第1話「孤高の新入生(2)」
校内は想像を絶する広さだった。磨き上げられた石の廊下は、どこまでも続いているように見える。
行き交う生徒たちは、その髪の色で自然とグループを形成しているように見えた。
『やっぱり……分かれちゃうのかな』
胸にちくりと寂しさが刺さる。
「あの……失礼いたします」
ふと、鈴を転がすような、しかし恐る恐るという響きを含んだ声がかけられた。振り返ると、そこにいたのは、鮮やかな黄色の髪を持つ気品のある少女だった。
『この子は、確か……』
ベアトリス・ゲルプ・リーデル。
ゲルプ一族の中でも有力なリーデル家の令嬢。
貴族の夜会で何度か見かけた顔だ。
「私、ベアトリス・ゲルプ・リーデルと申します。キオ・シュバルツ・ネビウス様……で、いらっしゃいますよね?」
丁寧な言葉遣いの中にも、親しみやすさを感じさせる響きがあった。キオは内心の戸惑いを隠し、貴族としての礼儀を思い出す。
「はい。ベアトリス・ゲルプ・リーデルさん。あなたのお父上には、父がいつもお世話になっていたと伺いました」
軽く会釈をすると、ベアトリスはほっとしたように微笑んだ。ゲルプ一族はシュバルツ一族に次ぐ地位にあり、特にリーデル家とは父ウォルクが生きていた頃に交流があった。父が亡くなった後も長兄に連れられ数度夜会に出たことがある。
「恐れ入ります。父からも、キオ様のお噂は伺っておりました。夜会で何度かお見かけしておりましたが、こうして学校でお話しできて、とても光栄ですわ」
「こちらこそ。同じ学年です。どうぞ、よろしくお願いします」
現代人としての気安さをぐっと抑え、貴族らしい言葉を選ぶ。だが、根が人見知りなせいか、どこかぎこちない響きになってしまった。
そんなキオの様子に、ベアトリスはくすりと小さく笑った。
「……想像していたより、その……お話しやすそうな方で、安心いたしました」
「想像より?」
「あ、いえ、大変失礼いたしました! ただ、夜会で拝見した時は、とても……その、孤高でいらっしゃる、と……」
言葉を濁す彼女に、キオは苦笑するしかなかった。家の代表として出席する夜会では、どうしても堅苦しい仮面を被らざるを得ない。
「夜会と学校では、少し違いますから」
そのやり取りを、他の生徒たちが少し離れた場所から興味深そうに眺めている。
「案外、普通にお話しされるのね」
「同い年ですもの、当たり前よ」
そんな囁きが聞こえてきて、少しだけ心が軽くなった。
---
やがて入学式の開始を告げる鐘が鳴り響き、生徒たちは大講堂へと吸い込まれていく。キオもその流れに従った。
大きな扉をくぐると——
大講堂は、まるで巨大な聖堂の内部に足を踏み入れたかのようだった。ひんやりと、そして厳かな空気が肌を撫でる。
高い天井には、世界を創造したとされる三大竜——黒竜、金竜、白銀竜——の姿が壮大なスケールで描かれている。壁一面にはそれに続くように四匹の竜——黄竜、紅流、青竜、緑竜——が描かれており、嵌め込まれたステンドグラスからは七色の光が差し込み、床の石畳に幻想的な模様を描き出していた。
『すごい……』
思わず足を止めて、見上げてしまう。
その時だった。
『! キオ......通路の奥を見ろ』
『え? シュバルツ、どうし......』
シュバルツの声に導かれるように、入り口から少し離れた通路を見たとき
キオはその少女に気づいた。
柔らかな、灰色の髪。吸い込まれそうなほど、澄んだ青い瞳。
『……まさか』
脳裏に、七年前の記憶が鮮やかに蘇った。
あの時、どうしようもなく怖いことから逃げ出し、森で一人震えていた自分。
そんな自分を、温かく迎え入れてくれた洋食屋の少女。小さな手でキオの手を引き、家まで連れて帰って、美味しいスープを飲ませてくれた。
彼女の両親も、キオの身分に臆することなく、実の子のように接してくれた。
人の優しさが、温もりが、どれほど心強いものかを教えてくれた恩人。
「……ルイ」
思わず、か細い声でその名がこぼれた。
少女——ルイは、褐色の肌をした異国風の少女や、人の好さそうな茶髪の少年と楽しげに言葉を交わしており、キオの呟きには気づいていない。七年の月日が彼女を少し大人びさせていたが、屈託のない優しい笑顔はあの頃のままだった。
当時は珍しいとしか思わなかった灰色の髪も、この世界の理を知った今では、それがどれほど稀有な色であるかがわかる。
『あの子が、ここに……』
胸の奥が、じんわりと温かくなる。ずっと、もう一度会ってお礼が言いたかった。そして、できることなら友達になりたい、と。
『……ああ。七年前、お前を助けた少女だな』
シュバルツの声に、わずかな悔恨が滲んでいた。
『今度こそ、ちゃんとお礼を。そして……友達に。あの時みたいに、普通に話せたら……』
『そうだな』
ルイはまだ、キオに気づいていない。友人たちと談笑しながら、席の方へと歩いていく。
キオもまた、案内係に促されて席へと向かった。
席は家柄ごとに厳格に分けられており、キオは最前列の中央、最も上座の席へと案内された。
隣には、陽光を弾く金髪を持つ少年が座っている。ゴルト家の証である髪色。おそらく王族だろう。時折小さく咳き込む様子が見える。
キオが席に着くと、金髪の少年が軽く会釈してきた。キオも同じように会釈を返す。それ以上の言葉は交わさなかったが、その物腰には気品と親しみやすさが同居しているように感じられた。
その反対側には、白銀の髪が神々しい光を放つ少女が、どこか近寄りがたい神秘的な雰囲気で静かに座っていた。ジルヴァ家の聖女だろうか。白銀の髪の少女はキオに気づくと、勢いよく俯いてしまった。
『王族と聖女に挟まれるなんて......』
改めて自身の家の地位を感じてしまい、心の中でため息を吐く。
最後までお読みいただきありがとうございます。
面白い、続きが気になると思っていただけましたら、
下の☆マークから評価や、ブックマーク(お気に入り登録)をしていただけると、執筆の励みになります!
(お気軽にコメントもいただけたら嬉しいです)
よろしくお願いします。




