第47話「二人だけの祭り」
——時は少し遡り、セドリックが空を指差し叫んだ直後のこと。
王都の大通りは、未だかつてないほどの熱気と興奮の坩堝と化していた。
視界を埋め尽くすのは、無数の人々の頭、頭、頭。色とりどりの衣装をまとった群衆が、まるで押し寄せる高波のようにうねりを上げて動いている。
あちこちで歓声が上がり、楽隊が打ち鳴らす太鼓の重低音が地面を揺らし、誰かの呼ぶ声が別の誰かの高らかな笑い声にかき消されていく。極彩色の紙吹雪が空を舞い、スパイスと香水の入り混じった甘く濃厚な熱気が、むせ返るように充満していた。
その圧倒的な質量の奔流の中で、オーウェンは必死に周囲を見回していた。
「カリナ! カリナ、どこだ!」
喉が張り裂けんばかりに叫ぶが、その声は祭りの喧騒という巨大な怪物に瞬く間に飲み込まれてしまう。
ほんの数秒前まで、確かに隣にいたはずだった。あの温かな友人の気配が、雑踏に食いつくされて消えてしまったかのようだ。
冷たい焦燥感が背筋を駆け上がる。足を踏まれることなど気にも留めず、オーウェンは人の壁に体当たりをするようにして進んだ。
「オーウェン! ここよ!」
不意に、騒音の隙間を縫って、銀の鈴を鳴らしたような明るく澄んだ声が届いた。
オーウェンが弾かれたように振り返ると、極彩色の人波の切れ間から、見慣れたキャラメル色の髪がふわりと跳ねるのが見えた。
「カリナ!」
安堵で膝が抜けそうになるのを堪え、オーウェンは逆らう波をかき分けるようにして、その場所へ身体をねじ込んだ。
カリナは、香辛料を売る露店のテントの影——わずかに人が途切れる淀みのような場所に身を寄せ、心細げにこちらを手招きしていた。
「よかった、みんなとはぐれちゃって......」
「ああ......セドリックが空を指差した瞬間、人の流れが一斉に変わったんだ。まるで川の氾濫のように」
オーウェンは背伸びをして、今しがた来た方向へ視線を走らせた。だが、キオやルイ、そしてセドリックの姿は影も形もない。視界にあるのは、祭りを楽しむ無数の笑顔と、興奮に浮き足立つ人々の波だけだ。
「どうしよう、キオたち......」
カリナが不安げに眉を寄せた、その時だった。
近くにいた数人の若者たちが、ふとこちらを振り返った。
「あっ、あそこ! あの金髪!」
「嘘、あの整った顔立ち......もしかしてオーウェン殿下!?」
その言葉は、乾いた森に落ちた火種のように一瞬で燃え広がった。
群衆の一部がざわめき、好奇と熱狂を帯びた視線が、無数に突き刺さる矢となってオーウェンに降り注ぐ。
興奮した声はさざ波のように広がり、人々が「殿下だ!」「本物の王子様だ!」と叫びながら、こちらへと雪崩れ込み始めた。
「まずい......!」
思考するより先に、本能が警鐘を鳴らした。このままでは囲まれる。いや、潰される。
オーウェンは咄嗟にカリナの手をぎゅっと握りしめた。
「カリナ、走るぞ!」
「う、うん!」
オーウェンは身を翻し、わずかな隙間を見つけて駆け出した。繋いだ手から伝わる体温と、確かな重みだけを頼りに、二人は大通りの光から、薄暗い脇道へと飛び込んだ。
―――
狭い路地を抜け、湿った苔の生える石壁沿いを走り、洗濯物が干された裏庭を横切り、いくつも角を曲がった。肺が酸素を求めて悲鳴を上げるまで、二人は足を止めることができなかった。
石畳を叩く靴音が、自身の心臓の早鐘と重なって響く。
ようやく祭りの喧騒が遠い潮騒のように変わった頃、二人は同時に、古い煉瓦造りの倉庫の壁へともたれかかった。
「はぁ......はぁ......っ、ふぅ......」
「っ、く......なんとか、撒けた......かな」
カリナが額に滲んだ汗を指先で拭いながら、大きく息を吐く。その頬は運動の直後で熟れた林檎のように赤く染まり、瞳は潤んでいた。
