第48話「白銀の審問(3)」
「ヴィクトール......」
クロイツ家当主が、信じられないものを見る目で息子を見た。
「何をする気だ......控えろ」
だがヴィクトールは、父の制止を無視して卓の前に進み出た。
そして——深々と、床に頭を下げた。
「マティアスの行為は、全ての責任において、私にあります」
「何......?」
マジェスタ家当主が片眉を跳ね上げた。
「どういう意味だ」
「マティアスは、私のために行動したと申しております」
ヴィクトールは平伏したまま、噛み締めるように言葉を紡ぐ。
「私がマティアスを傍に置き、私への盲信を許していた。その歪みこそが......彼に付け入る隙を与えてしまった」
「ヴィクトール様......!」
マティアスが、涙で顔をぐしゃぐしゃにして主人を見上げた。
「私の監督不行き届きです」
ヴィクトールが顔を上げる。
その目からは、かつての傲岸不遜な光は消え失せていた。あるのは深い悔恨と、それでもなお守るべきものを守ろうとする、貴族としての矜持。
「どうか、マティアスの罪を——私にも負わせてください」
室内がざわめいた。
「馬鹿な......!」
クロイツ家当主が呻く。自分まで巻き添えになるつもりか、という恐怖が顔に張り付いている。
しかし、ヴィクトールは引かなかった。
「マティアスは愚かでした。しかし——」
彼はちらりと、ボロ雑巾のようになった後輩を見た。
「——彼が私を慕う気持ちだけは、本物だったはずです。それを、使い捨てにはできません」
「ヴィクトール様ぁ......っ」
マティアスの喉から、嗚咽が漏れた。
「だから——マティアスを見捨てることは、私にはできません」
重い沈黙が流れる。
マジェスタ家当主は、値踏みするようにヴィクトールを見下ろしていた。その真意は、誰にも読めない。
やがて、彼は視線をずらした。
「ルドルフ」
「はい」
「お前の考えを聞かせなさい」
ルドルフは表情を変えずに一歩進み出る。その目は、床に伏す二人を冷ややかに見下ろしていた。
「私は——今回の件で、二人に対する信頼を完全に失いました」
その言葉に、マティアスが身を縮める。
「しかし」
ルドルフは言葉を継いだ。声音に僅かな計算の色が混じる。
「——ヴィクトールの忠誠心と、身内に対する情の厚さは本物のようです。その点については、評価に値すると考えます」
「ほう」
「また——」
ルドルフはマジェスタ家当主へと向き直った。
「——今回の暴走の真相を究明するためにも、マティアスを処刑し口を封じるよりは、監視下に置いて情報を引き出す方が得策かと」
「なるほど。一理ある」
マジェスタ家当主が顎に手を当てる。
「では、どうすればよいと考える」
「マティアスを、ヴィクトールの個人的な『所有物』として置くことを提案いたします」
その残酷な響きに、空気が揺れた。
「ヴィクトールには、マティアスの全責任を負わせます。もし再び問題を起こせば、今度こそヴィクトール自身の首が飛ぶ。......その覚悟はありますか、ヴィクトール」
「......はい」
ヴィクトールは迷いなく頷いた。
「受け入れます」
マジェスタ家当主は目を閉じ、束の間の沈思に沈む。
やがて目を開いた時、そこには絶対的な決定者の光があった。
「リヒト家のお家取り潰しは、保留とする」
「......っ!」
リヒト家当主が弾かれたように顔を上げた。
「ただし——」
当主の声が鋭利な刃物となって突き刺さる。
「——マティアス・ジルヴァ・リヒトの、リヒト家当主継承権を永久に剥奪する。以後、ヴィクトール・ジルヴァ・クロイツの隷属として、一生を捧げよ」
「......はい」
マティアスは涙で床を濡らしながら、深く額を擦り付けた。
「ありがとう......ございます......」
「感謝するならヴィクトールにせよ」
マジェスタ家当主は吐き捨てるように言った。
