第43話「創世祭の幕開け(3)」
同じ頃——。
大聖堂の地下深く、儀式用魔法陣の制御室。
薄暗い石造りの部屋。床一面に広がる複雑な紋様の魔法陣は、聖堂中央の本番用魔法陣と連動し、魔力供給と制御を司る心臓部だ。
本来なら厳重に管理され、許可なき者の立ち入りは許されない。
「......」
管理を任されていた老齢の神官グスタフは、魔法陣の前で腕を組んでいた。
もうすぐ儀式が始まる。最終確認は終わった。あとは本番を待つだけだ。
「グスタフ様」
背後から穏やかな声がかかる。
振り返ると、若い神官見習いが立っていた。白銀の髪を持つ、ジルヴァ一族の者だ。彼は恭しく頭を下げて言った。
「マジェスタ家当主様が、お呼びです。儀式前に、どうしてもお話があるとのこと」
「マジェスタ家当主が? 今、この時に?」
グスタフは訝しげに眉を寄せた。儀式直前に持ち場を離れるなど、常識では考えられない。
「はい。緊急とのことで......聖堂の東翼でお待ちです」
「......分かった。すぐに戻る」
グスタフは渋々と頷き、制御室を後にした。今回の儀式の総指揮を執るマジェスタ家当主からの呼び出しとあらば、無視するわけにはいかない。
遠ざかるグスタフの足音。
クスクス
若い神官はニヤリと笑うや否や、影が闇に溶けるように、跡形もなく消えた
入れ替わるように、廊下の闇から別の足音が忍び寄る。
「......」
マティアス・ジルヴァ・リヒトが、そこに立っていた。
いつもの軽薄な笑みはどこにもない。その瞳は虚ろで、まるで何かに操られているかのように焦点が定まっていなかった。
『大丈夫ですよ、マティアス様』
頭の中で、あの穏やかな声が甘く囁く。
『あなたは正しいことをしているのです』
あの日から、ずっとこの声が聞こえる。
最初は怖かった。けれど今は——この声がないと不安になる。この声だけが自分を認めてくれる。この声だけが、自分の味方だ。
『ヴィクトール様のために......そうでしょう?』
「......ヴィクトール様の、ために」
マティアスはうわ言のように呟きながら、制御室へと足を踏み入れた。
床一面の魔法陣が、淡い光を放っている。
『そこに、これを埋め込んでください』
マティアスの手には、いつの間にか小さな白い石が握られていた。
それがどこから来たのか、何なのか、彼には分からない。けれど——やらなければならないという衝動だけが、強烈に彼を突き動かす。
「......」
マティアスは膝をつき、震える手で魔法陣の一角に白い石を押し込んだ。
石はぬるりと魔法陣に吸い込まれ、やがて紋様の一部となって溶け込んでいく。一瞬、魔法陣全体が不気味に明滅したが、すぐに元の平穏な光に戻った。
『よくできました』
声が、満足げに微笑んだ気がした。
『これで準備は整いました。あとは......時を待つだけです』
マティアスは虚ろな目で魔法陣を見つめていた。
自分が何をしたのか、理解できていない。
ただ——心のどこかで、チリチリとした警鐘が鳴っている。
何かがおかしい。何かが致命的に間違っている——。
しかし、その警鐘はすぐに霧散した。
穏やかな声が、思考の全てを優しく塗りつぶしてしまったからだ。
『さあ、戻りましょう。何事もなかったように』
「......はい」
マティアスは立ち上がり、来た道を戻り始めた。
その背後で——魔法陣に埋め込まれた白い石が、一瞬だけ禍々しい光を放ったことを、誰も知らない。
―――
控え室に、厳かな鐘の音が響いてきた。
ゴーン、ゴーン、と重厚な音色が、大聖堂の隅々まで染み渡っていく。
儀式の開始を告げる、聖なる鐘だ。
「さあ、そろそろ時間です」
窓の外を見やりながら、ルドルフが告げた。
ステンドグラスを通した虹色の光が、彼の横顔を照らしている。
「皆様」
ルドルフは三人に向き直り、慈愛に満ちた眼差しを向けた。
「緊張されているかと思います。ですが、どうか安心してください」
彼の声は、穏やかでありながら、どこか不思議な力強さを帯びていた。
「今日の儀式は、力を誇示する場ではありません。三大竜への感謝と敬意、そして世界の調和を祈る——それだけのことです」
「......ふぅ」
キオは緊張で息を吐いた。
「難しく考える必要はありません。皆様は、ただ自分の心に従って、あるがままの魔力を解放すればいい。それだけで、きっと素晴らしい儀式になります」
その言葉に、三人の肩から憑き物が落ちたように力が抜けた。
「私も、ハイリヒの言う通りだと思う」
オーウェンが力強く頷く。
「僕たちは、ただ誠実に臨めばいい。結果は後からついてくる」
「......はい」
セレネも、こくりと頷いた。
「キ、キオ様と......オーウェン様と......一緒なら、頑張れます」
キオは二人を見て、そして傍らのシュバルツを見上げた。
竜人の相棒は、静かに、けれど深く頷いてみせる。
「俺も共にいる。何があっても、お前から離れはしない」
その言葉の重みに、キオの胸に温かい勇気が灯った。
「うん。僕も、みんなと一緒だから——大丈夫」
三人は顔を見合わせ、そっと微笑み合った。
緊張が完全に消えたわけではない。けれど、「一人ではない」という確かな絆が、震える心を支えていた。
扉の向こうから、荘厳なファンファーレが聞こえてくる。
いよいよだ。
歴史的な儀式の幕が、今まさに上がろうとしている。
誰も知らない。
聖堂の地下深くで、闇が静かに、口を開けて待ち構えていることを——。
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