そこは、迷路のように入り組んだ裏路地の、さらに奥まった行き止まりだった。頭上には色とりどりの洗濯物が万国旗のように風に揺れ、傾きかけた陽の光が煉瓦の壁に長い影を落としている。大通りの熱狂が嘘のように、そこには静寂な時間が流れていた。
「大丈夫か、カリナ。足は痛くないか?」
「うん、平気よ。昔、島の岩場を走り回ってたから、これくらいへっちゃら。オーウェンこそ」
「問題ない。君を連れて逃げるくらい、なんてことはないさ」
強がって見せて微笑むと、オーウェンは苦笑しながら、強く握りしめたままだった手をそっと離した。
空気に触れた手のひらが、急に熱を失って寂しさを訴える。その名残惜しさを振り払うように、オーウェンは手を一度強く握りしめ、それから開いた。
「......すまない、急に引っ張って」
「ううん、ありがとう。あそこで捕まってたら、もみくちゃにされてたわ」
カリナはいつもの屈託のない笑顔を見せたが、ふと路地の入り口へ視線を彷徨わせた。その表情に、わずかな陰りが落ちる。
「でも、これからどうしよう。みんなを探さないと......。きっと心配してる」
「ああ、そうだな。だが......」
オーウェンは自身の髪に触れ、深いため息と共に眉を寄せた。
「この髪が最大の問題だ」
「あ......」
「僕の髪色は、あまりに目立ちすぎる。儀式が国中に中継された直後だ、このまま大通りに戻れば、また数秒で同じことになる」
帽子一つ、フード付きの外套一枚ありはしない。途方に暮れて辺りを見回すが、あるのは古びた木箱と、誰かが置き忘れたような壊れた樽だけだ。
オーウェンが唇を噛んだ、その時。不意にカリナがポンと手を打った。
「じゃあ、これはどう?」
カリナが首元に巻いていたスカーフに手をかけ、結び目をほどき始める。
「え?」
「これで髪を隠せば、目立たないでしょ?」
言うが早いか、カリナはオーウェンの正面に回り込んだ。つま先立ちをして、広げたスカーフを頭へと近づける。
「ちょ、カリナ......?」
「じっとして。動くとズレちゃうわよ」
至近距離にあるカリナの大きな瞳に、動揺する自分が映っているのが見えた。
彼女の細い指先が、オーウェンの前髪を優しく梳くように触れる。その感触に背筋がぞくりと震えた。
柔らかな布地が視界を覆い、世界が一瞬暗くなる。ふわりと、カリナと同じ——陽だまりのような甘い香りが、鼻先をくすぐった。
「......こんな感じかな。耳も隠して、っと」
手際よく後ろで結び終えると、カリナは満足げに一歩下がって出来栄えを確認した。
それは、濃い赤紫色のスカーフだった。
深く、艶やかな葡萄のような色合い。それが、派手な金髪をすっぽりと隠し、オーウェンの端正な顔立ちを縁取っている。その色味は、彼にどこか異国の旅人のような、あるいは市井に紛れた詩人のような、不思議な落ち着きと大人びた雰囲気を与えていた。
「うん、すごくいい感じ! これなら遠目には絶対に分からないわ」
「本当か......? 怪しく見えないか?」
「大丈夫よ。全然怪しくなんてないわよ。それに......」
カリナは少し照れたように、はにかんだ笑みを浮かべた。
「すごく似合ってる。とてもカッコいいわ」
その言葉に、オーウェンの胸の奥がじんわりと温かいもので満たされていく。
飾り気のない、まっすぐな好意。彼には何より嬉しく、そして眩しかった。
「......ありがとう、カリナ」
「どういたしまして!」
「君のそういうところ......本当に、好きだな」
自然と口をついて出た言葉に、カリナは「またまたぁ」と無邪気に笑ってくるりと回った。スカートの裾が花のように広がる。
深い意味は伝わっていないようだが、今はそれでも構わなかった。この笑顔が曇らないなら、それでいい。
最後までお読みいただきありがとうございます。
面白い、続きが気になると思っていただけましたら、
下の☆マークから評価や、ブックマーク(お気に入り登録)をしていただけると、執筆の励みになります!
(お気軽にコメントもいただけたら嬉しいです)
よろしくお願いします。