「彼が首を差し出さなければ、お前は今頃——神殿の地下牢で産まれたことを後悔するような目にあっていただろう」
最も重い空気が去り、室内に微かな安堵が漂う。
だが、マジェスタ家当主の追及は終わっていなかった。
「ヴィクトール」
「はい」
「私はお前を買っていたのだ」
当主の言葉に、ヴィクトールが顔を上げる。
「クロイツ家は分家の中でも下位だが、お前には才があり、野心に見合う努力もあった。いずれはルドルフの良き右腕になり、共に我が娘セレネを支えてくれる―――そんな存在になることを期待していた」
「......光栄です」
「だが——」
声音が一段低くなる。
「——今回の件で、お前の資質には疑問符がついた」
ヴィクトールの頬が強張る。
「部下の暴走を許し、付け入る隙を与えた。これは指導者としての致命的な欠陥だ」
「......仰る通りです」
「私はお前に失望した」
突き放すような言葉が、ヴィクトールの胸を抉る。彼は唇を噛み締め、ただ耐えた。
「しかし——」
マジェスタ家当主は、ふっと息を吐いた。
「——部下を見捨てず、泥を被る覚悟を見せたこと。その一点のみは評価しよう。人の上に立つ者に必要な資質だ」
「......!」
「一度だけ機会を与える」
当主の視線が、ヴィクトールを射抜く。
「マティアスを飼い慣らせ。そしてお前自身も、己の甘さを正せ。......次は無いぞ」
「......はいっ!」
ヴィクトールは震える声で応え、深々と頭を下げた。
「必ず......挽回して見せます」
処断が終わり、マジェスタ家当主が表情を和らげた。
彼は窓の外へと視線を移す。いつしか日は沈み、空には紫の帳が下り始めていた。
「さて——もう一つ、重要な話がある」
全員の視線が、再び当主に集まる。
「魔法陣の暴走という危機的状況。にも関わらず、今回の儀式は——成功した。いや、過去のいかなる儀式をも凌駕していたと言えよう」
その言葉に、ハイリヒ家当主が深く頷いた。
「あの光の雨......。あれほど美しく、神聖な光景は見たことがありません」
「三色の魔力が完璧に調和し、天から降り注いだ祝福——」
マジェスタ家当主の瞳に、狂信にも似た熱が宿る。
「——あれこそが、三大竜の真の調和。神話の再来だ」
誰もが言葉を失い、その光景を脳裏に描く。恐怖の記憶が、畏敬へと塗り替えられていく。
「キオ殿、オーウェン殿下、そして我が娘セレネ——」
当主は夢を見るように呟いた。
「——この三人が揃ったことは、偶然ではない。竜の導きだ」
「宗主様」
ルドルフが、静かに口を開いた。
「私も、同じ確信を抱いております」
「ほう?」
「セレネ様に伺いました。キオ様の魔力が三人を包んだと―――」
ルドルフの声色が変わった。冷徹な仮面が剥がれ、そこには抑えきれない熱狂が滲み出ている。
「キオ様は——あの混沌の中で、三人の魔力を支配下に置きました。オーウェン殿下とセレネ様の暴走する力を、ご自身の魔力で包み込み、鎮めたのです」
「うむ......」
「あの方の力——」
ルドルフの瞳が、暗い室内で怪しく輝いた。
「——それが顕現した瞬間を、私はこの目で見ました。言葉にするなら......そう、感動です」
その言葉に、マジェスタ家当主とハイリヒ家当主も、深く、重々しく頷いた。
「この件は——」
マジェスタ家当主が、儀式の終わりを告げるように言った。
「——他言無用とする。魔法陣の暴走も、リヒト家の不祥事も、全ては闇の中だ」
「はい」
全員が声を揃える。
「特に、キオ殿―――今回の儀式を完遂した三人には」
当主の声が、慈しむように柔らかくなった。
「——決して知らせてはならない。彼らは我々の希望だ。不要な重荷を背負わせることは許さん」
「仰せの通りに」
ルドルフが恭しく頭を下げた。
「では、解散とする」
マジェスタ家当主の言葉と共に、敗者たちが部屋を去っていく。
