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夜空色の青春  作者: 上永しめじ
第三章 「紅・銀の波乱と創生の祭典」
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第49話「審問の結末と変わる時」




 大聖堂の回廊は、白く、冷たく、どこまでも続いていた。



 そこを二つの影が、引き摺るような足取りで進んでいく。

 リヒト家当主である母は、もはや自力で立つことすらままならなかった。息子マティアスの肩にすがりつき、幽鬼のように青ざめた顔で、ただ機械的に足を前に出すだけだ。



「母様......」


 マティアスが、喉の奥から絞り出すように呼んだ。


 けれど、返事はない。

 先程まで嗚咽を漏らしていた母は、もう泣く気力すら尽きたのか、虚ろな瞳で虚空を見つめているだけだった。



 リヒト家当主継承権の永久剥奪。



 そして息子は、主と仰いだヴィクトールの「所有物」として、その一生を捧げることになった。


 それはつまり——マティアス・ジルヴァ・リヒトという人間が、社会的に抹殺されたも同然であることを意味していた。



「母様......俺......」


 マティアスの唇が、わなわなと震える。


 言い訳がしたかった。あの「声」のせいなのだと、自分は被害者なのだと、誰かに縋り付いて叫びたかった。


 けれど——言葉は喉につかえて出てこない。


 脳裏に焼き付いているのは、あの審問の光景だ。


 ヴィクトールが、自分のために頭を下げた瞬間。

 今まで一度として、そんな弱みを他人に見せなかったあの人が。


 俺なんかのために―――。



「......俺は......馬鹿だ......」



 その呟きは、誰の耳にも届くことなく消えた。

 冷え切った石造りの廊下に、二人分の足音だけがどこまでも虚しく響いていた。

 




―――

 


 同じ頃、別の回廊を歩く二人の姿があった。

 クロイツ家当主と、その息子ヴィクトールである。



「......なぜだ」


 父であるクロイツ家当主の問いは低く、腹の底で煮えくり返る怒りを孕んでいた。


「なぜ、お前は庇った。あのような不始末をしでかした愚か者を」


「......」


 ヴィクトールは何も答えず、ただ前を見据えて歩く。


 足元では、銀狼の精霊が主人の心中を案じるように、不安げな視線を投げかけていた。


「マジェスタ家当主の前で頭を下げ、あろうことか泥を被ったのだぞ。クロイツ家の名誉に傷がついた! お前がこれまで積み上げてきたものが、全て——」


「父上」


 不意に、ヴィクトールが足を止めた。



 息子の顔を見て、父は言葉を呑み込んだ。


 そこには、先程の審問の場では見せなかった、深い疲労と苦渋が滲んでいたからだ。


「マティアスは......確かに愚かでした。浅はかで、何も考えず、流されるまま......私の信頼を裏切った」


「ならばなおさら——」


「けれど」


 ヴィクトールは、父の言葉を遮るように続けた。


「あいつは、俺のために動いたんです」


 その声は、微かに、だが確かに震えていた。



「間違った方法で、あまりに愚かな行動で。結果として、大勢の人を危険に晒した。決して許されることではありません」


「......」


「でも——根底にあったのは『俺のため』だった。その気持ちだけは......本物だったと思います」


 ヴィクトールはぐっと拳を握り、俯いた。


 銀狼の精霊が、慰めるように主人の手に濡れた鼻先を擦り付ける。



「俺は......あいつの気持ちに、ちゃんと向き合ってこなかった。便利な後輩として、ただ傍に置いておくだけで......」


「ヴィクトール......」


「だから——今度は俺が、あいつに向き合います。俺の責任で、俺があいつを導く」


 顔を上げたヴィクトールの瞳。


 そこに在ったのは、かつての傲岸不遜な光ではない。自らの過ちを認め、それでも前を向こうとする——ひとりの若者の、真摯な眼差しだった。



「......愚かな息子だ」


 クロイツ家当主は、重たい溜息を吐き出した。


「甘い。甘すぎる。貴族としてあるまじき——」


 小言は、そこで途切れた。

 父は、息子の目をじっと覗き込んだ。


 そこに宿る、決して折れない決意の光を。



「......だが」


 父の口元が、僅かに緩んだように見えた。


「——悪くない目をしている」



 ヴィクトールが、驚きに目を見開く。

 厳格な父から褒められた記憶など、数えるほどしかなかったからだ。



「マジェスタ家当主も言っておられたな。人の上に立つ者には、部下を見捨てない覚悟が必要だと。......お前は今日、その覚悟を示した」


「父上......」


「期待しているぞ、ヴィクトール。挽回してみせろ」


 父は息子の肩を、激励するように一度だけ強く叩くと、先へと歩き出した。


 遠ざかるその背中を見送りながら、ヴィクトールは静かに、けれど強く拳を握りしめた。



『......俺は、変わらなければならない』


 キオ・シュバルツ・ネビウスへの嫉妬。ルドルフ様やセレネ様への盲信。自分こそが正しいと、他を見ようとしなかった傲慢さ。


 それら全てが積み重なり、今回の悲劇を招いた。


 マティアスを暴走させたのは——他でもない、自分自身の歪みだったのだ。


『ルドルフ様は......俺とは違う』


 審問の場での、ルドルフの凍てつくような態度を思い出す。



 彼は、マティアスを「情報を引き出す道具」として扱うことを提案した。合理的で、容赦がなく、一切の私情を挟まない判断。


 それこそが、上に立つ者のあるべき姿だと——かつての自分なら、そう信じて疑わなかっただろう。



 けれど、今は違う気がした。


『俺は......ルドルフ様のようにはなれない』


 ヴィクトールは、自分の足元で心配そうに見上げている銀狼と視線を合わせた。



 しゃがみ込み、その柔らかな頭をそっと撫でる。


「......明日。マティアスを、迎えに行こう」



 銀狼は嬉しそうに尾を振り、歩き出した主人の後に続いた。



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