第49話「審問の結末と変わる時」
大聖堂の回廊は、白く、冷たく、どこまでも続いていた。
そこを二つの影が、引き摺るような足取りで進んでいく。
リヒト家当主である母は、もはや自力で立つことすらままならなかった。息子マティアスの肩にすがりつき、幽鬼のように青ざめた顔で、ただ機械的に足を前に出すだけだ。
「母様......」
マティアスが、喉の奥から絞り出すように呼んだ。
けれど、返事はない。
先程まで嗚咽を漏らしていた母は、もう泣く気力すら尽きたのか、虚ろな瞳で虚空を見つめているだけだった。
リヒト家当主継承権の永久剥奪。
そして息子は、主と仰いだヴィクトールの「所有物」として、その一生を捧げることになった。
それはつまり——マティアス・ジルヴァ・リヒトという人間が、社会的に抹殺されたも同然であることを意味していた。
「母様......俺......」
マティアスの唇が、わなわなと震える。
言い訳がしたかった。あの「声」のせいなのだと、自分は被害者なのだと、誰かに縋り付いて叫びたかった。
けれど——言葉は喉につかえて出てこない。
脳裏に焼き付いているのは、あの審問の光景だ。
ヴィクトールが、自分のために頭を下げた瞬間。
今まで一度として、そんな弱みを他人に見せなかったあの人が。
俺なんかのために―――。
「......俺は......馬鹿だ......」
その呟きは、誰の耳にも届くことなく消えた。
冷え切った石造りの廊下に、二人分の足音だけがどこまでも虚しく響いていた。
―――
同じ頃、別の回廊を歩く二人の姿があった。
クロイツ家当主と、その息子ヴィクトールである。
「......なぜだ」
父であるクロイツ家当主の問いは低く、腹の底で煮えくり返る怒りを孕んでいた。
「なぜ、お前は庇った。あのような不始末をしでかした愚か者を」
「......」
ヴィクトールは何も答えず、ただ前を見据えて歩く。
足元では、銀狼の精霊が主人の心中を案じるように、不安げな視線を投げかけていた。
「マジェスタ家当主の前で頭を下げ、あろうことか泥を被ったのだぞ。クロイツ家の名誉に傷がついた! お前がこれまで積み上げてきたものが、全て——」
「父上」
不意に、ヴィクトールが足を止めた。
息子の顔を見て、父は言葉を呑み込んだ。
そこには、先程の審問の場では見せなかった、深い疲労と苦渋が滲んでいたからだ。
「マティアスは......確かに愚かでした。浅はかで、何も考えず、流されるまま......私の信頼を裏切った」
「ならばなおさら——」
「けれど」
ヴィクトールは、父の言葉を遮るように続けた。
「あいつは、俺のために動いたんです」
その声は、微かに、だが確かに震えていた。
「間違った方法で、あまりに愚かな行動で。結果として、大勢の人を危険に晒した。決して許されることではありません」
「......」
「でも——根底にあったのは『俺のため』だった。その気持ちだけは......本物だったと思います」
ヴィクトールはぐっと拳を握り、俯いた。
銀狼の精霊が、慰めるように主人の手に濡れた鼻先を擦り付ける。
「俺は......あいつの気持ちに、ちゃんと向き合ってこなかった。便利な後輩として、ただ傍に置いておくだけで......」
「ヴィクトール......」
「だから——今度は俺が、あいつに向き合います。俺の責任で、俺があいつを導く」
顔を上げたヴィクトールの瞳。
そこに在ったのは、かつての傲岸不遜な光ではない。自らの過ちを認め、それでも前を向こうとする——ひとりの若者の、真摯な眼差しだった。
「......愚かな息子だ」
クロイツ家当主は、重たい溜息を吐き出した。
「甘い。甘すぎる。貴族としてあるまじき——」
小言は、そこで途切れた。
父は、息子の目をじっと覗き込んだ。
そこに宿る、決して折れない決意の光を。
「......だが」
父の口元が、僅かに緩んだように見えた。
「——悪くない目をしている」
ヴィクトールが、驚きに目を見開く。
厳格な父から褒められた記憶など、数えるほどしかなかったからだ。
「マジェスタ家当主も言っておられたな。人の上に立つ者には、部下を見捨てない覚悟が必要だと。......お前は今日、その覚悟を示した」
「父上......」
「期待しているぞ、ヴィクトール。挽回してみせろ」
父は息子の肩を、激励するように一度だけ強く叩くと、先へと歩き出した。
遠ざかるその背中を見送りながら、ヴィクトールは静かに、けれど強く拳を握りしめた。
『......俺は、変わらなければならない』
キオ・シュバルツ・ネビウスへの嫉妬。ルドルフ様やセレネ様への盲信。自分こそが正しいと、他を見ようとしなかった傲慢さ。
それら全てが積み重なり、今回の悲劇を招いた。
マティアスを暴走させたのは——他でもない、自分自身の歪みだったのだ。
『ルドルフ様は......俺とは違う』
審問の場での、ルドルフの凍てつくような態度を思い出す。
彼は、マティアスを「情報を引き出す道具」として扱うことを提案した。合理的で、容赦がなく、一切の私情を挟まない判断。
それこそが、上に立つ者のあるべき姿だと——かつての自分なら、そう信じて疑わなかっただろう。
けれど、今は違う気がした。
『俺は......ルドルフ様のようにはなれない』
ヴィクトールは、自分の足元で心配そうに見上げている銀狼と視線を合わせた。
しゃがみ込み、その柔らかな頭をそっと撫でる。
「......明日。マティアスを、迎えに行こう」
銀狼は嬉しそうに尾を振り、歩き出した主人の後に続いた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
面白い、続きが気になると思っていただけましたら、
下の☆マークから評価や、ブックマーク(お気に入り登録)をしていただけると、執筆の励みになります!
(お気軽にコメントもいただけたら嬉しいです)
よろしくお願いします。




