セドリックと呼ばれた少年は、びくりと肩を揺らしてキオの方に向き直ると、恐縮しきった様子で頭を下げた。
「セドリック・モイヤーです。本日は、その……恐れ入ります」
「キオです。そんなに丁寧にされなくても大丈夫ですよ」
キオはできるだけ親しみやすい声で答えたが、セドリックは「いえ、それは流石に……」と力なく呟き、困り果てた表情を見せた。
『やっぱり、そう簡単にはいかないか……』
見えない壁の存在に、キオは少しだけ胸が痛んだ。
「キオ」
不意に背後からかけられた声に、キオは振り返った。いつの間にか、オーウェンがすぐそばに立っていた。
「おはよう。こちらの方々は?」
オーウェンの登場に、ルイとセドリックの緊張は最高潮に達した。生まれながらの王族が放つ柔らかな、しかし圧倒的な存在感。二人は息を呑み、再び深く頭を下げたまま、まるで石のように固まってしまった。
「はい。ルイさんたちです」
キオは努めてさりげなく紹介した。
「初めまして。オーウェンだ」
オーウェンは王族としての威厳を保ちながらも、柔らかな口調で挨拶する。
「ル、ルイ・リンネルです!」
「セドリック・モイヤーです!」
二人はほとんど悲鳴に近い声で、絞り出すように自己紹介した。そんな中、カリナだけは相変わらずマイペースだった。
「私、カリナ・マージェン! よろしくね!」
その天真爛漫さには、オーウェンも少し驚いたように目を瞬かせている。
「ああ。同じ学園で学ぶ者同士、こちらこそよろしく頼む」
オーウェンの言葉に、ルイとセドリックは更に縮こまってしまう。
「とんでもございません……!」
「恐れ多いです……!」
二人の反応に、キオはこれ以上ここにいるのは酷だと感じた。こんなにも距離があっては、自然に話すことなど夢のまた夢だ。
その時、教室の扉が開き、シュトゥルム先生が入ってきた。
「皆さん、席に着いてください。今日は魔法史の授業を始めます」
その声に、生徒たちは慌ただしく自分の席へと戻っていく。キオも席に戻ろうとして、最後にもう一度ルイに向き直った。
「また話せてよかったです。今度、もう少しゆっくりお話しできれば嬉しいです」
「……はい。ありがとうございます」
ルイは、まだ遠慮がちにそう答えた。まだまだ遠い。けれど、話すきっかけは確かに作れたはずだ。
自席に戻る途中、キオの心は複雑な感情で揺れていた。ルイと話せた喜びと、改めて実感させられた身分の壁の高さ。
『まだ最初の一歩だ。焦ることはない』
シュバルツの言葉が、心を落ち着かせてくれる。
『でも、あんなに緊張されてしまうと……』
『時間をかければいい。きっと、いつか自然に話せるようになる』
シュトゥルム先生の声が響き渡り、教室の空気は勉強のものへと切り替わる。今日の魔法史は、各一族と魔法の歴史についてだった。
「――この世界の魔法は、古くから髪色によってその性質と強さが決まるとされています。シュバルツ一族の黒髪は空間魔法を、ゴルト一族の金髪は光と浄化の魔法を、ジルヴァ一族の白銀の髪は大地と癒しの魔法を司る、といったように」
シュトゥルム先生の落ち着いた声が教室に響く。魔法の根源を学ぶのは、キオにとって純粋に興味深いことだった。
「ゲルプ一族の黄髪は雷、ロート一族の紅髪は炎、ブラウ一族の青髪は水、グリューン一族の緑髪は植物。そして、その髪の色の濃さが、そのまま魔力の強さを表すのです」
説明が続く中、貴族の生徒たちは、自分の一族に言及されるたびに誇らしげに胸を張り、一方で平民の生徒たちは、どこか居心地悪そうに身を縮めている。自分たちの髪色とは無関係な、輝かしい歴史を語られているようだった。
「また、貴族以外の方々も、各領地の魔法の影響を受けた髪色を持ち、それぞれに特色ある魔法を使います。混血により生まれた紫やオレンジといった髪色は、複数の魔法の性質を併せ持つこともあります」
その説明に、キオは再びルイの方を見た。彼女の柔らかなグレーの髪は、一体どの魔法に分類されるのだろう。
授業が進む中、シュトゥルム先生が少し声のトーンを変えた。
「では皆さん、最後に一つ質問です」
教室がわずかにざわめく。
「貴族の髪色は単色ですが、平民や混血の方々は様々な色を持ちます」
先生は教室をゆっくりと見回した。
「これは『劣っている』のではなく、何か別の意味があると思いませんか? 誰か、考えを聞かせてくれる方はいますか?」
教室が静まり返った。
難しい問いだ。貴族の生徒たちも、答えに困っている様子が見て取れる。平民の生徒たちは、そもそも手を挙げることすら躊躇っているようだった。
『お前の考えを話してみろ』
シュバルツの声が、心に響く。
『でも……』
『お前は二つの人生で、様々な人々と共に生きてきた。その経験から来る答えは、この世界にとって新しい視点になるはずだ』
キオは深く息を吸い込むと、静かに手を挙げた。
周囲が少しざわついた。シュバルツ一族の跡取りが、この問いに答えるのだ。
「はい、ネビウス君」
シュトゥルム先生が優しく促す。
キオは立ち上がり、言葉を選びながら話し始めた。
「はい。僕は……多様性こそが強みだと思います」
キオの声だけが、静まり返った教室に響く。
「単色の魔法は確かに強力です。それは一つの方向性に特化しているということですから。でも、様々な色を持つということは、様々な可能性を持つということではないでしょうか」
キオは前前世(現代日本)での日々を思い出していた。様々なバックグラウンドを持つ同僚たちと協力し、一つのプロジェクトを成し遂げたこと。あの時の達成感は、一人では決して得られないものだった。
キオが席に座ると、シュトゥルム先生が深く頷いた。
「素晴らしい視点です、ネビウス君。その通り。多様性は決して劣っているのではなく、別の形の豊かさなのです」
教室を見回すと、貴族の生徒たちは複雑な表情をしていた。
「理屈としては……分かるけれど……」
「でも、やはり純血の方が……」
小声でそんな囁きが聞こえてくる。生まれ育った環境で培われた価値観は、そう簡単には変わらない。キオもそれは理解していた。
一方、平民の生徒たちは、少し救われたような、それでいて戸惑うような表情を見せている。貴族たちの微妙な反応も感じ取っているのだろう。
オーウェンは真剣に考え込んでいる様子だった。王子として、この問題は重要だと感じているのだろう。
ルイは、何かを考えるように、じっとキオの背中を見つめていた。
『やっぱり、簡単には変わらないか……』
キオは心の中で呟いた。
『焦るな。お前の言葉は、確実に誰かの心に届いている』
シュバルツの言葉に、キオは小さく頷いた。
『うん……少しずつでいい』
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