リヒト家当主は息子マティアスに肩を貸し、逃げるように退出していった。その背中はあまりに小さく、もはや名門貴族の威厳はない。
クロイツ家当主もまた、疲労困憊の体で、ヴィクトールと共に去っていった。
残されたのは、マジェスタ家当主、ハイリヒ家当主、そしてルドルフの三人だけ。
ハイリヒ家当主が一礼し、ルドルフと共に踵を返そうとした時だった。
「待て」
マジェスタ家当主の声が呼び止める。
「ハイリヒ殿、貴殿は戻ってよい。......だが、ルドルフ。お前は残れ」
「......は」
ルドルフが足を止める。
ハイリヒ家当主は、少しだけ意外そうな顔をしたが、すぐに恭順の意を示して頷いた。
「承知いたしました」
彼は去り際、息子の横で足を止め、誰にも聞こえぬほどの低い声で囁いた。
「......お前の判断は正しかったぞ、ルドルフ。マティアスを生かしておいたのは賢明だ」
「ありがとうございます」
ルドルフは表情を動かさずに応える。
父の目が、鋭く光った。
「何かが動いている。リヒト家を唆した黒幕......その正体を突き止めろ。頼んだぞ」
「はい。必ずや」
ハイリヒ家当主は満足げに頷くと、マジェスタ家当主に再度一礼し、重厚な扉の向こうへと姿を消した。
広い会議室に、マジェスタ家当主とルドルフだけが残される。
静寂が戻った部屋で、当主が口を開いた。
「ルドルフ」
「はい」
「わざわざ残ってもらったのは他でもない。今日の儀式......お前は何を感じた」
ルドルフは一瞬の沈黙の後、抑えていた想いを吐露するように語り始めた。
「私は——」
その瞳に、静かな炎が灯る。
「——キオ様の『真の姿』を、垣間見た気がいたします」
「ほう」
「あの方は......ただの貴族の子弟などという枠には収まりません。シュバルツ一族の本家——いえ、それ以上の......」
ルドルフは言葉を飲み込んだ。
「......これ以上は、不敬になりますね」
「そうだな」
マジェスタ家当主は、僅かに口角を上げた。
「だが——お前が感じた予感は、私も共有している」
彼は完全に夜に沈んだ窓の外を見つめた。
大聖堂のステンドグラスが、内側からの明かりで微かに浮かび上がっている。
「今日の儀式は、神話の再演だった。キオ殿を中心に世界が回ったのだ」
「......はい」
「我々ジルヴァ一族は——」
マジェスタ家当主の声に、重厚な響きが宿る。
「——竜の信徒として、この三人を支え、導かねばならない。それが我らに課せられた至上命令だ」
ルドルフは深々と頭を垂れた。
「肝に銘じます」
―――
退出したルドルフは、夜風の吹く回廊を歩いていた。
大聖堂の尖塔が、月明かりを浴びて黒く聳え立っている。
彼は足を止め、夜空を見上げた。
『キオ様......』
胸の内でその名を呼ぶだけで、震えるほどの高揚感が湧き上がる。
あの方を守る。あの方を導く。それこそが自分に与えられた使命。
『今日、二度目のあの方の真価を見た......』
暴走する魔力を包み込み、三色の光を調和させた奇跡。
ルドルフは心の底から陶酔していた。そして同時に、暗い確信を深めていた。
『やはり、キオ様は——特別なお方だ』
その特別さを守るためなら、自分はどんな非情な判断も下せるだろう。
あの方の清浄な世界に、不純物は必要ない。
平民も、異国人も、あの方の隣に立つ資格などないのだ。
それが——竜に仕えるジルヴァとして、そしてキオ・シュバルツ・ネビウスに仕える者としての、正しい在り方なのだから。
ルドルフの背後では、八枚の翼を持つ天使ルシエルが静かに控えていた。
主の歪んだ決意を祝福するように、その美貌に聖なる微笑みを浮かべて。
夜の帳が、音もなく大聖堂を包み込んでいった。
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